軌跡、そして…3



 理科の授業で、嫌われたなぁ・・・という自覚をした日から3日が過ぎた、2限目の始まる前。薫はまたも誰もいない教室でため息をついた。
 ――――まいった。
 その頭上を無常にもチャイムの音が鳴り響いていた。
 薫は、3限目と4限目が入れ替えになっていたのを聞かされていなかったのだ。本当なら3限目現国、4限目が体育のはずなのに。教室に戻ってみると誰もいなくて、着替えが行われた形跡だけの残る教室。慌ててグラウンドを見ると、自分のクラスメイトがバラバラとグラウンドに出てきていた。
 慌てて着替え出したが、間に合うはずもなくて。
 ――――さぼりたい・・・
 けれど、それが出来ないのが薫なのだ。これが透なら間違いなくサボるだろうけれど。薫はため息をつきながら、重い足を引きずりながらグラウンドへと急いで走っていった。
 こんな事はこれで2回目というわけではない。昨日は、社会科の先生からの伝言を伝えられていなかった所為で、資料集を持ってきていなかった。おとついは、音楽の授業が音楽鑑賞になるので第2室へ行かなければいけないのを知らなかった。そんなことばかりが続く。
 クラスに、薫が特別仲の良い友達がいないことも災いしてしまっていたようだ。故意に倉田に加担している者と、そういう事になっていることにまったく気づいてない者がいるのだが、誰も薫と親しいわけではないので気に止めていないのだ。
 体育の授業では、やはりというか遅刻の罰にグラウンドを5周させられた。それでなくても忙しくて疲れているのに、無駄に体力を消耗してしまったと薫はため息をつく。それに、こんな事では周りの評価も下がってしまうだろう。それがどうこうというわけではないが、自分のミスでもないのに評価が下がるのは薫としても我慢は出来ない。
 ただ、その性格から言って倉田のことを告げ口することも出来ないし、かといって面と向かって言うのも躊躇われて。結局薫はどうしたらいいのか解決策を見つけられないでいた。
 ――――なーんかしたかなぁ〜
 正直、しゃべった記憶もほとんどないんだけど。
 薫は、ため息をつきながら生徒会室の扉を開ける。
 そんなこんなで1日過ごすだけでなんだか精神的に疲れているのに、生徒会の仕事もあって。さらに、そこにはやっぱり精神的につらい原因のもう一人がいる。
「樋口〜、ため息つきながら入ってくるなよ?」
 ――――はぁ・・・
 その原因のお出迎えに、薫は内心盛大なため息をついた。
「また・・・おまえなぁ」
「今はため息をなんてついてませんよ」
 薫はシレっとそういうと、鞄を定位置の椅子に置いてブレザーを脱いで座った。声には出さなかったのだから、間違っていない。
「でも、なんか疲れてるっぽいな」
 英明がカップを手にやってきて、一つは薫。もう一つは透に差し出した。中からは甘い香りの漂う紅茶。
「ありがとうございます」
 薫はそういうと、カップに口をつける。疲れている所為か、甘い味が身体中に染み渡っていく気がした。自然と、はぁーと息が漏れる。
「どうしたんだよ?」
 透が問いかえる言葉に、薫は肩をすくめて。
「何もありませんよ。そんな事より、前の予算オーバー分が今期にのっかりますから、今期は粛正財政で行きますから」
「えぇ〜」
「不満を僕に言われても困ります。原因か会長なんですから」
 薫はそういうと、今年の予算分配の紙を透に手渡す。
「今年の姉妹校との交流会は、向こうの仕切りなんですよね?」
 10日後には姉妹校である桔梗ヶ丘女学院との定例の交流会が予定されている。毎年交互に相手学校の生徒会役員と、各クラス委員を招く事が通例となっていて、今年は向こう主催なのだ。 
 薫たちとしては、呼ばれるだけなので手土産持参ぐらいで問題は無い。
「ああ、今年は演劇でリア王をご披露いただけるそうだ」
「それは、素敵ですね」
 桔梗ヶ丘の演劇部といえば名門で。そこから有名な女優になった人もいる。演劇指導をしているのも、有名な舞台女優だ。
 それを見られるなんてラッキーと、薫は思ったのだが。
「それ、本気で言ってる?」
「もちろんです」
 書類から顔を上げてうんざり顔を作った透に、薫は首を傾げた。
「俺、演劇とかに全然興味ない」
「ならこの機会にお持ちになったらいかがですか?趣味として悪くないと思いますよ」
 薫も透が見ている書類から目を離さなかった。気になる箇所があったからなのだが、やはりというかなんというか、透の視線もそこで止まる。
「俺は3時間もじーっとしてるのは性に合わない」
「なるほど」
「そこで納得するな」
 ――――自分で言っておいて、どうしろと言うのだろうか、この人は。っていうか、そこやり過ごして欲しいんですけど・・・
「お前なぁー・・・華道部の部費削りすぎ」
 ――――やっぱり。
「ですが、正式に活動しているのは一人だけです。他は、席をおいているだけです。それを考えれば、これで十分なのではないですか?」
「・・・まぁーな。でもなぁーいきなり3分の1ってのはキツだろう」
「会長が先期、キチっと計算して予算を使ってくださっていたら半分削るだけで済んだのですが」
「痛いところつくなよ。とりあえず半分にして、後テニス部も削りすぎ。確かに結果は出てないが、部員は結構いるんだぞ」
 ――――あーあ。人が気になったところを的確についてくるんだもんなぁ・・・
 薫は返された書類を手に持って机に戻り、再び鞄を開けて新しい書類を取り出した。
「じゃぁ、これで。これ以上は無理ですから」
 薫はダメと言われた時様に、違うものも用意していたのだ。
「最初からこっち出せば・・・はあ〜・・・文化祭でチャリティーオークション!?」
「はい。そうでもしていただかないと予算が足りません。会長のおっしゃったところを増やせばどうしたって足りませんが、来期分に手をつけるのは絶対避けたいので」
「・・・理事長許可するかなぁ」
 中等部で、生徒会運営費のためのチャリティーオークションなんて。
「そこは会長の腕と口先で、お願いします」
 透が思案顔で英明を見ると、英明は笑顔で頷いた。書記も、ウンウンと頷いている。彼らはどうやら面白そうだからやってみたい、というところなのだろうが。
「わぁーったよ。がんばってみます」
 透は苦笑を浮かべて、この予算案を承諾した。
「ったく、こんな方法でやられたら俺が断れねーだろ」
 ――――それを狙ったので。
 最初からこっちを出せば、透と言えどももうちょっと考えて、と言ったかもしれない。
 しかし、これでどこの誰にも角が立たずに予算組が出来たのだから薫としてはホッとする。後は、交流会で何を手土産に用意するかだ。ちゃんと予算内で買ってもらわなくては。
「ところで樋口」
「はい?」
「来月の予算に手をつけたくないっていうのは、自分が会長する時に面倒を残しておきたくないって事か?」
 机に戻って、英明が入れなおしてくれたお茶に再び口をつけていた薫に、透が唐突に話題を切り出した。
「・・・・・・」
 薫は無言で透を見る。
「理科の柏木先生から聞いたんだろ?」
 薫はその事を結局透には直接問いただしていなかった。自分から言うのもなんだしと思い直したのもあったが、今それを話題にして頭痛の種を増やしたくなかったからだ。
 しかしそれをまさか透から切り出すとも思っていなかった。
「はい。お伺いしました」
「で、予算はそういう事?」
「違います。こういう事をずるずる引きずりたくなかっただけです」
「会長の件は?」
「お断りします」
「なんで?」
「・・・・・・」
 ――――なんで?・・・・・・って確かに、理由は無い。
 ただ、透から引き継ぎたくないと思っただけだ。けれどまさか、それを口には出来ない。
「理由もないなら、認められない。まぁー理由があっても認めないけどな」
 言葉に詰まった薫に、透がそう言い切る。
「会長!?」
「俺の後はお前だって決めてある。お前は黙って受け取れ」
 ――――っ!!
「あ、樋口・・・」
 ガタっ!!と椅子が大きな音をたてた。
 透の横暴とも取れる物言いに顔色を変えて立ち上がった薫に、英明が歩み寄ろうとする。
「絶対嫌です!!」
 しかし薫はただそう言うと、鞄を掴んで教室を出て行ってしまった。ドアは乱暴な音で閉められる。
「会長!」
「だって、俺の後はあいつだもん。それはお前だってわかってるだろう?」
 英明のとがめる声に、透は肩をすくめてしれっと言う。
 透の後を引き継いで、2年きっちり生徒会長をやり遂げた薫。透とはまた違うタイプだったが、その手堅いまとめ方は先生の評価も高かった。その薫が、当然中等部でも透の後を引き継ぐと思っているのは何も透だけではない。教師陣も全員がそう思っているのだ。
「だからって言い方ってもんが・・・しかも今言う事はないだろう?」
 英明の言葉に、なんで?と透が目線だけで窺う。
「樋口は大変な時期なのに」
「ああ、倉田な。ったく、くだらない事をしてくれる」
 透の目が細められて。さっきまでとはまったく違う、その口調が一気に冷たいものへと変わった。
 その空気は、怒りすら通り越しているのかもしれない。
「会長?」
「ああいうのは、一度痛い思いをしなければわからないかな。・・・まぁ、樋口がどう裁くかも見ものだけど――――」
 冷笑をたたえた透の独り言に、ずっと一緒だった英明すらも一瞬背筋に冷たいものが伝い降りた。
 何か言おうと口を開きかけて、結局英明は言葉を発する勇気が持てなかった。それほどに、透の空気ががらりと変わったのだった。






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