軌跡、そして…4



 翌朝、薫は家の玄関で珍しくふてくされた顔をしていた。
「今日車修理に出しておくし、代替の車も用意しておくから。今日だけよ」
 そんな薫の機嫌を取るように母が薫をなだめていた。
「どうして?薫と翔君は仲良しでしょう?うちに泊まりに来たことがあるのは翔君だけだし・・・。お母さんも翔君のお母様とは懇意にさせていただいてるから、快く承諾してくださったのよ?」
 その懇意になるきっかけは、親子ともども小等部時代のあの家出騒動なのだからどうかと思うが。
「もしかして、翔君と喧嘩でもしたの?」
「してないよ」
「じゃぁどうして?」
 普段こんなにもはっきりと拗ねた顔をしたりすることの無い息子だけに、母はどう対処して良いのかわからない様子で薫を見ていた。
 そんな会話の途中薫の玄関前に、一台の車が静かに止まった。
「薫!おはよーっ」
 後部の扉を開けて顔を覗かせたのは、翔。そして、その奥には座っている透の姿も見えて。
 また、ドキっと薫の心臓が音を上げる。
「おはよう」
 なんでもない顔をするけれど。
「翔君おはよう。透君もお久しぶり」
「お久しぶりです」
 笑顔で会釈する透のその顔は、外面満点と言える。
「ごめんなさいね、無理を言って」
「全然良いですよ!薫と一緒なんて楽しいし」
「ありがとう。さ、薫、いってらっしゃい」
 促されて乗り込むと、何故か薫が真ん中だった。たぶん、翔が1度降りてしまった所為だろう。
「いってきます」
 この状況に、少し照れたような怒ったような顔で薫が言うと、なんとかご機嫌を取ろうとしているのか母はしきりに手を振って。車が走り出した後もずっと見送っていた。
 その車内、透の忍び笑いが漏れた。
「・・・なんですか?」
「いや。樋口も親の前では表情出るなぁーと思って」
 透の言葉に、薫の頬に朱が走って押し黙ってしまう。透に子供っぽいところを見られてしまったのが、無性に恥ずかしくなった。
「薫ん家の車故障だって?」
「うん、そうらしいよ。母さん朝になって言うんだから・・・」
 車は昨夜から故障していたらしいのだが、薫が知らされたのは今朝。それも、今日は翔君の車に乗せて貰える様に話したから大丈夫よ、と笑顔つきの母の言葉で。
「電車で行くって言ったのに」
「ダメって?」
「うん。なんか、今父さんの抱えてる案件がややこしいらしくて。それで脅迫状とかも来てるらしいんだ」
「そうなのか?」
 薫の言葉に、ゆったりとシートに身を沈めて座っていた透の身体が起き上がる。その顔が驚きとともに翳って、声もいつもの抑揚の無い物とは違う。
「ああいえ、そういうのはよくあるんですよ。だから別に大げさに考える事もないと思うんですけど・・・、車の故障がタイムリー過ぎて、偶然の一致とは限らないからって」
 はぁーと面倒くさそうに薫はため息をついたが、透はなおも心配そうな顔を崩さなかった。それは、いつもポーカーフェイスな透が珍しく表情を見せていると言っていいだろう。
「薫ン家も大変だな」
 翔の心配そうな声には、薫はただ苦笑を浮かべて首を横に振った。こんな事は別に慣れている事でどうという事は無い。それよりもまったく別の事でなんだか朝から気苦労と緊張で疲れてしまった。薫は小さく息を吐いて、学校へ着くまでの間少しシートに身体をもたれさせようと、わずかに身じろいだその時。
 ――――・・・っ
 注意深く動いたのに、薫の手が透の手に触れてしまった。
「っ、すいません・・・」
「いいさ、別に」
 ぱっと手をよけた薫に、透は思わずという感じで笑みを漏らす。そのあからさまの反応が、透には嬉しかった。
「なんなら握っていくか?」
 何より薫の心を表している様で。
「はぁ!?・・・ちょっ」
 透は言うが早いか薫の手を掴んで、無理にこじ開けた指を絡めてその手をシートの上に置く。
「会長!?」
「ん〜?」
 薫は慌てて手を解こうとするが、透がぎゅーっと握り締めていてそれは叶わない。しばらくはがんばってみたが、ムキになって指を解くのも大人気ないような気がして、諦めたのは薫のほうだった。
 翔には、仲いいなぁ〜の一言で片付けられて。
 そんな事は無いっと叫ぼうとしたら、透の指が薫の手の甲を優しく滑らせて、その感触に薫は思わず息を詰めて口を噤んでしまった。いつの間にか透の膝の上に乗せられた手は緊張にしっとり汗ばんでいた。それでも離されない手に薫は言いようの無い切ない想いが込み上げて、悟られまいと必死で飲み込んだ。
 結局薫とは心休まる暇もなく、そのまま透と手を握り締めあってたまま正門を通過した。門のすぐ脇に車を止める場所があるので、翔の車もそこに一時駐車して3人は車を降り立った。もちろん、降りるときにはもう手は握っていなかったけれど、そんな3人で車を降りる光景を上から不愉快そうに見ている人物がいた。
「・・・なんで一緒なわけ?」
 忌々しそうに呟いた声。傍にいたら毒気にやられそうな苦々しい声だ。
「どうしたんだよ、満」
 その声を聞き漏らすことなく言うのは、自称満の親衛隊でクラスメイトの落合達也。彼は、入学したその日に満の可愛らしさにやられてしまったらしい。入学以来のお取り巻きの一人だ。
「会長と樋口が一緒に登校してる」
「あ、本当だ」
「樋口ってほんとにムカツクよね」
「そーか?俺小等部の頃から知ってるけど、別に普通の奴だぜ?」
 鈍いのかバカなのか、お気楽に言う言葉に倉田はキツい視線を向けた。唯でさえ苛立っているのに、神経を逆撫でされたわけだ。
「なに?落合は僕じゃなくて、樋口の肩持つんだ?」
「え!?いや、そうじゃないよ!そうじゃないって!!」
 落合は姫のご機嫌を損ねたらしいと分かって、慌てて首を横に振った。それこそ首がもげそうなくらいに。そしてなんとかとりなそうと、言葉を探してはぐだぐだと吐き出していたが倉田は興味が無いらしくまったく聞いていなかった
 ただ苛立たしげに、再び階下の光景を睨みつけていた。




 そんな事は梅雨知らず。薫は淡々と日々を送っていた。
 が、薫は倉田絡みでため息をつかない日はなくて、今日の場合は4限目終了時。今回のため息の理由はいつもとは少し違った。
 春の郊外学習に1年がドコへ行くことを希望しているのか、その案をまとめた書類を倉田が持っているらしいのだ。それを貰わないと、薫は予算の組み立てが出来ない。
 中等部からは、郊外学習の予算も生徒、すなわり生徒会が管理して、予算範囲外の場所は却下していかなくてはならない。そして会計は薫なのだ。早く計算を出していかないと、最終決定がズレこんでしまう。
 2年は提出済みで、3年は修学旅行があるので郊外学習は無い。
「・・・しょうがない」
 この昼休みを使ってある程度計算しておきたかった薫は、それこそ一大決心でもする思いで立ち上がって声をかけた。
「倉田君」
「・・・なに?」
 お昼のパンでも買いに行くつもりなのか、教室を出ようとしていた倉田が迷惑そうに振り返る。
「郊外学習の案、倉田君が持ってるって聞いたんだけど」
「持ってるけど?」
「今貰えないかな?昼休み中に計算しておきたいんだ」
「あれは生徒会に提出のはずだよ?っていうことは会長に渡すものでしょ。放課後生徒会室に持って行くから」
「放課後って」
 ――――それじゃあ、計算にかかるのが明日になってしまう。明日は、交流会の件で会議なのに。
 それじゃあ困ると言いかけた薫に、倉田はあっさり背を向けて教室の外へ出ようと足を踏みだした時。
「よう」
「会長!」
「会長・・・」
 扉の前に、透が姿を現した。
 その突然の出現に、倉田の語尾にはハートマークが飛びそうな勢いだ。が、透は軽く倉田を無視した。
「樋口、郊外学習の予算振り出来たか?」
「―――いえ」
 このタイムリーさ。どこから立ち聞きしていたんだと、薫の目が少し刺々しいものに変わったのだが、透は相変わらずの笑顔。
「なんで?」
「まだ1年の案が提出されていないので・・・」
「誰が持ってる?」
 ――――っていうか、聞いてたくせに!!
「倉田君が」
「なら今貰えよ。目の前にいる」
「ちょうどお願いしているところです」
 薫の言葉に、透はようやく倉田に目をやった。しかも、早くしろと苛立たしげな催促顔で。
「すぐ持ってきます」
 けれど、透と付き合いのまったく無い倉田にはその表情の変化までは読み取れるはずもない。2年キッチリ付き合った薫とは違う。ただ単に目が合った、見つめられた口を利いたと喜んでいられるのだから薫としては羨ましいというか、なんというか。
 そして、いそいそと持ってきた書類を倉田はわざわざ透に渡したのだが、透はそれを見もしないで薫に渡した。
「ありがとうございます」
「いーえ。で、どうせ生徒会室で計算すんだろ?一緒に行こう。俺も明日の会議の資料確認したいし」
 ――――資料の確認?
 そんな事しているのを見たことが無いとは、薫も言わなかったが顔には出ていたのだろう。透はにやっと笑った。
「樋口、昼持参だろう?持って来いよ、副会長が美味しいお茶を入れてくれるぞ」
「・・・わかりました」
 本当は、お昼に生徒会室に行く気なんかなかったし、お昼も翔のクラスにでも行くつもりだったのだが、こうまで言われると否定しがたく。
 隣からは突き刺さるような視線を感じてはいたが、透は確実にわざと煽ってるのは目に見えている。これで誘いを断ろう物なら後で何を言われるかわかったものじゃない。薫は内心深い深いため息をついて、透の言われるままに弁当の入った鞄と書類を手に、倉田の目の前で透と連れ立って教室を出て行った。


 しばらく無言で歩いた薫が、教室からはだいぶ離れてようやく口を開いた。
「ようやく分かりました」
 あの嫉妬心に染まった瞳。よく考えれば、最初からあの瞳で見られていた。
「何が?」
「僕が倉田君に嫌われてる理由って、もしかして会長の所為じゃないんですか?」
「正解」
 軽く言う透に、薫ははぁーっと落とした。
「僕を巻き込まないで下さい・・・」
「それは俺も悪いと思ってるが、仕方ないだろう。俺だって入学して始めて知った相手だし。なんで想われてんだかわからないからな」
 肩をすくめて軽く言う透の言葉に、何かがズキっとする。
「綺麗ですよ、倉田君」
 気づいたら、後先考えずに口を開いていた。
「だな」
「いいんじゃないんですか?」
 ――――何が・・・?
「何が?」
「答えてあげたら」
 そうだ。そうしたらきっと、この胸のもやもやも亡くなる。
「会長?」
 並んでいたはずの透の足が、生徒会室の僅か手前で止まった。
 不審に思い見上げた顔は、もう笑っていなかった。
「それ、本気で言ってるのか?」
「―――っ、・・・はい」
 一瞬で変わった透の声のトーンに、薫は思わず言葉を詰まらしたがそれでも返事を返した。他の者ならその冷たさに飲まれて言葉を返すなど出来なかっただろう。
「・・・なぁ、樋口」
 だってきっとその方が楽になれるから。一瞬が、痛くても―――――
「樋口」
 例えその傷が膿んで、傷んだとしても・・・・・・
「は、い?」
 また、違う声のトーン。
 けれど、さっきの怒った様な声よりも何故か、今のほうが薫は怖かった。
 何かを、――――つきつけられそうで・・・
「ずっと、聞きたかったんだが―――」
 喉が、急速に渇いて・・・
「は、い・・・」
 ――――なに・・・・・・?
「あれ?二人ともそんなとこで何してんの?」
 緊迫した空気を無常にも破ったのは、英明の声。二人が遅いと思って生徒会室の扉を開けたら、すぐ目の前の廊下に立っていたのだから驚くのも無理は無い。
「いえ、なんでもありません」
 怖いくらい真っ直ぐに、真摯に見つめられた視線から逃げたのは薫。言葉の続きを聞くには心の準備が出来ていなくて、本能が逃げる様に警告を発してるから、するりと身を翻して薫は生徒会室の扉をくぐった。
 その背後、透が吐き捨てるようにため息をついた。







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