軌跡、そして…5



 ――――またか・・・
 翌日も生徒会室で昼休みを過ごして、慌てて教室に戻ってくるとまたクラスはもぬけの殻。本来なら次は保健体育の授業のはず。
 移動と言われてもどこかも検討がつかなくて。薫はため息とともに回れ右をする。職員室にでも行けば誰か何かを知っているかもしれないし。とにかく、薫の性格からしてじっとここで待っている事も、サボる事も性に合わなかったのだ。
 しかし―――――
「あ、れ・・・」
 職員室へ行く途中の渡り廊下。何気なく見下ろした裏庭に。
 ――――翔!?
 チャイムはもう鳴った後だ。渡り廊下から反対側のグラウンドに目をやると、そこには翔のクラスが体育の授業中。
「うそ・・・」
 この状況で考えられるのは、翔が。あの翔が、体育をサボったという事。薫は目の前の光景が到底信じられなくて、慌てて階下へと降りていった。その時には既に、職員室へ行くという目的は忘却の彼方。
「翔っ」
「薫――っ」
 裏庭に出て駆け寄った薫に、翔は驚いた顔をして少し腰を浮かせた。
「どうしたの?こんなところで一人で・・・」
「ああ、う、ん・・・」
 本当に翔にしては珍しく、曖昧な表情を浮かべて再び座り込む。
「隣、いい?」
「うん・・・」
 隣へズレた翔の横に、薫は座る。その場所はちょうど大きな岩があって陰になっているので、上から見下ろさない限り見えない場所。
 木々の陰にもなっているので、案外涼しくて気持ちも良い。
「―――なんか、昔もこんな事あったね」
「え?」
「ほら、翔が庭に一人でいて。僕が声かけてこうやって並んで。太一の家の離婚の話に翔が悩んでた・・・」
 もう、随分前のように思える春の出来事。ほら、今も春だ。
「そうだ。そんな事あったなぁ〜」
 ようやく、翔らしい笑顔が覗く。あん時は薫にムカついたんだとかなんとか、懐かしそうにしゃべる横顔に、薫は笑みを浮かべて。
「で、今回はどんな悩み?」
 サラっと切り出すと。
「え!?―――あぁ〜・・・っと」
 翔の瞳が、あわただしく泳ぐ。
「言っておくけど、僕が翔に誤魔化される事は無いからね?」
 なんとか話を逸らそうと思っているのか、あーうーと呟いている翔に薫が釘を刺すと。一時の沈黙の後、諦めたように息を吐き出した。
「悩みってほどでもないんだけどな」
「うん?」
「俺って勉強ダメじゃん?」
「うん」
「・・・即答するなよなぁ〜」
 顔をしかめて言う翔に、薫は思わず声を漏らして笑う。だって、そんな事は無理な相談だ。
「で?それが悩み?」
 ――――今更・・・?
「それっていうか、今まではでも俺って体育得意だったし、それでいいかって思ってたんだよ。勉強できなくても、スポーツできるんだしいいじゃん、みたいなさ」
「なるほど」
「でも、上に上がって見たらスポーツ特待生とかいて。俺より全然うまかったりしてさぁー」
「うん」
「・・・なんかなぁー」
 はぁ〜あと、翔らしくもない盛大なため息に薫は目をパチパチとしばだだせて、ちょっときょとんとした顔になる。
「よーするに、勉強も出来ないしスポーツもいまひとつって事?」
「・・・薫ぅー!!」
 翔にすれば、そんな身も蓋もない言い方すんじゃねー!!というところだろうか。
「はは、ごめんごめん。でもさぁー別にそんなのいいんじゃないのかな?」
「え?」
「だーって、僕らまだ12歳だよ?勉強だってする気になれば出来るし、運動だって、彼らは子供の頃からずっと本格的に習ってるんだし、翔が敵うはずないよ。もし翔の方が彼らに勝っていたら、天才以上だよ」
 それこそ怖いとと笑う薫に、まだ納得出来ないのか不満気な翔が口を尖らす。
「・・・そーだけど」
「そんなに好きなら、今から何か習えば?」
「俺もそれは思ったけど・・・、でもそこまで何かが好きってわけじゃないし。つきつめたいってのはないんだよな。勉強は論外だし」
「うん」
「学校が楽しくて、体育も楽しくて。友達と騒いで遊んで、たまに先生に怒られて。―――そんなんで十分楽しいんだ」
「ならいいじゃん」
 なんの悩みがあるんだと、薫が目を丸くする。
「かなー・・・」
 でもなぁー・・・と呟く翔は、もしかしたら何か目標が見つけられない今に不安なのかもしれない。
「だって勉強できなくたって、運動もそこそこだって、僕は翔のこと好きだし。その明るくて真っ直ぐなところいいなぁって思うし。翔は勉強ダメで、スポーツもそこそこだけど、性格は飛びぬけて良いと思うよ。それでいいんじゃないの?」
「褒めてるか?」
 あまり褒められている気がしない翔は、うらめしそうな視線を薫に向ける。けれど薫はいたって普通の顔で笑っている。
「褒めてるよ。だって、僕は勉強出来てスポーツそこそこだけど、友達はあんまりいないし、作るの下手だし人付き合い苦手だし。ほらね?みんな色々だよ」
「そう、かな?」
「うん」
「そうだよな・・・、まだ中1なんだし、これからだよな」
「うん」
「そうだな!俺の場合は、もっと後から見つかるのかもな」
 自分の目標。自分の夢が。
「そうだよ」
「よし。薫さんきゅう!!」
 翔はさっきまでの不安顔はどこへ行ったのか、満面の笑みを浮かべてすくっと立ち上がって。
「翔?」
「後35分あるな」
 翔は時計を見て元気良く頷く。
「はぁ?」
「俺体育してくる。今日はサッカーなんだ!!」
「えぇっ!?・・・ああ、そう」
「うん!!―――あっ、薫は?薫はなんか悩みとかないのか!?」
「ないよ」
「・・・本当に?」
 いや、そんな早くサッカーしたいってうずうずした顔つきで言われてもね、引き止める気にはならない。ましてや、悩みの半分は翔の兄に関してとなれば、言えるはずも無い。
「うん。僕は大丈夫だから、早く行って」
「わかった。じゃぁなぁー!!」
 翔は手を大きく振って、体操服に着替えるために教室へと猛ダッシュで戻っていった。ちょっと落ち込んでたけど、なんか吹っ切れた。薫はすげーな、なんて思いながら一気に浮上した心でスキップでもしそうな勢いだ。
「―――あれ?薫はなんで授業中なのにあんなとこいたんだろ・・・?」
 体操服に着替えながら浮かんだ疑問は、グラウンドから聞こえる歓声にすぐ頭の隅においやられて、翔は再び猛まあいいかとダッシュで駆けて行った。




「はぁーあ」
 一方薫は取り残された裏庭で、思いっきり伸びをしていた。
 ――――なんか、今更職員室に行くのも間抜けだよなぁー・・・今まで何してたんだって話だし。
「大きなため息だな」
「っ!!―――会長っ」
 声に思いっきり驚いて振り返ると、そこには軽い笑みを浮かべた透が立っていた。
「なーんか、昔もこんな事あったなぁ〜」
 自分と同じ言葉を吐く透に、薫はまた小さく息を吐いた。
「そうですね・・・」
 ――――・・・どっから人の話を立ち聞きしてたんだろう?
「で、樋口はこんな時間にこんなところで何をしてるんでしょうか?」
「その言葉、そっくりそのまま会長にお返しします」
 ここで、透の所為で困ってるんだとは言えないところが薫らしいのか。透を責めてもいいと思うのに。
「俺は自習だよ」
「自習だからって校内をぶらついていいというわけではありません」
「そうだよねぇ、なのに樋口はこんなところにいるわけだ」
 パキっと枯れ木を踏んで一歩近づいてくる透に、薫は思わず立ち上がって無意識のうちに一歩退いた。
「逃げるなよ」
 笑いを含んだ透の声。
「逃げてません」
「逃げてるだろう?」
「近寄ってくるからです」
「近寄っちゃだめ?」
「ダメです」
「なんで?」
「―――っ」
 ――――なんで?
 それは、心が痛くなるから。暴れ出す心臓を押さえ込む気力が、今は少し足りないから逃げるしかない。
 けれど心の内を素直に言える筈も無くて。言葉に詰まった薫の視線と、笑みの消えた顔で射抜く様に見つめてくる透の視線が絡み合った。
「なぁ、なんでだよ」
 声のトーンが、変わる。
 ――――なんで・・・って?
「とにかくっ、嫌なんです」
「それじゃぁ納得出来ない」
「――――」
「俺が嫌なら、その理由で俺を納得させてくれ」
 ――――そんなの言えない。
 だって。
 だって――――・・・・・・キス、されたから。
「・・・っ」
 それが、ドキドキして。・・・・・・・・・・・・・・・・・・嬉しくて・・・
 最初は嫌いで、でもカッコよくて。
 いつの間にか憧れて。
 一緒にいるのが楽しくなって、役に立てるのが嬉しくなってた。
 会長が、遊びでも。
 ゲームでも。
 僕は。
 貴方が。
 ――――――好き、だから。
「え・・・っ」
 目の前の透が、何故かうろたえたような顔になった。
「・・・っ、・・・」
 ――――認めたくなかったのに。忘れようとしていたのに。
 だからあの日、胸の奥底に仕舞って蓋を閉めて。重石をつけて沈めたのに。
「薫っ」
 ――――っ、呼ばないで!!
 痛い。
 たった1度、名前を呼ばれたあの日が還ってくる。
 キスされた時。
 守ってくれた背中。
 握り締めた手の暖かさ。
 全部が。
 好きだった思いも。
「ひぐっ、――――おいっ」
 知らぬ間に涙を浮かべた視界で透の顔はかすんで見える。けれど、腕を伸ばしてその身を捉えようとした透の手に気づいて、薫はぱっと身を翻して空を掴んだ。
「待てって」
 薫はそのまま、校舎のほうへと走っていく。
 だって、泣いてる。こんな顔見られたくない。理由を問われたら、なんと答えていいのかもわからない。
「樋口っ」
 透も、薫をつかめようと足が自然と前に出た。
 この歳の2年の差は大きい。透のほうが身体も大きくて足も早い。伸ばした腕は、薫の身体が校舎に入るところで捕らえて、そのまま強く引きとめた。
「離してくださいっ」
 腕を捕らえて、上を向かそうとする透の手を薫は最大の力で抗った。いやいやと首を振って、腕を伸ばして透の身体を離さそうとする。
「薫っ」
「止めて!」
 叫んだ薫は、腕を突っ張ってその顔は俯いたまま。顔は見えないけれど、その声は痛かった。
「―――なんでだよ」
 透には、薫の頑なな拒絶が分からない。
 小等部の時は、いい関係を築いていんじゃなかったか?
 俺達、うまくやってただろう?
 キスした時だって、拒絶しなかったのに。
 そう思うのが、小3相手に通るかどうかは微妙だけれど。でも、こんなに嫌がられる道理がわからない。
「なぁ・・・」
 なんで――――・・・
「僕は、会長の遊びに付き合うつもりはありません」
 ――――震える指先に、気づかないで下さい。
「は?」
 遊び?・・・ってなんの話だ?
「他を当たってください」
 ――――もう、これ以上苦しめないでください。
「ちょっ・・・」
 意味がわからないと、透ともあろう者が薫の言葉に戸惑って、一瞬、掴んだ腕の力を緩めてしまう。
「あっ」
 その隙に、薫は透の腕を必死で振りほどいて。そのまま走り出す。
「・・・、視聴覚室!樋口のクラスは、視聴覚室にいるから!!」
 一度捕らえたのに、腕の中に捕らえたのに、透はその存在を逃がしてしまった。その後をすぐ追う事も出来ず、身体が反応さえしなかった。
 せめてもと思いとっさに叫んだ声は、薫には聞こえただろうか。
 もう、目の前には誰もいない。足をとすら聞こえない静寂。
「さっきすれ違ったぞって、お前が困ってると思ったから・・・、伝えにきたのに」
 誰もいない廊下。
「翔の相談に乗ってくれてありがとうって、言いたかったのに」
 ――――なぁ、どうしてだよ・・・・・・お前、俺の事好きだろう?
 透の声は誰に聞かれることも無く、心の問いかけに答える者も無い。ただ空しく空に消えていった。





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