軌跡、そして…13



 次の日、薫はまったくいたって普通だった。聞かされた言葉が嘘では無いかと思う程に、悩んでいるそぶりなどまったく見せなかったのだ。放課後、生徒会室に顔を出した透にさえも普通にいつも通り話していた。その態度に、綾乃は自分だったら絶対無理だあーと感心するやら呆れるやらのしみじみ感心したのだが、それくらいの徹底した普通ぶりだった。
 あの日以来薫が綾乃に何か悩みを打ち明けるでも相談するでも無く、正直あのお泊りで聞いた話は夢だったのではないだろうかと綾乃が思ってしまうほどに、なんの代わり映えもない普通の日常が続いていた。テストがあり翔が呼び出され、呆れながら薫が教えてやって。バスケの授業ではボールを受け損ねた綾乃がヘディングをして笑われて。生徒会では卒業式の準備が着々と行われていた、そんないつも通りの1週間が過ぎて行った。
 そして綾乃が驚いたのは、金曜日何気なく、週末はどうするの?と聞いた答えに透さんとデートかなと、薫はそう答えた時だった。これには一瞬綾乃は何も言えず、そ・・・そう良かったね、とかろうじで言葉を作ることが出来ただけ。しかもその言葉の後、薫は本当に嬉しそうに笑ったのだ。あんな顔をする人が別れを考えているなんて、やっぱり何かの聞き間違いだったのかと、ありえない思いに囚われるのも無理はない。
 そして、そのまま綾乃は普通に、本当に普通にいつもの様に、また月曜日に、と言って別れたのだった。





・・・・・





 そんな週末。土曜の午後、銀座の通りに薫と透の姿があった。二人ともいたってカジュアルな服装に、薫のみ小さめの鞄をたすき掛けにして持っているが、透は手ぶら。その手には映画のパンフレットが握られていた。
「結構おもしろかった」
「悪くはなかったな」
 二人が見たのは、どちらかというとマイナーの部類の人間ドラマのような映画。この映画を選んだのは、薫の趣味だった。
「薫、こういう甘ったるいの、結構好きだよな」
 精悍な顔立ちに長身の男前の透と、綺麗な顔立ちの穏やかな空気の薫の組み合わせは、どう見たって目立っていて。
「いけません?」
 行き交う人が思わず振り返る。
「いーや。いいと思うぜ」
「・・・なんか、思ってないでしょ?」
 くすりと笑う透に、ちょっと拗ねた口調で薫は言う。ふと見つめる横顔に、風が吹いて髪が揺れて。そんな姿に薫は思わず見惚れてしまう。
「ん?」
「いえ・・・」
 薫は笑みをこぼして軽く首を横に振った。
 ――――思えば、随分遠くまで来た・・・
 あの、最初に透を認識した日から何年が過ぎただろう。突然キスされて憎んで、それでもどうしても好きになって6年。
「ちょっと腹も空いたし、お茶でもするか?」
 ――――長かった・・・
「はい」
「・・・どうした?」
「何が?」
 普通に返事したはずなのに、透は薫の顔を見つめて心配そうに眉を寄せた。
「なんか、泣きそうだぞ」
 ――――・・・っ
「何、言ってるんです。こんなところで泣く理由がありません」
 透の言葉に焦ったように薫は笑う。思わず逸らしそうになった瞳は、なんとか我慢して逸らさないで済んだ。勘のいい透の事だ。どんな些細な失敗も気づいてしまうだろうから。
「そーだな」
 もし逸らしていたら、完全に怪しまれていただろうと思う。
「はい」
 ――――気をつけなくちゃいけない。
 今はまだ、何も悟られたくない。ただの、恋人のままでいたい。
「で、どこでお茶します?」
 明るく言う声は、少しわざとらしかったかと思うけれど、透はにこりと笑って前方を指した。
「もうちょい先に静かでいい店があるから、そこにしよう。ケーキもあるぜ」
「あ、それいいですね」
「甘いもん、よく食くえるよなぁー」
「透さんはその代わり、飲みすぎです」
「お前も結構飲むだろう?」
 道の往来で、高校生がして良いとは思えない会話が続く。
「・・・ワイン1本空けたくらいじゃないですかっ」
 手は、繋げないから。せめてもと肩と肩が触れ合う距離で歩く。
「16でそんだけ飲めれば十分だ!」
「透さんだって一緒になって飲んだくせにっ」
 その肩が時々ぶつかって、ドキっとしてしまう。そんな事も、もう後少しの事なんだろう。
「俺はあの後、カクテルにしてもうちょい飲んでたかなー・・・あぁ!?待って」
 透が、今まさに通り過ぎようとした場所に目を止めて、薫の歩みを止める。
「なんです?」
 薫が透の視線の先。すなわち目の前の店―――いや、陶芸展が行われている会場を見る。透に陶芸の趣味や興味があるなんて、聞いたことが無かった薫は、思わず透に問いかけるような視線を向けた。
「ちょっと覗いてもいいか?」
「はい」
 薫は、透に続いて中に入るとき、入り口にあった名前に目をやる。
 『柴崎今日子 展』
 ――――聞いたことないなぁ・・・
「いらっしゃいませ。こちらにご記帳お願いします」
 ――――あっ
 一歩中に入って驚いた。入り口に一際大きな華が飾ってあって、そこにある名前が"朝比奈滋"。透の父親の名前だった。
「薫、記帳って」
「あ、はい」
 薫は言われるままに名前を書いて、ペンを受付の男性に返す。
 振り返ると、透はすでにそこらに置かれている器や皿、茶器に目を奪われていた。薫にはあまり興味のない分野で、正直良し悪しがわからないのでなんとも言えないのだが、素朴な雰囲気がとても気持ちよいなと思った。堅苦しくなく、使いやすい色使いも地味ながら使い手を落ち着かせてくれるだろうと思った。
「良いだろう?」
「はい、そう思います」
「親父がさ、今度六本木にオープンさせる店でどうしても使いたいって口説いてるんだけどな、うんとは言ってくれないらしい」
 ――――それで華が・・・
「俺もそれでこの人を知ったんだけど、普通にいいなぁーって思って」
「ええ、使いやすそうですね」
 薫はそう言って、再び器を真剣に見出した透の横顔をそっと見つめた。その顔は、高校生ながら既に大人びていて。きっと何年か後には、スーツを着て名刺を持って、商談にやって来るその姿が見えるようだった。
 そしていつか、その左手の指には―――僕の知らない人との結婚指輪が光るのだろうか?
 薫は、自分の想像に耐え切れなくなって、顔を背けて透から離れた。透に背を向けて、壁際にある茶器に、見るともなしに視線を向ける。
 その背中を、透が物言いたげに視線を向けていた事には気づかなかった。
 二人はその後銘々展示会場の中を1周した。といっても、そんなに広くはないのだが。そしてそろそろ出ようかと扉に寄ると、外から大きく扉が開けられた。
「あ・・・」
「・・・よう」
「綾乃・・・」
 外からやってきたのは雪人の手を引いた綾乃と、こざっぱりした・・・化粧っ気のない女の人だった。
「なんだ、綾乃の知り合いか?」
 口を開いたのは女の人。
「はい。高校の友達の樋口薫君と、先輩の朝比奈さんです」
「よろしく。―――ようこそ」
「なんや、綾乃の知り合いなんか?」
 今度は後ろから。受付をしていた男の人が口を開いた。
「えーっと?」
 この状況がまったくわからない薫が、その視線で綾乃に説明を求める。そもそも、綾乃や雪人がこの場にはどうも、似合わない気がしたのだが。
「あ、こちらが柴崎今日子さん。で、こっちが旦那さんの柴崎真吾さん――――ほら、あの・・・」
 綾乃がそこで言葉を切って、言いにくそうに雪人を見て。綾乃が口元に手をあてて小声で薫の耳元に囁いた。
「家出してた時、偶然出会ってお世話になったって話した事あったでしょ?その人達なんだ」
「ああっ・・・、公園で寝たて犬に・・・って?」
「そうそう」
「何の話?」
 二人の内緒話に、ちょっと不機嫌そうな顔になって雪人が割り込む。
「ああ、ううんちょっとね」
 綾乃はまた説明するのは面倒でそう言うと、途端にぷーっとほっぺが膨れる様はどう見ても小等部5年とは思えない。
「で、個展するって聞いたから遊びに来たんだ。薫は?」
「たまたま通りかかって・・・」
「俺が見たいって言ったんだ。――――初めてお目にかかります。朝比奈の息子の透です。アサヒナフーズの」
 透は今日子に向き合って、改まった声で頭を下げた。
「ああ、そうだったのか。お父様には大変立派な御花をいただいて、ありがとうございましたとお伝えください」
「はい―――では、これで失礼いたします」
 透はそう言って、長居は無用と軽く頭を下げると傍らの薫を促した。
 透は別に顔を繋ぎたかったわけではなく、ただ純粋に今日子の作品が好きで見たかっただけだったからだ。
「じゃぁ、またね」
「うん。ばいばい」
「雪人君もばいばい」
「ばいばーい」
 薫は手を振って、透は去り際もう1度頭を下げて出て行った。
 その後姿を綾乃はなんともやりきれない思いで見送っていた。
 ――――あんなにお似合いなのに。あんなにもピッタリのカップルなのに。
「綾ちゃん」
「はい?」
 後姿をなんとも言えない思いでと見送っていた綾乃は、真吾に手招きされて傍へとよる。どうやら内緒話っぽい雰囲気に、何故か今日子も寄って来た。
「あの二人、恋人同士やろ」
「え・・・、なんで?」
 にやっと笑った顔で軽く言われて、思ってもみなかった発言に綾乃は目をばっちりと見開いて固まってしまった。
「そうなのか?」
 流石に今日子の声にも、驚きが滲んでいる。
「間違いない。なーんか、あの空気。寄り添い方。俺な〜そういうのは分かるねん」
「そうなのか?」
 これは綾乃への問いかけ。
「ん〜〜・・・、・・・」
 ここで否定も肯定も出来ないところが綾乃らしいというか。嘘をつくのも嫌だけど、勝手に言うのも悪い気がする。でも、相手は真吾さんだしいいのかなぁー・・・でも、今日子さんとは仕事の絡みが・・・などと思っている間の中途半端な返事。
 しかし、それでは肯定しているのと同じだろう。
「そうなのか・・・、それは大変だな」
「え、何が?」
「社長に何度か会ったが、・・・ああいうタイプは男同士の恋愛なんか絶対認めないぞ」
 今日子にしては珍しく、他人を批評する言葉に綾乃は目をぱちりとしばだたせた。
「そうなんですか?」
「ああ」
「そ、っか・・・」
 綾乃の声が、ずーんと沈む。それでなくても薫の気持ちを聞いたばかりで、それに対して何も出来ていないのだから余計だろう。助けられるばかりで、助けて上げられない自分がなんとも不甲斐なくて苛立たしい。
「綾ちゃん?どうしたの?」
 思わず雪人が心配そうに言うほどに、綾乃の空気が落ち込んだ。
「あー、綾ちゃんが落ち込んでどうすんねんあ。―――お前もっ」
 そんな綾乃の頭を真吾は思わず撫でて、ちょっと怒った顔で今日子を見ると、今日子はわけがわからないという顔で二人を見た。
「何を落ち込む?」
「だって・・・」
「認められなければいけないのか?例え両家両親に認められても本人が嫌ならどうする。それよりもよっぽどいいだろう」
「う・・・」
 ――――確かに、それはそうかもしれないけど・・・・・・
「両家両親に反対されても好きならば仕方があるまい。後は、本人が意志を貫き通せるかどうかだろう。例えどんなに困難でもな」
 さらっと言い放つ今日子の言う事はもっともで、綾乃にはそれはわかるのだ。わかるのだが、薫の事を思うとなんと言っていいのかもわからず眉をハの字にして今日子を見つめた。
 そんな綾乃の心の内が分かるのか真吾は小さく息を吐いて、何も言わずに頭をぽんぽんと撫でていた。
 相変わらず、男っぽい今日子ときめ細かい真吾だった。







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