軌跡、そして…14
「にしても、びっくりしたな」 透はそう言いながら、ベッドに腰掛けた。 「?」 薫は室内に持ち込んだジュースやお酒を備え付けの冷蔵庫に入れていた。ここは銀座、都営地下鉄傍のこじんまりしているが綺麗なホテルの一室。少しヨーロッパのプチホテルを思わせる造りになっていた。 「綾乃だよ。まさか家出先が柴崎先生宅だったとはね」 「ああ・・・僕もびっくりしました。―――何か飲みます?」 「ん〜ワイン開けるか?」 買ってきたのは、赤ワイン2本。それにジュースの小さめのペットボトルが2本。 「もう?」 「だって腹減ったし」 そう言われて時計を見ると、確かに時刻は7時前になっていた。ワインを買ったデパ地下で、ついでに色んなお惣菜からツマミまでを買って来ていたので、それを食べながらワイン、というのは確かに良い時間かもしれない。 「にしても、こんないい部屋じゃなくても・・・」 薫はため息混じりに呟いて室内を見渡す。この部屋はどうやら角部屋らしく、その角部分に窓が取ってあった。その外の景色を眺められるようにと言う事だろう、その窓の前にゆったりとした一人用のソファが二つと小さめのテーブル。落ち着いたイエローベースの壁に、黄色がかったライトが優しく反射している。 「普通だろう?」 広さも普通のツインよりは広くて――――たぶんデラックスツインなのだろうと薫は思う。 「それより、飯」 透はそう言って薫の傍にやって来て、袋から惣菜を取り出すのを手伝ってやる。買ったのは、サラダやコロッケ、焼き鳥に串揚げ、オードブルの盛り合わせから、エビチリや寿司までと節操のない組み合わせが色々と並ぶ。それらを全て広げれば、小さめのテーブルには全部乗り切らないほどだ。 透はついでにと、ミニバーからグラスを持ってきてテーブルに置く。 「ありがとうございます」 透は薫の向かいにドスっと腰を下ろしてワインを手に取る。グラスのついでに持ってきた栓抜きで器用にコルクを抜いていく様を、薫はじっと見つめていた。 「どうぞ?」 透がワインを薫に向ける。 「ありがとうございます」 薫はグラスを透のほうへ少し押し出すと、そのグラスに赤ワインを注ぐ。そして、自分のグラスにも注いで、グラスを軽く持ち上げた。 「乾杯」 微かにグラスを鳴らしてきて、にこりと笑ってグラスに口をつけた。それを目で捉えながら、薫も同じようにワインを少し喉に流し込む。 「外はもう真っ暗だな・・・」 言われて目を向ければ、街頭やビルの明かりが綺麗に夜空に映っていた。 冬の陽は、短い。 「ん〜エビチリ上手いね」 薫はそんな様子に少し笑って、自身はサラダに箸をつける。サラダは、イカのマリネっぽくなっていて薫が食べたくて買った品。 うん、美味しいと口の中で囁いて、もぐもぐと食べる。 「焼き鳥もいける」 「そう?」 つられて薫も焼き鳥に手を伸ばすと、なるほど冷えていても結構美味しいものだ。デパ地下で男の子が二人で買い物をするのは、ちょっと恥ずかしいものがあって照れたけれど頑張った甲斐は十分あったようだ。 「ところでさ、来週バレンタインじゃん。何くれんの?」 ――――・・・っ! 不意打ちの言葉に、一瞬焼き鳥を喉に詰まらすかと思った。心臓も、バクっと跳ねた。 「薫?」 「はい?」 「だから、バレンタイン」 バレンタイン。その日はこの4年、毎年薫からチョコを用意して透に贈っていた。去年は、今年がこんな風になるなんて想像していなかったけれど。 「今年は・・・あげません」 「・・・は!?」 ――――あ、珍しい。 透が一瞬驚いて、返事までに変な間があいた。こんな事は滅多にないから、ちょっとおもしろいと薫は思わず笑顔になってしまう。 「何笑ってんだよ、ったく。――――で、なんでくれないわけ?」 拗ねた声に薫は内心ドキドキしながら、用意していた言葉を声に乗せた。 「ん〜〜、たまには僕が欲しいなぁと思って」 「バレンタイン?」 「はい」 ――――そんなの、嘘。 「ん〜〜〜」 ただ、薫はバレンタインに何も送りたくなかった。だって、ホワイトデーに透は日本にはいない。という事は、もう別れてしまっていると言う事。 別に見返りがないから送りたくないわけじゃない。ただ、きっと、何もないその日を一人で向かえる事が耐えられないから。返信のない物を用意することも、そして、――――あげてしまったらきっと、もしかしたらを期待してしまう。 自分から別れるのに。 身勝手で弱いから――――そんな言葉を理由にして良いのかも、わからないけれど。 「わかった」 「え?」 「確かに、この6年ずっと薫がくれてたんだし。俺があげてもいいよな」 ――――なんで・・・っ。 怒れば良いのに。勝手に言うなって。何かくれって言ってくれれば。喧嘩でもして、そのまま会わなくて、そうしたらきっと別れる準備も出来るのに。 「本当に?」 薫の声は、少し嬉しそうに試すような響き。 「ああ。何にするか、考えないとな」 「・・・楽しみ」 ――――何も、何もいらない。このまま日本にいてくれたら、それだけでいいのに・・・っ そんな事は出来ないと、あり得ないとわかっているのに望んでしまうのは、きっと愚かな人のする事なのだろうと思うのに。薫の今の望みは、それしかない。 「ああ、楽しみにしておけよ」 透はそう言うと、薫に手を伸ばしてその頬をそっと撫でた。その瞳はどこまでも優しくて、愛おしそうに薫を見つめるから、薫は堪らずきゅっと唇を噛み締める。 「ばーか。唇噛むなって。切れるだろう?」 透は今度は唇を指でなぞる。くすっと笑う仕草で薫をなだめようとしているのが分かる。このまま、甘えてしまえたらいいのに、今の薫にはそれは出来ない。 「噛むなら、喰いもんを噛め。ほら串揚げ、あーん」 「・・・」 ――――って・・・ 「ほーら。あーんてして」 くすくすと楽しそうに笑う透は、串揚げ薫の口元に持ってきて、ほれほれと唇をつつく。その態度に薫は耳を赤く染めながらも、口を開いてパクっと串揚げを噛む。シャキっと小気味いい音が響いて、口の中には蓮根の味が広がった。 「美味しい?」 コクっと薫が頷くと、嬉しそうに透もその串揚げに歯を立てた。 「うん、蓮根上手い」 「はい―――あ、海老、食べて良いですか?」 エビチリの最後の海老を指して言ってみる。 「いいよ」 やっぱり透は笑ってて。薫はちょっとその視線に照れながら海老をほおばった。テーブルを見ると、7割がたのパックが空になっている。 ワインは半分弱くらいだろうか。 「そーだ。翔のこないだのテスト、やばかったの知ってるか?」 「冬休み明けの?」 甘い空気をどこか打ち消すような、透の話題転換。 「そう」 薫は何も言わずにその会話に乗った。 「赤点ギリギリでしたね」 「そーだぜ。ったくあいつは大丈夫なのか・・・」 「兄としては心配?」 「まーな」 そういいながら最後のトマトとモッツァレラ口に入れ、ワインを飲む。 「あいつのこと、頼むな」 「大丈夫ですよ。翔はああ見えて、しっかりしてますから」 「まー・・・、うん」 どうも納得しかねる様子の透に、薫はちょっとおかしくなる。 「翔のことより、僕の心配はしてくれないんですか?」 「薫?薫の何を心配するんだよ」 「何って・・・」 その言い方はちょっと薄情じゃないかと薫が拗ねる思いを抱くと、透は肩をすくめて当たり前に用に言った。 「お前には俺がいるだろ?俺が付いてる」 「―――っ!!」 「それだけじゃあ嫌か?」 「・・・、・・・」 "アメリカに行くくせに"薫は喉まででかかった言葉を、なんとか飲み込んだ。そんな事は言っちゃいけないと思うから。けれど、次の言葉が見つけられない。 「アメリカなんか、飛行機で10時間くらいだろ?お前が呼べば、いつでも戻ってくる」 薫の心を見透かすような言葉に、とうとう耐え切れなくなった薫が視線を外した。込み上げてくるどうしようもない思いに、涙が出そうだ。 「俺達は、距離なんかに負けない」 ――――負けるのは・・・距離なんかじゃない・・・ 「そうだろう?」 透の言葉に、はいと返事をしなければと思うのに。今口を開いたら全然違う、余計な、言ってはいけない事を口走りそうで薫は黙って俯いたままだ。 「薫」 透が立ち上がって薫に近づく。 「っ」 薫の前に膝を付いて薫を見上げて。全部をわかってるみたいな優しい眼差しを薫に向けてくる。 「ばかだな」 透は薫の身体を抱き寄せて、ぎゅっと強く抱きしめた。 「薫を泣かせるような事は絶対しない、そう言っただろう?」 あやす様に言って、薫の頭を優しく撫でる。 「ごめんなさい・・・」 薫はやっとそれだけを呟いて、顔を上げて透を見た。その顔は、捨てられるのを恐れている子犬の様に透の目には映った。 「謝るなよ」 謝って欲しいわけじゃないと、薫の頬を両手で挟んで唇に優しく、触れるだけのキスをした。 「ふふ・・・、エビチリの味がする」 「っばか・・・」 「おいしいぜ?」 そう言うと、もう一度。 「うーん、今度は焼き鳥のタレかな?」 「もうっ」 クスクス笑う透につられて、薫は思わず拗ねた顔をしてしまう。その所為で、泣きそうなのは少し納まった。 「なぁ、風呂入ろうぜ」 「・・・・・・」 その言葉に、薫の顔が赤く染まる。6年の付き合いになるのに、どうしても風呂に一緒に入るのは苦手だった。 「な?洗ってやるから」 けれどもう、そんな事は後何回もないと思うと、――――断れなかった。断りたく、なかった。何もかもが大切で、かけがえの無い時間だとわかっているから。 薫は透に促されるまま立ち上がって、二人で浴室に向かった。 |