軌跡、そして…16



 2月14日。その日は土曜日で、学校自体はお休みなのだが、綾乃達生徒会役員は全員出席していた。何故ならば、その日は桐乃華高等部への入試日なのだ。
 しかし、こんな日に入試を予定している学校に文句を言うものは数少ない。なぜなら生徒会役員以外は全員休みだから、かえってラッキーと喜んでいるくらいだ。
 朝から入試が始まって、昼をまたいで終わったのは2時半だった。生徒会役員は別に教室で試験監督したりはしないが、広い構内で受験者を誘導したりする役割をになっていた。そして合間の時間には今月末に控えた卒業式前の送別会の打ち合わせ。
 何と言うわけでもないのに雑務に追われてしまい、終わったのは4時を回っていた頃だった。どうせ明日も面接があって登校しなければいけない面々は、今日はここまでと4時すぎでお開きにする事にした。
「疲れたぁ〜〜つーか、バレンタインに学校なんか嫌だぁー!!」
「・・・って、翔バレンタインなんて関係あるの?」
 これはなんとも失礼な言葉を綾乃が言うと、案の定翔がじとーっと恨めしそうな瞳で綾乃を見つめた。
「えっ、だって・・・ねぇ?」
 この視線に綾乃がおろおろと同意を求めるように薫を見ると、薫は苦笑を浮かべて窓の下を見た。
「ああ、人だかりが出来てるから、もしかしたら翔の分もあるかもね」
「うわー!薫っ。マジむかつく!!!」
「?・・・なんの話?」
 人だかり?翔の分??
 綾乃は言葉の意味が分からないままに薫につられて下を見ると、確かに正門付近に人だかりが出来ていた。しかもそれはどうみても、女子高生の群れ。
「なに、あれ?」
 初めて見る光景に綾乃が目を丸くする。
「ああそっか、綾乃は初めてだもんな。よく聞けっ。あれは毎年バレンタインの日にチョコを渡したい女の子が、ああやって門の前にたまる名物なんだ」
「でも今日ほとんど休みだよ?」
 ――――生徒なんて誰もいないのに?
「目当てはコイツだ!!!」
 翔はそういうと、恨みのこもった目で薫を指差した。
「えええ!?あれ、全部!?・・・って。薫、凄いもてたんだ」
「あ、なんかそれ失礼な言い方だなぁ〜」
 薫はくすくすと笑って言う。
 そう、薫がかつて1度だけバレンタインプレゼントを受け取って以来、近隣女子高生に薫は受け取ってくれるのだと間違った認識が知れ渡り。今となっては受け取ってくれないと分かっていても、並ぶファンがついてしまったのだ。
「あの中に翔目当ての人はいないんだ?」
「綾乃―っ!!」
 いや、今のは綾乃の失言だろう。傷口に塩を塗ってしまった綾乃は、翔に首を固められてしまった。
「ギブ〜〜っ」
「言っておくけど、綾乃の分だってないんだからな!」
「・・・僕は別にいらないもん。どうせ帰ったら松岡さんにチョコレートケーキ焼いてもらえるし、雪人君とチョコクッキー作りあう予定だから」
 と、心底嬉しそうに言う綾乃に、いやそれはバレンタインの本来の意義とは違うだろう!と翔は言い出せないらしい。無言で悔しそうにしている。
「さて、帰るよ」
 薫はそんなじゃれあう二人を促して、電気を消して鍵をかけた。
 その薫が、二人に気づかれない様に小さく息は吐いた。
 "今日、連絡する"
 透にはそう言われていた薫だがその連絡が未だになくて。何もあげないと言ったことに怒っているのだろうかと少し不安になっていた。
 今日は、会いたかった。
 別れる、そう決めたはずなのに―――――そんな事に不安になっていてどうすると思うけれど。でも今はまだ、恋人同士だから。
「綾乃、理事長にはどうするの?」
 前を歩く翔には聞こえないように、薫はこそっと綾乃に囁く。
「雪人君と作るチョコクッキーあげるよ」
「・・・それだけ?」
「うん」
 え?何か変?とでも言いたげに首を傾げて見上げてくる綾乃に、薫は若干の不安を感じる。それはたぶん雪人君も同じものを食べるから、特別にはならないんじゃないかぁーなんてコト言っていいのかどうなのか。
 その時理事長がどんな顔をするか、ちょっと見てみたい気もする。怖いもの、見たさ。
「なー薫チョコ受け取れよ」
「なんで?」
「全部俺が食う!!」
「ばーか」
「なんでだよ〜勿体ないだろーっ」
 そう本気で悔しがる翔も、少しバレンタインの本質とずれている気がする。それでは単にチョコが食べたいだけではないだろうか?結局翔には、色気にはまだ遠いという事だろう。その本気で残念がる翔の背中に。薫はポツリと口を滑らした。
「・・・・・・、来年は、受け取るかも」
「なんで?」
 ――――っ!!
「・・・なんで?」
 振り返って見た、目の前の存在が信じられなくて、薫は咄嗟に声が出なかった。
「おー兄ちゃん。何してんの?」
 どうして。ここに――――っ?
「なぁ?なんでいきなり主旨変えして貰っちゃうんだよ?」
 ――――怒ってる。
 目の前の、端正な男らしい顔はまったく表面上は変わらないのに、沸々と心の内で怒っているのがヒシヒシと伝わってきた。
 階段の下、こんな風に隠れるように立って待っていなくたって良いと思う。
「・・・・・・っ」
 もう、言い訳すらも思いつかない。別れるのだから怒られようとなんだろうといいなんて、思えない。目の前で怒っている顔を見るだけで、心が握りつぶされたように痛くて苦しくなる。
「別にいいじゃん。俺はその方がいいしな。なんていってもチョコ1年分だぜ!!」
 こういう時鈍感というのは最強だろう。綾乃でさえこの冴えた空気に立ち尽くしたのに、長い付き合いの、しかも弟の翔にはまったくわからないらしい。
「・・・薫、ちょっといいか」
 これには透も多少気が削がれたらしい。脱力したように苦笑を浮かべてしまっている。
「・・・はい」
 やっと返した返事は、馬鹿みたいに掠れていた。
「なんだよ、まだ生徒会の話?」
「翔、いいから僕らは先行こう」
 綾乃は翔ほど鈍感ではない。自分達が邪魔で、席を外した方がいい事はわかる。なんでだよ?とまだ言ってる翔を半ば強引に昇降口から引っ張り出した。
 ――――翔って・・・
 ある意味凄い、と綾乃は内心感心しながら、足早に正門横の駐車場へ向かう。いやだって、あの空気から出来るだけ遠ざかりたいと思ってしまったのだ。
「あのー!」
 すると、外から女の子の声がかかる。
「はい?」
「夏川クンですよね?」
 断定的に聞かれた言葉は、なんで僕の名前を?そう思う余裕もなく、さらにいきなり差し出されたラッピングされたプレゼント。
「コレ受け取ってください」
「え・・・僕、ですか?」
 ――――薫じゃないの?
「なんで綾乃なんだよっ!」
「わかんない」
「ずっと見てました。受け取って貰えるだけでいいんです!」
 そう頬を赤らめて言われて、バレンタインの女の子からプレゼントを貰うなんて人生初めての体験で、綾乃は単純にそれが嬉しくて。
「ありがとう」
 にっこり笑顔を浮かべて――――受け取ってしまった。
「きゃぁ〜〜〜!!」
 途端にあちこちで歓声が上がって、柵の間から我先にプレゼントが差し出された。
「私のも受け取ってください」
「私のも」
「夏川君!」
「お願いします!!」
 その迫力に綾乃はかなり驚いたのだが、こうなればもう全員受け取るしかない。綾乃は翔にも手伝ってもらい、口々に渡されるプレゼントを受け取ったのだ。翔や綾乃は知らなかったが、今年の生徒会に入った1年の可愛らしい子、は既にそこら中の女の子にチェック済みなのだ。
 翔の予想に反して、正門で待っている女の子の3分の1は綾乃目当てだったのだ。
「あ、ありがとう・・・」
 数分後、両手に抱えきれないくらいの数になった綾乃は多少ひきつった笑みを浮かべて。受け取らない薫の気持ちもわかるかも、なんて思いながらそれらを全部車に乗せた。
 たぶんこの場に薫がいたら、きっと綾乃に忠告してくれただろう。それを理事長に見せちゃいけないと。受け取った事を言うのも辞めた方がいいと。けれどここに薫はいなくて。綾乃は無邪気にうれしくて。
 こんなに貰ったんだよー!と、それはもう無意識無自覚に自慢してしまったツケを今夜払わされる事になるのは、この時はまだ当然知らない。
 そして今後、一切プレゼントを受け取らない、と堅く誓うことになる事も――――――





 一方その頃薫と透は、綾乃が正門で女子の皆様の意識を集めているうちにと教職員用の門から学校を無事抜け出していた。
「どこへ行くんですか?」
「黙ってついて来い」
 薫の腕を取った透の手の力は強くて、薫はその痛みに少し顔を顰めた。
 透はそのまま表通りに出てタクシーを止め、薫を中に押し込んだ。運転手に告げた行き先はお台場の方。
 薫は何も言えず、盗み見た横顔はまだ怒っていた。
 聞かれるなんて、思っていなかった。
 だって連絡するって言ったくせに。こんな不意打ちずるい――――そんな言葉は、口には出来ない。だって時間はもうちょっとしかないのに、こんな事で時間を無駄にしたくない。
 残された時間は、半月ほど。一緒にいられるのは、きっとそれだけ。
 喧嘩なんか、したくない。そんな時間は、もう残っていない。
 薫は思いきって、シートに置かれている透の手にそっと触れて。指を絡めた。恥ずかしくて、俯いてしまったその顔を、少し驚いた様子で透は見つめた。
「―――」
 吐き出された息の気配に、僅かに薫が視線をあげると透の視線とぶつかる。
「浮気の宣言ってわけじゃないんだな?」
 耳に口を寄せて小声で囁く声に、薫は無言で頷く。
 ――――だって、浮気の宣言じゃない。
「ったく。冗談ならもうちょっとセンス磨けよ」
 笑いを含んだ声で言うと、透はぎゅっと薫の手を握り返した。
 ――――ただの、事実だ・・・だって来年の今頃。僕は一人でしょう?
 それは声には出せない思いだから、今は曖昧に笑ってその顔を隠すように、薫は少し透にもたれ掛かった。
「なんだよ。それで機嫌取ろうと思ってもダメだぞ」
 透はそう言いながらも、声はもう機嫌よくなっているようだ。その事に薫はホッとして肩に頭を乗せて瞼を閉じる。この一瞬さえも、尊くかけがえのない時間。
 もう、2度と訪れない時間。
 ―――――好きです。
 言えない言葉の変わりに、薫は透の手をぎゅっと強く握り締めた。
「とりあえず、ホテルに入ってゆっくりしような」
 その声は、薫に甘く切ない音で届いた。







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