軌跡、そして…18
「美味しいっ」 アイスはバニラとラズベリー。ちょっとそんじょそこらでは味わえない濃厚な味わいが口の中に広がっていく。 「うん、アイスはいいな」 「ケーキもおいしいですよ」 「ああ・・・」 どうにも甘いものがそんなに好きではない透は、少し食べて後は薫に回すつもりらしい。いつものパターンだ。 「薫」 「はい?」 「乾杯」 「え?」 透は今更に、先ほどのカクテルを掲げて薫に向ける。確かに、デザートに気を取られてカクテルにはまだ口をつけていなかった薫は、今頃?と思いながらもグラスを手に持った。 「乾杯」 カチンと、グラスの鳴り合う音。 「ん〜これでアルコールが入ってたら言う事ないな」 「もう」 薫は呆れたように息を吐いて、またケーキを口に運ぶ。そんな様子を穏やかな笑みをたたえてみていた透が、あらかた食べ終わった薫の様子を見ておもむろに内ポケットに手を入れた。 「薫」 スっと差し出される長方形の、リボンの付いた箱。 「・・・え・・・」 「バレンタインのプレゼント」 「嘘っ」 「嘘ってなんだよ」 「だって、この食事がそうだと思ってたので」 「これはただの演出。本命はこっち。―――開けて」 演出にしては金がかかり過ぎてる、そんな薫の文句のこもった視線は綺麗に無視して、透は再度箱を開けるように促した。 薫は思っても見なかった物の登場に、まるで壊れ物を扱うようにそっと箱を取り上げてリボンを解く、その指は少し震えていた。 ――――箱からして、ネックレスだろうか・・・ 「――――っ!!」 箱を開けた瞬間、息が止まった。 ――――違う・・・・・・ 「嘘・・・」 「だから、嘘ってなんだよ」 思わず込み上げてきた涙に、泣き声になっている薫とは対照的に透の声は笑いを含んでいた。薫の驚きに、透は自分のプレゼントが成功だったことを悟ったからだ。 「だってこんなの・・・」 まぁ、この反応は想像通りだけれど。 「こんなの、なんだよ」 薫はそっと箱の中に、触れる。 それは確かにネックレスの形はしているけれどネックレスなんかじゃない。それは、確かにシルバーのチェーンがかかっているけれど、そのトップに下がっているのは――――― 「婚約指輪」 「こん、やく―――?」 声が、喉に張り付いてしまった。 「の、つもりなんだけど」 指には嵌められないだろうからと付いているに過ぎないチェーン。本命は、指輪だ。 透はおもむろに立ち上がって薫の傍に行くと、箱の中からチェーンに通された指輪を手に取って薫の首に下げてやる。 「うん、いい感じだ」 薫は無言で手を伸ばして、自分の首に下がってた指輪に触れる。 「っ!」 指先に、電気が走ったみたいにビクリとしてしまう。 「ん?」 「・・・いえ」 透はそんな薫に笑って、ネクタイを解いてシャツのボタンを上から少し外して中に仕舞って、もう1度ネクタイを締めなおしてやる。 「返却不可だからな」 「――――」 「俺とお揃いなんだから、失くすなよ」 透はそう言うと、薫の頬にキスをした。 「お揃い・・・?」 「そっ」 透はそう言うと、シャツのボタンを一つ外して。中につけたソレを引っ張り出して薫に見せた。 「・・・どうして・・・」 たぶん、何も考えずに発せられた言葉。 だって――――― 「何が?」 透のあやす様な声に、薫の顔がハッとして慌てたように無言で首を横に振った。 好き。 好き。 好き。 好き。 好き。 何回言っても、何度思ってもきりが無い。 それぐらい、好き。 「・・・っ」 一生の、宝物にしよう。 もう、何もいらない。 大好きで、大好き過ぎるかけがえの無い、ただ一人の人。 「薫」 呼ばれて見上げた顔は穏やかで、その瞳は優しく微笑んでいる。今は、その瞳が、薫にとって辛かった。 ―――――僕は間違った選択をしているのかもしれない。 こんなにも気持ちを貰っているのに、まだ試そうとしている事。 もしかしたら貴方の手を離す事になるかもしれない事。 「どうした?」 貴方を傷つけるかもしれない事。 「いえ・・・」 でも。 でも―――――― 4年待つだけの覚悟を下さい。 貴方の将来に影を落とすかもしれない、覚悟を僕にください。 もし邪魔なら、それで切り捨ててかまわないから。たった一度、試す事を許してください。 そのチャンスに、僕の一生を考えさせてください。 答えをください。 貴方についていく覚悟を下さい。 卑怯だとののしられても怒られてもいい。 「薫」 行かないでなんて言わない。 「はい」 でも―――――1日くらいなら、いいでしょう? 透は何も言わない薫の頬を優しく撫でと、薫はその手をぎゅっと握り締めた。 「愛してる」 透はその手を取って、手の甲にキスをした。 そのまましばらくの間、少し残っていたアイスが皿の上で溶けきってしまっても、薫も透も動こうとはしなかった。 タクシーで家に帰り着いた時は、12時近くになっていた。 「明日、面接の案内か。変なのに目をつけられるなよ?」 もう家に着くというところで心配そうに言う透に薫は思わず笑ってしまう。ただ、案内をするだけで目を付けられるも何もないだろうに。 その数分後、タクシーは薫の家の前に車を止めた。今はもう制服に着替えて、朝出たときとなんら変わらないその姿。唯一変わったのは、制服の下で揺れる指輪の存在だけ。 「じゃぁ・・・、また」 立ち去りがたい想いを振り切るように薫は言った。 「ああ」 透の返事に、くるりと背を向けて家の門に手をかけた。 「薫っ」 その時珍しく、透が薫を呼び止めた。 「はい?」 薫も少し驚いた顔で振り返る。普段、こういうタイミングで呼び止めたりしないから。しかも、振り向いた透は何か言いにくそうに言葉を捜していた。 「――――?」 「お前―――」 「はい」 「お前は・・・・・・俺に何か言う事はないのか?」 「えっ?」 ――――ええ!? ドキッっと大きく心臓が跳ねた。思わず何かバレたのかと顔が青ざめる。夜でなければそれで気づかれていただろう。 「いや、なんとなく最近様子が変だから」 「いえ・・・、たぶん少し疲れてて。すいません」 薫は驚きすぎて上手く言葉が滑り出せなかった。だから、あまり上手く誤魔化せていない気がする。それでも、透はそれ以上追求して来なかった。 「そうか。ならいいんだ」 「はい。――――じゃぁ、お休みなさい」 薫は今度こそ門に手をかけて、逃げるようにそのまま家の中に入っていった。 心臓が、痛い。 「薫っ、遅かったのね!?」 玄関の音を聞きつけたのだろう、途端に母がパタパタと走ってやってきた。 「うん、ごめん。まだ、起きてたんだ?寝てていいのに」 声が、ちょっと上擦っている。 「何言ってるのよ。明日も学校でしょう?あんまり遅いから心配で待ってたんでしょっ」 もうっと怒る、どんどん子離れしなくなっている気がする母に薫はもう1度ごめんと詫びて。明日はいつも通りだから早く寝て、と部屋へと追い立てて自分のも部屋へと向かった。 まだ心臓がドキドキしてて。 胸元で揺れるリングの存在も、落ち着かない。 今日は色々ありすぎて頭も疲れた。シャワーを浴びて、何も考えずそのまま寝てしまおう。それがいい、そう思って鞄を置いて、ネクタイを解いて。 まだカーテンの閉められていなかった窓に歩み寄る。 「――――っ!!・・・・・・とおる、さん・・・」 下。道路にさっきまで自分も乗っていたタクシーがまだ止まっていて。そのタクシーに身体を凭れさせて立っている、さっき別れたばかりに最愛の人。 薫を認めて透は笑って軽く手を上げた。 「・・・あ」 ブブブブ・・・と携帯のバイブの音。慌てて取ると透からのメール。 "おやすみって返事する前に家に入っちまうから。――――おやすみ" 薫は携帯を握り締めて窓際に戻ると、まだそこには透の姿。薫は慌ててメールを打ち直した。眼下で、透が携帯を確認して、フッと笑った。 その笑顔が、好きだと思う。 そして透はタクシーに乗り込んで帰って行った。 引き止めれるはずも無いタクシーが目の前にいなくなって視界から消え去ると、薫の全身から力が抜けてしまって、ペタンとその場にしゃがみこんだ。 「・・・おやすみなさい」 聞こえるはずのない声を出してみる。思っていた以上に掠れていた声は、何故かわからずただ切なくて。ただ苦しくて。薫は溢れ出した涙を、止められなかった。 涙の理由もわからないのに。 今日が優しすぎて。 切な過ぎて嬉しくて。 握り締めたカーテンに涙のシミを作っても、薫は声を殺して泣き続けた。 |