軌跡、そして…20



 3月に入ってすぐのその日。空は、抜けるように青かった。
 薫は、目の前に見えるたくさんの飛行機をじっと見つめていた。これらはここから、世界各地へと飛んでいくのだろう。人と荷物と―――――色んな想いを乗せて。
 ――――どれに、乗るんだろう。
 たくさんありすぎて。透の乗る飛行機がどれなのかまったくわからない。けれど、このどれかに乗り込んで、透が今日日本を離れることだけは間違いのない事実。
 後ろに聞こえる子供の声も、楽しそうな笑い声もはしゃぐ声も。全部が全部、鬱陶しい。耳を塞いで、いっそ怒鳴り散らしてやりたいとさえ、思う。
 何が楽しいというのだろう。あんな鉄くず。――――大切な人を、遠くへ連れて行ってしまうだけなのに。
 薫がそんな風に飛行機を眺めていたころ、第一ターミナルの中には透と、朝比奈家の姿があった。窓口で手続きも済ませて荷物も預け、後はこの搭乗口くぐるだけになっていた。今まさに、旅立ちを心配して、別れを惜しむ家族の姿がそこにはあった。
 しかしその状況に反して、透の顔は剣呑としていて苛立ちに満ちていた。それもそのはず、ここに薫がいないからだ。見送りに来る約束だった。昨日電話でも確認した。その約束の時間はとうに過ぎている。
 何度も携帯にかけているのに、一度も出ない薫。あまりの苛立ちに手にした携帯を壊してしまいそうになって、何度思い留まったか。かかってくるのはこの携帯に、なのだ。
 どこにいるのかは、知っている。けれど、透は待っていたのだ。薫のことだ、このまま何も告げずに終わる事は絶対にないとわかっていたから。
 ――――それにしたって、もう時間が無い。
「透、そろそろ・・・」
 ――――っ!
 携帯が震えた。
「ごめん、その前に電話してくる」
 透は母の言葉を遮って言うと、携帯を開きながらその場を離れた。液晶画面には薫の名前。
「薫―――」
「はい」
 背景が随分うるさかった。子供達がはしゃいでいるんだろう。
「遅いぞ」
「すいません」
 透の足が自然と早足になる。
「どこにいる?どうして見送りに来てくれないんだ?」
「・・・すいません」
 早足がとうとう小走りになった。
「謝って欲しいわけじゃない。理由を聞いてるんだ」
「・・・・・・」
「薫?」
「――――別れてください」
 ――――ばか・・・そういう時はもっと泣きそうな声で言えよ。
「・・・泣きながら言う奴があるか?」
「泣いてませんよ」
 笑いさえ含んだその声に、無性に腹が立つ。こういう時ばかり大人ぶって余裕ぶりやがって。いつまでたっても不器用で、真正直で。
「そうか?」
 ――――けれど俺には十分泣いている様に聞こえるぞ。
「はい」
「理由は?俺はお前に嫌われていたのか?」
「・・・いえ」
 エスカレーターを、立ち止まる人を押しのけて上へと上がった。
「じゃぁ、なんでだ?」
「4年も、待てません」
「どうして今それを言う。留学の話が出たとき、お前は何も言わなかっただろう?」
 責めているような口調で言うけれど、顔は決して怒っていなかった。むしろ、嬉しそうに笑っている。あんまりあっさりアメリカ行きを了承したから、多少拗ねた想いがしたくらいなのだ。
「留学は、透さんにとってプラスになると思ったからです」
「じゃぁ4年待てよ」
「それは、無理です」
 ――――つーか、可愛いな。
「なんで?」
 ―――――いた!
「4年は、長すぎます」
 窓際、外を眺めて立ち尽くすその、この世で1番愛しい人の後姿を透は眺めていた。視界の端には、綾乃の姿が映る。
「4年間、まったく会えないわけじゃないだろう?」
「・・・・・・」
「俺はお前を手放す気はない」
「4年たって、まだ僕の事を好きでいてくれたなら――――その時・・・」
「ダメだ。4年もお前をフリーにする気はない」
 ――――振り向け、薫。俺はここにいる。
「もう、決めたことです。・・・そろそろ電話切りますね。搭乗手続き最終でしょう?」
「ああ、そうだな」
 アナウンスはさっきからずっと鳴っている。
 ――――親はカンカンだろうな。
「じゃぁ・・・」
「薫」
 薫の肩がビクっと動いた。
「お前は一生俺のものだ。第一、バレンタイン貰い逃げはないだろう?お返し持ってアメリカまで来いよ」
 薫は無言で首を横に降る。電話だから見えるはず無いのに。
「本当に、切ります」
「俺を、愛してくれないのか?」
「―――っ!」
 息を飲む仕草まで分かる。
 透は一歩薫に近づいた。
「答えてくれ」
「―――さよならっ」
 薫は全てを言わずに電話を切った。透の耳には、ツーツーという電子音が響く。
 ――――さようなら?言ってくれるじゃないか。
「・・・愛してる―――っ」
 薫の声が、じかに耳に届いた。
 その泣きそうな声に、今血が上った頭が一瞬で冷める気がした。その代わり、なんとも言えない愛しさが込み上げてきた。
「薫」
 ビクっと身体が大きく震えた。たっぷり間があいて、恐る恐るという仕草で薫が振り向いた。
 驚愕に、大きく見開かれる瞳。
「・・・・・・・・・っ、なんで・・・?」
 呆然とした顔で、条件反射の様に立ち上がる薫。
「飛行機、――――だってっ」
「行けるわけがないだろう?」
 薫は緩く首を横に振った。
「お前をこのまま残して、俺が本気で行けると?」
 透はそのまま薫を捕らえようと手を伸ばすと、薫がハッとして身を翻した。
「薫!?」
 この期に及んで。
「待てっ!」
 薫は透の目の前から逃げ出した。何のために?どうして?そんな事はわからない。ただ、本能に突き動かされた、ただの愚かな行動。
 けれど薫は、逃げなきゃ!という衝動に突き動かされて逃げ出した。人ごみを分けて、ぶつかってしまった子供に謝罪もせずにエスカレーターを駆け下りる。
「薫!!」
 透もすぐに後を追いかけた。
 こんなに人のいるところで、ドラマみたいに早々逃げ切れるものじゃない。人を避けてぶつかって、足のスピードは中々上がらなくて。
 入り込んだ通路の先には、関係者以外立ち入り禁止の文字。行き止まりだ。
「あ・・・」
 一瞬どうしようかと逡巡したその間。近づく足音に何故か振り返って、仁王立ちの透の脇をすり抜けようなんて無謀なことをして。
「あっ」
 当然のように腕を捕まれて。
「離してっ」
 抗う仕草は、透の怒りに火をつける。
「離してっ!」
 ダン!!
「―――っ」
「いい加減にしろよ」
 壁に押し付けられて、低い声に薫の動きが止まった。
「薫」
「・・・・・・」
「何が言いたい?お前は何を思ってる?」
 吐く息さえも届く距離に顔を近づけて。透は押し殺した声で呟いた。ヤキモチもいい、甘えられるのもかわいいと思う。寂しさに別れたいなんて駄々も愛しいと思うけれど。
「俺には隠すな」
 逃げられて頭には来てる。しかも、こんな当日ギリギリを狙うやり方も好きじゃない。けれどもっと腹立たしいのは、本心を言わないことだ。ぶつかってきてくれない事が、無性に悲しい。
 目の前で、僅か10センチのこの距離で目を伏せられて、唇を噛み締める薫。
「薫っ!」
「あのー・・・」
 透が苛立ちに声を荒げた瞬間、か細い遠慮がちな声が聞こえて透はそちらに視線だけを向ける。
「ああ、夏川君か。ありがとう、もういいよ」
「え・・・綾乃?――――なんで!?」
 思わぬ名前の登場に薫は目をあげてしまって。目の前にいる存在の理由が薫にはわからない。
「んー。それは会長に聞いて。で、これ届け物です」
 綾乃はそう言うと四角い封筒を透に差し出した。
「何?」
「雅人さんからです。空港に隣接されたホテルを予約しておいたから使っていいですって。これ鍵だそうです」
「理事長が?・・・・・・全部お見通しってわけかな。また借りが増える」
 ぼそっと呟いた透の言葉は薫の耳にだけ届いて、薫は思わず眉を寄せた。何がなんだか状況がわからないと視線で訴えてみても、透には綺麗に無視されてしまった。
「ありがとう。使わせてもらう」
「はい。あ、じゃぁ僕はこれで」
 綾乃はそう言うと、なんとも場違いに薫に手を振ってなにやらスキップでもしそうな勢いで消えていった。
「・・・なんで?」
 薫は思わず呟いてしまう。わけがわからなすぎる。
 その目の前で透は器用に左手で薫の腕を掴んだまま封筒を開けて中の鍵と、手紙らしきものを確認した。
「逃げないから、離してください」
「だめ」
 封筒を開けにくそうだからと言った薫に、透は即答で却下。
「ん〜・・・・・・」
「なんですか?」
 手紙を読んでいた透の顔が、参ったと笑いを漏らす。
「ん〜理事長には叶わないないな。とにかく、場所を移すか」
「あの、飛行機は?」
 今更そんな事を言う薫に、透はお前の所為だろう?と笑ってしまう。そして一言。
「もう、飛んだ後だろ」
 こともなげにそう言ったのだった。







next    kirinohana    novels    top