軌跡、そして…24



 透が旅立って3日後の週末。薫は、南條家の門をくぐっていた。
「いらっしゃい」
 笑顔で迎えたのは綾乃。空港で別れたっきり丸1日連絡もつかなくて、散々やきもきして過ごしてみたら、嘘みたいに晴れやかな声で電話が来た。それにはホッとするやら、もっと早く電話してっと文句も言いたいやらだったのだが。
「お邪魔します」
 こうやって顔を見たら、もうそんな事どうでも良くて。ただ純粋に嬉しくなった。
「上がって上がって」
 綾乃自身も、この南條家に友人を招いたのは初めてで、ちょっとドキドキしながらも嬉しかった。だから、声がちょっと弾んでいるのは仕方が無い。
 そのまま部屋に行っても良かったのだが、雅人にも話があるという薫を綾乃はリビングへと応接室に案内した。
 そこには既に雅人が座って待っていた。
「いらっしゃい」
「理事長。お邪魔致します」
 ちょっと緊張気味の顔つきになった薫を、ソファに座らせると綾乃はお茶を入れてくると、そのまま部屋を後にした。薫が来たらしばらく席を外すように、と事前に言われていたのだ。
 扉の閉じる音を待って、薫は雅人に向き合った。
「無事、翌日に飛び立つことが出来ました。色々有難うございました」
 薫は頭を下げる。それを雅人は笑顔を浮かべて、顔を上げるように言った。
 綾乃の言葉の端々と、最近の動向を見ていた雅人はああなる事を予想してホテルを取っていた。そして次の日の飛行機のチケットも取っていたのだ。
 あの時綾乃が透に渡したのは、それだった。
「ちゃんと仲直り出来たんですね。良かったです」
「はい。―――あの、理事長は僕と透さんの事・・・」
「知っていましたよ。樋口君が中等部の頃初めてお会いしましたよね。あの後朝比奈君とは色話す事も多くなりましてね。相談されたわけではありませんし、私も相談した事はありませんが、そこは暗黙の了解とでも言うんでしょうか。これでも陰ながら応援していたのですよ」
 少し楽しそうに笑って言う雅人に、薫は思わず頬に朱を走らせて俯いてしまった。一体何を話したのか、今度透から聞き出さなくてはと思わず心に誓う。
 しかも、理事長であり南條家跡取りである人を巻き込むなんてと、薫はどう言っていいのかわからず、恐縮してしまっていた。
 それに雅人はクスリと笑みを漏らした。きっと薫は何も知らないのだろう。
 かつて中等部で倉田と揉めた時。もっと早く手を打とうとした透を止めたのは雅人だった。あの騒動を、不能は教師を辞めさせる口実を掴むために利用しようとしたのだ。その所為で無用に薫を傷つけたことを、透はずっと気にしていた。
 だから今回はその時の借りを返したに過ぎないのだ。それなのに、何も知らない薫は雅人に感謝の気持ちを示してくれている。
「樋口君」
 偶然にもこんな好青年を手の内に取り込むことが出来たのは、雅人にとっては得しかない騒動だった。
「はい」
「これからも綾乃の友達でいてくださいね」
 ただ綾乃と傍にいたいと願う南條雅人個人にとって薫は必ず必要な存在になるだろうと、雅人は確信していた。
 それは、綾乃にとっても。
「はい。もちろんです」
 真っ直ぐ笑って頷く笑顔が、眩しい。
「良かった」
 透よりも遥かに地位と立場のある雅人。薫よりも出生が普通では無い綾乃。それは、雅人がどう思おうとも、綾乃がどう思おうとも、否応無しに二人の進む道に障害となって横たわるだろう。生まれだけで、綾乃を傷つける者かならず出てくる。それだけで、その存在を否定しようとする人間も。
 守りたいと、どんな手を使っても守って見せると思っていても、傷つけないとは限らないから。
 味方は一人でも多く欲しい。
「お茶、お持ちしました」
 その時綾乃が、"もういいんじゃないですか"と言う松岡にワゴンを渡されて戻ってきた。
「あ、手伝う」
「ダメ。薫はお客様なんだから」
 思わず腰を浮かせた薫に、綾乃がその行動を止める。
 綾乃の手つきが若干危なっかしいから薫は手伝おうとしたのだが、綾乃は一生懸命らしいので薫も恐々ソファに座りなおす。綾乃はどうしても、こういう事が不器用だ。
 ハラハラして見つめる薫と、そーっと運ぶ綾乃の姿を見比べた雅人は、こらえ切れない笑みを漏らした。
 綾乃は、松岡が用意したフレーバーティー並べ終わると、今度は松岡お手製の苺とブルーベリーのムースを運ぶ。そのプルンと揺れる動きにやっぱり薫はハラハラして見つめているから、並び終わる頃には薫は一汗かいているかも知れない。
 きっと、フレーバーティーが緊張した喉の渇きを優しく癒してくれるだろう。ゆったりとした午後のお茶が、薫の緊張も解きほぐして。雅人と綾乃の雑談にも混じって、また新しい一歩を踏み出すのだろう。
 一歩、というには大げさかもしれないが、長く続く付き合いの最初の一歩には間違いない。
 一人寂しく拗ねていた雪人が焦れて、応接室にやってくるのはもう間もなく。
 笑い声が響く午後。
 ついでに夕飯も食べていくのだろうか?

 そんな午後の一時を、薫はホワイトデーの日、楽しそうに透に話すのだろう。いや、今夜メールでしゃべってしまうかもしれない。

 3月は別れの季節と言うけれど。新しい一歩を踏み出せる季節なのかもしれない。
 そしてもうすぐ、新しい出会いの季節がやってくる。
 懐かしい、再会も――――――






終わり






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アトガキ。
長い長いお話にお付き合いいただきましてありがとうございました。
桐乃華を初めて書いたとき、この二人のお話を書くことになるなどと夢にも思っていませんでした。
たくさんの方からこの二人の話を、とリクをいただけるなんて想像出来ませんでしたから。
このお話を書くに辺り、皆様の中の透と薫のイメージがどうなったのか。興味深いながらも怖いところでもあります。
少しでも楽しんでいただけていれば、幸いでございます。
当初、薫と透の話を書くと決めたとき、1番最初に浮かんだのがこの最後。空港でのシーンでした。
それを書きたい為にずーっと書いてきました。
その所為で、随分薫君には切なくて苦しい思いをさせてしまったとは思いますが・・・ごめんよ。
さて、皆様の中にはホワイトデーはどうなったの!?と気になる方もいらっしゃるかもしれません。
そういう方にその一コマを書いてみました。アトガキ。からお入りください。
甘い二人の空気を感じてやってくださいませ。また、本編とあわせて感想をお待ちしております。