軌跡、そして…7
交流会は場所を移してお茶になり、そのままつつがなく時間が過ぎ去って1時間。 「では、そろそろ」 透はそう言って、腰を上げた。桔梗ヶ丘女学院に足を踏み入れて早4時間。もう疲れた、もういいだろうというのが素直な心境だろう。 「そうですね。・・・あら、もうこんな時間。お話が楽しくて、すっかり時間がたっていましたわね」 山園も立ち上がって透に笑顔を向ける。それが合図の様に、そこにいる者たちがばらばらと席を立ち上がった。 「また、文化祭のおりに」 「ええ。楽しみにしてます」 会長同士が言葉を掛け合う中、入り口に近いものから銘々外へと出て行く。最後に、透と英明、薫が残ったところで山園が待ってと声をかけた。 「これ、今日朝比奈会長に渡してくださいって言われたもの」 そう言って差し出されたのは、紙袋に入ったラブレターとプレゼント類がどっさり。今日透が来る事を聞きつけた女生徒達が生徒会に預けていったものだ。 「悪いけど、受け取れない」 けれど透は紙袋を一瞥しただけで、にべもなく言い放つ。 「やっぱり?そう言ったんだけどねぇ――――こっちは奥田副会長になんだけど、受け取ってくださるかしら?」 山園は透の答えをわかっていた様に軽く笑みすら浮かべて言うと、今度は別の袋を英明に差し出した。 「俺ですか?ん〜じゃぁ、ありがたく」 透よりは少し少なめだけれど、それでも紙袋に入れられたラブレターやプレゼント類はそれなりの量があった。 英明は少し笑って、それを受け取る。 「で、こっちが樋口君」 「えっ、僕!?」 差し出された紙袋には、英明に負けないくらいの数が入っていた。 「そ、未来の生徒会長様へってところかしら」 「止めてください。何も決まっていませんから」 薫が困った顔で言うと、あらそうなの?と山園が透を見た。その視線には、透は何も言わないでただその視線は薫の指先を見つめていた。 その指先が動いて。 「ありがとう、ございます」 薫の指先が紙袋にかかった。 その時の透の表情を窺わなかったのは、もしかしたら薫だけかもしれない。渡した当の本人ですら思わず驚いて透を見たくらいなのだから。 「・・・なに、か?」 一瞬凍った周りの空気には鈍感ではない薫は、こちらも驚いたように回りを見る。その頃には、透は普通の顔をしていたけれど。その表情の無さが返って怖いくらいだった。 「いいえ、受け取っていただけて良かったわ」 山園は何事も無かった様に、にこやかな笑顔を浮かべていた。内心はどう思っていたにせよ。 「いえ」 「お引止めして申し訳ありませんでした。正門までお送りいたします」 山園はそう言うと廊下へと出た。他のメンバーは既に全員が廊下で待機していて、山園は透や英明を伴ってその先頭に立ち、正門でもう1度別れの言葉を交わしてから、透たちを見送ったのだった。 その帰り道。何故か透は早足で。 薫はその歩調に合わすことが出来なくて、列の最後尾を渡された紙袋がガサガサと音をたててさせながら歩いていた。ずしりとした重みには、さしたる感慨もない。 ただ――――何故、透が受け取らなかったのか・・・ それだけをぼうっと考えていた。 山園も、それを当然として受け止めていたから。 何かそれが特別の意味を持つような気がして、けれど理解出来なくて。ずっと向こうの先頭を歩く透のほうを見て、答えの出ない事をただただぼうっと考えていた。 身体が少し重たく感じられた。 吹き抜ける風の冷たさがなんだか物凄く気持ちよくて。 だからだろうか、歩くスピードが随分遅くなっていた。少し疲れていた所為もあったのかもしれない、今日がとりあえず終わってホッとした所為もあったのかもしれない。気がつと薫は、だいぶ先頭と間が空いて最後尾からも少し遅れていた。 ――――帰るだけなんだし、まあいいか・・・ そう思って吐く息が、少し熱かった。 その時、列から一人が外れた生徒が薫に近づいてきて、薫の目の前に立ち止まった。 「―――倉田くん・・・」 薫の口から小さな声が漏れる。 少しうつろに見上げる薫とは対照的に、倉田は薫をキツイ瞳で睨んでいた。その表情は、薫のことがどうにも我慢出来ないと、雄弁に物語っている。 「あのさ。いい気になるなよっ」 ――――はぁ!? 開口一番言われた言葉は、薫にはまったく理解出来なかった。いきなり、何の脈略も無くそんな事を言われてもどう返事をして良いのかわからない。 ましてや自分は、いい気になった覚えすらないのだ。 けれど、倉田はそこで言葉を止めるつもりは毛頭ないようだった。 「腰ぎんちゃくみたいにくっついて」 倉田の後ろに見える列が、どんどんと遠ざかっていく。 「目障りなんだよっ!」 ――――って、言われてもねぇ・・・ 薫は反論する気にもなれなくて、こっそりとため息をついた。 そんな態度がさらに倉田の感情に火をつけてしまうのか。上げた声のトーンが上がっていく。 「横にいるのが当然だとでも思ってんの!?」 ――――まさか・・・むしろ一緒になんて、いたくない。 「樋口なんか、会長に比べたら全然ダメなくせに。勉強だってスポーツだって、負けてるくせにっ。後を引き継ぐのが当然とか思ってんじゃねーよ!」 「・・・思ってないよ」 ――――そんな事、思ってない・・・ 「・・・っ」 「僕は別に会長の後を継ぎたいと思ってない。勉強もスポーツも、人望も、人としての魅力も負けているのは知ってる」 ――――だから反発して、そして憧れて。 好きになった。 向こうは、遊びなのに・・・・・・馬鹿みたいに、好きになってしまった。 「倉田君が会長を好きなら、本人に言えばいいじゃないか。僕に言っても仕方ないよ?」 「わかってるよっ!」 薫の言葉に、倉田の頬がカッと赤くなる。 「なら・・・」 「樋口が邪魔なんだよ!」 「僕は、邪魔なんかしないよ」 だって、僕は"遊び"だもん。邪魔になんかに、ならないよ。 「十分邪魔してる!」 「・・・倉田くん」 薫は、わかってないと首を横に振るけれど、倉田にすれば、二人の姿は違って見えているのは仕方がないだろう。 「会長の周りウロウロして、全然邪魔!たかが小等部の時一緒だっただけだろう?うざいんだよっ。樋口なんか、いなくていい!!」 「・・・・・・」 「どっか行けよ。出てけよ―――!!」 支離滅裂だろうと思った。 会長が好きで、僕が嫌いで。 で、出てけって、どこから? 「倉田・・・くん」 薫はとりあえず落ち着かせようと倉田に手を伸ばした。なんだか目の前で、顔を真っ赤にして泣きそうにも見えるその姿が、かわいそうに見えて。失礼な話だが、頭でも撫でてあげたくなったのだ。小学生が、おもちゃが欲しくて駄々をこねている様な、そんな感じで。 しかし、倉田にしてはその態度はさらに腹立たしくて。 「さわるなっ!!」 バシッっと音を立てて払いのけた手のひらは、赤くなっていた。 「・・・っ」 「出てけよっ。―――もう、いなくなれって!!」 倉田はそう言うと、無我夢中に腕を伸ばしてきて薫を突き倒した。 「痛・・・っ」 ふいを衝かれた薫は、思わず後ろにしりもちをつく様に倒れてしまった。支えようとして地面についた手のひらを擦りむいて、紙袋がぐしゃっと潰れた。 足が、踏ん張りきれなかったのだ。 「出てかないなら、もっと虐めてやるからな!!」 ――――もしかして出てけって・・・学校から!? それは無茶な、と何故か薫は冷静に思って目の前の倉田をぼーっと見ていたら。 「樋口!?」 「あ・・・っ」 「会長・・・」 後ろをついてきていない薫に気づいた透が、走って戻ってきたのだ。 その姿を目にするやいなや、倉田は一目散に走り出した。そう逃げたのだ、この状況で。きっちり見られているのに。 その背中を薫は呆然と見送った。 今ここで逃げ出すなんて最悪すぎる、せめて言い訳くらいしないと、とまたも冷静に思いながらもあまりのことに言葉を発するタイミングは逃してしまった。 それに人の事なんてかまってられない。目の前に、悩みの種がやって来たのだ。 「樋口!大丈夫か?」 「・・・はい」 ――――・・・なんか、この人のこんな焦ってるの初めて見た、かも? 「倉田が、お前に暴力をふるったのか?」 「暴力だなんて」 大げさですよと、薫が笑って言おうとして。その狂おしいようなキツい視線にハッとして薫は息を呑んだ。たぶん、壮絶に、物凄く怒ってると、思う。 「立てるか?」 「平気、です」 透の差し伸べた手を、首を横に振って断って薫は自力で立とうとしたのだが、なんだか平衡感覚が薄くなっている自分に気づいた。 ――――なんだろう?少し頭がふわふわする。 「痛っ」 ふらついて思わずついた手。派手にすりむいていた。 「大丈夫か?怪我してるじゃないかっ」 思わず薫の身体を支えて、透がハっとした顔になった。 「お前―――熱ないか!?」 握った手が、熱かった。 「え?」 吐いた息も、熱を帯びていた。 先ほど感じた熱っぽさは気のせいじゃなかったんだと、透は自分の甘さに舌打ちして、薫を抱きかかえるように立たせると、その身体から発する熱気に自分の気持ちを確信させた。 「つかまって」 「大丈夫です」 抱きかかえて歩こうとすると、薫は嫌がるように抗った。 「樋口っ」 「一人で、歩けます」 転んだ拍子に痛めたのか右足首が少し痛かったけれど、透にはそれを悟られたくて、薫は何事もない様にいたって普通に歩き出した。 その姿に透は軽くため息をついて。薫の横を並んで歩く。荷物だけは俺が持つと言って透は無理矢理取り上げた。 「迎えは?」 「電話して、来てもらいます」 薫はそう言うと、内ポケットから携帯を取り出して家へと電話をかけた。 「もしもし、・・・はい、今終わって。迎えを――――え?・・・そうですか、わかりました。はい、お願いします」 「どうした?」 薫が携帯を切るとすぐに透が聞いた。家に電話したと思ったら、敬語だったからだ。 「なんか、母が乗って出たらしく。連絡して見るからと」 「じゃぁ俺のに乗って行けば良い。送るよ」 「いえ・・・」 「樋口」 この後に及んで首を立てに振ろうとしない薫に、透は苦りきった声だした。 「今、樋口には熱がある。だから一刻も早く帰ったほうが良いと思う。それなのに、電話を待って、そして迎えに来てもらうんじゃあ遅いだろう?」 冷静に言う透の言葉はもっともで。ぼーっとした頭でも、薫だってそれくらいはわかっている。けれど薫は、ただ黙っていた。 黙って自分のつま先を見ながら歩いていた。 たぶん、車に乗せられるだろうとはわかっていたけれど |