軌跡、そして…9



 月曜日。学校を休みたかったけれど、熱がきっちり下がってしまっては休みたいとは言えなかった。たぶん、まだしんどいなぁ、と言えれば休ませてくれたのだろうけれど。どうしてもそういう事の出来ない薫は、嫌そうな顔をしながらも車に乗り込んでいた。
 あまりの渋々さに、母の方が"・・・休む?"と言ったくらいなのだ。
 けれど、薫は車に揺られて。ちゃんといつもの時間に登校してきた。正直、透とどこで顔を合わすのかと思うと心臓は痛いくらいで。それに伴なって胃も痛くなってきていた。
 不必要なほど周りを見渡して、やっとの思いで辿り着いた教室。
「あ、おはよう」
「・・・っ、・・・」
 扉の前で顔を合わしたクラスメイトに挨拶をすると。相手の顔が一瞬こわばって、気まずそうに俯いた。
 ――――え・・・?
 別に、特に親しかったわけではないが揉めていたわけでもない、普通に言葉くらいは交わす相手だったはずなのに。その反応に首を傾げながらも薫がそのまま教室内に足を踏み入れると、何故かクラスメイトの目が一瞬こっちに集中して、慌てて逸らされた。
 ――――この状況って・・・・・・
 周りのよそよそしたような、それでいてこちらを窺うような空気を感じた薫は、机につっぷしてしまいたい気分に襲われる。だいたい、それでなくてもなんだかしんどいのに、もういい加減にしてくれ、と叫びたい。大体自分が何をしたのだ、と。
 そう思っていたところへ。
「薫っ!!」
「・・・翔」
 翔にはこーんな空気はまったく意に介さないらしいというか、気づかないらしい。ドアの所で名前を呼んで、いそいそと中に入ってきた。
「熱、大丈夫か!?高熱で倒れたんだろ!!」
「高熱って・・・もう、大丈夫だよ」
 ――――会長・・・、どういう説明してるんですか・・・
「でも、兄ちゃんが会えなかったって言ってたからさ」
 翔はそういうと、勝手に前の席に座りだす。みんなが一斉にこの会話に耳をそばだ出せていることには、全然気づかないらしい。
「ああ、寝てたから・・・、お花ありがとうございましたって言っておいて」
「自分で言えよ。どうせ放課後会うだろ?」
 ――――翔・・・、この空気察せないかなぁー・・・って無理か。今空気がピキって言ったんだけどなぁ。
「それより、怪我とかどうなんだよ?足、捻挫じゃなかったのか?」
「捻挫なんてしてないよ。軽くひねっただけで。家で湿布貼っておいたら痛みも引いたしね」
「そっか。良かった。兄ちゃんなんか、俺の所為だからーって落ち込んでたし。あんな鬱陶しい兄ちゃん初めて見たよ・・・兄ちゃんが怪我させたん?」
「いや、違うよ」
「・・・?」
 翔が、ん??じゃぁなんで?と瞳をぱっちり見開いて薫を見つめた。その視線に、内心透への文句を思いっきり叫んだ薫に罪はないだろう。
 ――――・・・なんでそう中途半端な説明しかしないんですか!!
 さてどうしたものかと、薫が頭を巡らすと、今度は珍しくコバケンと伊藤が現れた。彼らは同じクラスで、4組なのだ。
 ―――助かった・・・
 この時ばかりは、薫にはこの二人が救いの神にすら見えたのだが・・・
「ひっさしぶり」
「うん」
「どーも」
「よっ」
 コバケン、薫、伊藤、翔の順。そこまではいたって普通に挨拶をしたのだが、コバケンが奇妙に崩れた顔で薫と翔を見た。
「?」
 今度は薫も、何?と目線で問いかける番。
「うーん、っと。変な噂を聞いて、な」
「うん」
 よほど言いにくいのか、そこでコバケンと伊藤はお互いに視線を交わす。どうも、お前が言えよ、いやお前が・・・、そんな感じだ。
「何だよ?」
 ちょっとイラだった翔の声。翔はこういう時、ホントに短気だ。
「んーっと。薫が、な・・・」
「僕が?」
「・・・倉田ってここのクラス委員に暴力をふるったって」
「はぁ!?薫が!?」
 コバケンの言葉に、真っ先に反応したのは翔で。しかも、なんだそのガセ!と一瞬にして血が上ったらしい頭そのままにコバケンに詰め寄る。これにはコバケンも焦って手を横に振る。
「いや、俺が言ってんじゃなくて、噂だよ、噂」
 当の薫は、あほらしくて口を開く気にもなれなかった。
 しかし、クラスの空気は一瞬にして凍り付いていた。その空気を敏感に感じ取った薫は、朝からのこの異様な雰囲気の理由を知った。
 ――――あほらし・・・
 思わず声に出しそうなったが、それを言うほど馬鹿なわけもなく。冷静にクラスを見渡した。
「その本人の倉田君は?」
「知らない」
「あ・・・、さっき職員室に・・・」
 そう呟いたのは、薫たちの近くに座っていたクラスメイト。恐々、弱く呟く声に、別の一人がいらねーこと言うなっと怒鳴っている。
 ここまで来て、薫は猛烈に頭に来た。
 ――――人が黙って傍観してたら図に乗ってんじゃない!!
 自分の問題で、もっと言えば個人の小さな感情の問題で、クラスを巻き込んでこんな嫌な風にしてしまうのが許せないのだ。今まではただの感情のもつれの個人攻撃だったから、そのうち収まるだろうと放っておいたのに。こんな事をされるのは、自分がずっと精一杯やってきたクラス委員というものを、汚された気がした。
 大好きなこの学校さえも。
 どうやら薫は、キレたらしい。
「かお、る?」
 薫はガタッと音を立てて立ちあがった。その顔に、やっと気づいたのか翔は異変を知る。
「ちょっと行って来る」
 薫がそう言って2・3歩進んだところで、その背中に伊藤が口を開いた。
「念のために聞いておくけど、ガセなんだよな?」
 この質問はあまりにも大胆だった。
 それでなくても、薫は怒っている。
「伊藤くんは僕が人に暴力をふるうような人間だと思ってたんだ?」
 声も冷たければ、視線も冷たかった。しかし、ここで負けない伊藤も凄い。
「理由がさ、朝比奈会長が次期会長に樋口じゃなくて倉田を推薦するって言ったから、だったから」
「その理由だと僕が暴力をふるうと思うわけだ?言っておくけど、僕は次期会長になりたいなんて一言も言ってないし、会長が倉田君がふさわしいと思っているなら反対する気も無い。僕はそんな立場にもいない」
 はっきり言われた言葉と、その沸々たる怒りが伊藤には十分伝わったらしい。どうやら翔にも伝わったのか、滅多に見ない薫の様にビックリした顔になっていた。
「・・・悪い」
「いいけど」
 伊藤の最大限の謝罪に、薫はフッと一瞬苦笑を浮かべた。けれど、直ぐに表情は戻って、そのまま静かに教室を後にした。
 その後の教室。
「怖ぁー・・・」
 と思わず呟いた伊藤に。
「いやぁ〜たいした度胸だな」
 とコバケンが感心していたのは言うまでもなかった。翔にいたっては未だに状況が飲み込めていないらく、腑に落ちない顔で二人を見上げた。
 しかも、このクラスには当然翔やコバケン伊藤の友人がいる。彼らは一体何が真実なのかを知るために、3人に一斉に群がったのだった。

 一方、薫はムカムカしながら足早に職員室に向かっていた。時々、噂を知る生徒なのだろう薫を目に止めてあからさまに振り返っていた。けれど、今の薫にはそんな事は眼中にない。
 一直線に職員室に向かい、その扉を躊躇うことなく開けた。
「――――っ、会長・・・」
 先約がいた。
 薫は溜まった怒りのままに口を開きかけて、固まってしまった。
 まさか、朝から警戒していたその人がいるなんて、夢にも思っていなかった。
 しかも場所は生徒指導中村教諭の机の前。その上、倉田までがそこにいた。もう、これは何が行われているのかなんて、聞くまでもなく明白だった。
「樋口」
 そこへ、慌てた様子の担任がやって来た。
「これはどういう事なんだ?」
「これは、というのは何を指しているんでしょうか?今のこの状況ですか?それともこれにいたる経緯でしょうか?」
 なんとも、可愛気のない口調である。しかし薫は、少なからずこの担任にも腹をたてていた。どうしてこうなるまで気づきもしないんだ、と。
「この状況は僕も今来たばかりですので、なんとも。経緯は、―――僕の口からは言いかねます」
 薫はそう言うと、すたすたと歩いて3人の方へと歩み寄った。
「樋口っ」
 慌てた担任の声が聞こえたが、この際薫は綺麗サッパリ無視をした。
 3人に近づくと、聞いたこともないような透の冷たい声が聞こえた。
「ですから、私は後任には樋口と決めています。そのために会計にしてるんです。それなのに、どうして倉田君という名前が出るのかわかりません。彼はクラス委員すらまともに出来ていないようなのに、どうして会長に推す事が出来ると思われるのでしょうか」
「確かに、私も後任は樋口だと思っていた。ただ、今朝になって噂を聞いて倉田君を呼んでみたら本当に怪我をしていたというのであれば、確認を取らざるを得ないだろう?」
 チラッと見ると、なんと倉田は右手を包帯で巻いていたのだから驚きだ。
「では何故この場に樋口君がいないのでしょうか?平等に話を聞くのが筋ではありませんか?」
「それはだね―――その、樋口君は最近授業への遅れ、忘れ物が目立つと聞いていたので」
「だから、なんですか?」
「生活態度が乱れているという事は、まぁ・・・色々考えねばなるまい」
 この言葉に、透は今にも舌打しそうな勢いで顔を顰めた。当の薫も、信用と言うのはこんな事で揺らぐのかと、少し嫌な思いに襲われていた。なんとも言えない空しさ、とでも言うのだろうか。
「樋口はそのことで弁明があるのか?」
 中村教諭はそこで初めて薫に視線を向けた。反論の場をもたせてあげるぞ、そんな態度にも見えて、薫はただ黙って息をついた。なんだかそれを見ていると、反論する気が萎えてどうでも良くなってきた。それならそれで、もういいか、と言うような脱力感。
 しかし透はそうはいかないらしい。
「その点について倉田君は意見はないのかい?」
「・・・僕ですかっ」
 いきなり回ってきた言葉に、明らかに動揺の色が浮かぶ。
「そうだよ」
「・・・僕は、別に」
 倉田は透に見つめられて、困ったように言葉を濁していた。
 もしちゃんと弁明していたのなら、透も言葉を選んだりしたのだろうがこれで完全にキレたらしい。
「では、僕が知る全ての事を話します」
 この場で、倉田を徹底的に潰す気になったらしい。ところが、意外な人物が割り込んだ。
「その前に、場所を移しませんか?」
 声とともに開けられたドアから現れたのは、桐乃華学園理事長に就任したばかりの南條雅人、その人だった。







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