雪人が最強?・中


「あ・・・、はい」
 少し慎重に切り出した雅人の言葉に、綾乃の顔色が少し変わって、ぎこちない笑みを浮かべた。
 1年前の出会いは、あまり良い思い出ではなかった。むしろ、綾乃にとってあまり思い出したくないと言った方が良いだろう。
「何を言われても、私は綾乃の味方ですから」
 慎重に、けれどハッキリ告げられるその言葉に綾乃は少し肩の力を抜いて、穏やかな笑みを浮かべる。
「うん。―――あ、でも・・・」
「なんです?」
「あ、いや・・・」
 よく考えれば、陽子と雅人とは義理の繋がりで。今まで考えて来なかったけれど、雅人と陽子の仲はどうなんだろうかという思いが、今更ながらに綾乃の脳裏に浮かんだ。
 しかし、それを口にしていいのか、一瞬躊躇われる。
「綾乃?」
「あー・・・、うん、その・・・雅人さんと陽子さんって、仲・・・いい、の?」
 とっても聞きにくそうに言う綾乃に、今度は雅人が笑みをこぼした。今まで、誰もそのことに触れようとした者はいない。変に尋ねて、お家争いに巻き込まれるのは困ると思うからだろう、当たり障りのない言葉しか掛けられた事がなかった。
 まぁ、中には聞くまでもなく分かっているという意見もあるだろうが。
「悪いですよ」
 雅人はサラッと言葉にした。
 もし、他の誰かに聞かれたら、こんなにストレートに言葉にはしないだろうけれど、綾乃にだったら、全てをさらけ出せる。
「そーなんだ・・・、やっぱり大変だね」
「そうですねぇ」
 少しばつの悪そうな顔をして、言葉に困る綾乃の態度が新鮮で微笑ましかった。なんでも正面から受け止めてくれる。それだけで嬉しいと思えるのだと、雅人は初めて知る。
「僕も、味方だからねっ」
「え?」
「別になんの力も持ってないけど・・・、僕も雅人さんの味方だから」
 一生懸命考えて、それしか浮かばなかった言葉。
 少し照れたような顔の中で、その言葉とその瞳だけは真剣に雅人を見つめていた。まっすぐに、なんの裏も下心もない言葉。
「ありがとうございます」
 力?綾乃には十分力があるのに、綾乃だけがそれを知らない。
 地位や立場なんてなくたって、好きな人のそんな言葉は何よりの力があるという事を。裏表のないそんな言葉が、雅人にとってどれだけ嬉しいのかという事を。
「綾乃がいてくれれば、それだけで最強になれますよ」
 本当に。大切な者がいるだけで、こんなにも強くなれる。
「うん」
 へへっと、照れたように笑う頬に手を伸ばして引き寄せて、キスをした。
「雅人さんっ」
 びっくりした綾乃が雪人を慌てて見ると、ぐっすり熟睡している。その事にホッと胸をなでおろすと、再び雅人の唇が落ちてきた。
「だめだって」
 万が一目を醒まして雪人に見られたらどうするのだと、綾乃は目くじらを立てるのだが、雅人は悪びれる様子もなく、それどころか残念そうに笑う。
 雅人にしてみれば、キスぐらいしたくなるというもの。
 本当ならば二人っきりでベッドに入りたかったのに。何故か今は雪人と並んで川の字でベッドに横になっている。間にいる雪人はしごく邪魔で、いくら大きいベッドでも3人はさすがに窮屈なのだ。
 けれど、昼間のあんなところを見てしまっては、雪人を一人自室に追いやるわけにもいかなくて。
 明日は1番の早起きの雪人に起こされそうだと、雅人は苦笑しながら眠りについた。




・・・・・




「ただいまぁ〜」
 1月1日元旦。お昼を少し回った時に、玄関に直人の声が響いてその帰宅を告げた。
「おかえりなさーい!!」
 元気一杯の雪人がいつも通り1番に駆けつけて。
「わぁー!!お父様!お母様!!お帰りなさい!!」
 その声に、今まさに出迎えようとしてリビングから足を踏み出すところだった雅人と綾乃の身体が固まった。
「これは旦那様、奥様お帰りなさいませ。・・・しかし、本日ご帰宅予定でしたか?」
 松岡も今日の帰宅を聞いていなかったのだろう。戸惑いの色をにじませた声で出迎えた。
「いえね、昨日ホテルで行われていたカウントダウンパーティーを見学して、そのまま伊豆の旅館へ行く予定だったんだけど、せっかくなので寄ったのよ」
「連絡しようと思ったんだけど、いきなり行って驚かせたいからって言われてさ」
 直人の、言い訳がましいようなため息のような声が聞こえる。
 雅人と綾乃も、いつまでもリビングにとどまっているわけにも行かず、意を決して玄関へと出迎えに出た。
「あら雅人さんに、綾乃君。あけましておめでとう」
「おめでとうございます、陽子さん、お父さん」
「あけましておめでとうございます」
 綾乃が見る一年ぶりに見る陽子は、相変わらずな感じで何も変わってはいなかった。少し厚い化粧も、張り付いた様な笑顔も、ごてごてとした服も。
 高人に続いて陽子は悠々とした足取りで廊下を歩いて、リビングの、今まで雅人が座っていた場所へと腰を下ろした。
「お茶でよろしいですか?」
「そうねぇ、そうしてください。これから伊豆に行くから、そんなに時間はないのだけれど」
 悠々としゃべる陽子に、「だったらとっとと行ってくれ」と、そう思ったのは直人だけではないだろう。今しがたまでと違う、どこか緊迫した空気が部屋中に流れていた。
「雪人、良い子にしていた?」
 陽子は手招きをして、自分の横に雪人を座らせる。
「うん」
「成績表やテストも見たけど、1学期より成績が良いみたいね。偉いわ」
 嬉しそうに言う陽子を、少し離れた場所から直人は眺めて、綾乃も部屋の隅の椅子に腰掛けていた。雅人だけはしょうがなしに、向かえのソファに腰掛けていたが。
「あのね、綾ちゃんが勉強色々教えてくれるんだ」
「そうなの?」
 その言葉に、陽子は綾乃に視線を向ける。その瞬間、雅人と直人の横顔に緊張の色が走った。何を言い出すかと、その先に神経を尖らしているのかさっきよりも空気がピリピリしていく。
「一緒に宿題をしたりしているだけなんですけど・・・」
 大人二人に緊張をよそに、綾乃は少し余裕のある顔つきをして曖昧に頷いた。
 なんだろうか、去年と何も変わっていない相手を目にしているはずなのに、会ってみると綾乃は意外なほど冷静でいられる自分に内心驚いていた。
「綾乃君は成績が良いらしいね」
 高人の言葉に、綾乃は少し照れたように困ったように笑う。
「でも、友達の樋口君が凄いので・・・」
「20番以内というだけでも、立派ですよ」
 綾乃の謙遜する言葉に、雅人は思わず否定の言葉を口にしてしまう。高人も優しく頷いて、雅人の言葉を肯定しているようだった。
「雪人も。もっともっとがんばらないと」
 綾乃に教えられている、というのが不満なのか、自分の息子より綾乃の成績が遥かに良いのが口惜しいのか、陽子の口調が少し厳しい物へと変わる。
「えー」
「えーって、だって雪人だって将来雅人さんみたいになりたいでしょう?」
 ――――おいっ。
 その言葉に、直人は陽子から影になって見えない事をいいことに、思いっきり顔を崩してその心境を表現した。その顔を見た綾乃が、思わず笑ってしまうくらいな変な顔。
「雅人兄様?」
「そうよ。南條家の一員として、お仕事していくのよ」
 雅人の事を、跡取りと言わずに一員と言った事は、陽子のけん制なのだろう。陽子が今の時点で雅人を跡取りと認めるはずがない。
 いつかは雪人を、母親ならば当然抱くそんな陽子の思いをまったく知りもしない雪人は、素直に不満気な声をあげた。
「えーっ、やだ」
「やだ!?」
「嫌なんですか?」
 この返事には、陽子ばかりか雅人、高人も少し驚いたような顔になった。まさか、嫌だと言われるとは思っていなかったのだろう。
 雅人にいたっては、別の意味で軽くショックだった。
「だって、雅人兄様って仕事仕事ですっごく大変そうだし、お休みもないし、そんなのつまんないよ」
「・・・雪人!?男の人っていうのはそういうものなのよ?ばりばりお仕事して、地位と権力を持つことが最高のステータスなのよ!」
 いやいや、それを小学生に言ったところでわからないとは思うのだが。
「ううん、いらない。僕は将来松岡になる!」
「え!?・・・私ですか?」
 陽子の言う最高の男よりも、雪人には松岡が最高の男らしい。いきなり名前を呼ばれた松岡が今度は驚いた顔になった。
「そう。料理もお菓子も作れるようになって、松岡が定年したら僕が替わって松岡の役をするんだ。そしてね、綾ちゃんに美味しいものいっぱい食べさせてあげるんだ!」
「・・・え、僕!?」
 今度驚いたのは綾乃だ。なんでここで自分の名前が上がるのかと、ビックリしすぎて声が裏返ってしまった。どこか傍観者的に見ていたのに、いきなり巻き込まれてしまったのだ。
「うん。だって綾ちゃん美味しいもの食べている時、すっごいうれしそうだし」
「そ・・・そうかなぁ・・・」
 雪人の満面の笑みの発言に、顔を赤く染めた綾乃はしどろもどろになってしまうし、なんだか嫌な汗を掻いてきた。確かに、おいしいものは大好きなのだが、そんなに嬉しそうにしていたのだろうか。
 それではまるで、餌付けされているみたいじゃないか。
「そ、そんなのは雪人のするお仕事じゃないでしょう?」
「なんで?」
「なんでって・・・!」
「だって僕綾ちゃん大好きなんだもん」
「・・・・・・」
「松岡になったら家にもいれるし、綾ちゃんとずーっと一緒にいれるもん」
 雪人のこの言葉に、一同は一瞬どう言葉を返していいのかわからず部屋を静寂が襲った直後。
「ぷっ!はっはははは・・・、雪人おもしれぇ〜、ははははは、我慢出来ねぇ〜〜〜おめー最高!!」
 雪人の発言に、笑いを堪えられなくなったらしい直人が声を立てて笑い出した。実際には、雪人の発言に伴った陽子の顔がおもしろかったらしいのだが。
「な、直人さん!!」
「ひゃい?・・・くっくっくっ・・・はーはははは!!」
 陽子のキリキリした声にも、まだ笑っている。
 綾乃にいたっては、どう反応を返していいのかわからないらしく、固まっている。
 松岡も、こらえ切れない笑みを浮かべて、俯いている。
「雪人!そんなのいけません!!」
「なんで?」
 雪人には何がいけないのかわからないらしい。苛立ちに目を吊り上げる陽子の顔を、不思議そうに見つめ返した。
「なんで・・・っ、て!」
「まあまあいいじゃないか。まだ子供夢の段階で、そう目くじらを立てる事もあるまい」
「あなた!」
 きりきりと声を上げる陽子に、高人はたしなめるような言葉を掛けた。
 雅人も事態収拾のために口を挟みたいのだが、今ここで自分が何か言えばますます火に油を注ぐことになると、ひたすら無言で通すことを決め込んでいるらしい。
 それでも笑い出さない忍耐はさすがと言うべきか。
 そんな様子に不満を抑えきれない陽子が思わず立ち上がると、それを機にと、高人も立ち上がった。これ以上ここにいるのは得策ではないと判断したのだろう。苛立ちに顔を歪めている陽子を急かして、伊豆へと出かけていった。








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