直人の恋物語T−11
翌日、午後早々に雅人の手に調査結果が渡る数時間前。 久保は困惑の色を浮かべた顔で、自分の机でため息をついた。こういう話は伝わっていくのが電光石火とでもいうのか、曽我嬢に刺激を受けたのか焦りを感じたのか、ここ数日に渡って直人への――――簡単に言えば見合いの話が押し寄せているのだ。 その中で、僭越ながら釣りあわないと判断されるものや、こちらとしては遠慮願いたい相手などを外しても、5人の候補が残った。これだけは門前払いというわけにはいかない相手だ。直人に報告をして、しかるべき処置をしなければいけない。 また、久保はため息をついた。 分かっていた事とはいえ、直人の人気の高さを目の当たりにしたのだ。次男といえども、南條家の男子にして国内3軒のホテルを取り仕切る社長。 そして今ホテルチェーンは海外にも3軒、さらに拡大を狙っているのである。 放っておく手は無い、というところだろう。 「室長、どうされたんですか?」 「え―――ああ、いえなんでもありません」 久保の深いため息に心配になったのか、秘書室ナンバー3の陣内洋介が声をかけた。それに、久保は少し疲れた笑みを返した。 「何か、問題が?」 「いえ、そういう事ではないので大丈夫です。すいません」 「そうですか?」 「はい。さて、ちょっと中に行ってきますね。例の件、今週中にはお願いしますね」 久保は社長室を指しながらそう言うと、決意したように立ち上がった。 どれほど気が重くとも、報告しないわけにはいかないのだ。 「失礼します」 「おう」 今は、"おう"というのが社長の返事として正しいのかどうなのかは置いておいおこう。それを注意するまでに、久保の神経は回っていなかった。 「――――ん?どうした?」 どこか憂慮するような顔の久保に、直人は視線を向ける。 「実は、こちらの5家から一度食事でもどうですか、とお誘いを受けております」 久保はそう言うと、名前の書かれた紙とその横に肩書きなどの簡単な略歴を添えたものを直人に見せた。 「接待か?」 直人のその紙を手に、ふんと息を吐く。 「そうですね、接待とも言えますが」 「なんだ?――――この造船の社長さん、俺の仕事と繋がるか?」 「いえ、わかりませんが、その方は船舶推奨委員会の会長をされていらっしゃる重鎮の方で」 「だから?」 「むやみには断れませんので、一応直人様のお耳に入れておこうと思いまして」 「・・・悪い、いまいち意味が分からん。そんなもんは断った後の事後報告だろう、いつも」 「今回ばかりは、それは」 「なんで?」 「・・・これは、正式ではありませんが見合いのお申し込みなのです。いわゆる、打診というものですね」 久保の言葉に、直人が大量の苦虫を噛み潰したような顔になった。 「お断りするならするで、一応直人様の方から何かあった方が・・・・・・」 「だりぃー!!」 途端に直人はだだった子のようにそう叫ぶと、ギシっと音を立てて背もたれに体重を乗せた。 「直人様」 だりぃーはちょっと、そんな小言は口の中で消える。 「なんで急にこんな」 「曽我嬢のことが広まってるんですよ」 「・・・ああーなるほど」 世間のえらいさんは地獄耳なわけか、と直人は苦笑を漏らす。 「まったく、面倒くせーな」 直人はそういうと再び紙面に視線を戻す。そこには、何々委員会長やら、どこそこの相談役やらの四角張った肩書きが並ぶ。 「いっそ、あみだクジにでもして決めるかな」 「・・・は?」 「だから、この5人プラス曽我嬢も入れてあみだクジ作って、行き着いた女と結婚する、ってのはさ」 そういうが早いが、今にもその紙面であみだクジを作り出そうという雰囲気だ。 「直人様・・・」 お戯れはその辺に・・・そういい掛けた久保の視界に、本当に紙面に線を引き出した直人が映った。 「だってなぁ、どうせ誰かとは結婚させられるんだろう?なら、誰でもいいだろう」 「誰でもって!」 誰でもいいはずがない。久保が思わず声を荒げた。 「早くしちまえば、面倒は1回ですむしな」 そう言いながら、どこか嬉々として本当にあみだクジを作っていく。 「直人様!別に結婚しなくてはいけないと決まってるわけではありませんよ」 「でもなぁー」 「雅人様だってご結婚はなされないでしょう」 「兄貴は、そりゃあね。でもさ、俺にはそうまでしなきゃいけない相手がいない」 ザクっと、音を立ててナイフが胸を突き刺した。 「だからって、貴方の結婚なんですよ!?」 遊びじゃなくて他人事でもない。だって貴方の、幸せは―――――――― 「知ってる。ほら出来た。どうだ?」 ―――――!!! 笑ってその紙面を向けられて、久保はわけも無くかーっと頭に血が登った。目の前が真っ赤に染まるほどに。 「直人様!!」 気づいたら紙を直人の手から奪い、破り捨てていた。 「・・・久保?」 「貴方はどうしてそんな風に――――!!」 自分の結婚を、そんな風に軽く遊びに。 どうしてそんなにぞんざいでいい加減に。 ただ、ただ僕は貴方の幸せに願っているのに――――――――― 「え、おい。久保・・・?」 直人の顔がうろたえたものになり、慌てたように腰を浮かせた。 その顔面に、久保はあろうことか破ったその紙を投げつけて社長室を飛び出した。 「お、おい!!」 焦った声が後ろで聞こえたけれど、久保はまったく無視して秘書室を通り抜けフロアに出て、わき目も振らず自分にあてがわれている一室へと向った。 結婚することも嫌なのに。 他の人を好きなのだって、本当は苦しくて仕方が無いのに。 遊びで結婚を決めようとする。いや、本当は決める気なんかなかったのか、いや、直人様のことだからわからないなと、色んな想いが久保の頭の中を駆け巡った。 ただ、わけもわからず悔しかった。 投げやりな態度が、悲しかった。 久保が部屋に戻って、靴を脱ぎ捨てベッドのシーツを引っぺがして頭から被った。 もうわけもわからず悔しくて涙が出る。 バカ!!!と叫んでやりたい。 人が。 人がどんな想いで――――――― 別に僕なんか好きになってくれなくていい。 あの人が好きならそれでもいい。 あの人と幸せになるなら、それはそれでいい。きっと、胸が痛くて切り裂かれて、僕は砕け散ってしまうかもしれないけれど、それでも直人様が幸せなら。 なのに。 なのになんで直人様は―――――――― なんで!! その時、扉がドンドンドンと強くノックされた。 「久保!!おい!!」 ―――――あ・・・・・・ 直人の焦った声に、久保の身体がピクっと震え、追ってきてくれたことに嬉しさを感じた。だからと言って、出迎える気には到底なれなかった。 もう知らない!そんな風に思ってみる。それが今だけの強がりだと分かっていても。 しばらくは扉がどんどん叩かれていたがそれも静かになって、そのことにまた久保は寂しさを感じながらベッドの中でぎゅっと瞼を閉じた。 そんなにすぐ諦めなくても、そんな想いが込み上げてくる。 薄情者、と理不尽に言ってみて。 いっそもう辞表でも書いてやろうか、そんな馬鹿げた考えも浮かんでは消えた。だって、自分が直人の傍を離れるなんて久保には想像も出来ないのだ。それがまた悔しいのだが。 結局恋なんて、惚れた方が負け。 「・・・うっ・・・くぅー」 そう思うとなんだか心底悔しくて、じゃんじゃん涙がこぼれた。 「・・・ぇっ、く・・・・・・」 「おい!!」 「―――――!!」 ―――――ええ!? でかい声に、久保の身体がビクっと震えた。いつの間にか、すぐそこ直人がいる、それが布団の中で見えなくてもわかる。 ――――なんで? 簡単な事だ。直人はスペアキーを持ってこさせてそれで中に入ってきたのだ。 「久保!・・・悪かった、冗談だろう?」 宥める声が聞こえて、布団の上からぽんぽんと軽く叩く。 ――――コイツの生真面目さを忘れてた。 直人ははぁーっと内心大きく息を吐きながら、ベッドに声をかける。直人もどうやらアミダというのは冗談だったらしい。 「ご自分の結婚を冗談にされないでください」 「だから、悪かったって。な?出て来いよ」 直人はそう言うとベッドサイドに腰掛けて布団の上からポンポン叩いた。 「じゃああみだは無しですね」 「ああ、まーな。でも案外いい考えかと思ったんだが」 「直人様!?」 やっぱり半分くらいは本気だったかと、久保は思わずガバっと布団をはいで半身を起こした。 「出てきたな」 「・・・直人様?」 にやりと笑う直人に、誤魔化されませんよ?とちょっと恐い顔で見ると、直人は軽く方を竦めて息を吐いた。 「どうせいつかは誰かとしなきゃならねーなら、これもいいかと思っただけだ。つーか泣くな」 「結婚、しないって選択肢は無いんですか?」 「ん〜ねぇーだろうな。兄貴はしないだろうし、俺がしなきゃ跡継ぎどうするよ」 「まだ、雪人様が」 久保がそう言うと、直人は仰向けにベッドに倒れこんで天井を見上げた。その顔は珍しくなんの表情も浮かんではいなくて、瞳がきつい色に染まっていた。 「雪人はかわいいし、大好きだけどな。・・・・・・あの女の子供を南條家の後にはなぁ」 その言葉に、久保ははっとしたように直人を見た。直人が実際そんな風に思っているとは、久保は思っていなかったのだ。この人は、そういう事に拘らないだろうと、なんとなくそう思っていたから。 「けれど――――お好きなんでしょう?」 「ん?」 「どうして告白なさらないのですか?直人様の中にいる、想い人に」 直人の額が、ヒクっと動いた。 「知っていたのか」 「はい」 「そうか」 「直人様?」 僅かに直人の身体に緊張が走ったのが久保には分かった。それを受けて久保も思わずゴクっと唾を飲み込んだ。 「・・・あいつには好きな人がいる。その好きな人は、もうこの世にはいない」 「―――――」 「あいつの心はずっとその女に縛られたまま。開放されることも無いし、本人もそれを望んでいない。ただ人生を、南條家への複雑な思いと女の墓参りに縛られているんだ。俺に入り込む隙間は無いし、向こうもそれを望んでいない。俺なんか―――――眼中に無いのさ」 「直人様・・・」 久保の眉が苦しそうにぎゅっと寄せられた。 噂はあった。色々と下世話な噂は。けれど、どれも噂だろうと思っていた。 久保の手がそっと、直人の頬に触れた。 「ん?」 しかし、もしあの噂が本当なら、確かにあの人が直人様を受け入れる事は絶対に無いだろう。そして未だに受け入れていないということが、噂を肯定しているのかもしれない。 「直人様・・・」 久保の瞳に涙が込み上げた。 苦しい思いをしたのは、自分だけじゃなかったのだと思う。 投げやりな態度も、諦めようとする態度も全部意味があって。それでも愛しているのだとわかる。直人が、ただ一人の人を愛しているのだと。 自分がそうのように。 「く、ぼ・・・」 久保の唇が、そっと直人の唇の端に落とされた。唇にはちゃんと出来なかった。そこにする資格は、自分には無いようにしか思えなかったから。 そしてこの人はいつか結婚するんだろうと思った。 誰のためでもない、想い人の為に。 「僕じゃあ、だめですか?」 「は・・・?」 自分でも、何を言ってるんだろうと思いながら言葉を吐き出した。 直人のネクタイに掛けた指が、震えていた。 きっとこの時僕は、脳を別人にのっとられていたんだと思う。 |