直人の恋物語T−2
俺が叶わない恋を自覚したのは、一体何時だっただろうか。 俺が物心付いた時から、松岡は南條家にいて傍にいた。 いや、松岡しかいなかったと言うべきか。 親父は昔から仕事仕事の人で、ほとんど関わりあう事も無く。その上母も俺を産んでしばらくして死んだ。 そんな俺にとって松岡は、父であり母であった。 3つ違いの兄雅人よりも、松岡にべったりだった自覚はある。あの優しい笑みと、暖かい手が大好きだった。 俺を育てたのは、松岡だと言って間違い無いだろう。 本当に、松岡はいつもいたから。 子供の頃、友人と喧嘩した時も。 喧嘩して俺が悪かったのに、この南條家の生まれという所為で向こうが謝ってきて、悔しくて悔しくて泣いた時も。 兄と比べられて苦しかった時も。 初めて精通した時も。 初めて女と寝た時も。 その女も所詮、俺の家柄に魅力を感じていただけだとわかった時も。 やけになって、荒れた時期も。 当り散らした夜も。 泣きじゃくった瞬間も。 いつもいつも松岡が傍にいた。 変わらない笑みを浮かべながら。 変わらない優しさと厳しさを併せ持ちながら。 いつも俺を見ていてくれた。 その温もりがかけがえの無いものだと想い。 感謝する様になって。 それだけじゃないと感じて。 その存在の事ばかり考えるようになって。 この気持ちが、恋なんだと気づいた――――――――――――― あれは確か、松岡の結婚話が一瞬持ち上がった時だった。 俺の焦りと慌てっぷりは尋常じゃなくて。胸が焦げる様な思いをした。 そして自分自身の気持ちを思い知った。 そして、父と陽子との結婚話が持ち上がった時の、あの時の松岡。 反対するでも、賛成するでもなかったけれど湛えていた空気が一変したのが分かった。 家にやってきた陽子とも、公然とそりが合わない空気を隠すでもなくて。あんな松岡を見たのが初めてだったから戸惑ったのを憶えている。 その上、陽子も松岡を嫌悪していた。 松岡を追い出そうとしていたのを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。あの時は松岡側に立って兄貴も何やら動いていたらしいのも、後から知った。 そして。 どうして松岡が陽子を嫌なのか。 どうして陽子が松岡を嫌なのかを初めて知って。 ――――――――――俺は松岡の気持ちを知った。 松岡は元々、母の家――――春日野(カスガノ)の家に仕える人だった。なんでも代々執事をしている家系らしい。 そんな松岡は、母とも2つ違いの年齢の所為か子供の頃からよく一緒に遊んでいたらしい。身分を越えた、幼馴染というところだろうか。 本当に仲が良かったらしい。 祖父の家にあったアルバムを見せてもらった時も、二人で写る写真がたくさんあった。 俺に母の記憶は無いが、桜の花が舞い落ちる様に淡い優しい、そして儚げな雰囲気の人だったらしい。 松岡は子供の頃からそんな母を見守ってきたそうだ。 たった一つの宝物の様に慈しんで、大切に大切に。 その母に政略結婚の話が持ち上がったのは18の時だったらしい。名門ながら、曽祖父の代で手がけた事業が失敗して、家の屋台骨を揺るがしかねない危機で。その時、手を差し伸べたのは南條の祖父だった。 南條は十分に金持ちで成功者であったが、さらに地位も名誉も権力も、全部を手中に納めるために昔から政治家や財界人にパイプのある春日野家という名が魅力だったらしい。 そして母は、親父と結婚した。 今聞いたら、一体いつの時代の話だよ、って鼻で笑いたくなるような良くある話だが実際に母そうして嫁いだのだ。 そこに愛があったかどうかなんて、俺は知らない。薄情に言ってしまえば、興味も無かった。けれども、兄貴と俺の二人も子供を作ったんだから多少の愛はあったのかもしれない。 いや、義務でもセックスは出来るか―――――― 男は生理現象みたいなもんだしな。 そう思うと、俺らの存在って一体って思わないでもないが、そんな事に反発を覚える純粋さは当の昔に失くした。 松岡は、その母が嫁ぐとき一緒にやってきたのだ。 まるで、深層の令嬢に付き添う乳母の様に。 二人の間柄が、どういう関係だったのかなんて俺は知らない。 実際に、何が、あったかなんて知るよしも無いし知りたいとも、思わない。 ただ松岡は母が死んでからも南條家に残り、俺達を育てたという事実だけ。 そして今は、雪人を育てている。なんの関わりも無いはずなのに。 大嫌いな、陽子の子供のはずなのに。 そうして今も、松岡は南條家にいるのだ――――――――― どうしてか、なんて恐くて聞けない。 ただ松岡は、母への想いに、母との想い出に生きているだけなのかもしれない――――――― ・・・・・・ 無事役目を終えて墓地を出た直人を乗せた車は、ゆっくりドライブがてら帰ろうという直人の主張は当然却下されて、一路首都高をひた走った。結果、直人には残念ながら1時にはいつも通り社長室にいた。 直人にとって良かったことといえば、久々に昼食をゆっくり食べられた事だろうか。帰りの途中、感じの良い蕎麦屋を見つけて美味い蕎麦を食べられたのだ。 今は満腹感と、窓から差し込む日差しの暖かさに眠気を覚える。 率直に願望を言えば、昼寝がしてぇーっだそうだ。 「――――ん」 窓の外をぼーっと見ていたら、携帯が震えた。 「はい?」 『今いいですか?』 電話は雅人からだった。 「大丈夫だぜ、何?」 『いえ、今朝のことが気になっただけです』 「あーあれね。松岡は思った通りのところにいた。んで聞いてみたら、親父が鞄の中に入れたのを忘れてただけだった」 『そうですか』 「ったく人騒がせな」 大きく背中を椅子に預けた所為で、椅子がギシっと音を立てた。 『ご苦労様でした。ところで、今度行われるWG経済産業協会のパーティーに参加しますか?』 「あぁ〜っそんなんあったなぁー。んー、どうだったかな。兄貴出んの?」 『いえ、私は教育調査会の先生方との会食が』 「うわっ、しんどそー。でもじゃあそのパーティーは俺参加なのかなぁ。面倒くせぇー」 南條家への招待状や、南條家として出席をしなければいけないパーティーは、いまや二人で割り振られている状況なのだ。 『出るなら、気をつけなさい』 「ん?」 『主催の中に青村会長がいるようです』 「げ、まじ・・・」 商社ヤタカインターの会長の青村。自分の会社の為にあっちこっちの結婚話に首を突っ込み、はたまたセッティングから時には引き合わせまでするという男。 最近は年寄りの趣味になってきている感もあるが。これがまた、はた迷惑な趣味だと言わざるをえない。 『私も直人も、格好の材料ですからね』 「・・・了解、・・・つーか兄貴っ」 『では』 「あっ、おい!」 文句を言い出す前にプチっと携帯が切られて、直人は盛大にため息をついた。 ――――パーティーの日に会食を入れたのは絶対計算に違いねぇ。くそーっ兄貴のヤツっ せこい、と思わず直人は握りこぶしを作る。電話をそそくさと切ったのが何よりの証拠だと思う。 雅人は今その動向が最も注目されているうちの一人だ。歳も27になる、結婚適齢期。婚約くらいはしていたっておかしくない年齢なのだ。 今だって、あの手この手でそんな話がねじ込まれているのを直人だって知っている。 ――――ま、兄貴は結婚なんかしねーんだろうけど・・・ 直人はクルっと椅子を回して、完全にその身体を窓の方へ向けた。 雅人は最愛のたった一人の人を見つけて、手に入れた。随分悩んだり迷ったりもしたみたいだったが、最後は腹を括ったらしい。 どんな困難からも、綾乃を守ること。 綾乃の、将来に責任を持つ事に。 そして、その為に戦い抜くことに。 何もかもを捨てられる覚悟も。 「・・・結婚、かぁー」 それを、羨ましいと思わないわけがない。けれど、自分には諦めることしか出来ないのだ。誰もが、望んだものを全て手に出来るわけじゃない事は、子供だって知ってる。 それが直人の場合、"好きな人"だっただけ。 ただ、それだけだ。 ――――あー・・・あ。俺はど〜するんだろーなぁ。 つーか、どうでもいいなぁー俺の結婚なんて。 青空を見つめながら呟いた直人の投げやりな思いと盛大なため息は、その空に消えて跡形も無くなる。胸に燻り続ける思いは、こんなに簡単に空に溶けて無になったりしないのに。 直人は澄み切った空をじーっと見つめていた。その顔が、どんなにか狂おしそうで切なそうなのか、知る人はいない。 ただ何も言わない空だけが知っている。 しかしその空も、直人に答えも未来も、示してはくれない。 |