直人の恋物語T−3



 ――――無駄に華やかだな。
 直人は壁際で立ちながら、周りを見渡してそう思った。
 広い会場に華々しい大輪の華が飾られて、天井からぶら下がっているシャンデリアは大正ロマン風。まぁ、昔からの名門ホテルってのがここの売りなんだからしょうがねーか、と直人はまた軽く息を吐いた。
 ――――にしてもあの緞帳はいただけねぇ。
 ケっと呟いて、直人は手にしたワイングラスの中身を喉に流し込んだ。近づいてくる人影を目の端に捕らえながら。
「これはこれは、南條社長」
「どうも」
 声を掛けられて直人の頭がフル回転しだす。頭の中のファイルをがんがん捲り目の前の男がどこの誰だったかを探し出すのだ。所要時間は25秒。
 ピンとはじき出した答えは、どっかの田舎の副県知事だ。
「本日は御次男がおいででしたか」
「ええ」
 ――――俺で悪かったなっつーの。
 胸のうちで口汚く唾を吐きながらも、直人は笑みを絶やす事はしない。それがどれほど、薄ら寒いものでも。
「なんでも御長男は大阪で新しい学校を立ち上げるとか、素晴らしいですね」
 しかし大体これで一体何人目か、直人は忌々しい気持ちを押し殺すのも限界に来ていた。
「そうですね」
 雅人でもなく、ましてや高人でもない直人の姿に、あからさまに残念そうにする彼ら。彼らが待っているのは、現総帥もしくは未来の総帥。どちらでもない直人では彼らはご不満の様だ。
「是非私殿の県にもお越しいただきたいとお誘いしているのですよ。本当に環境は申し分ないですし、それこそ土地もありますからね。そういう中でこそ、学べることもあると提案させていただいているのです」
 ――――提案できるほど素晴らしいプランがあるなら、自分達でやればいいのさ。冠に頼らなくてな。
「是非この機会に、後次男様からもお口添えください」
「兄は私の言う事になど耳を傾けませんよ。兄に会う機会がありましたら、ご自分でおっしゃってください」
 直人の言葉に、相手の顔が一瞬こわばったのを直人は見逃さなかった。まぁ、貴方に兄に会う機会が設けらればね、と暗に言った事にまで気づいているのかどうか。
 直人はその顔を視界に捕らえてから、その身を翻して男から離れた。
 もう十分役は果たしただろう、そう思って、その足を扉へと向ける。挨拶を交わした相手は30人強。その中で、直人にとって役に立ちそうなのは一人もいなかった。あいにくと、地方で大型な遊興施設などを建設する予定も無く、ホテルをぶち立てる予定も無い。
 直人のやりたい事は、そんなことでは無いのだ。
 心持荒い直人の足取りが進みその手が扉へと伸びた。視界の端に、慌ててこちらへやってくる久保の姿も見えていた。久保は、直人よりも真面目に顔つなぎというのをしていたらしい。
 フッと可笑しくなる。社長よりも生真面目な秘書に。この地位、譲ってやろうか?そう言ったらあの顔はどうなるんだろうな。
「南條社長」
 後一歩半、というところで声がかかった。
「――――青村会長」
 振り返った途端、しまった。そう思った。もちろん顔には出さないが。
「もうお帰りですかな」
 その存在だけは、相手に気づかれないように目の中に入れ、巧みに逃げていたのに。最後の最後で油断してしまった。
「ええ。―――私には過ぎたパーティーの様ですから」
 貴方達の待っているのは、俺じゃないでしょう?そんな意を込めた。すると青村は、クククっと人を食った様な笑いを漏らした。
「実は紹介したい人がおってね」
「私に、ですか?」
 久保が追いついてやってきた。
「もちろん。わしが待っていたのは、直人さんだからなぁ」
「・・・・・」
 逃げ出したい、そう思ってみても逃げられるわけは無い。
 直人があげた視線の先に、ビシっと紺のスーツを着た男と華やかなサーモンピンクのドレスを着た女が現れた。髪は上品に巻いていた。辺見えみりをもうちょっと若くした感じか、それが直人の印象だった。
「初めてお目にかかります、私は投資ファンドを経営しております曽我英俊と申します。これは娘の―――」
「桜と申します」
 声は、もう少しか弱い女らしい声だった。
「南條直人です。曽我さんのお名前はかねがね。お会い出来て光栄です」
「いやいや、こちらこそ。南條社長のお名前は聞き及んでおりまして、お会いしたいと思っておりました」
「そうですか」
 ――――俺じゃなくて、兄貴の方だろうが。
 直人の空気が冷えたのが久保には分かったのか、ハッとしたように直人に目を向ける。
「ええ。例の旅館、社長の手腕で再生されたそうじゃないですか」
 その言葉に一瞬、直人の目が僅かに見開かれた。田舎の老舗旅館が傾いて、それを直人が別会社を作って手を入れたのを知っている者はほとんどいないはず。
「投資会社というのは、つねに良い会社を探しておりますから。あの旅館の目を見張る再生振りをみれば、その会社に興味は行くものです。・・・あの後、付近一帯までの再生プロジェクトを御社が引き受けていらっしゃる」
「よく――――ご存知で。ですが、あれは私が出資はしてはいますが完全に別会社。社長も別にいますので」
「もちろん存じておりますとも」
「彼も、曽我社長に注目していただいたとなれば嬉しいでしょう。伝えておきます」
「それはありがたい。何か御用がございましたうちはいつでもご協力いたしますので」
「ありがとうございます――――では、私はこれで。青村会長、先に失礼いたします」
「うむ」
「ああ、南條社長」
「はい?」
 しつこい、と内心舌打ちしながら曽我に笑みを向けた。
「次の一手はどちらに?」
 次はどこに狙いを定めているのですか?そんな問に答えるはずがない事はわかっているだろう。
「さぁ・・・、社長に聞いてみてください。では」
 直人は二人に軽く頭を下げて、踵を返すと久保がすでに扉を開けて待っていた。直人はその扉から、振り向く事無くパーティー会場を後にした。
 早足で歩くその視界の端に、何人かの顔が映ったが気にしてはいられなかった。興味も無い。
 そのまま足早に階下に下りて車に乗り込んで自分のホテルの、いつも押さえてある部屋へ戻った。
 心中に渦巻く、言いようの無いむかつきを憶えながら。




「・・・どこから洩れたんだ?」
 部屋に入るなり直人は、忌々しそうに呟いた。
「わかりません。ただ、青村会長が絡んでいるならあの方からかも」
 この世界の重鎮の一人。情報網はどこまで張り巡らされているのか、わかったものじゃない。
「・・・ったく。今日のパーティーは最悪だな」
 そう言って直人はどっかりとソファに腰を下ろし乱暴にネクタイに指を指しいれ引き抜いた。ジャケットは部屋に入って直ぐに、久保の手によって脱がされている。
「直人様」
 ハッと見ると、靴下を脱ぎネクタイと一緒に傍らに放り置き、さらにベルトも。久保は慌てて隣室から直人の衣服を持ってきて渡した。
「ああ悪い。さんきゅ」
「いえ」
 直人は頭に血が登っていて着替えなんて事をすっかり失念していたらしい。結局久保に渡された服に着替えると、久保がお茶を入れて置いた。
「んー・・・」
 声が随分苛立っている。その空気も。
「直人様?」
「茶じゃあ物足りねーな。――――久保!飲むぞ」
 言うなり直人は立ち上がって、バーカウンタで酒を漁る。
「はぁっ!?」
「別にいいじゃねーか、明日休みだろう?」
「そうですが」
「久保、付き合えよ?」
「・・・っ」
 こういわれては、久保に拒否の権利は与えられない。
「その服じゃあしんどいだろ?俺の適当に着て来いよ」
 いまだきっちりスーツを着込んだままの久保に直人は言って、すでにツマミ類の乾き物の袋を開けている。もちろんナッツの缶も。
「いえ・・・そういうわけには」
「俺が嫌なの。目の前でそんな格好で飲まれたら俺が疲れる。・・・ほら、早くっ」
「はぁ・・・」
 そう言われればもう久保としては従うしかない。絶対君主の社長命令に、久保は諦めたように息を吐いて隣室へと向った。逆らえないのは、子供の頃からの習慣もあるけれど。
 そしてそこにあるクローゼットの扉を開け、またため息をついた。
「・・・わかってない・・・」
 小さな呟きと共に紺色のTシャツとベーシュのチノパンを取り出した。まさかスェットパンツを履くわけにもいかない久保としてはこれが精一杯の妥協点。そのTシャツの袖を大きく一折して、チンパンの裾も一つ折る。さらにスーツのズボンからベルトを引き抜いて、チノパンに通した。ベルトが無ければチノパンはずってしまうのだ。
 そうして自分のスーツをハンガーにかけて、ついでに直人のスーツもハンガーにかける。そのスーツに、久保はおでこを引っ付けた。
「ほんと、わかってない・・・・・・」
 直人の服を着るという行為を、久保がどんな思いでいるのかなんて。
 自分がどんな想いで傍にいるかなんて。
 何も知らない、考えようともしない腹立たしい人。
「久保―っ。まだかー!?」
「あ、はい!」
 焦れた直人の声に久保は慌てて顔を上げて、スーツを直して自分のスーツだけを手に部屋を出た。
「遅ぇー」
「すいません」
 既にソファにどっかりと腰を下ろし準備万端の直人に、久保はせわしくなく頭を下げて向いに座った。
「何かツマミになるようなもの、頼みましょうか?」
「もー電話した」
「そうですか」
 ――――いつの間に・・・
 この素早い動きに久保は軽い眩暈を覚える。それくらいの熱意で仕事もこなしてくれれば、雅人様にも負けないと思うのに、と内心ため息も混じる。
 別に今だって、負けているなんて思っているわけじゃないけれど。
「んじゃ、乾杯」
 久保にとって、直人が絶対の人。
 ただ一人の、―――――主人。
「はい」
 缶ビールを、カンっと鳴らした。


 直人は基本的に酒は強い。日本酒は少々苦手の様だが、それ以外ならなんでも来いである。といっても、たぶん雅人のほうがもっと強いんだろうが。
 そして、久保はさして酒が強くはなかった。
 それなのに。


「直人様、ちょっとピッチが早くないですか?」
「うるせーよ」
 そんな会話を交わしたのは、今から小一時間前。
 そして今は。
「直人様大丈夫ですか?」
 久保は、自身も赤い顔をしながらも直人に声をかける。その当の直人は身をずるずるソファに沈ませて、珍しく赤い酔っ払ってますって顔をしていた。
「直人様?」
 テーブルの上には、空き缶空き缶空き缶、そして空ボトルが散乱。その中には冷蔵庫から取り出したワインボトルも含まれていた。
「直人様っ」
「んー・・・」
 あっちこっち、ちゃんぽんで飲んだのがまずかったのだろう。久保はビール一缶の後はワインだけにしていたのが幸いした。
 久保は立ち上がって直人の傍へと寄って、その肩に手を掛けて軽くゆさぶった。
「起きてください。寝るならちゃんとベッドで」
「・・・んー・・・」
「直人様!?」
 久保の呼びかけの甲斐無く。
「・・・直人様・・・」
 直人はきっちりソファに沈んだ。
 久保の深い深いため息は、当然聞こえるはずも無い。









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