直人の恋物語T−4



「んっ・・・っしょ・・・、―――はぁっ」
 久保は自分よりも背の高い直人の身体を、足をずるずる引きずらせながらも持ち上げ、なんとかベッドの上にその身体を横たえた。
「重かった・・・」
 久保は思わずその場にへたり込んで、ぜーぜーと肩で息をする。なんたって身長だって体重だって向こうの方が上で、しかも完全脱力中。
 重いことこの上ない。
「こっちだって、酔ってるんですよっ」
 思わず直人の顔に、文句を言う。
「まったく・・・」
 くーくー眠る邪気の無い顔に、思いっきり枕でもぶつけてやりたくなる。けれどそんな事は久保には出来ない。本当に、人の気も知らないでそんな顔して寝て、そう思う。
 それが、悔しくてしょうがない。
 しかし恋など、所詮惚れた方が負けなのだ。
 久保はもう1度深いため息をついてから、再度その身体に手を掛けてもう少しベッドの上へとずり上げて、掛け布団を掛けようとした。
 これで完了だ、そう思った瞬間だった。
「え―――っ、直人様?」
 その、伸ばした腕を不意に強く捕まれた。
「ん・・・、ねるーっ」
「はい、だからっ・・・えぇ!?ちょっ」
 寝言交じりに呟かれて、久保はそのまま直人に強く引き寄せられた。中途半端な体勢だった久保はその力に、バフっと音を立ててベッドに倒れこんだ。
「直人様!?」
 久保が慌てて抗ってベッドから逃げようとする間もなく、直人の腕が久保に絡まる。それこそ本当に、酔っ払っているのかと疑いたくなるような腕の強さ。
「――――っ」
 久保の顔が、朱に染まった。
 抗おうと頑張ってたつもりの間に、久保はあれよあれよと直人の腕に抱きしめられてその顔を直人の胸に寄せた格好になっているのだ。
「んー・・・」
「なおと、さま・・・?」
 久保の声が、僅かに震えて心臓がドキドキと鳴った。
初めて感じる、直人の温もり。そっと胸に頬をつければ、ドクドクと鳴る直人の心臓音を感じる。
 僅かに身じろいで顔を上げると、精悍か顔つきと通った鼻筋。そして、意外と長い睫毛。
 酒臭い息さえも、感じる距離。
 どうしよう、どうしたらいいのだろう。逃げ出したいのに、なんだか逃げ出すのは惜しい気がして、このままでもいいかな、なんて思ってしまう。
 ――――なおと、さま・・・・・・
 久保はそっと、手を伸ばしてその顔に指を近づけた。
「ん・・・」
―――――あ・・・
「――――――修二・・・・・・・・・」
 ピタっと、直人の頬3センチ手前で指が止まった。
 ――――・・・ああ・・・・・・・っ!!
 久保がぎゅっと瞼を閉じた。膨らんだ高揚感は一気にしぼみ、言いようの無い苦さだけが胸に込み上げた。
 直人の口から出た名前。
 その名を、久保は知っていた。
 嫌っていうほど、直人の想いを認識させられた。自分が誰と、間違われているのか。
 久保はこのままは耐えられないと、先ほどより強くその身を動かして直人の腕の中から出ようとした。
 それなのに。
 それを阻むように、さらにぎゅっと直人に抱き寄せられた。
「じっと・・・してろ、って・・・」
 その甘いささやき。
 自分に向けられたものではないと百も承知で、久保は動けなかった。
 自分はきっと、直人の夢の中で自分ではない。
 身代わりでしかない。
 夢の中、きっと甘い笑みを浮かべて見つめている相手は自分ではありえないのだと。
 それは分かっているのに。
 おでこに触れる、直人の顎。
 なんともいえない、温もり。
 直人の、匂い。
 その全てが、離しがたくて。
 この腕を自分から振りほどくには、その甘美はあまりにも残酷で。
 久保はそっと腕を背中に回し、ゆっくり直人に抱きつくと直人は安心したようにふっと笑った。その笑顔が、脳裏に焼きついた。
 そして酷く火傷した後の様に、ジクジクと心は痛んだけれど。
「おやすみなさい」
 久保はそう囁いて、そのまま瞳を閉じた。

 それ以外、どうする事も出来なかった。




・・・・・




「・・・・・・・・・・・・・っ!!!」
 ――――なっ・・・な、なんだこれぇーーーー!!!
 朝、目が覚めたら久保が腕の中で眠っていた。しかもこの体勢・・・どう考えても抱き合って眠りました、って構図じゃねーかっ!!!
 白い陶磁器の様な男にしておくには惜しい肌。柔らかそうな頬に、くるんと長い睫毛。少し開いたピンクの唇。それが今、直人の目の前にあるのだ。
 思わずゴクっと喉が鳴る。 
 ――――違うっ、今喉が鳴ったのは緊張のためだっ。
 決して欲情したわけじゃないと、内心焦った言い訳を繰り出す。誰も聞いちゃあいないのに。若干元気な気がする息子はこの際無視だ。
 ――――待て、俺。冷静になれよ。そうだ、昨夜だ。確かにムカムカして帰ってきて、久保に酒を付き合わせた。缶ビールを開けて、バーボンを飲んで、ブランデーを開けてスコッチを開けて・・・最終的にはワインの栓を開けた・・・よな。
 そっから、どうした?
「・・・・・・・」
 残念な事に、そこから先の記憶が非常に曖昧だった。そこから先の記憶が大事なのに。
 ――――ちょっ、ちょっと待て。服・・・服は着てるな。よしっ。
「ん・・・っ」
「――――!!」
 服を着ているか確かめようと動いた拍子に、久保の口から声が洩れた。眉が僅かにぎゅっと寄る。
 ――――お、おい。まだ起きるなっ。こ、心の準備が・・・っ
 何の心の準備がいるんだと、突っ込むのはこの際やめておいてやろう。
「・・・ゴク」
 バカみたいに内心慌てた直人をよそに、ゆっくりと久保の瞼が開いた。
「――――ん・・・」
 冷や汗がたらりと流れた。
「よう?」
 直人は自分でも随分間抜けな挨拶だと思った。しかし、長年秘書で傍にいただけの男が、朝起きたらいきなり腕の中。そんな状況に今まで陥った事が無いんだからどうしていいのかわからない。
「な・・・おと、さま・・・っ!!」
 ぼうっと見つめていた瞳が、急にぱっと見開いて久保の顔が真っ赤になった。その反応に直人の方の顔も熱くなる。
 ――――ちょっと待ってくれーーーっ。なんだ、なんなんだその反応!!
 そして久保はそのままガバっと起き上がった、慌てた直人を無視して。
「久保」
「おはようございます」
 顔を向けないで、背中だけの挨拶。
 久保が顔を赤らめドキドキしている時、直人は久保が服を着ているのを見てとりあえずほっとしていた。
「あ、ああ」
 久保が、しまったと思っているなんて直人は知らない。本当は、直人が目覚める前に起きて、自分にあてがわれている部屋に戻っているつもりだったのに、腕の温もりが心地良すぎて熟睡してしまったなんて。
「あの、じゃあ私はこれで」
 久保はそのまま立ち上がって、ぺこっと頭を下げた。どんな顔をしていいのか分からないから。深い眠りからの一気の覚醒に、頭がまだ上手く動かない。
「あっ、ちょっと!」
「――――はい」
 久保の慌てた仕草に、直人が慌てた。
 記憶が無いだけに。
 背中にツツっと嫌な汗が流れる。いや、そんなはず無いだろうと頭の隅で冷静な自分が叫んでいるのに。
「あの――――さ」
 無駄に喉が渇いた。それを、酒の所為にする余裕も無い。
「はい」
 だって夢の中、腕の中にいたのは―――――――
「えっと、な」
 甘い口付けを交わしたのは――――――
「はい」
「そのぉ、なんだ・・・・・・・・・昨日、」
「・・・・・・はい」
「なんか、あった?」
 ピクっと久保の肩が揺れて、直人がさらに慌てた。
「え、・・・」
 ――――まじかよ!?
 直人の喉が再びゴクっと鳴った。思わず自分のムスコをチラっとみてしまう。お前、そうなのか!?としゃべってくれるなら問いただした。
 いや、実際しゃべったらそれこそオカルトだが。
 そんな直人に向って、久保がゆっくりと首を巡らせる。
「・・・っ」
 その瞳が思いのほか冷たくて、悲しそうに翳っていることに自分の事で一杯一杯の直人は気づきもしない。
 その顔を久保がどんな思いで見つめていたかなんて。
「・・・何か、ですか?」
「あ、ああ・・・」
 ――――マジで変な汗かいてきた!!
「憶えてないんですか?」
「☆□×☆!!!」
 まるで、直人が棒でも飲み込んだ様な顔になった。まさに蛇に睨まれた蛙状態。その顔を、久保はなんとも言えない瞳で見つめた。
「・・・久保?」
 情けない声に、久保は盛大なため息をついた。
「何か・・・―――――なんて、あるわけ無いじゃないですか」
「え?」
 その、さもバカにした様な声に、直人のほうが一瞬面食らう。
「どうして私と直人様で、何かあるなんて思うんです?」
 久保はそう言うと、立ち上がった。
「あ・・・いや・・・その・・・」
「昨日は直人様が酔い潰れて、私がベッドまで運んだら、直人様がどっかの女の名前呟きながらしがみ付いてきたんですよ」
「――――まじ?」
「はい。振りり解こうにも力が強くて動かせないし・・・」
「そ・・・っか」
「そうじゃなきゃ、私だって男と抱き合って寝る趣味はありません、それが例え直人様といえども」
「あ、ああ。そう、そうだよな」
「はい。――――では私は自分の部屋に戻りますね。お迎えは1時間後でよろしいですか?」
「へ?迎え?」
 間抜けな声に、久保の米神がピクっと跳ねる。
「本日はお休みですから、ご自宅に戻られるとお伺いしていましたが違っていましたか?」
「あっ、いや、違わないです。そうでした」
「では1時間後に。いいですね?」
「はい!」
 久保はそう言い捨てると、さっさと寝室を出て行った。イライラしてムカムカして、言い様のない空しさと悲しさで頭の中が真っ白になっていたのに、部屋を出る際、自分のスーツを手にしていたのは我ながら偉いなと久保は部屋に戻ってから思った。
 どんなに動揺していても、どこか冷静な自分が可笑しくて、思わず笑ってしまう。
 その顔は、笑顔と言うより自嘲気味に歪んでいたが。







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