直人の恋物語T−6
それから、半月という日々が何事も無く過ぎていた。 直人は、あまり覚えておきたくない事は忘れてしまいたい主義で、雅人の警告は頭の隅にありながらもそれをまともに考えようとはしていなかった。 しかし、忘れたい事ほどやって来るものである。 「――――まじかよ」 直人は社長室の革張り椅子に偉そうに座りながら、物凄く嫌そうな顔で久保を見上げていた。一方、見上げられた久保も困った顔を隠していない。 「はい。今確認しましたら正式な手続きを踏んでお申し込みがあり、担当の者はもう受理したと。それも2ヶ月も前の事らしいのです」 久保はそう言うと、ホテルの庭を改築して作ったホール、ガーデンルームの使用予定表を直人の前へ置いた。 そこに赤いペンでつけられた印。 「ってことは、全ては計画的ってことか」 曽我親子。紹介されたのは、半月前のパーティーが最初だ。それなのに、彼らも一枚噛んでいるらしいパーティーが申し込まれたのは今から2ヶ月も前。 これが、偶然なんて言葉で片付けられないものであることは一目瞭然だ。 「岡本先生教授就任パーティー、ね」 「はい。その岡本という方は都内の大学病院にお勤めの方で、その方の娘さんのご友人が曽我桜さんの様です。それで、このパーティーの主催者の中には、もちろん桜様のお父様曽我社長のお名前も」 「ふーん」 「取り急ぎ取り調べましたところ、パーティーを取り仕切りイベント会社は曽我社長が出資している会社の様で」 「実質、曽我の意向通りってわけか」 直人はそういうと、手にしていた予定表を放り投げた。 という事は、彼らがこのホテルを選んでいるのは偶然ではないという事は確定された事実へと変わる。 「ええ、どう致しましょうか。当日曽我社長のほうからコンタクトがあっても面倒ですし、この日は何か予定が入っていることにして、ここへは来られないという事にした方が宜しいかと思いますが?」 「そー・・・だな」 直人はふっと空を見ながら考えた。確かにその方がいいかもしれないと、頭をフル回転させる。その時、兄である雅人の顔が浮かび上がってきた。 "はっきり意思表示を" そういわれた事を思い出し、今度はその言葉が頭を回る。それは、こういう事態への事だったのだろうか?と。それならば、どう対応するのが1番良いのか。 そこへ内線の電話が掛かった。 「はい社長室―――お疲れ様です、はい。え――――はぁ・・・・・・」 電話に出た久保の声が徐々に戸惑ったものになり、その視線が窺うように直人に向けられた。 「なんだ?」 「・・・今、小田切企画マネージャーのところに曽我さんがお見えだそうで、直人様にご挨拶がしたいと」 直人の眉が不愉快そうに跳ね上がった。 「なるほど。今度のパーティーのプランの事で来たってところか」 「その様です」 小田切は、プランマネージャーを務める男だ。 「そしてそれをネタに、ご挨拶ねぇ」 直人の瞳が、さもつまらなさそうに細められて空を睨んだ。からめ手できやがって、と口の中で呟く。 「わかった、降りていく」 「よろしいんですか?」 「ああ。当日はいないんだ。今日も居留守は流石にまずいだろう?」 直人の言葉に久保も軽く頷いて、保留ボタンを押していた指を外した。 「―――もしもし、はい。今からそちらに窺います。2階ですね?ええ・・・ああ分かりました。はい」 「2階の奥の間にいるそうです」 久保は電話を置きながらそう言うと、すぐさまスーツの上着に袖を通す直人を手伝う。そしてそのままネクタイをきちっと直してやった。 「面倒な事だ」 その呟きに、久保は同意も否定もせず堅い表情を崩さなかった。 ネクタイを直す指が僅かに震えていたのは、曽我の後ろにいる青村の陰が気になっていたから。青村会長という人が、一筋縄では行かないことなどこの世界の人間なら誰もが知っている事だ。 もしこのまま、直人があの女性と結婚するような事になったら自分はどうするのだろう、そんな思いを心の底に無理矢理押し込めていた。 何故なら、一瞬考えるだけで眩暈がしそうで、もっとちゃんと考えてしまったら、きっと自分が平静ではいられなくなるとわかっていたから。 2階フロアまで降り立つと、奥にある商談ルームと呼ばれる場所へと足を向けた。そこは、会社上の商談から、パーティープランやウエディングプランなど客に応じて相談に乗るスペースになっていた。 「失礼します」 「はい――――あ、社長」 ――――・・・っ、っと・・・ 「これは、お嬢様がおいででしたか。先日はどうも」 そこに立っていたのは曽我桜。直人は父親の方だと思い込んでいたので、娘の姿に一瞬驚いてしまった。傍らには、イベント会社の社員だろうか、若いスーツ姿の青年が立っていた。 「南條社長、先日はありがとうございました」 「社長。曽我さんは今度当ホテルで友人のお父様のパーティーをご依頼くださいまして、そのプランの打ち合わせで足をお運びくださったのです」 小田切は多少緊張気味の顔色でそう説明すると、直人に椅子を勧めたのだが直人はそれを軽く首を振って断った。 こんな場に、長居するつもりは毛頭ない。 「それはありがとうございます―――ご友人のお父様のパーティー?」 直人は視線で小田切に先を促す。もちろん知ってはいるが。 「教授就任パーティーですわ。都内の大学病院の内科の先生なんです」 「そうですか。それはおめでとうございます」 何食わぬ顔で受け答えた目の前の女性に対して、直人は笑みを浮かべる。 「ありがとうございます―――――当日は父も来る予定になっておりまして、是非南條社長にご挨拶をと申しておりました」 「そうですか・・・パーティーはいつだって?」 小田切に日付を確認する。 「5月20日金曜日です」 その声に久保が手にしていた手帳を開いた。そして予定を確認する――――ふりをした。そしてそっと首を横に降る。すると直人もわざとらしく片眉を器用にあげた。 「申し訳ありません、どうやら予定が詰まっている様です」 「まぁ・・・。少しの時間もありませんか?」 「その日はたぶん、ここにはいないかと思われますので」 「そうですか。それでしたら、残念ですけど仕方がありませんね」 直人の嘘が分かっているのかいないのか、桜嬢はくったくなく笑みを浮かべて肩を竦めた。その顔は、直人が桜嬢に対して初めて好感の持てるものだった。 「申し訳ありません。その代わり小田切が飛び切りのプランをご用意すると思いますよ」 その言葉に小田切の顔が思わず強張る。 「本当ですか?期待していますね、小田切マネージャー」 髪を揺らして小田切を振り返ると、僅かばかりの香水の香りがした。それが、嫌味が無いほど僅かな優しい香りに、直人の瞳が思わず桜嬢に向けられた。 「はい。もちろんです」 多少強張りながらも、小田切はきっちり笑みを返した。こんなことで動揺するようでは、直人は使わない。ましてや、引き抜いてなど来るはずが無い。 「社長、そろそろ」 「あ、ああ」 頃合いを見計らっていた久保が直人に声をかけた。 「申し訳ありません、もう時間が無いようです。―――小田切マネージャー、後はよろしくお願いします」 「かしこまりました」 「南條社長、お時間頂いてありがとうございました」 桜嬢がにこりと笑みを浮かべて一礼をした。 「いえ、パーティーが素晴らしいものになる事を願っております。では」 直人はそう言うと軽く会釈をして、久保が開けた扉から外へ出た。 パタンと扉が閉まる音を聞きながら廊下を歩き、とりあえず顔は取り繕ったままで頑張って、社長室に戻って来てからやっと直人は大きく息を吐き出した。 僅かな時間で片がついたが、なんとなく精神的に疲れた。 「お疲れ様でした」 「ああ」 久保はジャケットに手をかけ、直人の体から上着を脱がせてハンガーに掛けた。机の上には、どうやら他の秘書が置いたのか、直人が目を通す必要のある書類が積まれていた。 「それにしてもご令嬢だったとは驚きましたね」 「まったくだ」 直人は椅子ではなくソファに腰掛けて、伸びをする。 「だが、思っていたよりはマシな女だったのが救いだな」 「――――っ」 その言葉に、久保は一瞬言葉を失った。もし今書類などを手にしていたら、全てを床に撒き散らかしていただろう。それほどの、衝撃だった。 直人が、女に対してそんな風に言ったのを初めて聞いたからだ。わけもわからず、動悸が激しくなり指先が震えた。 「ん?どうした?」 しかし、言った当の本人はその事には気づいていないらしい。 「いえ―――――珈琲、お持ちしますね」 紡いだ言葉はそんな脈絡も無いもので。 久保は直人の返事を待たずに社長室から出て行った。 ・・・・・ その次の夜だった。それも、深夜と言われる時間、久保は都内のマンションの一室を尋ねていた。部屋の合鍵を持っているにも関わらず、久保は律儀にベルを鳴らし入り口のロックを開けてもらって中に入った。 12階建ての8階に降り立って、流石に玄関扉は自分の鍵で開けた。室内は明かりが灯され、住人は久保をちゃんと待っていたようだ。 「兄さん?上がるよ」 久保は住人――――自身の兄に声を掛けて部屋へ上がった。 「久しぶりだな」 「兄さん」 兄は、まだスーツの上着を脱いだだけの格好でキッチンでお茶を入れていた。 「もしかして、帰ったばかり?」 「ああ。こっちもGW前でバタバタ駆け込みごとがあってな」 「そう。お疲れ様」 久保はそういいながら、キッチンカウンタにある椅子に腰を掛けた。 「そんなところに座らないで、ソファに座れよ」 「ううん、いい。ソファに座ったら動くのが嫌になりそうだから」 「なんだ、帰るのか?」 久保の言葉に兄は器用に方眉を上げて驚きを表した。てっきりと泊まって帰るのかと思っていたのだろう、ここには久保の部屋もあるのだから。 「直人様には何も言ってきてないから」 「――――なんだ?何か問題でもあったのか」 力無げな久保の様子に兄は顔色を曇らせて、香りをたてていれた玉露を久保の前に置いた。 「うん・・・、問題っていうかさ」 兄は自分の湯飲みを手に、自身もカウンタの椅子を引いて座った。 「―――――――曽我さんの、事かな」 |