直人の恋物語U 12




 翌日は、綺麗な秋晴れの空だった。その昼間の、少しまだ暑さの残る気温が過ぎ去って、夕方の涼しさが顔を出し始めた時間。
 随分久しぶりに、その扉に直人は手をかけ―――――開いた。
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。――――玄関なんかに出てきていいのか?」
 扉を開けた途端に漂う、醤油の香り。随分豪華な食材が使用されるのは直人も知っている。たぶん、朝から準備に追われただろう。
「大丈夫です。久保さん、お久しぶりです」
「ご無沙汰しております。この度は私の分までで、ご面倒をおかけいたします」
「別にお前が謝ることじゃねーだろ。親父の指示なんだから」
 直人は呆れた口調でそう言うと、久々の我が家に上がった。その後を、久保は続いて中へと入る。その2人の様子に松岡は一瞬怪訝そうな顔をしたが、それもすぐに引っ込めてキッチンへと戻っていった。
 とにかく今は、忙しいのだ。
「あー、直人兄様!!」
 代わりに顔を出したのは雪人だった。その雪人の姿に直人は僅かに瞳を細めた。
「なんか、でかくなったか?」
「子供は少しの間で成長するものですよ」
「僕、大きくなった?」
「うん、だと思うよ。――――久保さん、こんにちは」
「綾乃様、こんにちは」
 リビングには既に正装に着替えた雅人と、綾乃と雪人の姿があった。雅人は流石に着慣れていて違和感が無いし雪人もまぁそこそこなのだが、綾乃は少し服に着られている感じがする。これが着慣れているかそうではないかの差だろう。
 直人は薄く笑って、空いている雅人の向かいのソファに腰を落ち着ける。
「なんか手伝うことねーの?」
「今頃来て何を言ってるんですか」
「すいません」
 直人の変わりに久保が頭を下げる。それに直人はやはり不満そうな顔を隠さなかった。
「しょーがねーだろ。パーティーの打ち合わせがあったんだから」
「結局華は?」
 直人の言葉をさらりと無視した雅人の言葉に、直人がにやりと笑うことで答えた。どうやらうまくいったらしい。雅人もほっとした笑みを向けた。
 これでパーティーの半分は成功したようなものだろうと、安堵の気持ちもある。
「それと、雪人の空手の話はダメですから」
「了解。ところで、そっちの秘書は?」
「ああ、久保はちょっと電話を。――――もう来るでしょう」
 時計の時刻は、高人が来ると言っていた時間間近をさしていた。
 雅人につられて時計を見た綾乃の横顔に、緊張が走る。その綾乃の髪を雅人がそっと撫でた。何も心配する事は無い、私がついていますよ――――と。
 すると綾乃が小さく笑って、雅人を見た。その光景を直人は薄く笑顔を浮かべて見ていた。兄達がうまくやっていることに、直人も少なからず嬉しく思ったのだ。
 その時、音もなく雅人の秘書である久保兄が姿を現した。
「後15分ほどで来られるそうです」
「わかった」
「了解」
 久保(兄)に言葉にそう言う雅人と直人はさながら今から戦闘態勢にでも入るかのような空気を全身に湛えて、直人はにやりと笑い雅人は笑みを消した。




 彼らの到着は、久保(兄)の言葉通り、15分後に門をくぐり玄関を開けた。出迎えたのは当然松岡で、リビングでの一休憩ののちに7時過ぎから南條家のダイニングにおいて、南條高人の誕生パーティーが始まった。
 はじめはありきたりの祝いの言葉で乾杯をして、最初は穏やかな空気が流れ、案外事もなく終わるのではないかと、綾乃と久保が思い始めた矢先。
 食事が始まってまだ40分過ぎた頃だった。
「今回は急な事で、悪かったな」
 高人が直人に向けて言ったその言葉は、パーティーの件とすぐ分かる。
「いや。順調に準備は進んでるよ」
 サクっと雅人の口の中で天ぷらのいい音がする。
「そうか。招待客は揃いそうか」
「ああ、ほぼ大丈夫じゃないかな。何名かは都合がつかないと丁重な電話をいただいたけど」
「まぁ、誰が参加しないのかしら」
 招待されておきながら信じられない、とでも言いたいらしい陽子が口を挟むが、直人はそれをあえて無視して、あまり好きではないカボチャの天ぷらを口に放り込んだ。
「直人さん?」
「まあいいさ。急なことだったのだからしょうがないだろう」
 語尾を上げた途端諌められて、陽子は不服そうな顔を高人に向ける。もちろんここで口ごたえなど、出来るはずも無い。が、穏やかに流れていた空気が止まって、一瞬気まずい空気が全体を漂ってしまった。
 そこへいいタイミングで松岡が次の皿を持って来たので、少しまた空気が変わる。
「そうだ。雪人には新しい服を新調しなくっちゃね」
「僕?」
 いつも以上にとびきり美味しい料理なのに、なんだか美味しく感じられないなぁと思いながらも食べ物に集中していた雪人は、母である陽子にいきなり言われて驚いて顔を上げた。
「そうよ。29日、雪人も出るんだから」
「そうなんだ?」
 直人が少し驚いた瞳を高人に向けた。平日ということもあって、そういえばそこを確認していなかったなと思ったのだ。
「当然でしょ。雪人は息子なのよ」
「私も想定していませんでした。そうなんですか?」
 雅人が高人に確認すると、高人はゆっくり頷いた。
「ああ、そのつもりだ」
「なら言ってほしかったね」
「えー僕も!?」
 雪人が1番驚いた声を上げて、思わず綾乃のほうを見たが、一瞬でそれを逸らした。その仕草に綾乃が、僅かに首を傾げる。
 "綾ちゃんも!?"
 思わず出そうになった言葉を飲み込んだのだ。
「では服はそちらで?」
「ええ」
 雅人の問に陽子はにっこりと笑って頷いた。が、雅人はそっと息を吐き出した。どうせ今はそう言ったところで、後日電話がかかってくるだろう。忙しくて用意出来ないからそちらで頼む、と。第一陽子が雪人のサイズを把握しているはずがない。
 直人は肩を竦めた。
 そんな様子を高人は気にするでもなく、冷酒を一口飲んでから口を開いた。
「今までは雪人がパーティーに出る事はあまり無かったが、今度からは出来る限り出席させる事にする」
 また、一瞬空気が止まった。
 その中で、陽子だけが満足そうにその顔に笑みを刻み、雪人が居心地悪そうに身体を揺すった。
「わかりました」
 高人の言葉は、後継争いの中に雪人も入るのだと宣言したとも取れかねない言葉だったし、事実陽子はそう思ったようだった。ただ、雅人の声は意外なほど淡々としていた。
 その声に綾乃はチラっと雅人の横顔を盗み見たが、残念ながら雅人の顔は完璧なポーカーフェイスを保っていて読み取れないし、直人は面白そうに笑うだけだった。
 もしかしたら、1番その衝撃を受け止めたのは、扉1枚向こうで次の料理をまさに運び入れる寸前、その言葉を聞いた松岡だったのではないだろうか。
「雪人もこれからはもっともっとがんばらなくっちゃね」
「うん」
 陽子の言葉に、綾乃が一瞬痛そうな顔をした。雪人は、もう精一杯がんばってるのに、と。けれど言えるはずも無く、唇をきゅっと結んだ。その横顔が、陽子の瞳に止まる。
「ところで、綾乃君は卒業したらどうするのかしら?」
 その声の棘に、雅人のキツイ視線が陽子に刺さる。
「その事はまだ相談中です」
「あら、まだ先の事を決めて無いの?2年生でしょう」
「すいません」
 綾乃が困ったように謝る。その一瞬、直人の陽子を見る視線さえもまるで見下すような嫌悪するようなものへと、はっきりと変わった。
「まさか大学に――――」
「そのつもりです、私は―――ですが」
 雅人の言葉に陽子が何か言おうと口を開いたそれより先に。
「綾乃の事は私が一任されているはずですが。違いましたか?」
「いや、それでいい」
「あなた」
「綾乃君、雅人と良く相談して決めなさい。君の大事な将来の事なんだからね」
「―――はい。ありがとうございます」
 真っ直ぐに見つめられたその高人の視線が、思いのほか優しいもので言われた綾乃の方が戸惑いを覚えてしまった。
 ―――――こんな、人だっただろうか?
 もっと怖くて冷たい印象があったけれど、もしかしたら雅人たちの話を聞くうちにそんな印象を後付けされたのかもしれない。
「ところで、今日はもう一つ話があったのだが」
 高人は、料理がひと段落して後はご飯・汁物、デザートを残すのみとなった時改めてそう言い、全体を見回した。
「直人」
「はい?」
「お前に縁談の話があるのだが」
 雅人の瞳が真っ直ぐ高人を見た。その瞳は、不信感で彩られていたのだがそれを気づく者はいず、直人はただ不愉快そうに顔を歪めた。
「あなた?」
「お前にはまだ言ってなかったな。お相手は――――」
 その時高人の口から出て来たのは、ある実力政治家の娘の名前だった。
「その人は、次女ですよね?」
「そうだ」
 雅人が不愉快そうに眉を寄せる。
「受ける必要は無いのではないですか?」
 雅人の言葉には、長女ならまだしも次女では断ってしまっても失礼には当たらないだろうという響きを持っていた。
「あら、次女だっていいじゃありませんか。繋がりは出来るんですから」
 一方陽子は、あからさまにほっとした様子でもある。
 そんな外野の言葉を高人は一切無視して、直人を見た。
「お前はどうなんだ?」
「俺?」
「そうだ。もし、長女がいいならそう言えなくも無いと思うぞ」
「あなた・・・っ」
「って、いきなり言われてもね」
 直人が動揺を隠し切れない顔で、思わず高人から視線を外して自分の空いた皿を見つめた。
「次女にするか、長女にするかで異なる意味合いはわかるな?」
「ああ」
「父さん!」
 追い詰めるような高人の言葉に雅人が思わず口を挟む。
「なんだ?」
「この話は絶対受けなきゃいけない類のものですか?」
「いや―――断りたいなら断れるだろう。まだ内々に匂わせているだけの段階だからな。しかし、断るなら早くしないと、この件が少しでも表に出だしたら断れんだろうな」
「ならお断りした方がいいんじゃないかしら」
「何故だ?」
「何故って・・・」
 正面切って問い返されて、陽子は思わず言葉に詰まった。
「良い話だと思うがな、南條家にとっては。―――――後は、直人次第だ」












next   kirinohana    novels    top