直人の恋物語U 13




"良い話だと思うがな、南條家にとっては。―――――後は、直人次第だ"
 その言葉が聞こえてきたとき、松岡は思わず拳を握り締めた。
 ―――――まただ。
 結局この男は、南條家の事しか考えていない――――松岡の中に苦々しい気持ちが大きく広がっていく。それはどうしようもない、憤りと腹立たちさを併発させた。
 しかし。
 悪い話じゃないのも事実だった。もし長女と結婚すれば、それは直人にとって強力な後ろ盾になりえる存在だろうことは間違いない。
「・・・そうだ」
 今の現状、雅人が結婚して子供を作るという事が絶望的な中では、南條家の次をになう可能性は直人にだって十分ある。その上、良縁に恵まれればその可能性はぐっと大きくなり、男の子でも授かれば大きく流れは傾くだろう。
 幸い、雅人と直人の関係は良好である。
 雅人が結婚よりも綾乃を取ったのは自分の意志であり、もしその所為で南條家を継ぐのが直人になった場合でも恨んだり怒ったりせず、協力しあう可能性はかなり高い。
 そう思い直して、松岡の心中には高人への苛立ちが急速にしぼみ、僅かな期待感と高揚感が支配しようとしていた。
 これはもしかしたら、凄いチャンスなのかもしれない。そう思うだけで、松岡らしくもなく指先が震えた。
 ―――――雪人様にだけは・・・・・・っ
 それは、松岡にとってどうしても譲れぬ思いだったのだ。そして、それ以上に1番長く接して慈しんで育ててきた直人に後を継いで欲しい願っていた。
 それがいつしか、夢になっていた。
 そして、知らず知らず夢を通り越していることも。
「お待たせいたしました。デザートです」
 松岡は大きく深呼吸して、デザートを給仕するために一歩足を踏み出した。






 その夜、結局高人と陽子は南條家で寝る事は無く、ホテルへと戻って行った。陽子が、ここに泊まる事を断固として拒否しているからだ。
 が、雅人や直人、雪人に綾乃、久保たちにとっては泊まらないでいてくれたほうがずっと気楽でほっとするので、それだけは陽子を支持していたのだが。
「では、久保さんたちは客間の方にお泊りいただけますか?」
 代わりに、久保兄弟が泊まっていくことになった。時刻も遅くなってしまったし、どうせ明日も一緒に出勤するのだから帰るのも面倒だろうという、雅人と直人の意見で。
「すいません、ご面倒をおかけいたします」
「いえ」
 久保と松岡がそんな会話をしていると、雅人が自分の秘書である久保兄を、話があると部屋へと連れ立って消えてしまった。
 しょうがなく、久保は直人に断ってから先に松岡の案内で部屋へと向かった。正直、かなり疲れていて、早くこの堅苦しい服を脱いでしまいたいという気持ちもあったのだ。
 高人の言葉は久保にも、大きな衝撃を与えたいたから。
「こちらです」
「ありがとうございます」
 部屋は、きっと毎日掃除して空気を入れ替えてあるのだろう、急に泊まる事になったにも関わらず清潔で気持ちの良い状態だった。
「着替えは、簡単なTシャツとパンツですが」
 そう言われてベッドに置かれたそれを見れば、無地のロンTにスェットパンツ、下着だった。たぶん、もしもの時に用意してあるのだろう、全てが新品だった。
 明日用の靴下まで。
「すいません、お借りいたします」
 いたれりつくせりだな、と久保はその準備の良さに圧倒されながらも深々と頭を下げた。
 ―――――ん?
 "では、失礼致します"という松岡の言葉が返って来るだろうと思ってあげた顔を、松岡に黙って見つめられて久保は内心焦りを感じた。
 ―――――なんなんだろう・・・
「・・・あの」
「さっきのお話ですが」
 "何か?"と聞こうとした先手を取られた。
「・・・はい?」
「直人様の、ご結婚の事です」
「ああ、はい」
 久保は、疲れていてまわっていなかった頭の所為か、思わず抜けた返事を返してしまった。その中には、その話題への穏やかになれる気持ちもあったが。
「どうぞ、よろしくお願い致します」
「・・・は?」
 久保の頭に、松岡の言葉が一瞬浸透してこなかった。
 ―――――なにを、言っているだろう、この人・・・
 ひゅっと久保が息を吸い込んだ音がした。
「ですから、直人様の結婚のお話です。立ち聞きしてしまって」
「はい」
「お相手の方は、申し分無い気がしましたし」
「ええ」
 ―――――そう、だけど・・・
「直人様にとって、とても良いお話なのではないかと思いました」
 ―――――・・・なおとさまにとって・・・?
「この様な事に私が口を出すべきではないと重々承知しておりますが、直人様を幼いおりより育ててきたのは私だ、という僅かな自負もございます。直人様には、間違いの無い結婚をして、幸せになっていただきたいのです」
「・・・・・・」
 "はい"とは久保には言えなかった。言えるはずが無く、代わりには沸きあがってきたのは悲しいほどの衝動だった。
「久保様?」
 口を開かない久保に、松岡は怪訝な視線を向けた。
「――――間違いの無い?」
「はい」
「間違いって、なんですか?」
 久保が、ぎゅっと両手を握り締めた。その顔は、悔しさと切なさに歪んで、泣きそうにさえ見えた。
 だってあの人は、貴方がすきなんですよ!!!!
「間違いって、なんなんですか!?」
「久保様・・・」
「直人様は、――――直人様はずーっと心に決めてお好きな人がいます」
 松岡が、ふっと肩の力を抜かして首を横に振る。
「それが間違いなのです」
「どうしてですか!?」
 久保の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
 許せなかった。
「よくそんな酷い事が言えますね!」
 直人の、気持ちを知っているから、許せなかった。
 あの真っ直ぐな想いを、間違いなどと言って欲しくなった。仮にも、松岡の口から。
「直人様がどんな想いであなたをずっと想ってきたか。その気持ちを、そんな風に言うなんて―――」
 その背中を見つめて。
 その視線の先を追い続けてきたから。
「直人様は―――!!」
「久保様!!」
 松岡の顔が、苦渋に歪む。
「私は、直人様が好きですよ――――でもそれは、子供を想う親と同じなのです」
「子供なんですか?」
「――――?」
「直人様は、本当に子供なんですか?」
「・・・そういうものだ、という事です」
「本当は、貴方の子供じゃないんですか?貴方と、五月様の――――」
「黙れ!!」
 初めて聞く、松岡の激しい言葉だった。
「あの方は、そんな人ではない!!―――――――あの方の名前を汚すような事を口にしないで下さい」
 そう言い放つ松岡の暗い瞳を、その初めて見る暗い色を久保は目の当たりにして悟った。
 この人は、とらわれたままなのだと。
「あの方は、全てを犠牲にして――――そして生涯を終えたのです」
 ―――――この人が、直人様のことをそんな風に想う事は、きっと出来ないんだ。
 どれだけ好きでも。どれだけ思っていても。
「南條家のために、生かされた。それなのに―――――」
 久保の瞳から、新たな涙が流れ落ちた。
 直人が可哀相に思えて、目の前の松岡が哀しかった。
「それなのに、雪人様も後継の一人だなんて――――許せない!!」
 ああ、そうなのか、と久保は始めて分かった。
 この人は。
 直人が好きなんじゃない。
 雅人が好きなんじゃない。
「絶対に雪人様が継ぐのだけは、許せない―――っ」
 五月様だけが、好きなんだ。
「陽子の子供が、なんて―――――」
 ギシっと、音がした。
 廊下から。
「――――っ・・・」
 こんな話になるはずじゃなかったのだろう、部屋の扉は開け放たれたままだった。話に気を取られて周りに気を配っていなかったのは松岡らしからぬ失敗だった。
 久保は人の気配に慌てて廊下に出る。
「・・・雪人様―――っ」
 その声に、松岡も慌てて廊下に出た。
 真正面に、視線がぶつかる。雪人は、客間とリビングの間にあるトイレに来たのだろう。そして、聞いてしまった。
「あ・・・」
 雪人の顔が驚きから、どんどん色を失っていく。その表情が、怒りも悲しみも表していないのは、まだ気持ちが追いついていないからだろうか。
 対峙しあったその均衡が崩れたのは、久保の踏み出した一歩だった。弾かれるように雪人が向こうへ走り出した。
「雪人様!」
「雪人様っ」
 久保が追いかけ出して、一歩遅れて松岡が後に続く。
 その激しい足音と声に、リビングにいた直人が顔を出した。
「何事だよ」
「―――直人様」
 ちょうど久保と松岡の行く手を阻む格好になってしまった。雪人は、一人階段を駆け上がる。
「・・・何があった?」
 その様子と2人の顔に尋常じゃないものを感じとった直人が、詰問口調で久保に言う。
「・・・っ」
「久保!」
 久保が視線をさ迷わせ、松岡を見ると、その松岡はうな垂れた様に顔を下に向けていた。その開き直るでもない感じが、久保を迷わせた。
 久保では、松岡の奥深い心理までは到底計り知れない。けれど、もしかしたら口で言うほど―――――そんな思いが久保の脳裏を過ぎる。
 そこへ、音を聞きつけたのか雅人と久保(兄)が階段を降りてきた。
「何事です?」
「雪人様は?」
「綾乃の部屋に入っていった様ですが・・・」
 大きな足音がしたと思ったら、バンっと扉の閉まる音。その行動に何かいつもと違うもの感じたのだが、雅人としても事情がさっぱりわからならなけれどどう対処していいのか分からない。
 それで降りてきてみたのだが。
「どうしたんですか?」
「何があったんだ?」
 久保(兄)が久保に強い視線を向ける。
「―――話を、聞かれてしまいまして」
 2人に迫られて久保が黙り通せるはずもなく、また黙っていてもラチがあかないのはわかりきっていた。
「話?なんの話だ」
 久保はゆっくりと直人のほうへ視線を向けて、――――――――口を開いた。










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