直人の恋物語U 17




「諦めていいんですか?」
 ―――――好きなんでしょう?
「お前さ・・・」
 直人が呆れたような口調で言った。あげた視線が久保とぶつかれば、いい様の無い苛立ちが湧き上がってきた。
 理不尽でも。
「いいのかよ、俺が行っても」
「はい」
 直人の瞳が、挑戦的に光るのとは対照的に久保の瞳の色は、暗く沈んでいった。
 こんな瞳をさせるのは、たぶん自分の所為だと直人の心がきゅっと締め付けられる。
「お前、俺が好きなんじゃねーの?」
「愛してます・・・ずっと」
 ぎゅっと拳を握り締めた仕草が、直人の目の端に止まる。
 ―――――そんなに握り締めたら、手のひらが切れるだろうが。
「だから、貴方には幸せになって欲しいんです」
 ガタっと鳴って、直人が椅子から手を離し久保へと一歩近づいた。
「好きな人と幸せになってもらえるなら、それが1番だから」
「俺はお前がいいって、言わなかったか?」
 ゆっくりと直人と久保の距離が縮まっていく。
「そう言っていただけただけで、嬉しかったです」
「俺はいらねーって?」
 直人の問の、久保がぐっと顎を引いて言葉に詰まった。
 いらない、なんていえるはずが無い。それは嘘でも、言えなかった。だって、ずっずっとずっとずっと、気の遠くなるほど長い間好きだったから。
 いらないなんて、言えない。
 言える筈が無い。それを知っててそんな風に言うなんて、ひどい。
「俺は、お前が欲しいよ」
「―――・・・っ」
「正直に言えばさ、そりゃあ100%はふっきれてねーと思うけど、でもな、気づいたんだよ」
 何を?
「最近お前の事考えてる時間多いなぁって。気にしてるなぁって思ってさ――――多田と2人で飲んでるとか聞いたらすげームカついてさ」
 信じられないとばかりに目を見開く久保の顔を、直人は苦笑を浮かべて見た。けれど、しょうがない。自分でさえ気づかなかった気持ちに、久保が気づくはずが無いのだから。
「そういう事だから、いらないとか言うなよ?」
 直人は、一歩も動けないらしい久保に手を伸ばして、その身体を引き寄せてぎゅっと腕の中に抱いた。
 100%吹っ切れたわけじゃない。
 100%久保だけに向いているわけじゃ、まだない。
 でも今は、それで許して欲しいと思った。もうしばらく、のんびり待って欲しいと思った、それが身勝手だなとは思ったけれど。
 まだ少し、時間が欲しかった。
 とりあえず、パーティーを成功させて、それが何になるわけじゃないけど一つのきっかけにはなるかもしれないと思う。
 そこから、一歩新たに踏み出せるんじゃないかと。
 だからもう少し。
「直人様」
 おずおず背中に回される手に力は無くて、きっと自信なんか全然無いんだろうとわかる。それを、まだきっと解消させてはやてないけれど、でもいつかきっと―――――何故か分からないけれど、それだけは強く直人は思っていた。
 こいつを、幸せに笑わせてやろう。
「やばい・・・」
 ぐっと冗談めかしに久保に体重を乗せた。
「はい?」
「腹減って死にそー」
 直人が脱力気味にそう言うと、久保はくすくすと笑い出した。その声が耳元で聞こえて、こしょばゆい。
「飯にしようぜ」
 明るい声で言うと、久保もにっこりと笑った。
 この手を取って、そのままベッドに押し倒してしまいたいという衝動と同じだけ、そうする事で超えてしまう一線が直人にはまだ怖かった。
 冗談にして、この空気を吹き飛ばす事の不自然さを久保がわかっているとは思っていても。
 もうしばらく、その優しさに甘えさせて欲しかった。




・・・・・・・・・




 それからの数日はパーティーの準備に追われて、それ以外のことなど考えている余裕も奪われて、瞬く間のうちに過ぎて行った。
 そして、素晴らしい華とセッティング、池谷の誰をも唸らせる料理につつがない進行と、招待客のほとんどが出席するという状況の中で、華々しくパーティーは始まりそして、無事終了した。
 高人も満足そうに直人やスタッフたちにねぎらいの言葉をかけてから、用意したスィートルームへと消えていった。
 雅人と直人が言葉を交わしたのは、始まる前に少しと終わってからの"お疲れ様"だけだった。パーティーの最中は2人で会話をするどころではなかったし、終わってしまえば雅人は雪人を連れて、綾乃だけが一人取り残されている南條家へとさっさと帰って行ったのだ。
 直人は直人で、やり遂げた脱力感に支配されて、会場を後にするときにスタッフにかけたねぎらいと感謝の言葉さえあまり憶えていなかった。
 チャイムの音にハッと気づいた時、直人は部屋で一人ぼーっと夜景を見つめていた。窓に映った姿を見れば、着替えてもいず、ネクタイだけを外しシャツはだらしなく脱げかけている。
「シャワー浴びるか・・・」
 ボソっと呟く声にかぶさるように、再びチャイムが鳴らされた。
「ああ、そうだった」
 チャイムが鳴っていたんだなと、直人は椅子から立ち上がった。けれどどうにも、体がシャキっと動かずに緩慢な動きになってしまった。
 だいぶ待たせたか、と直人が扉を開けるとそこに人の姿が無い。
「ん?――――おい、久保!」
 おかしいなと首を伸ばして廊下を見ると、何かを手にしながら立ち去ろうとする久保の背中が見えた。
「直人様。・・・申し訳ありません、もしかして寝てらっしゃいましたか?」
「いや。ちょっとボーっとしてた。悪かったな」
「いえ。パーティーの席ではほとんど何も口にされていなかったので、お腹が減っていらっしゃるのではないかと寿司をお持ちしたのですが」
 久保が手にしていたのは寿司桶だったらしい。
「ああ、さんきゅ。―――入れよ」
「失礼致します」
 電気もまともについていなかった部屋を明るくして、久保は桶をテーブルに置いてからカーテンを閉めた。
 熱いお茶を入れて、直人に差し出す。
「お疲れ様でした」
「ああ、お前も―――お疲れ様」
 いえ、と久保はかすかに首を横に振った。
「やっと終わったな」
「はい」
 パーティー会場で冷えて疲れた身体に、熱いお茶がゆっくりと染み渡る。熱い茶が美味いと感じるようになったのは、つい最近の事だ。それだけ大人になったのだろうか、とふと思って唇を上げた。
「お前は?」
「はい?」
「なんか食ったか?」
 パーティー会場で食べれなかったのは、久保も同じだ。
「私は、ちょこちょこつまんでましたので」
「嘘つけ。ちゃんと食えよ。なんか頼んだらどうだ?」
 そう言って直人は電話を軽く見るが、久保はあいまいに笑っただけだった。良く見れば、座ろうともしていない。
「まだ、後片付けなどがありますので」
「そんなの任せて、休めよ」
「はい」
 笑みを浮かべたまま頷くその姿に、どうもいう事を聞く気が無いなぁと直人はため息をつく。自分以上に動き回っていたはずだ。倒れなければいいけど。
「俺はシャワーを浴びて、これ食って寝るぜ」
「そうしてください。では―――」
 久保は一礼してから、ドアのほうへ向かって歩き出した。ピンと伸びた背中はいつもと変わらない様に見えるけれど、それが強がっているのだろうと直人にはなんとなく分かった。
 直人も立ち上がって、浴室への扉に手をかけた。
 久保はちょうど、ドアへ手を伸ばしたところ。
「明日」
 ビクっと久保の背中が揺れる。
「夕方ぐらいから消えてもいいか?」
「大丈夫です」
 久保は、振り返らなかった。
「2〜3日で戻る」
「わかりました」
 直人は小さく頷いて、そのままシャワーを浴びるために部屋を後にした。
 久保の背中を抱きしめてやりたいと思った。それは昔、松岡に思った感情と似ているようで違う。こっちを向いて欲しかったあの頃と違って、ただアイツを守ってやりたいと思った。幸せにしてやりたい、笑わせていたい。
 だから今は、その身体を抱きしめてはいけないと思ったのだ。まだ自分にはその資格は、無い。
 それだけは、間違っちゃいけないから。










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