直人の恋物語U 2
事件―――と呼ぶには少し種類が違うかもしれないが、平穏に見えた日常に漣を立てる出来事が起こったのはそれから二日後の事だった。 「え―――あの、どちら様ですか?」 多田は突然秘書室に現れた、彼の目から見てどうも堅気っぽくないような威圧感を漂わせた若い男と、その男に半歩下がって付いてくる、なんとなく見覚えのあるような顔付きの男2人組みに、少々ビビりながら声をかけた。 今日も秘書室には多田しかいない。後ろにあるのは社長室で、面会の予定などまったく聞いていなかった。 「・・・君は?」 「俺は多田といいます。―――あの」 「新人ですね」 「その様だな」 2人は、彼らだけで納得したように言い合いって、多田の横をすり抜けて行く。 「ちょ、ちょっと待ってください。勝手に―――」 その時、ガチャリと扉が開いて。 「どうした・・・――――雅人様!」 外の声に気づいた久保が顔を出すと、ここへは滅多に来る事の無い雅人と秘書であり兄であるその姿があった。 「こんにちは」 「ご無沙汰しております。あ、どうぞ」 「失礼します」 来訪を久保も聞いていなかったのか、驚きを隠せない表情のまま一歩退いて道を開けた。久保でさえ、久しぶりに見る雅人の空気には一瞬気おされるものを感じてしまう。 「兄貴!?」 「久しぶりですね」 浅く腰掛けていた直人は驚きにガタっと椅子を鳴らす、その音を聞きながら久保は静かに扉を閉めて外に出る。 ―――――珈琲でいいよな・・・ 「あの久保さん、今の人」 「ああ、直人様のお兄様とその秘書の方です」 「え、社長の!?」 「はい」 久保はそれだけ言うと、せわしくない給湯室へと姿を消す。その後を多田も追いかけた。 「お茶ですか?」 「お茶・・・やはりお茶の方がいいか」 「え?」 多田の言葉に珈琲豆に手を伸ばしていた久保の動きが止まる。やはり、まだ午前中だし珈琲よりもお茶のほうが一般的だろうか。 「あ・・・いや。うん、そうだね。お茶にするよ」 久保はそう思いなおして、棚の上に置いてある高級茶に手を伸ばした。普段珈琲派な直人にはあまり出す事はなく、主に客用となっているそれは、こういう時こそ使うべきなのかもしれない。 「茶菓子なんて無いよなぁ・・・」 「茶菓子ですか?」 「そう」 普段は急な来訪用にと用意してあるのだが、最近そんな客も無くて勿体無いかと買っていなかったのだ。それがなんとも悔やまれる。 「はぁー・・・」 ―――――やだなぁ・・・兄さんに小言言われそうだ。 「久保さん?あの、俺なんか買ってきましょうか?和花に何かあると思うんで」 "和花"それはホテル内にある和カフェだ。確かにあそこなら和菓子があるに違いない。なんでその発想に至らなかったのか。 「そうだね、頼むよ」 「了解です」 多田はそう言うと、給湯室から駆け出していった。 その背中を見送って、久保はほっと息を吐く。 ―――――雇って良かった。 そう思ってクスっと笑みを漏らしてしまった。こんな事でそんな風に思うのは、少し可哀相だよな、と思い直しながらも。 実際積み上げられっぱなしになっていて資料も、多田の整理のおかげで見やすくなった。背表紙にちゃんと何の資料か明記して、中身の整理まできっちりしてる仕事ぶりは感心出来る。 雇った決め手は、面接の時の元気良さと体力のありそうなところだったんだけど。 ――――なんて言ったら、やっぱまずいだろうな。 久保がそんな事を取り留めなく考えていると、目の前のお湯がいい具合に冷めて来た。それをゆっくりと急須に注ぐ。 とりあえず4つの湯飲みを用意して。タイミングを見計らってゆっくりと注いだ。お茶の良い香りが漂ってくる。 そこへバタバタと足音がしてきた。 ―――――まぁ、今日はしょうがないか。 あんな足音をたててホテル内を走るのは従業員にあるまじき行為だけれど、今日ばかりはそれを咎めたてる事は出来ないだろう。 「お待たせしました」 「ううん、ちょうどのタイミングだよ。ありがとう」 久保はそう言って、嬉しそうに笑った。 その顔に一瞬、多田は目を奪われる。けれど久保はそんなことには気づきもしないで、和菓子を盛って、盆に並べて社長室へと入った。 「お待たせしました」 「いえ」 中ではソファに向かい合う2人とその傍らに立つ、久保(兄)の姿があった。 ―――――あーっと、お茶どこに置こう。 直人と雅人の分はいいが、立っている兄の分をどこに置いていいのやら久保が視線をさまよわせると、直人が久保(兄)に視線を向けて。 「座れば?」 その言葉に雅人を見れば、雅人も視線で促した。それを受けて久保(兄)が座ると久保はその前に茶を置き、自分も直人の横に腰をかけた。 「ああ、いいお茶ですね」 「俺は茶より珈琲がいいけどなぁ」 「珈琲ばかり飲んでると胃によくありませんよ」 「気をつけます」 直人への注意に久保が神妙に答えれば、 「気をつけなくていい」 直人が嫌そうに声を上げ、それに雅人は笑みを零した。 ―――――仲、いいよなぁ。 久保は二人の会話とその横顔を盗み見ながらそう改めて思った。世間に目を向ければ、こういう家では兄弟という立場から跡目争いを繰り広げ憎みあう場合も多いのに。 「で、何の用?」 「ああ」 本題を切り出さない雅人に、直人が促した。 「電話じゃあダメなほどの用件なわけだ?」 「そうですね」 雅人はそう言って、苦笑ともため息とも付かないものを吐き出した。 「今朝1番で、父から電話がありまして」 その言葉に直人の眉が寄る。 「今月末、55歳になるのは知ってますよね」 「まあ、一応」 「誕生パーティーを開きたいそうです」 「はぁ!?」 雅人の言葉に直人は明らかに不機嫌そうな声を出し、久保の驚きに目を見開いた。今まで、高人はそういう事は嫌いで、よほどでないと開いたりしない人だったのだ。 「なんでまた」 「キリのいい数字だし、還暦までのカウントダウンだそうです」 「意味わかんねー」 「私にそう言われても困ります」 雅人とて、朝一番にその電話を受けてそう思ったのだ。もちろんそれを口にしたりはしなかったが。 「9月29日の誕生日に、ここの会場でという指定なんですが」 その言葉に久保はさっと立ち上がって社長室を出た。スケジュールを確認するためだ。 「んでまた、いきなり・・・」 直人は苛立ちを交えた声でそう呟いた。 「めんどくせーっ!」 「その言葉を否定はしませんけどね」 雅人も深いため息を吐き出す。2人ともさっきより数センチソファに沈んでしまって見えるのは、その心の重さの所為か。 そこへ久保が戻って来た。 「あの、高人様はどれくらいの規模を想定されてるんでしょうか?」 「さぁそこまではまだ聞いてませんが」 「・・・29日は1番大きなホールしか空きが無いんです。第2ホールは政治家の方のパーティーが入ってまして。第3ホールは作家の方の何か祝い事が、という事で。まぁ、こちらは小さなホールですからどちらにしてもだめでしょうが」 「なるほど」 「急なんだし、しょうがねーよ。こっちは予定埋めてくしなぁ」 「そうですね。では、とりあえずそのホールは押さえておいてください。人数などはもう1度こちらで打ち合わせしてみてまた連絡いたします」 「お願い致します」 「そのパーティーの準備ってこっちがやんの?」 「はい」 「っだよそれ。てめぇのパーティーだろうが。てめぇでやれよ!」 「直人様っ」 「直人。・・・気持ちはわかりますが・・・」 言葉が悪すぎますよ、と苦笑を漏らしながら雅人がたしなめる。その笑顔も、どこかしょうがないですね、という意を含んではいるけれど。 「雅人様」 久保(兄)が視線で何かを促す。 「んだよ?」 「実は・・・父からの用件はもうひとつ」 「まだあんの!?」 これには久保もすっと息を飲んだ。普段からあまりこちらの事に口を出しても来ないし、業績が悪化でもしない限り関心さえも無いのかもしれないと思っていただけに、意外だった。 「私たちにも、祝って欲しいそうです」 「は?」 「え?」 思わず久保も、声を出してしまった。 「大きなパーティー以外に、家族でもささやかなパーティーをして欲しいと」 「嘘だろ?」 「残念ながら」 「何それ」 「家で家族に祝われたいそうです」 「・・・っざけんな!あんのクソ親父」 直人はまさに吐き捨てるように言った。 何が祝って欲しいだ。てめぇが1回でも家族の誕生パーティーを率先して開いた事があったのかよ。 言葉にしなかった直人の気持ちは、3人には痛いほどわかった。高人は決してそういう父親らしい面を見せる人では無かった。 そういう時、家にいたのは母と松岡。そして母が亡くなってからは、松岡だけだった。彼だけが、心から雅人の、そして直人の誕生を祝ってくれたのだ。 「仕事のうち、そう思うしかありませんよ。松岡には一応電話で伝えておきました」 「―――なんか、言ってた?」 ハッと雅人の顔を見る直人の横顔を、久保は見つめた。見つめるしか出来ず、その顔をまた兄は見つめていた。 「わかりました、とだけ。家でのパーティーは1週間早く祝日にもあたる23日に開く事になります」 「祝う気持ちも無いパーティーを、わざわざ祝日にね」 直人はそう言って、忌々しげに視線を外へと向けた。雅人に何の罪がなくても、このことを告げに来た雅人に当たるしか方法が無い様に。 雅人もそれはわかっているのだろう、何も言わずその視線を久保に向けた。 「?」 「貴方にも参加していただく事になります」 「え?」 「和樹、高人社長は私たちも参加を希望されてるんだよ」 「・・・まじ?」 直人の視線が再び雅人に戻って、今度は久保に向けられる。その視線を久保は正面から受け止めた。そこには戸惑いと、高人に対する不信感が見て取れた。 こんな風にまっすぐ視線が合うのは、久しぶりなのかもしれない。 関係の無いそんな事をぼんやりと思いながら、久保はゆっくりと雅人の言葉を、飲み込んでいった。 |