直人の恋物語U 3
雅人と久保(兄)が帰った後の直人は、まさに不機嫌の極みだった。それはもう、慣れている者でさえ一歩引かずにはいられない程に。 そんな直人を、触らぬ神に祟り無しとばかりに社長室に放っておいて。 「とりあえず、誰を呼ぶか・・・」 リストアップはこちらでしておかなければならないのだろうと、久保は一人言葉を零す。 ―――――前回パーティーをした時の資料が・・・ 確かあの時は、桐乃華学園創立何十周年かのパーティーだったはず、と久保が資料の棚に目を向ける。 「ええっと・・・」 「何捜してます?」 「え、ああ――――ああ、多田君」 たった今までそこにその存在があったことを久保はすっかり失念していたようだ。本気で一瞬驚いて、ああそうだったと思い出す。 「えっとね、前の南條家のパーティーの」 「パーティーならこっちのファイルで、一応固まりずつ纏めたはず。・・・南條、南條、・・・あ、これですか?」 そこには過去、このホテルで開かれたパーティーの類をあいうえお順にきっちり纏められていた。 「ああ、凄いね。ありがとう」 それを見れば、前に開かれたパーティーなども一覧でわかるようになっていた。そこには、著名人から社長会長政治家、芸術家などその世界でトップで活躍している人たちばかりの名前がズラリと並んでいる。 「はぁ・・・」 「あ、なんか間違ってました?」 「え、ああ、ううん。そうじゃないよ、ごめん」 「いえ。あの、じゃあ何か?」 久保はそのファイルを机に上に置く。ファイルの重さを実際以上に感じてしまうのは、たぶん心持ちの所為だろう。 「いや―――大丈夫」 多田の顔を見て、愚痴ってしまいたい気もしないでもないが、まさか新人秘書相手にそれが許されるわけもなく、久保は吐き出すことの出来ない気持ちを無理矢理飲み込んで笑みを浮かべた。 「こっちはいいから、仕事に戻って」 「はい」 久保はそういい付けて、自分は気を取り直してファイルに目を落とした。 誕生パーティーという趣旨から考えても、親しい人がメインにはなるだろうが当然それだけで言いはずもなく、来ないとわかっていても招待状くらいは出しておかねばならない先生もいるだろう。 料理などは、再度意見を伺って、人数も決めてからで―――趣向はいつも通りでいいのだろうか、それとももう少し拘った方がいいのか、どこまで大掛かりにするつもりなのだろうか。 ―――――はぁ・・・出来れば直人様から高人様に伺ってくださるといいんだけど。 それは今のところ無理っぽいので諦める事にするしか無い。とりあえず、窓口は雅人になるのだろうと思って、窺っておいた方が良い事を書き出しておくことにしようと、考える。 しかし、気を抜くとペンが止まっていた。 押し留めておこうとしても、やはりその疑問は久保の心の中で頭をもたげてしまうのだ。 「どうして私も・・・」 思わず吐き出した小さな呟きは、多田にも届かず空気に溶けた。 ・・・・・・ 一方、その夜雅人は、高人のパーティーの事を告げる為に夕食に間に合うよう帰宅した。それでも時間はギリギリになってしまったが。 「お帰りなさいませ」 玄関で出迎えたのは、いつもと変わらない顔色の松岡だった。こんな事で動揺を顔に出したりするほどやわでは無いのだろう。 「2人は?」 「今―――」 松岡がそう言って階段のほうへ視線を向けるとちょうど2人が部屋から出て来たのだろう、足音がして階段を降りてきた。 「雅人さん!?うわぁ、今日は早いね?」 「雅人兄様だーっ」 2人の率直なその驚いた顔に、雅人はいかに平日夕飯の時間に帰って来ていないかを思い知らされて軽く自己嫌悪に陥る。 「ただいま帰りました。夕飯には間に合いそうですね」 「ちょうど今からだよー」 「さ、お2人は手を洗って待っていてください」 「私もすぐに行きます」 「はーい」 ご飯と、雅人がいるという事で雪人は二重に嬉しいのだろう、声が随分弾んでいる。その声に、雅人は今から言わなければならない事を思い少し心苦しくなって、人知れずため息をつきそうになって視線を上げると、綾乃と視線が絡まった。 少し心配そうな怪訝な、気遣う甘い視線。 「――――」 それはほんの僅かな時間だったけれど、それだけで雅人のため息は引っ込んで、代わりに幸せな気持ちが心に満ちた。 いつかは言わなければならない事なのだから。そう思い直して、雅人は急いでスーツからラフなものへと着替えを済ませ、階下へと降りていった。 当然、待たれている夕食。 「お待たせしました」 「ううん」 雅人が自分の椅子に座ると、雪人が元気良く"いただきます!"を告げた。 今日の夕飯の献立は、3人と言う人数なので、肉団子の甘酢あん、春雨サラダ、玉子スープに、五目炒め等中華風の大皿料理が目立つ。確かに二人で大皿料理はあまり出来ないからだろう。 雅人はそれらを少しずつ皿に取り、酒のあてにしているが、目の前の2人はどんどんご飯が進んでいる。 やはり育ち盛りなんだなぁと雅人は微笑ましく思い、美味しそうに、無邪気に食べるその2人の姿を見ていると、何があってもこの笑顔だけは守ってやりたいという強い気持ちが湧き立ってきた。 その雅人の耳に、2人の会話が流れ込んでくる。 「じゃあ、綾ちゃんのクラス今年はクレープ屋さんなんだ?」 ―――――ああ、そういえばあさってくらいには一覧を貰う話でしたね。 雅人は先日薫から受けた報告の事をぼんやり思い出す。 「そ。かっこいい格好して、女の子にクレープ売りまくってモテまくろーだって」 そう言って、綾乃はしょうがないでしょ?とばかりにクスクス笑う。 「・・・初耳です」 ―――――かっこいい格好して、女の子にクレープ売りまくってモテまくろー!? 「だって、今日決まったもん」 ―――――却下にしてやりますっ 思わずそう思ってみても実際却下できるハズは無いのだが。 「綾乃は何をするんです?」 「んーどうかなぁ。クレープを僕が焼けるとは思えないし…わかんない」 まぁ、確かに綾乃の料理の腕ではクレープを焦がさず焼くというのは、かなり難しい気がしないでもない。という事は店頭には立たないので安心だろうか… 「僕も遊びに行っていい?」 「もちろんっ」 雪人も、"綾ちゃんが焼いたの食べたい"とは言い出さない。やはり去年の事を覚えているのだろう。 ――――それにしても・・・ 雪人が行くという事は、ある種女の子たちに対して牽制してくれるかもしれないな、と雅人は思ってみる。まさか自分が延々ついて歩くわけにもいかないわけだし。 出来ればそうしたいのは山々なのだが。 去年は―――― 雅人は一瞬去年の事を思い出しそうになって、慌ててその記憶を封印した。なんだかまた怒りが湧き上がってきそうである。 「ぱあー、お腹いっぱい!」 雅人が、過去の記憶に苦しめられそうな瀬戸際で一人格闘しようとしていると、雪人の満足そうな声が聞こえた。 ふっと見てみると、確かに料理の大半が片付けられている。 「僕も、ご馳走様でした」 雪人に続いて、自分の玉子スープを飲み干した綾乃がそう言って。 「もうですか?」 「もうって、いっぱい食べたよー。雅人さん、飲んでばっかりで食べてないじゃん」 綾乃がちょっと怒った顔を作って言う。雅人の酒の量を心配しているのだろう。 「綾乃様のご意見が正しいです」 松岡もきっちり便乗して、大皿に残った料理を新しい皿に綺麗に盛りつけて、雅人の分と雅人の前に置く。 「わかりました。お酒は止めて食事にしましょう」 これには雅人も降参らしい。右手の酒のグラスを置いて、箸に持ち替えご飯を食べ出した。 「ところで、2人に話があるのですが」 雅人は食事をしながら、軽い口調で切り出した。 2人が食べ終わる時を雅人は待っていたのだ。 「話?」 綾乃と雪人の前の皿は片付けられ、今はお茶と梨が乗っている。 「雪人、今月29日が父の誕生日なのは知ってますね?」 「お父様の?うん・・・」 普段滅多に話題に上ることの無いその人の名前が突然出て、雪人はちょっと戸惑ったように返事をした。 「父は今年55歳になるのですが」 「うん」 「その誕生パーティーを開きたいと連絡がありまして」 雪人と綾乃は、きょとんとした顔をしている。まだ意味がよくわかっていないのだろう。 「ホテルで、対外的なものも開く予定なのですが、ここで家族ともそういう場を持ちたいと」 「あ・・・」 綾乃の方が、雪人より早く意味を理解したのか、小さな声を漏らす。もちろん綾乃と雪人とでは立場がまったく違うので、感じ方が違うのだろう。 「それってみんなでパーティーするってこと?」 「そうです」 「そうなんだ。うん、わかった」 なんだそれだけか、と雪人が元気に返事をする。その胸中を今この場で雅人も綾乃も知る事は出来なかった。 ただ、大人が思ってるほど気を重くしたりしないでいてくれているなら、それが1番いいのだけれどと思っていた。 「パーティーは23日の予定ですから、その日の予定は空けておいてください」 「はーい」 「わかりました」 気軽に返事した雪人とは対照的に、綾乃は少し困った様な服雑な顔をしていた。 それは雅人も当然わかっていたが、それを今口にする事はなかったし、また綾乃もその気は無かった。 「話は以上です」 雅人はそう言うと、ちょうど食事を終えた。なんとなく、気が重いままに食事をしてしまったので、食べたような食べなかったような微妙な胃具合になりながら。 それでもとりあえず、ほっとはしていたが。 「今日は宿題は済んだのですか?」 「まだ」 「これからです」 「では、部屋でがんばって済ませてくださいね。私は少し松岡と打ち合わせがありますので」 雅人の笑顔の言葉に、綾乃の元気な返事と雪人のちょっと嫌そうな返事が返った。 |