直人の恋物語U 4




 2人の遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなってから、雅人は松岡を見た。
 その視線は決して優しいものでも穏やかなものでも無かった。
「23日は、全員参加されるんですね?」
 口を切ったのは、雅人ではなく松岡の方だった。そこには、事務的な響きしか込められてはいないが。
「そうです。昼間電話で話したとおり、父、陽子さん、私、直人、雪人、久保が兄弟で。あと、綾乃です」
 松岡は雅人の前の皿を片付けて、2人と同様に梨を出す。雅人はそれを一つ、取った。
「高人様の指定なんですね?」
 パキンと、小気味良い音がする。
「久保はそうです。綾乃は・・・特に言われていませんが、外すのもおかしいでしょうし」
 雅人にはそのつもりも無かったし変えるつもりも無かった。それがどう転ぶかはわからないが、綾乃には知ってもらう為にも出席させるつもりだった。
 知りたい、そう言ったのは綾乃の方だ。言質を取った様にずるくそう、自分に言い聞かせて。
「お料理は」
「お任せます。私にはわからないですから」
「――――もし電話がありましたら、希望を伺っていただけますか?」
 せめて、日本食か中華か、フレンチなのかそこら辺だけでも聞いておきたい。確か、高人は和食の人間だが、陽子はフレンチが好きなはずだったと思う。
「わかりました」
「お願い致します」
「珈琲をいただけますか?」
 雅人は用件は済んだと、部屋に持って行くための珈琲を頼む。
「はい」
 松岡は言われるままに、珈琲の準備をする。その合間、最後の梨を雅人は口にした。松岡が何か言いたげなのは雅人にはわかっていたが、それをこちらから聞く気にはなれなかったのだ。むしろ出来れば、そのまま黙っていて欲しいと思っていた。
 しかし。
「雅人様」
「なんです?」
「このパーティーには何か意味があるのでしょうか?」
「わかりません。あの人はいつもなんでも突然ですからね」
 雅人は梨が無くなって空いた皿を、カウンタに置く。
 その雅人を松岡は見た。雅人が本当に何も知らないのか、それを見極めたいと、その気持ちを隠す事も出来ずに見つめた。
「松岡」
「はい」
 香り立つ珈琲がカウンタに置かれる。
「もし何かあったとしても」
 ブラックでの飲みたい雅人はそれを持ち上げた。今はその苦さが必要だった。
「貴方が口を挟む事ではありません」
 出来れば、言いたくなかったその言葉を雅人は口にして、念を押すように松岡を見た。
 父の存在の無かったこの家で、松岡が父であり続けた事も、母がいなくなってからはその役目もしようとしたことも、母の残したこの場所に、つねに美味しい食事と快適な空間を保ち続けようと努力した事も何かも知っている。
 感謝している。
 直人ほど純真に、好きだといえなくても感謝はしている。
 けれど。
「では」
 雅人はそのまま松岡に背中を向けた。
 雅人は知っているのだ。直人が思い描くほど、松岡は清廉でも潔白でも無い事を。その内に宿る、高人への、陽子へのどうしようもないほどの暗い思い。憎しみが渦巻いている事も。
 南條家の、少しでも多くを直人が手にして欲しいと願って止まない事も。
 そしてその気持ちが、直人が松岡に向ける気持ちとは、違う事も。

 いつか、わかりあえる日がくればいいと、雅人は今はそれを願う事しか出来ない―――――――



 重い気持ちのまま、早く帰るために持ち帰った仕事を消化していた雅人の部屋の扉がノックされたのは、10時を少し回ったところだった。
「はい?」
 一瞬雅人の胸を、松岡だろうか?という気持ちが過ぎる。
 が、それは嬉しい形で裏切られた。
「綾乃」
「・・・お仕事?」
「いえ。暇だったので少し」
 そう言って、手にした書類をさっさと手放してしまう雅人に綾乃が苦笑を漏らす。
「嘘ばっかり。仕事でしょ?」
「急ぎではないだけですよ。――――お風呂上りですか?」
 少し赤らんだ頬に乾ききっていない髪を見て、雅人が言う。
「うん。雅人さんはまだ入らないの?」
 そう言いながら近寄ってきた綾乃を雅人は腕を伸ばして引き寄せて、足の上に乗せる。すると、その温かさが服を通り越して肌に伝わってくる。
「もう少ししたら入ります。―――暖かいですね」
「ちょっとのぼせる位入っちゃったよ」
「どうしてです?」
 そう言いながら綾乃が手にしていたスポーツドリンクに目を止めて、それを机の上に置いた。
「んー・・・、色々考えちゃって」
「色々?」
「そ、色々」
 綾乃はそう言って立ち上がって、ベッドに腰掛ける。と、そのまま後ろに倒れこむように上体を寝かせた。
 どうやら本当にのぼせているらしい。
「色々とはなんでしょう?」
 雅人はその隣に腰掛けて、綾乃の顔を覗き込む。
 色々の中身がわからないわけではないが、言わせないとしょうがない。
「んー・・・、んー・・・っと」
「はい」
「・・・さっきのさっ、言ってたパーティー。僕も出席するんだよね?」
「そのつもりですが?」
 やはりその話だったかと、雅人は内心ほっとした。言わないで、一人で悩まれるようにこうやって来てくれるのは、ある意味進歩だと思えるから。
「嫌ですか?」
「嫌とかじゃないよ。でも、僕がいてもいいのかなって思って」
「もちろんです」
「そう?」
「家族ですから」
 サラっと当然の様に告げた言葉に、綾乃の顔がさらに赤みが差す。
「そ・・・っ、それは雅人さんとかはそう思ってくれてるってだけで」
「でも、家族でしょう?まだ、パートナーですと紹介するのはちょっと早いですが」
「っ!!雅人さん!?」
「違うんですか?」
 うっと言葉に詰まった綾乃に、少し追い詰めすぎたかと雅人は内心焦る。が、否定するのもおかしな話である。
「違わないけどさ・・・」
「雪人も、綾乃がいてくれたほうがいいと思いましたし。秘書の久保、知ってるでしょう?」
「うん」
「彼らも今回参加するのですから。綾乃がいたって問題ありませんよ」
 "違わないけどさ・・・"の、その間を少し寂しく思わないでもなかったけれど、雅人はそれに言及はしなかった。まだきっと、それは出来ないとわかっているから。
「お願いします」
「うん。――――あ、それでさ」
「はい?」
「誕生パーティーって言うからには何か用意したほうがいいのかな?」
「何か?」
「プレゼント」
 綾乃の言葉に今度は逆に雅人が一瞬言葉に詰まってしまった。正直、自分があの父に何かをあげるなど、想像したことが無かったのだ。
「いりませんよ」
 欲しいものがあるなら、全部自分で手に入れてきた人だ。
「そう、なの?」
「はい。どうせあの人の欲しいものなど、会社の成功とか、ライバル会社のスキャンダルとか、そんなものですよ。手に入るはずが無い」
 笑いながら言う雅人の言葉が、その表情よりもずっとずっと苦く感じるのは何故だろう。綾乃はぼんやりと、雅人を見上げた。
「言われたとおり、パーティーを行って、それがあの人の満足のいくものになっていればそれでいいんですよ」
 それだけでいいんです、と。怒るわけでも呆れるわけでも、憤ってるわけでもなく、ただ当たり前の様に言う雅人が、少し悲しいと綾乃は思った。
 "傍にいてくれさえすればいい"
 そう言って苦しそうな顔をした人とは、同じだとは思えないな・・・・・・
 綾乃はそっと手を伸ばして、醒めた雅人の頬に触れた。
「綾乃?」
 ―――――傍にいるって、こういう事なのかな・・・
 一人で立って見える雅人の横に、ただ自分はいてあげられればいいのかもしれない。雅人も、それを望んでるのかもしれない。
「キス・・・、しよ?」
 少し、南條家ってものを、重く考えすぎてるのかもしれない。
 だって目の前の雅人は、こんなにも普通で。
「んん・・・、ふぁ・・・、っ・・・」
 いきなりの深いキス。
 そのキス受け止めていると、腰に雅人の腕が回されるのを感じた。ぎゅっと抱かれる。綾乃はそれに答えるように、雅人の首に腕を絡めた。
「綾乃・・・」
 そこし熱を帯びたその声に綾乃はゆっくりと微笑んだ。
 好きだよ、って気持ちを込めて。
 それはどうやら雅人にしっかり届いたらしい。

 ギシっとベッドが鳴って、雅人が乗り上げた分"重いぞ"と聞き入れられるはずのない抗議の音を上げた。












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