直人の恋物語U 6




 その夕食は、9時という時間を考慮してホテル内の寿司屋に頼んだ。仕入れたネタ分がだいぶ売れてしまった後で、そんなにたいしたものが残ってませんよ、という事だったが、その分一工夫された桶の中は、十分満足できるものだった。
 その寿司が半分以上、胃袋に消えてしまったころ。
「明日朝一番でリストを上げますんで」
「―――久保」
「なんです?」
 寿司と一緒に頼んだ冷酒に直人が口を付けるのを、久保は少し渋い顔で見つめている。
「仕事の話はやめろ」
「・・・はい」
 しょうがないな、と笑みを零すのを今度は直人が不機嫌そうに見る。
 ソファにだらしなく座り、片膝を上げた状態はどう見てもお行儀が良いとはいえないものだが、久保はそれに苦言を述べる事はしなかった。
 一瞬、室内に沈黙が流れる。
「――――俺の休み・・・」
「ああ、そうでしたね。このパーティーが無事終わったらおとりください」
「どんどんズレてくな――――お前は?」
 2合入りの冷酒瓶が、空になった。
「私、ですか?」
「休暇。取らねーの?」
「そうですね・・・。あまり考えていませんが。三浦君が出張から戻れるようなら取るかもしれません」
 久保の桶が、空になった。
「ふーん」
 赤出汁の入っていた椀も、空く。
「直人様、お酒はそれでお終いですよ」
「わかってるよ」
 るせーやつだ、とぶつぶつ呟きながら、桶に残った寿司を口に運ぶ。時間は既に11時近くを示していた。
 久保は、酒の変わりに熱い茶を入れる。
「そういえば、今年は文化祭、見に行かれるんですか?」
「いつだっけ?」
 最後の紫蘇巻きを口に放り込みながら言う。
「10月の3連休の日と記憶してますが」
「そ、っか」
 直人が、去年の事をはるか遠い昔の事を思い出すような瞳の色で、遠くを見た。
 そういえば、長い間綾乃の顔も、雪人の顔も、見ていないな。
「まぁー、そん時行けそうならな」
「わかりました」
 その返事に、あまり乗り気でない事を悟った久保はそれ以上は言葉を続けず、空になった桶と赤出汁の椀を重ねる。
「では、私はこれで失礼します」
「ああ・・・」
 食べたものを片付ける久保を横目でちらっと見ながら、直人は気の無い返事を返した。腹が膨れた所為か、急速に眠気が襲い掛かってくる。
 とにかく、疲れていた。
「直人様、寝るならちゃんとベッドに行ってくださいね?」
「わーってるよ」
 そう返事を返すも、本当にそうする気があるのか。久保も心配なのだろう、眉を寄せる。けれどその腕に手をかけ、立たせようとはしなかった。
 出来なかった。
 出来ない。
「では、――――おやすみなさい」
「んー」
 目は合わせない。肩越しに返事をする直人と、その直人にそっと視線を向けて――――そのまま視線を外した久保。
 扉は静かに、閉じられた。




・・・・・・・




「え、雅人さん!?」
 8日の金曜日、綾乃が学校から帰ってくるとダイニングには雅人の姿があった。
「おかえりなさい」
「おかえりなさいませ。すいみません、気づきませんでした」
「いえ・・・」
 良く見ると、テーブルの上には何枚かの紙と、いくつかの料理が乗っていた。
「あ、もしかしてお仕事中?」
「ええ。今度のパーティーの打ち合わせにね」
「そうなんだ。あ、ごめんなさい。邪魔しちゃったね」
 そうだったのかと、話の腰を折ってしまったらしいことに詫びて綾乃が一歩下がると、その背中に何かがドンとぶつかった。
「雪人。ただいま」
「おかえりーっ」
 ちょっとほっとしたような顔に、綾乃はにっこりと笑う。
「部屋にいたんだ?」
「うん」
「じゃあ僕も着替えてくるかな」
 綾乃はまだ制服姿のままの自分を見て言う。玄関にあった靴を見て、雅人がいるのかと綾乃は綾乃で慌ててしまったのだ。
 想像したような、期待したようなくつろいだ雅人の姿はそこには無かったけれど。
「僕もついてっていい?」
「雪人」
 "いいよ"そう言おうとした合間、雅人の声が挟まった。
「なに?」
「それなら申し訳ないですが、おやつを運んでください。松岡は手が離せない様なので」
「あ、はーい」
「では、直ぐ準備を」
 松岡は手にしていたペンを置いて、キッチンへと立つ。
「綾乃。着替えてらっしゃい。雪人に運んで貰いますから」
 そう綾乃に言う雅人の顔を綾乃は見つめて、もうっと苦笑を浮かべた。なんとなーく、雅人がどうしたかったのかが、わかってしまったから。
「じゃあ先行ってるね」
 綾乃は雪人にそう言って、自室へと急いで戻った。さっさと着替えてしまわないと、雅人の画策が無駄になってしまうから。
 ―――――どうして変なとこで心配すんだろ。
 綾乃からしてみれば、いらぬ画策であったとしても。
 けれど雅人の意図は分かっていたので、無にならぬようにと素早く着替えて、疲れたーと小さなソファに腰を下ろして伸びをしていると、雪人がやってきた。
「今日のおやつはマロンパーイ」
「わぁ、美味しそう」
 秋を意識してるのか、最近のおやつは栗や梨が多い。その中で今日はマロンパイになったらしい。少し焼かれなおされたそれは、ほんわり暖かくて皮はぱりぱりになっていた。
「雪人のは?」
「僕はもう食べちゃった」
 そう言って、ミルクティーをゴクっと飲む。マロンパイにはミルクティーらしい。
「半分食べる?」
 綾乃はそう言って、マロンパイを割ろうとすると。
「ダメ!それは綾ちゃんのなんだからっ。僕は僕の分もう食べたんだからね」
「そっか」
「うん」
 ―――――ちょっと前までは"うん。やったー"って言ってた気がするのになぁー・・・
 どうやら雪人は少し大人になったようだ。それが嬉しくもあり、ちょっぴり寂しいなと綾乃は思いながら、マロンパイを口に運んだ。
「ところで、雪人宿題・・・」
「えーっ!?」
「えーって」
「綾ちゃん、なんかちょっとそういうとこ雅人兄様っぽくてヤダ」
 ―――――ヤダって。
「だって、明日空手でしょ?」
「うん」
「じゃあやっておかなきゃ」
 綾乃の言葉に雪人が、物凄くぶーたれた顔をした。
 ―――――あーあ、やっぱりまだ子供かなぁ。
 その顔を見ながら綾乃は、苦笑とともにどこか嬉しい様な気持ちを抱えてしまった。それもまた、甘やかす要因になってしまうからよくないんだけど。
「持っておいで。一緒にやっちゃおう?」
 綾乃のお誘いの言葉に雪人は元気良く返事をして、宿題を取りに部屋を出て行った。












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