直人の恋物語U 7




 土曜日の午後になって微調整の末、やっと招待者が決まった。そのリストを元に、招待状が一斉に準備されていた。
「今は便利だなぁー」
 高速プリンタの音を聞きながら直人が小さく呟く。
 空はすでに暗く、今日もまた遅くなってしまったことが物語っていた。500名の予定から振り落とされて、400名の招待、実際の出席者は350名ほどと思っていたのだが、招待状を準備するだけで一苦労だ。
「本当ですね。昔なら、印刷所に回さなきゃいけなかったから、それだけで時間のロスですから」
 久保はそういいながら、さきほど届けられたパーティー会場のセッティング画に目を通している。
「どんな感じだ?」
「そうですねぇ。悪くは無いと思うんですが」
 久保は手にしていたそれを、直人に渡す。
 無難にまとめられたその絵を、直人もどこか不満そうな顔で見た。
「そうだなぁ・・・」
 悪くは無いのだが、なんというか。目を引くものが無い。無難すぎるのだろう。
「もうちょっとなんか・・・んー・・・」
「そうなんですよ・・・」
「もう一声なんか」
 2人が1枚の紙を見つめつつ、言葉に出来ないしっくり来なさに思案顔をしていると、そこへ元気良い足音を立てて多田が戻って来た。
「久保さん!」
「なんだい?」
 ドアを開けぬけ、そう言った多田に久保は笑みを向けるが多田は一瞬固まってしまった。まさかここに、社長の姿があるとは思っていなかったらしい。
「しゃ、社長!」
「・・・なんだ?」
「あ、いえ。お疲れ様です」
「ああ」
 直人の前で緊張気味の多田に、久保は優しく声をかける。
「どうだった?」
「はい。池谷料理長に出席者予定400名で、立食パーティーになると伝えましたところ、あさってまで待って欲しいとの事でした」
「明後日か」
「遅いですか?」
「―――そこから、調整して、食材を集めて器の準備か・・・、まぁ、なんとかなるだろう。立食だしな」
「そうですね」
 直人の呟きを久保は頭の中に放り込んで、今後の段取りを考えてみる。器の要望は、直人サイドよりも料理長サイドから出されるだろうから、それもあわせて確認しておかなければ。
「後これ。サンドイッチです。池谷料理長から差し入れです」
 多田はそう言って持っていた箱、3つを差し出した。
「へぇー」
「まじかよ。ラッキー」
 蓋を開けると、中には飛び切り美味しそうなビーフサンドとエビカツサンドが入っていた。
「うわぁーうまそう!!―――――あ」
 思わず地が出た多田が口を押さえる。
 そんな多田に、くすりと笑みを零して久保は立ち上がった。
「珈琲いれるよ。直人様はブラックですか?」
「いや・・・今はカフェオレがいいな」
「はい。多田くんは?」
「あ、俺もいいんすか!?」
 多田も本当はそのつもりだったのだが、そこに直人の姿があったのできっと自分は食いっぱぐれると思っていたのだ。
「その為の3箱だろ。どうする?カフェオレ?ブラック?それとも―――」
「カフェオレがいいっす!」
「了解」
 にっこり笑って給湯室に消えていくその背中を見送って、やったーと喜びに小躍りしそうに多田はなる。
 仕事をバリバリこなすちょっと憧れる先輩と一緒にご飯。―――たとえサンドイッチだって嬉しい。しかもそのサンドイッチがめちゃくちゃ美味しそうなんだから直嬉しい。そう思って多田がるんるん気分でいると。
「――――っ!!」
 ドキっと心臓が震えた。
 ―――――え・・・っ!?
 厳しい射抜くような直人の視線と、ぶつかった。
 ―――――な、に・・・?
 ほとんど口を利いた事も無い社長にそんな風に睨まれるいわれが、多田には見当たらなかった。ということは、やはりサンドイッチをご相伴に預かるのがまずかっただろうか。
 しかし、今更遠慮するのもなんだかだし。
 それに自分ではとても買う気になれない金額のサンドイッチをみすみす自分からフイにするような事は言いたくない・・・
 多田はそう思って、精一杯の愛想笑いを浮かべて、自分の机の上を片付ける――――ふりをして、なんとか場を流そうと思った。
 2人の間に、プリンタの音だけが響く。
 流れた沈黙の時間は多田には物凄く長く感じられたけれど、実際は僅かなものだった。
「お待たせしました」
 久保がカフェオレ3つを持って、その沈黙の間を入ってきた。
 ―――――あれ?
 しかしこの流れる、微妙な空気に気づかないほど久保は鈍感でも無い。一体自分がカフェオレを入れている間に2人の間に何があったのか。交わす声さえ聞こえなかった気がしたけれど。
「はい、直人様。ああ、こちらに座りますか?」
 久保はそういって、自分の椅子を差し出して、多田のカフェオレも置く。
「こっちにきて一緒に食べよう」
「はいっ」
 ガタガタ椅子を言わせながら近寄ってくる多田。
「久保、お前はどこに座る?」
「え、ああ。私はここにでも」
 そう言って久保はまるで3角形を作るように、二人にとって斜め向かいの場所の、開いている椅子に腰掛けた。
「箱のままですいません。適当な皿が無くて」
「かまわねーよ」
 直人が、ギシっと椅子を鳴らして座り、サンドイッチを手に取る。
「多田君も」
「いただきます」
「さて。いただきます」
 2人が食べ出したのを見て、久保のサンドイッチを口にした。それはもう、さすがといいたくなるほどの美味しさだった。使っている素材も、サンドイッチにするなんて冒涜と言えなくも無いほどの一級品なのだから当然だろうが、間に挟まっているソースがまた堪らなく美味しかった。
 肉の味をぐっと引き立てるマスタードの香り。気持ちいいほどシャキシャキのキャベツの歯ざわり。
「流石だな」
「はい」
 多田にいたっては感動に言葉も無いようである。
 カリっと上がったエビカツは、中はトロっとしたクリームの中にプリップリのエビがぎっしりなのだ。タルタル風のソースは白ワインで仕上げられた上品な味がしている。
 この美味しさにプラスして空腹である。3人は言葉も無く黙々と食べ、サンドイッチは瞬く間になくなってしまった。
「美味しかったーっ」
「それは良かった。はい、テッシュ。直人様も」
「ああ」
「すいません」
 手を拭いて、空になった箱をゴミ箱に捨てると。
「あ、やべ」
「あ・・・」
 パーティー会場のセッティング画が、下から出て来た。どうやらサンドッチの箱の下敷きにしてしまっていたらしい。
「なんですか?」
「これ、29日のパーティーのセッティング画なんだよ」
「げ!マジっすか?大丈夫ですか?」
 たぶんこの上に箱を置いてしまったのは多田だろう。本人もそれがわかったのか、顔が一瞬にして青ざめる。
「汚れては無いし、セーフかな。今度から気をつけないと」
「すいません!・・・それ、決定ですか?」
 多田が久保の手の中にそれを覗き込む。
「うーん、それがねぇ・・・」
「もう1回考え直させる」
「やっぱりそうしますか?」
「ああ。どうも納得出来ない」
 直人の言葉に、やはりそうかと久保はそれを再びテーブルの上に乗せる。
「気に入らないんですか?綺麗だけど――――」
「でもなんかこう、・・・インパクトに欠けない?」
「ああ・・・」
 久保の言葉に、多田は真剣にその3枚の絵を見つめる。
 確かに、綺麗なラベンダー色のクロスを使いながらも、甘くなり過ぎないように照明で調節しようとしている工夫や、大きな華が印象的ではあるのだが。
「あの」
 何かひらめいたのか、多田がペンと傍らの白紙を取る。
「これなんですけど、ここに華じゃなくて、こっちに大きなすごいインパクトのある華とか置いて、もっとライトを当てて」
 そういいながら、絵を描いていく。
「照明もこんなんじゃなくて、もっとこう・・・スタイリッシュな感じにして。って俺、絵うまくねーな」
「いや、わかるよ」
「このクロスもいっそパープルとかにしちゃって、もっとカッコイイ感じにするのはどうですか?」
 出来上がった絵は、確かに上手とは言いがたいものだったし荒削りなものでもあったけれど。
 久保は、直人の顔を見る。
「お前のアイデアか?」
「あ・・・いえ。俺がニューヨークにいた時、クラブのボーイみたいなバイトしたことがあったんですけど、その内装を思い出しながら」
「なるほど」
「面白いですね」
 2人の好感触な返事に、多田が頬を紅潮させる。
「久保。明日朝一でこれを企画部に持ってってくれ。必要なら多田を向こうに置いてきてもいい」
「わかりました」
 久保はしっかり頷いて、最初の絵と多田の描いたものを一緒にまとめて、封筒に仕舞いなおした。
「多田くんのおかげで、いいものが出来るかも」
 久保が多田を見て、にっこりと笑った。
 その笑顔に、多田の頬がさらに赤みを増した。
「はい!」
 その頃には、印刷音もすでに終わって、静かな機会の塊と化していた。
「さて、多田君はもうあがっていいよ。お疲れ様」
「片付け、手伝います」
「ああ、いいよ。僕はここに泊まってるんだし、帰らなきゃいけない多田君よりは大変じゃないから」
「はぁ・・・」
 久保はそういいながらすでに印刷された招待状を集めて、束ねてしまう。
「明日コレ、一応リストと全部つき合わせて抜けてるのが無いか確認してもらうから」
 そう言われて招待状の山が多田の机に乗っかる。それを見た多田が少しばかりげんなりした顔をするのに、久保はやはり笑ってしまう。
 ここにいては珍しく、顔になんでも出る子だなと思いながら。
「わかりました。じゃあお先に失礼します」
「うん。お疲れ様」
「お疲れ」
「お疲れ様でした!」
 そう言って頭を下げた多田の視線の先には久保。扉を閉まる瞬間に見たのも。
「さて。直人様もお疲れ様でした。お食事どうします?」
「いや、もう腹いっぱいだ」
 ―――――・・・ん?
「では、後は片付けておきますので、先にお部屋にお戻り下さい」
「ああ」
 ―――――なんで・・・不機嫌なんだ、ろ?
 さっきまでそんな事は無かったはずなのに、何故か急に機嫌を悪くしている直人に久保は戸惑いを覚えるしか無かった。
 そういえば、最近こういうの多いな・・・疲れているんだろうか。
「お前ももう、上がれよ」
「はい」
 直人は久保が頷いたのを確認して、椅子から立ち上がった。その拍子、ポケットにねじ込んでいたハンカチが床に落ちた。
「あ、直人様」
 ハンカチ、それを久保が拾い上げて直人を呼び止めるためにその腕に一瞬手をかけた。
「―――!!」
 ハッとする間も無くその腕を取られて。
 視線が―――――――絡み合う。
 不機嫌そうな瞳と。
 驚愕に見開かれる瞳と。
「・・・っ」
 僅か20センチの距離。この距離で視線が絡み合うのは、間違いなくあのとき以来。
 いや、視線がこんな風に絡み合う事自体が。
「―――――クソッ」
 小さく毒づいたその言葉の意味は、久保にはわからなかった。
 離された手首を、本能的に握って、その痛みを感じる頃には―――――――直人の姿はもう無かった。












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