直人の恋物語U 9




 結局、企画室から新しいパーティ会場のセッティングプラン画があがってきたのは翌日の昼すぎ、会議の席でだった。
「えー、いただきました原案を、練り直してみたものですが」
 プランチーフの手島が、コピーされたものを配りながら言う。
「パープルという色を基調に使いながらその色を極力押さえ、会場全体に華を使ってみたいと思います」
 そう言われたその新しい絵は、確かに最初のものよりも随分と新しく見えた。
「料理などが並ぶテーブルに関しましては、池谷さんと打ち合わせした後、もっと詳細にと思っております」
「華はどこに頼む?」
 資料を見ていた直人が顔を上げて、手島に確認する。この案では、まさに華の出来が全てを左右するだろうと思ったのだ。
「はい。華は――――藤平修に頼もうかと思っています」
 手島の言葉に、一瞬空気がざわめく。
 藤平修―――――それは今、華道界の中で注目を集めている若手の一人だ。そして、その中でも筆頭株であることが間違いない。
「あたってるのか?」
「はい。昨日1度連絡をいれまして、明日会うことになっております」
 その返事にさらに会議実の空気が揺れ動いた。
 もし、彼が華を飾ってくれるという事になれば、それだけで十分インパクトがあり目玉になるといえる。会議室になんともいえない緊張感が漂い出した。
「OKが貰えそうなのか?」
「・・・なんとか"うん"と言ってもらいます」
 手島はそう言って、頷いた。その顔には緊張が見て取れる。社長の前でそう言ったのだから、後からダメでしたとは言えない。
 それだけ自信もあるのだろう。
「わかった。任せる」
 ポーカーフェイスの直人の顔の下に、大きな期待があるのを久保には分かった。逸る気持ちを、押さえ込んでいる、と。
「すいません」
 そこへ、池谷が発言を求めた。
「なんです?」
「勉強不足で、私はその藤平修という方を名前意外存じ上げないので、出来ればどんな華を生けられるのか知りたいのですが」
「すぐ資料を集めます」
 直人は久保に横目で確認しながらそう言った。企画室には資料があるだろうから、久保が補足を加えまとめるだけだろうから大丈夫だろう。
「助かります。やはりそれを意識しつつ皿や盛り付けを考えなければならないと思いますので」
「よろしくお願い致します。――――それでその料理ですが」
「はい」
 直人の問いかけに、今度は池谷が頷いて席を立った。どうやら隣室に料理を準備しているらしい。その背中を見つめた視線を動かして、久保はそっと直人の横顔を見た。
 その横顔は何一つ普段と代わりが無い。
 昔の、ヤンチャだった面影は消え、凛とした表情の下にその心のうちは全部隠しきっている。雅人とはまた違うけれど、顔付きがどんどん変わっていき威厳が出て来たと、久保は思う。
 それが、少し寂しくもあるけれど、これが当然なんだろうとも思う。いつしか、自分では無い秘書でも問題がなくなる日が来るのだろう、きっと。
 そう思って、自分の考えで自分で傷つけた久保はたまらず視線を外して、扉を開けた池谷のほうを見た。それ以上見つめていたら、なんだか泣きそうになってしまったから。
 ワゴンが入って来て、会議に出席している全員の視線がそちらに向かう。
 手島などは立ち上がって見ていた。みんなが真剣な顔をしている。
 これが、日常。
 今日も明日も、あさっても、一ヵ月後も1年後も、きっとこんな日常を繰り返しているのだろう。
 それでいい。
 池谷の料理に歓声の声が上がる。
「どうぞ、味をみてください」
 池谷の声に、全員が立ち上がる。
 久保は、直人の斜め後ろに立った。
 この場所が、自分の場所。
 もしいつか他の人に代わってしまうことがあっても、それでも気持ちは変わることの無い、ここが自分の場所なのだ。
 直人の背中を、見つめるこの場所が―――――――――――







 直人や久保がパーティーの準備に追われている頃、松岡もまたその準備に追われていた。
 朝はいつも通り綾乃たちを送り出し、後片付けに洗濯、掃除で午前中は終わってしまう。お昼を過ぎてようやく料理の試作に入れる。
 が、それも1品2品を吟味して作ってみる頃に雪人が帰って来ておやつを出して、そろそお夕飯の下準備に入らなくてはならなくなってしまう。もちろん、洗濯物も取り込んで。
 そんな毎日の繰り返しの中で、雅人も早く帰って来てはクロスの色や食器、飾る華などで打ち合わせをする。祝いのシャンパンも必要だろう。
 何もかもが目まぐるしく、南條家の日々は忙しく過ぎていた。
 そんな、3連休を前にした金曜日。
「あれ、今日も雅人さん早いんですね?」
 文化祭の準備に追われる綾乃がいつもりよ遅い帰宅をしたら、雅人が既に居間に座っていた。
「・・・どうしたの?」
 なんだか明るくは無い空気に思わず言うと、雅人の前には雪人と何枚かの紙があるのが目に入った。
 ―――――あ・・・
 それが先日の実力テストの結果だと、すぐに分かった。
「綾乃は部屋に行っていてください」
 雅人の硬い声。それに驚いたのは綾乃だった。
 だって、テスト前に勉強をみたのは綾乃で、模擬テストをしたら結果は結構良かったはずなのに。
「悪かったの?」
 雪人が綾乃に、ばつの悪そうな顔をして、視線を床に落とした。
「綾乃」
「だって」
 そんなはず無い、そう思って見た実力テストは。
 確かに悪くは無かったけれど、決して良くも無かった。たぶん、平均の平均ではないだろうかという点数が並ぶ。それは、綾乃が予想していた数字より10点〜15点は下だった。
 ―――――でも・・・
 その結果を見て綾乃はちょっと変だなっと、思った。点数が全部同じくらい、68点から78点の間になっていた。
 雪人のテストの点数は、いつももう少し得意不得意でバラつきがあるのに。
「雪人」
 雅人が、ため息の様な声を漏らす。
「それが僕の実力なの。しょうがないじゃん」
「じゃあ、空手止めますか?」
 雅人のその言葉に、雪人は一瞬泣きそうな表情を浮かべて顔を上げた。
 確かに、勉強も今までよりずっとずっとがんばる、それが空手をやる条件だった。この結果では、その約束を雪人は守れなかった事になる。
「どうして・・・」
 再び雅人の、ため息の様な声が響く。
 その問は、綾乃も同じだったが声に出す事は出来なかった。雪人が、なんだかいつもの雪人じゃなく見えたから。
 その時、松岡が顔を出した。
「綾乃様、こちらにいらしたんですか」
「はい」
 松岡は雅人に紅茶を持って来たらしい。手にしたカップを置こうとして、テストが目に入った。
「綾乃様が勉強を見られていたのでは無いんですか?」
「はい」
 どうやら松岡も今結果を見たらしい。声が驚いている。
 それもそうだろう。1学期末のテストではだいたい平均80点だったはずなのだ。それが、夏休み宿題をして、勉強も見てもらっていながら落ちるというのは。
「松岡」
「ですが――――っ」
 雪人がきゅっと唇を噛んだ。
「これでは雅人様が・・・っ」
「松岡っ」
「いいじゃん!!」
 じっと座っていた雪人が、突然立ち上がった。
「雪人――――?」
「いいじゃん。ホントは、僕が出来ない方が、いいくせに――――――!」
「雪人!?」
「雪人様、なんて事を」
 雪人の言葉に、怒りを表情に出したのは雅人よりも松岡の方だった。その手が思わず、雪人を掴もうと伸びる。
 けれど、雪人はその時既に走り出していた。
「雪人っ」
 綾乃の声も無視して、雪人は荒い足音をたてて遠ざかっていく。その後を、綾乃が慌てて追いかけたが、驚きのあまり出足が遅すぎた。少し先で、乱暴に扉が開閉される音が廊下に響く。
 たぶん、部屋にはいれては貰えないだろう。
 それでも綾乃は部屋の扉をノックした。その階下、雅人は綾乃が追いかけていくのを見送ってから、ゆっくり松岡を見た。
 その顔には、苦々しいものが浮かんでいる。
「――――前にも言った筈です」
 その声は、哀しいくらいに冷たいものだった。
「口出す権利は無い、と」
 怒ってもいない。ただ、拒絶しているだけの声。
 その瞳を、松岡は見つめ返した。けれど、相手を射抜くような強さは無かった。
 ただ、服従を示すほど弱くも無く、鈍く暗く光っていた。
「二度と、口出ししないでください」
 雅人は、そのままテストを手に立ち上がって踵を返した。
「私だって、―――――貴方をここから追い出したくは無い」

 廊下に出て階段を登れば、ちょうど綾乃が雪人の部屋から自室へととぼとぼ向かうところだった。やはり部屋には入れてもらえなかったのだろう。
「雅人さん・・・」
 落ち込んだ瞳に、雅人は穏やかに微笑み返した。
「夕飯のとき、呼びに行きましょう」
「ん・・・」
 雅人の言葉に綾乃は頷きながらも納得出来ない何かがあるのか、物言いたげに雅人を見る。その瞳に、雅人は答えないわけにはいかなかった。
 これもまた、雅人自身が望んだことなのかもしれないのだから。
「部屋へ行きましょうか?着替えないと」
「ん・・・」
 それに、雅人にも今は綾乃が必要だった。











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