■2■ 朝1番に秘書の手によって持ち込まれた、いわゆるティーン雑誌のあるページを雅人はまっすぐに睨みつけて、せっかく昨日から引き続いたどこか浮ついたような幸せな思いを、苦々しい気分へと変えていた。 強く握られたページの角は、ぐしゃりと歪んでしまっている。その開かれたページには、高校生くらいの少年の写真が大小いくつも並んで載ってあり、その特集タイトルにはご丁寧に『あなたが選ぶ、街で見かけたかっこいい男子ナンバー1』である。 「すぐに増版はやめさせろ。出回ったものも可能な限り回収しろ」 「わかりました。それと、カメラマンについてですが」 「ああ」 「名前は篠崎達弘、35歳。表立って発表されている経歴はこちらです」 雅人の優秀な秘書は、朝一番にこの雑誌を発見してから雅人がやってくるまでに、HPや雑誌などで公に公表されている経歴だけをざっとまとめ上げておいた。その数枚の紙を差し出す。 しかしそれにざっと目を通した雅人は、不愉快そうに顔をゆがめる。 「最近の仕事ぶりからプライベートまで、徹底的に調べろ」 「かしこまりました」 「スキャンダルになりそうな事は些細なことももらすな」 「はい」 久保兄は、雅人がそう言い出すことを見越していたように顔色も変えず返事を返すと、今日の仕事の予定を淡々と読み上げ始めた。 雅人の1日がそんなふうに始った、午後。 南条家のリビングでは、楽しいそうに笑う声が響いていた。 「雪人くん上手」 「ほんと?」 「うん。すごく綺麗っ」 夕べの楽しかった花火。素晴らしい思い出。それを雪人は今夏休みの宿題の絵日記に描いているところなのだ。 雪人は色取り取りの絵の具を使って、光の色を作り出していた。 それを見ているだけで、綾乃はまた幸せな気分が蘇ってきて自然とその顔には笑顔が広がってしまう。 「あれぇ・・・」 「どうしたの?」 順調に塗っていた雪人が、絵の具箱を見て困った顔を作る。 「青が無くなっちゃったぁ」 背景に青もふんだんに混ぜてつかった所為で、使いきってしまったらしい絵の具を雪人は綾乃に見せる。青がなければ、青い光が描けないし・・・昨日直人はデニムパンツだったのだ。それもまだ塗られていない。 「使い切っちゃったんだね・・・・・じゃぁ、今から一緒に買いに行く?」 「ほんと!?行く!!」 綾乃の誘いに、途端に雪人の顔に笑顔が広がる。ここら辺は閑静な住宅街なので、駅前まで出ないといけないのだが、そこは子供。雪人は外へお出かけ出来る事が純粋にうれしいらしい。 「じゃぁ帽子取ってこようね」 「うん」 今年の夏は近年まれにみる猛暑。外は35度を回る暑さで、熱中症で倒れる人も少なくなかった。綾乃は雪人にしっかり帽子をかぶらせて、松岡に冷たいお茶を水筒に入れてもらって、タオルと一緒に鞄にしまう。 綾乃と雪人は松岡に見送られ準備は万端と覚悟して扉を開けたのだが、そこは想像以上の暑さが待っていた。熱せられたアスファルトからは湯気でも出そうで、その熱気に陽炎が揺らめきそうだ。 綾乃は雪人の調子に気をつけながら、時折水分を取らせながらゆっくりと歩いた。本当は自転車に乗れるといいのだが、雪人ではなく綾乃が自転車に乗れなかった。綾乃に、自転車を乗る練習に付き合ってくれる家族も、買い与えてくれる家族もいなかったからだ。 「大丈夫?暑くない?」 「へーきだよっ」 綾乃と雪人は手を繋いでゆっくりと歩いた所為もあるが、雪人が犬がいるといっては近寄ったり、公園で滑り台を滑ると言い出しては寄り道したりだったので、2人は普段の倍以上の時間をかけて百貨店にたどり着いたのだった。 「青いっぱいあるねぇ」 「うん、ほんとに」 6階にある大手の画材店には60色ほどの水彩絵の具が揃っていて、探しに来た青もちゃんと揃ってあった。 「この色だね」 棚の中から目的に絵の具を取り出す。 「うん!・・・でも・・・こっちの色もいいなぁ」 「どれ?」 雪人が棚から選び出したのは、ターコイズブルーのようなとても綺麗なブルーの色。もちろん基本の12色には入っていない色で、2人が買いに来たのとも全然違う青。 「学校では12色って決まってるんじゃないの?」 「そんなことないよ。僕よりもずっとずっとたくさん持ってる子もいるもん」 「そうなんだ?」 自分の学生時代はどうだったろうかと綾乃はしばし記憶を巡らすも、まったく思い出せない。綾乃自身はもちろん12色のものしか持った事がなかったし。どうしたものかと考えていると、雪人は諦めきれないのか、持ったり離したりを繰り返している。 その仕草に思わず笑みがこぼれて。 「じゃぁこれも買ったげる」 「え!?いいの?」 「うん。花火の絵上手にかけたご褒美ね」 「やったぁ!!」 雪人はうれしさのあまり、ぎゅっと絵の具を握ってしまって、綾乃は慌てて注意してそれを受け取り会計をすます。 雪人が自分で持つと言い張るので、小さな紙袋に入れてもらって雪人に渡した。 「落しちゃだめだよ?」 「大丈夫!」 うれしそうにぎゅっと紐を握る雪人に、綾乃までうれしい気持になってくる。 その後少し上の階の書店に立ち寄ったり水着売り場みたりして、2人は十分涼んでから百貨店を後にした。 「帰って、続きしようね」 「うんっ。おなかも減った」 その言葉に思わず綾乃が時計を見ると、なるほどもうすぐ3時だった。雪人の胃袋が黙っているはずがない。 「帰ったらおやつの時間だね」 綾乃は思わず笑顔を漏らして、雪人の手を取った。 帰りは行きと同じ道ではおもしろくないので、少し違うを通る事にしたのだがこれが意外と色々な店が立ち並んでいて、新しい発見だった。 「・・・・・・あ、こんなところにカフェできるんだぁ」 「カフェ?」 「うん、お茶飲んだりケーキ食べたりするところだよ」 それは、少し住宅街の方へ入り込んだ立地。オープンカフェになっていて、木の温もりを感じるような配色や素材を使った今風のおしゃれな店。ほとんど出来上がってるから、オープンも間近だろう。 「あれぇ!?君!」 「?」 綾乃が物珍しく中を覗き込んでいると、中で作業していたらしい男の一人が綾乃に気付いて声を上げた。 「篠崎さんお知り合いですか?」 「うん、ちょっとごめんね―――ねぇ、僕のこと、覚えてるかな?」 篠崎と呼ばれた男は素早く顔綾乃に近寄って来て、なにやらにこやかな笑顔を向け親しげに話しかけてきた。 しかし、綾乃は誰だったかと首をかしげる。 「先々月だったかな、ほら六本木で写真取らせてもらった雑誌社のカメラマンなんだけど」 「――――・・・ああ!あの時の」 「思い出してくれたみたい?良かった。ずっと、君からの連絡待ってたんだけどな」 「はぁ・・・・すいません」 それは先々月のこと、薫と映画を見るために待ち合わせ場所に急いでいたら、いきなり声をかけられて。 なんでも『街でみかけたかっこいい子、かわいい子特集』とかでいきなり写真を取られた。困るといったのに、別に名前もなにも載らないし、うちで取り合げられて芸能界入りした子もいるんだよーなんて言われて、取り合ってもくれず名刺も押し付けられた。 綾乃としてはあまり良い印象のない出来事だったので、すっかり忘れていたし、その名刺をどこへやったかも記憶が定かでない。 「今日あの時の写真が載った雑誌出たんだけど、見てくれた?」 「いえ・・・」 「あれね、人気投票形式になってて、君けっこういい線いくと思うんだよ。編集部でも話題になっててさぁ」 言いながらも篠崎は、明らかに困っている様子の綾乃にじわじわと身体を寄せてくる。 ―――うえぇー気持ち悪ぅ〜〜 綾乃は思わず手に力が入って、雪人の手をぎゅっと強く握り締めてしまう。 「今度さぁ、落ち着いて話したいんだけど、連絡先とか教えてよ」 そして肩に手を回して来ようとされて、と思わず飛びのいてしまった。 「あの、僕そういうの興味ないんで――――行こうっ」 綾乃は口早に断りの言葉を継げて、足早にその場を立ち去った。後ろからねっとりとした視線をひしひしと感じながら。 いつもより1時間も遅い帰宅に家の中は静まり返っていた。物音を立てないように注意して、そっと室内にその身体を滑り込ませた雅人は、思わずビクリとして動きを止めた。 真っ暗で誰もないはずの部屋に小さな灯りだけをともして、ベッドの上に横たわる愛しい人の姿を見つけたからだ。 その瞬間、雅人の顔には優しい笑みが広がっていく。 「・・・・綾乃?」 身動きしない身体にそっと呼びかけてみると、どうやら待ちくたびれたのか眠ってしまっている。 その愛らしい寝顔にもたまらない愛しさが込み上げた雅人だったが、横に置かれた名刺を目に止めて雅人の瞳がスーッと冷たく冷えたものへと変わった。 そこに書かれていたのは、朝方確認した「篠崎達弘」という名前と、携帯の番号。綾乃が何のために自分を待っていたのかもすぐに悟って、可哀想だけれど事情を聞くためにその肩に手をかけた。 「綾乃・・・綾乃?部屋に戻りますか?」 「・・・んっ・・・れ?あ、雅人さん・・・」 「はい、ただいま帰りました。遅くなってしまって申し訳ありませんでした。綾乃が待っててくれると分かっていたら、仕事など明日に残して帰ってくれば良かったですね」 一瞬に冷えていた瞳の色を奥に隠して、雅人は優しい笑みを再び浮かべて綾乃の横に腰掛ける。 「ううん、僕こそ、ごめんなさい・・・寝ちゃった・・・」 綾乃は目をしばしばと瞬きして、それでもどこかトロンとした目を雅人に向けて、笑う。その視線の先に、自分の持ってきた名刺を見つけて。 「あ・・・それ」 「ええ、ここにありましたけど、何です?これは」 「うん・・・・僕もすっかり忘れたんだけどね、先々月くらいに街中でいきなり写真取られて、そのカメラマンの人に渡されたの」 半分くらい寝ているのか、舌の回りが怪しくなっていてどこかたどたどしい口調になっている。 「初耳ですね?写真を?」 「そーなの。なんか雑誌の特集とかで雑誌にも載ってるんだって。で、今日ね、雪人くんと駅前の百貨店まで行ったんだけど、その帰りに会っちゃって」 「その、カメラマンとですか?」 「うん、そう。なーんか嫌な感じでさぁ・・・・駅前だし、また会っちゃったら嫌だなぁって―――そーだ、肩とかも抱いてこようとしたんだよ・・・・・・うー・・・・・ねぇ、無視してたらいいよね?」 そのセリフに雅人の瞳が危険に光ったのだが、だんだん睡魔に襲われて抗えないでいる綾乃には気がつく事はなく、起した身体をまたベッドへと吸い寄せられていっていく。 「ええ。そういうのは相手にしないのが1番です。ほかには何も?」 完全に綾乃の身体がベッドに落ちる前に、その身体を優しく抱き寄せて雅人は自分こ肩を枕代わりにかして囁く。 「うんと、芸能界に興味ないかぁーみたいな事も・・・」 「あるんですか?興味」 「ないよっ。そんなの、絶対無理ぃ」 もう眠いのか、普段あまり見せないような甘えた仕草で雅人の身体に腕を伸ばす綾乃に、雅人は内心平常心ではいられないくらいうれしくなっていく自分を自覚していた。 「そうですか?綾乃はかわいいから全然大丈夫だと思いますけどね」 寝かせてあげたいと思うのに、普段あまり見ることが出来ないだけに、もう少しこのままでとしゃべりかけるのを止められない。 「・・・・雅人さん、俺の芸能界いり、賛成なの?」 「まさかっ!どうして私が、綾乃を人目にさらしたいものですか。勿体無い」 「勿体無いってぇ」 変なのと綾乃はくすくす笑う。 「勿体無いですよ。――――誰にも見せたくないんですから」 そういうと、雅人は綾乃を腕の中に抱き締めて、全てを遮断して閉じ込めて、唇についばむようなキスを落として。 二人はしばらく甘いキスを繰り返す。 「あ、そうだ。雪人クンにプール連れてってって言われたんですけど、いいですか?」 「ええ、かまいませんよ。ですけど、なんだかすっかり雪人の面倒を押し付けてますね?綾乃も遊んでますか?」 「うん、もちろん。雪人クンと一緒に遊んでるもーん」 「ならいいんですが」 「だって、もうすっごいかわいいよ〜。ほんと目の中に入れてもいいくらい」 「・・・そうなんですか?」 「うん。雪人くん、すごーいいい子だし、かわいい」 かわいいかわいいと繰り返す綾乃に、雅人少し拗ねた様な視線を向けておもしろくないとでも言いたげな顔になる。 大体自分よりも、雪人の方が数段一緒にいる時間も長いのもおもしろくないし、雪人も綾乃に凄くなつきすぎているのだ。 「・・・・それは、妬けますね?」 「え・・・?」 「浮気していないか、確かめなくては」 その言葉に綾乃が真っ赤になったのを線の端に捉えながら、雅人はその嫉妬心をきっちり綾乃に伝えるべく、遊びではないしっとりとはげしいキスを落としていった。 |