「おいしかったぁ〜〜〜」
「それは良かった」
 お店に入った時はその漂う高級感に、自分なんかが入る場所じゃないと思ってかなりびびっていた綾乃だったのだが、夜景を一望できる完全な個室に入って、おいしい物を食べているうちに段々緊張がほぐれてきた。今夜だけ特別に、と雅人に差し出された甘めのカクテルの酔いにも助けられて、途中からは色々考えすぎていたこともすっかり忘れていた。
 かなり少量のアルコールしか入っていなかったのだが、綾乃の頬はほんのりと色づいて、目がちょっとトロンとしている。
 そんな様子を目にして雅人は、自然と甘い笑みがこぼれてしまう。
「もう、おなか一杯・・・」
 コースで運ばれてきた料理は、1品1品はそんなにたくさんの量ではなかったのだが品数がとても豊富で、元々そんなに食が多い方ではない綾乃は、もう動けないくらいおなかいっぱいになっていた。
 最後に出てきた炒飯は、二口ほど口に運ぶのが限界だった。
「では、デザートはどうします?」
「え?まだあるの?」
「ええ。ここの杏仁豆腐は絶品なんですけど」
「うっ・・・・・食べたい。でも・・・・」
 甘いもの大好きな綾乃は、絶品という言葉に瞳を輝かせるも、どうしたってもう何も入りそうにない自分のおなかに目をやってしまう。
「では、運んでもらいましょうか?」
「――運んでって、家に?」
「いえ、部屋に―――です」
「部屋・・・?」
「はい。下に部屋を取ったんですよ。―――たぶん、おなかが一杯過ぎてすぐには動けないかなぁと思いまして。今すぐ車に揺られても、大丈夫ですか?」
 心配そうに見つめてくる雅人の視線を見つめ返しながら、綾乃は確かに今すぐ車に揺られるとちょっと酔って吐いてしまうかもしれないと思った。
 ひどくはないが、体質的に多少乗り物酔いしてしまう時があるのだ。
 と、そこまで考えて、綾乃が急激に顔を赤らめる。
「どうしました?」
「なっ、なんでもないよ――――う、うん、確かに今すぐ車に乗るのはちょっと厳しいかも・・・・ね」
 綾乃は多少ひきつれたような笑顔を浮かべて、首を縦に何度も振る。その慌てた様子に思わず雅人は目を細めて忍び笑いを漏らした。
「では部屋で少し休んで行きましょう。デザートも運んでもらえるようにしますね」
「――――うん」
 耳まで赤く染めた綾乃は、雅人の甘い誘いに、小さく頷いた。










「・・・・ここって、スイートルーム?」
 通された部屋には、綾乃が想像していたようなすぐにベッドがあるようなものではなくて、小さくではあるがバーカウンターを兼ねたキッチンのようなものがあって、大きく取られた窓の前にはこれまた大きなソファが窓を向いて置いてある。
 左右に扉があることから、どちらかがベッドルームになっているのかもしれない。
「いえ、そこまでではないですよ。さ、座ってください」
「うん・・・」
 綾乃は進められたソファに腰を下ろして、物珍しく周りのきょろきょろ見回していると、いつのまに来たのか雅人はデザートと飲み物の乗ったワゴンを押してやってきた。
「あ、ごめん。僕がするね」
「いいんですよ。ゆっくりしていてください。私がしたいんですから」
 ゆっくり笑って立ち上がりかけた綾乃を片手で制して、雅人は冷たいジャスミンティーを綾乃に入れてやる。杏仁豆腐にマンゴープリン、ごま団子やフルーツなどを綺麗に盛り付けられた皿もテーブルに移して。
「・・・こんなにあるの?」
 その量に綾乃は思わず目を見張る。
 食べられないかもしれないのに勿体無いなぁ、と小さく呟く。綾乃は食べ物を残すという事に純粋に無駄にしていて勿体無いという思いと、残す事は作ってくれた人に申し訳ないという思いがあるのだ。
 そんな綾乃に、凄く新鮮な思いを雅人は抱いていた。
 ―――いつも、忘れていた思いを思い出させてくれる
 今まで付き合った女とは違う反応。彼女たちは最高のものをもてなされて当たり前で、それを残す事にも抵抗感はなかった。万全に準備をしても、それを無駄にしたって許されると思っていたし、また自分をそういう人間だと思っていた。
 勝気で高慢な女たちを心の中では嫌悪しながら、いつしか自分もその中に染まっていた事に、綾乃と一緒にいて気付かされた。
「綾乃・・・」
「?」
 愛しくて、無意識にその名が雅人の口から滑り落ちて、綾乃は首を傾げて返事をする。
「愛してます」
 途端に真っ赤になって、どうしていいのか困ってしまう真っ直ぐさも。
「愛してますよ―――本当に」
 誰にでも向ける一生懸命さも、優しさも。その、純粋さも全てが、愛しくてどうしようもなくなる。
「・・・・僕も・・・・」
「え?」
 とても微かに呟かれた言葉に、雅人は思わず驚いて目を見張る。返事が返って来るとは思ってもいなかったのだ。
 好きと告げたあの日以来、綾乃の口からはその言葉は聞けなかった。恥ずかしがっているのだろうと思いながらも、少し不安だったりもしていた。
 その言葉が今、微かに呟かれて。
「だ・・、だから、僕も好き」
「デザートが?」
 恥ずかしくてこっちを向けないらしく、じっとその視線は盛られたデザートを見つめているから、ついそんな事を言ってしまう。
「なっ!」
 綾乃が思わず雅人の方に顔を向けると、その目に雅人の顔を捉える前に雅人はその身体をぎゅっと抱き締めた。
「わかってますよ。―――――ありがとう」
「・・・なんで、ありがとうなの?」
「私を好きになってくれたから」
「そんなのっ、―――そんなの僕の方こそ・・・・だよ」
 少しか細くいって、ぎゅっと抱き締め返すその仕草も全てが愛しい。全てを諦めたように笑って、何も求める資格なんてないと泣いた面影が、段々薄れて。僅かではあるけれど、覗かせる様になった自信が何よりもうれしい。
 本当ならこのままソファにでも押し倒してしまいたいと思うけれど、雅人はそこはなんとか理性で我慢して。
「酔いは大丈夫ですか?」
 雅人は身体を少し離してその瞳を覗き込んだ。その仕草に綾乃は少し戸惑った顔をすて雅人を見上げる。その手は、弱くではあるがまだ雅人の背に回されたまま握り締めている。
「・・・どうしました?ああ、デザート食べますか?」
 雅人はその目線を避けるように皿に添えられたスプーンに手を伸ばすと、綾乃が違うというように首を僅かに横に振って。
「綾乃?」
 いぶかしげに雅人が綾乃を見つめた、一瞬の静寂。
「――――・・・・しない、の?」
 消え入りそうな声で、綾乃が呟いた。
 雅人の伸ばした手が止まって、一瞬自分の聞き間違いかとまじまじと綾乃を見返してしまうと、綾乃の顔はより一層真っ赤になって、思わず目を伏せてしまう。
「だ・・・・って・・・・・」
 薫が――・・・・と、小さく小さく呟いて、恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、その顔も雅人の胸に伏せてしまう。額が雅人の胸に押し付けられて、綾乃が震えているのが雅人にも伝わって、綾乃がどんな思いでその言葉をつむぎ出したかも伝えてくる。
 雅人はその身体を抱き締めようとするかのようにその手を伸ばすが、綾乃の背中に手が届く前に空で止まって何故かそのまま降ろされてしまう。
 次の言葉を迷うように雅人は何度か口を開きかけて閉じ、しばらくの沈黙の後にようやく思い切ったように口を開いた。
「そう・・・・・・ですね。正直に言えば、綾乃をすぐにでも抱きたいという思いはあります。でも、―――焦りたくないんです」
 綾乃は雅人の言葉に少し顔を上げて、雅人を見つめる。
「ゆっくり行きましょう?」
 雅人はそっと綾乃の頬に手を添え優しく撫でると、2人の視線が再び絡み合う。
 けれど雅人はそれを断ち切るように目線をはずし、流れた濡れた空気を打ち消すように杏仁豆腐をスプーンにとって綾乃の口に運んだ。
 







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