幸せな日常 ―お正月編―



 "年末年始を海外で過ごす"雅人が雪人にそう約束したのは夏のある日。だけれど、仕事仕事が追いかけてきて行けるかどうかわからないと言い出した12月。雪人はずーんと落ち込んでしまった。綾乃は雪人の気持ちも雅人の立場もわかるだけにどうしていいのかわからず、少しばかり気詰まりな日々で過ごしていた。
 その雅人が、"年末年始海外に行きます!"と再度宣言したのはなんとその出発日の3日ほど前になった時だった。
 雪人はもろ手を挙げて喜んだが、直人は今からスケジュール都合つけんのどんだけ大変だと思ってるんだよ!と、多少怒っていた。それでもなんとかさせたらしいから、結局大変だったのは直人ではなくて、秘書の久保かもしれない。
 そして、綾乃といえば夏に作ったパスポート、2回目の出番にやはりかなりの嬉しさを噛み締めていた。夏にアメリカに行った時だって、まさか自分が海外に行くことになろうとは想像もしていなかったのに。
 そして今度の行き先は、フィジー。
 ―――――フィジーだよ!!!
 早速ネットで検索したフィジーはすっごく海が綺麗で、雅人がダイビングも少しやってみるかもなんて言うから綾乃の期待はとてつもなく膨らむ。
 なぜフィジーかと言うと、雅人曰く、寒い日本を飛び出して寒い国に行く理由が分からないそうで、せっかくなら逆の季節を感じたいらしい。そして出来るだけ雑音の無い場所という事で離島の多いフィジーに決めたらしい。その離島にある最高級ホテルを貸しきって過ごすのだ。綾乃は本当に夢の様だと思う。
 という事で、持っていく服は軽装で良いのだから必然荷物の量は少なくなる。夏にアメリカに行った時と同じ鞄に同じ要領で荷物を詰めて、準備万端整ったのは12月31日のお昼。
 何度も何度もチェックしたから万全である。
「綾乃、準備は出来ましたか?」
「もちろん」
 最近じゃあノックもしないで入ってくる雅人に、綾乃はにっこりと笑みを浮かべて招き入れる。
「また見ていたんですか?」
 ベッドの上に広げられているガイドブックに雅人は優しい笑みを漏らす。
「うん。だって、なんか。嬉しくて!」
 そう言ってへへっと照れた様に笑う綾乃を、雅人はぎゅっと腕の中に閉じ込めた。
「綾乃に喜んでもらえてよかったです」
「うん」
 閉じ込められた腕の中、綾乃はそっと体重を雅人に傾けてその胸に頬を寄せる。
「みんなで行けるの、凄い楽しみだよっ」
 嬉しそうに笑う綾乃の頭上、雅人が少しばかり苦い笑みを浮かべた。雅人としては、二人っきりで過ごしたかったのだろう。そして、恋人にもそう言って欲しかった様だ。
 しかしまだ幼さの残る、鈍い恋人はそんな雅人の気持ちには気づかないらしい。
「雅人サンありがとう」
「――――なんの、お礼ですか?」
「旅行。ちょっと無理させたんじゃないかなって思って、お仕事」
 そう言って、綾乃が少し不安気な瞳を揺らして雅人を見上げた。
「何を言ってるんです。年末年始、仕事なんかしていられませんよ。どうせ、お偉方の誰も彼もがバカンスなんですから」
「うん」
「私たちだって休んだってバチは当たりませんよ」
「うんっ」
 あやす口調に、綾乃はクスっと笑ってしまう。きっと、こんなしゃべり方をさせてしまっているのは自分の所為なんだろうと思うのだけど、結構甘やかされてるそれが綾乃は好きだったりするのだ。
 ここは、甘えていい場所なんだと、思えるから。
「雅人サンは荷造り完璧?」
「もちろんです」
「ふふ。――――直人さん大丈夫かな?」
「大丈夫でしょう、・・・たぶん」
「たぶん?うーん・・・雪人は大丈夫かな?」
「大丈夫でしょう」
 途端に、大人気無い声を出す雅人。
「でも、修学旅行のとき結構大変だったよね?」
「今回は2度目ですから、甘やかしてはいけません」
 自分は、綾乃の様子を見に来ておきながらのこの発言。大人気無いといわずしてなんと言えばいいのか。
「うーん、僕ちょっと様子を見てくる」
「はぁ!?」
 綾乃はそう言うと、雅人の腕の中からさっさと出て行ってしまう。その腕を思わず捕らえて引き戻そうとする雅人の態度は、恋人として当然なのか、大人として出来ていないのか。
「雪人の様子見て、ほらもう直ぐお昼だし。ね?」
 にっこり笑って言うと、綾乃は素早く身を翻して部屋を出て行った。別に雅人との甘い空気に不満があるわけでもなんでもなく、ただもう旅行への逸る思いを抑えきれないのだ。嬉しすぎてじっとしていられない。それだけ。
 それが分かっている雅人は怒る事も引き止めることも出来ず、ただ甘い苦笑を漏らして綾乃の後を追った。
 二人っきりするほどに、心は広く無いらしい。
「雪人、荷物準備出来た?」
「出来たよ。修学旅行と同じ感じだし問題無い」
 少し得意気な雪人がちょうど鞄を閉じたところだった。
「そう」
「それに、足りないものとかあったら向こうで買えばいいよね。必要なのはパスポートと財布と、綾ちゃんだけ」
 そう言ってにっこり笑う顔に、綾乃は少し返事に困った曖昧な色を浮かべた。どうも最近、こういうマセた事を言うようになったのが困ったなと内心ため息をつきながら。
 ―――――まったく、何の影響なんだろ・・・・・・
「ねぇねぇ、向こうついたら一緒に泳ごうね!」
 そう言って腕にしがみ付いてくる様は、あまり変わらないで可愛いのに。この1年で背は7センチも伸びて、綾乃と目線が変わらなくなった。
 抜かれる日も近いと思うと、綾乃はなんだか複雑な心境なのだ。
「私も一緒に泳ぎますよ」
「兄様」
「雅人さん」
 穏やかな笑みが、僅かばかり引き攣っていた事に気づいただろうか。
「雪人は宿題終わったんですか?まだなら宿題も持って行きなさいよ」
「えー!!」
 にっこり笑う雅人と、不満に口を尖らせる雪人の視線に多少火花が散った様な気がしないでもない。
「雪人、宿題終わらせた方がいいよって言ったのに、終わってなかったんだ・・・」
「だってー」
「向こうで見てあげるから、ちゃんと持っていくこと、いい?」
「うー」
「私も横で指導してあげましょう」
「いらない!」
「雪人。雅人さんはお兄さんなんだよ?そんな言い方」
「だってっ」
 悔しそうな雪人に、どうも勝ち誇っている様に見える雅人。果たして、お兄ちゃんと言えるのだろうか。とは、綾乃は気づかない。直人でもいれば、爆笑したのだろうが。
 そしてまだ、雪人単独では雅人には適わないらしい。ううーと歯軋りしている。
 ちょうどそこへ松岡が扉をノック。
「失礼します」
「「「はい?」」」
「っ、全員お揃いでしたか。――――もうお昼の時間なのですが、先ほど直人様よりお電話がございまして、後30分ほどでお着きになるそうなので、お戻りになってからご一緒のお昼でも宜しいでしょうか?」
「はい、全然いいです」
「じゃあその前に雪人は宿題入れて、荷造りおわらせましょうね?」
「うっきー!!」
「・・・雪人?」
 ウッキーって何?



 ・・・・・・南條家がそんな、痴話げんかの様な兄弟げんかのようなものが繰り広げられている頃。



 ―――――今、・・・何時?
 響は寝ぼけた頭で、腕を伸ばして傍らの目覚まし時計を掴んで見た。
「・・・・・・・・・げっ、昼じゃん!!」
 おかしい。さっき目覚ましが鳴って、もうちょっとだけって思ったはずなのになんで1時間もたってるよ!!
「やばい、買い物もまだ行かなきゃいけないのに」
「ん・・・、んー・・・?」
「咲斗さん起きて!もうお昼!」
 咲斗の店は、31日までお店は営業していたりするのだが、咲斗も由岐人も出社する予定には無いらしい。
 咲斗や由岐人の客ほどになると年末年始は海外に行ってしまい、来店するような事は無いらしいからだとか。しかし店には多くの客が押し寄せて、カウントダウンパーティーに酔いしれ相当の金額が落とされるらしいと小城経由で聞いた響だが、咲斗からは詳しい事は聞かなかった。
 年末年始、一緒にいられるんならそれでいい――――そう思ったから。
「さーきーとさん!!」
 ただ、昨夜は相当飲んで帰って来たりはしたのだが。
「ごめ・・・、もう少し・・・」
 半分以上寝たままの声に、響はちょっと唇を尖らせる。仕事が29日までだった響は、昨日一人で大掃除をして過ごし、ちょっと寂しかったのだ。
 それなのに。
「香水臭い」
 飲みすぎてシャワーも浴びずにベッドに潜り込んで来た咲斗は、香水と化粧と酒の匂いがする。
 しかも。
「口紅」
 ワイシャツの襟に付いたそれ。
「むかつく」
 噛んじゃえ。
「ん!?」
 咲斗が変な声を上げたけど響は気にせず、ガブリと首筋に噛み付いた。ちゃんと歯型付き。満足気に唇をペロっと舐める仕草は愛くるしい吸血姫の様だ。
「な、に?」
「なんでもない。俺は起きて、シャワー浴びて、ご飯食べて買い物に行ってくるから」
「んー・・・」
「咲斗さんは一人で寝てたら?」
 その言葉には、かろうじて首を横に振る。でも、そんなことじゃあ満足出来ない。
 仕事だって知ってる。きっと31日家にいるために無理もしたんだろうなぁって分かってるけど、でもやっぱり理性と感情は別。
 もやもやするのは、仕方が無い。
「荷物持ちに、剛誘うっかなぁー・・・」
 響はそう言い捨てて、部屋を出た。これで飛び起きて来なかったら、本気で剛と行ってやる!そう思って洗面所に向かった響の後ろから、当然のけたたましい足音。
「響!?」
「あ、おはよう」
 ―――――あ・・・やばいかも・・・・・・
 響、策に溺れる。剛の名前を出しちゃダメ。
「今、なんて言った?」
「んー・・・、何のこと?それよりほら、早くシャワー浴びて来てよ。ご飯食べよう」
「誤魔化されないよ?」
 さっきまでベッドでぐずってたいた人とは同一人物には思えない程の剣呑に光る視線に若干びくつきながらも、響だって負けない。
 伸びてきた手をペシっと叩いて叩き落とした。
「その手で俺に触るなっ」
「響?」
「香水臭い。化粧臭い。ちゃんと、咲斗さんの香りだけになって、触って」
 この時響は、普通に触って、ただ抱きしめて欲しかっただけなんだけど。それと、この状況を打破したくてちょっと強めの口調で言ってみたのだ。
 その効果は覿面。響の想像以上。
「ごめん」
 ハッとして慌ててバスルームに入っていった咲斗に、うんうんと満足した響。しかしそれは30分後にはもろくも崩れ去り壮絶に後悔する事になる。
 だって咲斗が、"剛"って単語を誤魔化されたりするはずが無いのだ。そして、"触って"の過大解釈もお手の物。






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