2度目 -3-
――――再婚?・・・再婚って何? 僕はいつも通り、晩御飯を用意していた。きっと今日も帰りが遅いのだろうと、ラップしてテーブルの上に並べておけばいいと思っていたのに。突然早く帰って来て、つれて来たのは見たこともない、母さんに似てもいない女。 そして告げられた、その言葉。 ――――だから、父さんはこの人と結婚して、もう一度やり直そうと思ってるんだ。 ――――やり・・・直す? やり直すって、何?今までの事は、やり直さなきゃいけないような失敗なの?っていうか、その人は誰だよ! ――――そうだ。母さんが出て行って、ずっとお前にも負担をかけていたし。 ――――負担、って・・・ ――――家の事をして、勉強もしてじゃぁ大変だっただろう。 大変って、僕が1回でもそんな事言った?成績だって、落としてない。それは、確かに大変だったけど、でもそれはもしかしたらもう1度昔みたいにって、ちゃんと家族に戻れるんじゃないかって、そう思っていたらから頑張ってきたのに。 父さんだって、同じ思いだって信じてたのに。 ――――譲くん、はじめまして。 誰、あんた。上品ぶって白ブラウスにカーディガンってダサいから。 ――――いきなりで驚いたでしょう? 驚いたって言うか・・・。そのはにかんだ笑顔がむかつく。 ――――・・・譲くん? いや、もう無理だから。 ――――驚かせてしまってすまない。もっと早く言えば良かったんだが、なかなか切り出せなくてな。もちろんすぐにどうこうって言うわけじゃないんだが。 ・・・・・・・・・・・・・・・もう、いい。どーでもいいから。 「譲!?」 「・・・・・・」 「ゆーずーる!!」 「っ!―――え・・・」 我に返ったら、東城和弘の顔面アップ。 「うわぁっ!」 「うわぁってなんやねん。失礼やなぁー」 って、そんなアップ見せられたら誰だってビックリする!僕は大きく一歩、後によろめいてしまった。 その僕を、東城和弘がじっと見つめてきた。眉が、少し寄ってる。 「どうしてん?泣きそうな顔してるで?」 え・・・え!?――――泣く? 「まぁ、・・・泣きたい時は泣いたらええねんけどな」 東城和弘は、いつもとちょっと違う、穏やかな笑みを浮かべて言った。 ―――っ、何、その顔。なんで、そんな優しそうな顔すんだよ。いきなり。 僕はその視線が気恥ずかしくて、目線を合わせたくなくて視線を泳がせた。だって、そんな目で見つめられるのなんか、凄い久しぶりで。 久しぶりすぎて、――――どきっ、てする。 東城和弘なんかに、どきってしたってしょうがないのに。 ぼーっとしていた間に信号が、赤から青へ変わっていた。僕が渡ろうと前を向き直ると、その交差点に1台の車が滑り込んできて、止まって。 「あれー!!冬木!?」 「佐々木っ――――圭・・・」 ずっとずっと会いたかった、圭が。そこに、いる。その姿を認めて、心臓が、ズキってした。 「あれっ、澤崎!?」 固まったままの僕の横で、今度は東城和弘が圭の顔を見て驚いた声を上げた。 「・・・東城!?・・・え、なんで譲くんと?」 圭も、東城和弘と同じくらいに驚いた様子で、車を寄せて止めて運転席から降りてきた。 あ・・・これってもしかして佐々木とドライブ中だったんだ。黒の車がかっこよくて圭に似合ってるけど、これって圭の車じゃなくて、佐々木家の車なのかな。 「俺は、今隣同士で住んでて、それが縁で知り合ってん。そっちこそ、・・・知り合いなん?」 いっつも、こんな風に二人で出かけたりしてるんだろうか・・・圭が運転して、佐々木が助手席で。 そう思うと、心臓がズキズキした。 「俺が関東にいた頃、譲くんとは近所に住んでいて仲良かったんだ。こっちに来てからも時々は訪ねて来てくれていたりして、今で付き合いがあるんだ」 車を見つめていた視線をずらすと、こっちを見ていた佐々木と目が合ってしまった。何も知らず、無邪気に笑顔を向けられて、僕は思わず目を逸らしてしまうと、今度は東城和弘の笑い顔が目に入った。 「そうやったんや!?はは、世間って狭いなぁ」 そう言って、僕の肩を叩く。 「圭。圭はその人とどういう知り合いなん?」 黙っていた佐々木が、圭の背中に軽く触れて。圭の視線が佐々木に戻される。 佐々木に目を向けた途端に、ふわっと自然に圭の顔に浮かんだ笑み。いつも、そんな目で佐々木を見てるんだ?そんな優しい眼差しで。 「東城は私の大学時代の知り合いなんですよ」 胸が、痛い。 「友達?」 ザクザク、痛い。 「友達と言うほど親しくはなかったですね」 圭は佐々木の言葉に、なんだか曖昧な笑顔を浮かべた。何か、因縁でもあるんだろうか?僕は東城和弘の横顔に視線を戻すと、こっちも何か苦笑を浮かべている。 東城和弘と圭が知り合いだったなんて。それだけで、なんだかまだ圭と糸が繋がっている気がしてしまう。それが、どんなに細くても。 「その少年は誰なん?」 「ああ。俺がずっとお世話になっている家の息子さんで、遠縁にもあたる佐々木夏くん。譲くんとは同級生でもあるんだ」 「へぇ〜じゃぁ仲良しなんや!?」 東城和弘が、少し目を見開いて僕を見る。その顔が少し笑顔な理由がわからない。だって、仲なんか良くないから。 僕は佐々木が、大嫌いだから。 「うん」 佐々木の相槌が、勘に触った。 当たり前の様に圭の横にいて、人の気持ちにも気づきもしないで。"うん"なんて、軽々しく同意するな。 僕は唇をぎゅっと噛んで、佐々木を見つめて。 ――――あ・・・っ 視線をずらした瞬間、圭と、目が合った。 心臓が、止まるくらいにドキンと激しく跳ねた。 圭。 その時、車のクラクションの音が響いた。圭が止めた車が邪魔になるのか、後続の車が鳴らしたのだ。 「悪い、もう行く」 「おう」 圭は後続の車に軽く手を上げて、急いで運転席へと戻っていく。意外なことに右ハンドルで、外車じゃなかった。 圭が扉を開ける。ああ、圭が、行ってしまう――――― 「譲くんも、いつでも遊びに来て」 車に乗り際、いつもの僕のよく知る笑顔で圭がそう言った。 圭。――――それって・・・ 「これからラーメン喰いに行くんだ!ここの先にある"風来亭"ってとこ。マジ上手いからお勧めやで!じゃぁーな!!」 佐々木はそう言うと、嬉しそうな顔で車に乗り込んで。圭もちゃんと軽くこちらに視線を投げかけて笑ってくれたように見えたけど、圭の言葉の意味がわからない。 遊びに行ってもいいの? 会いに行っても? 佐々木にひどい事したのに? それとも――――僕に会いたい・・・・・・とかじゃないよね、やっぱり。 あの日、以来だったのに。顔を合わすのは、あの日以来だったのに。 もっとしゃべりたかった。 でも、圭にとってはやっぱり佐々木が1番なんだ。 圭が佐々木を見つめていた視線を思い出す。それだけじゃない、圭はいつも佐々木の事を思ってる。 僕が引越しの挨拶に行った時も、いなくなった佐々木を心配して、僕の事なんてもう目に入ってなかった。 佐々木の足が怪我してて、迎えに来たときも。とろける様な甘い顔で佐々木を見ていた。僕なんか、眼中にない。 そうだ。佐々木の家に遊びに行くって事は、それを見せ付けられるって事だ。そんなの、行けるはずなんか、ない。見たくないもん。 それなのに、どうしてそんな事・・・圭・・・わかんないよ――――圭・・・ 「なんや、元気な子やったなぁ」 「そー、だね」 元気バカだ。あんな奴。 「かわいらしい子やなぁ。――――さて、行くで」 ・・・かわいらしい子? 「かわいらしい?」 思った言葉が、口に出た。 「おう。なんかころころ笑って。澤崎が大事にしてるんもわかる気がするわ」 カチンって、来た。 「そう?」 ムカついた。我慢出来ないくらいに。 「おう」 東城和弘のくったくのない言葉が、僕の中で何かを押した。アンタもか?――――そう、思ったのかもしれない。もう、わからないけど。 「―――どうしてん?ほら、行くで」 歩き出さない僕を、東城和弘は笑みを浮かべて振り返った。 「譲?」 ブチって、何かが切れたんだ。 「・・・呼び捨てにするなっ」 「譲?」 東城和弘の顔が、不審気に曇る。 「うるさい!」 「――――」 「あっちがいいなら、あっちに行けばいいだろう!!僕はっ――――僕は大体アンタなんか鬱陶しくて大嫌いだったんだから」 僕は、何が言いたいのだろう。意味が分からない。 「今日だって、本当は家でごろごろしてたかったのに」 ただ、何かに押し流される様に言葉が滑り出していくけど。 「ヒーターなんかいらなかった!」 東城和弘の顔は、どんどん固くなっていく。 「何もいらない。あの部屋には何もいらない!」 きっともう、道ですれ違っても言葉を交わす事はなくなる。そうやって、誰も僕になんか笑いかけなくなる。 「あそこは、仮住まいなんだ!」 「・・・仮?」 「そうだよ!」 そう。きっと、父さんがあの女との結婚を辞めて、迎えに来てくれるまでの。僕を置いて出て行った母さんが、ごめんねって会いに来てくれるまでの。 圭が、僕を選んでくれるまでの。仮の住まい。 「だから、何もいらない」 そこに定住するみたいに、物なんか増やしたくない。そんな一人っきりの生活なんか、嫌だ! 「譲・・・」 嫌だ。なんで僕ばっかりが一人なんだ。どうして僕ばかりが失わなきゃいけないんだ!! 「アンタなんかっ!」 ――――アンタなんか・・・っ 僕は、思考もメチャメチャで。何を口走っているのかなんか全然わからない。ただ視界の先、横断歩道の向こうで東城和弘が少し顔を歪めて立っていた。その東城和弘がチャリを止めてこちらに戻ってきた。 「譲?」 ・・・な、に? 「泣いてるんか?」 「え・・・?」 泣いてる? 僕は東城和弘の言葉に、手を頬に当てると、確かに僕は泣いていた。 「そんなに辛い事があるんか?」 その言葉に、僕は恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じた。八つ当たりが、見透かされているようで。自分の惨めさを、諭されたようで。 「うるさい!」 「譲」 叫んだ僕は、東城和弘が伸ばしてきた手を振り切って。その上げた手で、東城和弘の身体を殴るように押しのけて、走り出した。 「譲!!」 慌てた様な東城和弘の声が聞こえたけど、知ったことじゃない。拳が、東城和弘の肩にヒットしたような気がしたけど。そんな事も気にしていられない。 もう全然自分の思考がわからない。 なにを東城和弘相手に口走っているのか。何が言いたかったのか。果たして言いたかったことなんてあったのか。それさえも分からない。自分がどうしたいのかさえもわからないのに。 ただ分かっているのは、一人が嫌で。誰かを求めていること。 ただ、愛されたい事。 それだけ。 佐々木みたいに、大好きな家族と、大好きな人に愛されていたいだけ。 それがどうして自分には手に入らないのか、それがいくら考えてもわからない。どうして、自分だけが一人なのか。 「うわっ!――――痛っ!」 無我夢中で走って。格好の悪い事に足が絡まって転んでしまった。アスファルトで手のひらを少し擦りむいて、とっさに付いた膝を強く打ち付けた。 痛い。 うっすらと血の滲み出した手のひらを見つめると、情けなさに新たな涙が溢れてきた。 「・・・・・・はぁ・・・」 僕はため息をついて立ちあがって。もう走る気力もなくなって、今度はとぼとぼと歩き出した。膝がじんじん痛んだ。 それから何分くらいかかったのだろうか。よく道を覚えていたと思うけど、気づいたらアパートに辿りついていた。 見上げてアパートを確認して、一瞬の間のあと僕は転げるように部屋へと戻って。片隅に畳んである布団を広げて頭からかぶって潜り込んだ。 寒い部屋。 寒い心。 布団で全部暖めてしまおう。 いや、このまま凍死してしまってもいい。 潜った布団の中の暗闇の世界。ずっとここにいたい。 僕はミノムシみたいに包まって。 遠くで聞こえる、チクタクという時計の音だけを聞いていた。 ただ、寂しい。 寂しい。 寂しい。 寂しいんだ・・・・・・ |