いつごろからそう思うようになったのか、俺は彼に会ってみたいと思った。 父上に、絶対近づいてはいけないと言われた、迷いの森。 精霊達に支配され、その形を自在に変える事の出来る森。一度入ったら最後、出て来られなくなると言われたそこに彼がいる事を俺は噂で知っていた。 父の手によって、玉座を追われた前王のたった一人息子。唯一の生き残り。 本当なら自分の立場にいたはずの男。 それがどんな奴なのか、見てみたかった。 本当ならば、赤子の時にその前王と母である王妃と共に処刑されるはずだったのに、精霊王が邪魔した。 自分が引き取る、と。 滅多に人間世界に関与する事のないその王の言葉は絶対で、父上も逆らう事は出来なかった。 それから19年。本当に彼がまだ生きているなら20歳になっている。 世が世なら、王位継承式を迎える年だ。 俺は会って確かめたかったのかもしれない。 俺の方が上だって事を。 俺の方が今の地位にふさわしいって事を。 それは、特に今の地位を欲しているわけではなかった俺の、今にして思えば、ガキくさい我侭。プライド。自尊心。そんな、つまらない物だったと思う。 その森に一歩足を踏み入れれば、森の精霊の機嫌次第では二度と出てこられないかもしれないと言われても、俺は迷わなかった。 今思えば、怖さを知らなかった子供の無謀だろう。 けれど、俺は森の中を迷うどころか、導かれるようにしてその男の住む場所までたどり着いた。 初めて見たその男は、俺が思い描いたよりもずっと綺麗で、気高い空気をまとった男だった。 ―――・・・貴方が、ルシアン・ド・ルイス? こんな森の中でただ一人育ったというのに、その身体に漂う風格に俺は圧倒された。 ―――ええ、そうです。ケイ=ギュ−ン・ド・ルイス皇子 ―――どうして・・・俺の名を? ―――精霊達が教えてくれました。貴方が来ると。 ―――ああ・・・・そうか ―――ええ 腰までのある銀の髪。どんな空よりも澄んだ濃い蒼の瞳。 ぬけるように白い肌。 ―――全部、お見通しか・・・ ―――ええ 少し笑った顔の心を奪われた。こんなに美しい人を、俺は知らないと思った。 + + + + + + + + + + + + + + + + あれから年月を重ね、俺は今年ようやく無事20歳になった。 「皇子!!お待ちください、皇子!!」 そしてたった今、長く退屈な王位継承式を済ませたばかりだ。 王位継承式といっても、何も今すぐ王位につくわけではない。王に何かあった時は俺が王になりますよと、国内外に宣言しただけの事。あの親父がさっさとくたばってくれたわけでもない。 さっさとくたばってくれれば万々歳なんだがな。 そして俺は今、自室へ戻るべくこのくそ長い廊下を早足で歩いていた。俺は今から行かなければならない場所があるのだ。その為にも、この重たいだけの衣装をさっさと脱いでしまいたかった。 「お待ちください!皇子」 「皇子、王陛下がお呼びでございます!!」 「帰ってきたら伺うと言っておいてくれ」 今、行くわけねーだろ、何言われるかもわかってんのに。ばかじゃねーの? 「皇子!!どういうつもりであの様な事をおっしゃったのですか!!」 ぞろぞろとついてきやがって、鬱陶しい!! 「そのままの意味だ」 「貴方様は、御自分の何をおっしゃった事の重大性がわかっていらっしゃるのですか!!」 「ああ」 十分に分かっている。その事で大騒ぎになるだろう事もわかっていたさ。 「いいえ!いいえ!!全然わかってらっしゃいません!!」 長い廊下、俺はかなり足早に歩いてるのに、それでもまだ宰相やら次官からがぞろぞろ付いてくる。 「あのさ、王位継承式で王位継承者はたった一つ、何を望んでもいい決まりじゃなかったのか?これからの人生を国と国民に全てをささげて奉仕する約束を交わす代わりに、最後にたった一つどんな望みでも願ってもいい決まりです、と式典の前に司教から言われたのだが違ったか?」 「それはっ!それは確かにそうですが、しかし、言っていい事と悪い事が・・・」 『それは建前です』とはっきり言えないのか、ばかばかしい。ま、俺もそれがわかっていて利用したんだけどな。 「俺は真実今、1番、欲しい者を言っただけだ。これ以上ごちゃごちゃと付いて来るな!」 俺はこれ以上話す事はないと態度で示し、後から後からついてくる宰相どもを追い払った。 元々俺には王位なんて物、本当はどうでも良かった。もちろん血筋から考えると、俺が継ぐのが順当なのだが、妾の多い父上には俺のほかにも息子はいる。 けれど、俺は王位を望んだ。王位を望んだというよりも、王位継承式を必要としたというところなのだが。 何故ならそれが、たった一人、一番欲しい人を手に入れる為の唯一の方法だったから。 俺は王位継承式の席上、彼を森から出し、俺の側に置く事を望む事を宣言した。 それは前王の遺児を解き放つ事になり、クーデターの上、今の地位を手に入れた王や、それに加担した見返りに今の地位を手にした側近達には、受け入れがたい事だろう。大騒ぎになるのも仕方ない。 しかし、俺は既に宣言し、式も終了してしまったのだ。今更撤回も出来ない。 考えられる方法は、彼を迎えに行く前に俺を殺す事くらいだろうが、俺はそれを見越しでこの日の為だけに5年間、必死で剣を学んだ。それだけではない。十分な根回しと取り込みはしてある。 今さら慌てたところでどうしようもないさ。 俺は、大騒ぎになっている城から、さっさと抜け出した。 5年ぶりの森は、以前来た時とは少し風景が違っていた。でも、俺は何も恐れる事もなくその中に入った。迷う事はないとわかっていたから。 5年前に精霊王と約束していたのだ。 『再びここへ彼を迎えにきた時は、その道を案内しよう』と。 だから、今歩いているこの道は間違いなく彼へと繋がっている。 ――――ほら。いた・・・ 5年ぶりに見る彼は、ちょうど育てている野菜に水を上げているところだった。 俺は黙って彼の後ろ姿を眺める。たぶん今なら俺のほうが少し背が高いだろう。 それ以外は何も変わってない。長い銀の髪も、きっとその瞳の色も。 ほら、やっぱり。 彼は俺の視線に気付いたのか、その長い髪を揺らしてこちらを振り返った。そして彼の目が一瞬、驚きのためなのか、見開かれる。 「やあ」 俺は、たぶんちょっと緊張してぎこちなかったと思う。 「・・・・・・」 「迎えに来るって言っただろう?遅くなってごめん」 「何故・・・・」 「え・・・?」 一瞬、彼の瞳が切なそうに寄せられたような気がしたのは、気の所為だろうか? 「ダグロード!どういう事です?」 彼はいきなり誰かを呼んだ。 「呼んだか?」 後ろからいきなり声がして俺は慌てて振り返った。 「あ・・・・・」 精霊王!!って、精霊王を・・・・・・・呼び捨て? 「どういう事ですか?これは」 彼は再度、強い口調で精霊王に言う。 「俺はお前の願いを聞くとは言ったけど、叶えてやるとは一言も言わなかったはずだ」 少しからかいを含んだような物言いに、彼は精霊王を睨みつける。 一体何の事なのか、俺にはさっぱりわからない。 「あの・・・・・」 「帰って下さい今すぐ。その男が道を教えてくれますから」 5年ぶりに、俺に向けられた彼の言葉は、予想もしてなかったはっきりとした拒絶の言葉だった。 「は!?何を言ってる?俺は貴方を迎えに来たんだ。何故一人で帰らなければいけない?」 「私はそんなこと頼んでない」 「約束しただろう!」 「してたな」 「貴方は黙っていてください」 笑ってくれると思っていた。 迎えに来た事を喜んでくれると思っていたのに。 遅くなった事に少し怒って、でもすぐに許してくれて、待っていたと言ってくれると思っていたのに、まさか門前で追い返されるなんて考えてもみなかった。 「あの時、ちゃんと約束しただろ?かならず迎えに来るからって」 「ええ」 「その約束を守りに来たんだ」 ショックで、声が震えている。 「はい」 「俺の側でいられるようにする。ちゃんと了承も取ってる」 「ああいうのは、了承とはいいませんよ」 「っでも!誰にも文句は言わせない!」 「・・・・・・・・」 彼は凄い困った顔で俺を見ていた。 笑ってはくれない。 俺は、ただ、貴方の笑顔が見たかったのに。 「なぁ、なんで・・・」 たった一度も笑ってくれない貴方の、笑顔が欲しいだけなのに。 「とりあえず、中にくらい入れてやれば?坊やだって5年必死でがんばってたんだぜ」 彼は精霊王の言葉に仕方なさそうな顔して、俺を中に入れてくれた。 |