「よっ」
 迷いの森の中、いつもと変わらない日常がまた始まろうとしていた朝に、いきなりダグロードがやってきた。
「・・・・・珍しいですね、こんなに朝早く」
 この男は私の命の恩人で、一応私の育ての親というべき人。そして、この世界の精霊王として君臨する男。その男がうさぎ片手に、にやにや笑いながらやって来たのだ。
「みやげ」
「・・・・・狩ったんですか?」
 精霊王自ら狩りをするとは珍しい。それを受け取りながらも、ついつい困惑顔でダグロードを見上げてしまう。夕飯を共にという事だろうか?
「また、ケーキ焼くのか?」
 ダグロードが私の手元を見て、呆れたように言う。
 そう、私はほぼ毎日ケーキを焼く。来るはずのない人を待ち続け、食べられる事のいないケーキを。けれど私はそれで十分だった。結果を期待しているわけだはない。夢をみているだけ。だが、この男はそれが気に入らないらしい。
 『無駄』という事なのだ。
「ほっといてください」
 いつもならここで、皮肉の一つも言ってくるのだが、今日は意外な言葉が返ってきた。
「しっかり焼けよ。今日はそれは無駄にはならないだろうからな」
 ―――・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・え?」
 私はダグロードの言葉が理解できず、我ながら間抜けな声をあげてしまうまで、たっぷり1分は間が空いたと思う。そんな私を面白そうに見て、ダグロードは今入ってきた扉から出て行こうとする。
 その後を私は慌てて追った。 
 言葉の意味が、ゆっくりと頭に浸透して来て。
「うさぎは、ディナー用にと思って、わざわざ狩って持って来てやったんだぜ。腕、ふるえよ」
 男はにやっと笑う。
「待って!」
 今にも空気に溶けて、その姿を消そうとするダグロードを私は呼び止めた。自分でも、悲鳴に近いような声だったと思う。
「彼が、ここへ来るんですか・・・・・?」
「ああ」
「どうして・・・・・・・・・・」
「そりゃあお前、あん時の約束を守るためだろ。坊や、随分がんばってたからな」
 喉が渇いて来て、声が喉に張り付くような気がする。
「どう、いう・・・・・・・意味ですか?」
 がんばったとはどういう事だろう?一体彼は何をしたというのだ。
 確かにあの時、彼は、迎えに来ると言った。けれどそんな事できるはずがないと、思っていた。ただ、そう言ってくれた、彼のまっすぐな瞳が、うれしかった。
 純粋さがまぶしかった・・・・・・・・それだけ。
「坊やは今日20歳になり、王継承式が行われる。その席上では、王位継承者はたった一つ、何かを望んでいい事になっている」
 全てを諦めて、無の中でしか生きられない自分と違う彼が、妬ましく、腹立たしく、そして、うらやましかった。
「・・・・・・・・はい」
「っていっても、昔はともかく今は形骸化されていて、言うセリフも決まっているんだが、坊やはそんな事無視して、その席上でお前を望むんだ」
「・・・・・・・・私を・・・・・・望む?」
「ああ、お前をこの森から出して、自分の側に置く。それを、宣言する」
 まさか――――っ!
「ちょ、ちょっと待ってください!!そんな事―――――そんな事、止めさせてください!!」
「なんで?」
「なんでって、そんな、そんな事出来るわけがないっ。許されるわけがないでしょう!!」
 あんな約束、別に本気にしてたわけじゃない。ただ・・・・・・・・・・・ただ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あのね、坊やはそんな事、ぜーんぶ分かってるよ。だから、時間をかけて回りを引き込んで、地固めして、下準備したんだろうが」
「準備したって・・・・・・・・・・」
 自分は、前国王の遺児で、幽閉された身の上で、そんな人間が、次の国王の側に仕える!?そんな事が許されるはずがない。下手をしたら、彼が、消されてしまうっ
「奴はランチには間に合わないだろうが、アフタヌーンティーには間に合う時間には来るんじゃねーかな。良かったな」
 良かった・・・・・・・・・?何が!?全然良くない!いいはずがない――――――
「ダグロード。お願いがあります」
 私は、その一言を随分冷静な口調で言えたと思う。
「なんだ?」
「彼をここへは通さないでください」
「はぁ?」
「そのまま追い返してください」
 迷いの森は、ダグロードの意思一つで形を変える。彼を来れなくする事など、この男にかかればたやすい事なのだ。
「お前ねぇ・・」
 未来なんていらないから。
「お願いします」
 過去の思い出だけでいい。
「後悔しねーの?」
 輝いていて欲しいから。
「はい」
 私なんかで躓かなくていい。
「・・・・・・・・」
「ダグロード」
 ダグロードは無言で肩をすくめる。
「お願いですから。私は今まであなたに何か頼んだ事がありましたか?」
「―――いいや」
「これが、最初で最後です。だから、たった一つの願いを叶えて下さい」
 私は必死だった。この男の協力がどうしても必要だったから。この男が協力してくれなければ、ここへ彼が来てしまう。
 もう1度、出会ってしまう。
 それだけは、避けたかった。
 宣言するならそれでもいい。止められないなら仕方ない。けれど、肝心の私に会えなければなかったも同じだ。
 私たちはしばらくの間、微動だにしないでお互いを見ていたが、了承してくれたのか、ダグロードはため息をついてその姿を消した。
 願いは聞き入れられたのだろうか?

 彼には、華やかな未来がある。

 輝ける可能性がある。

 その事をダクロードは理解してくれただろうか?

 私の存在が邪魔になる事を・・・・・・・・・・・



 彼が、

 あのまっすぐな瞳のまま進んで行ってくれるなら、私は何もいらない。

 ただ、ここでケーキを焼き続けている。それだけでいいから・・・・・・・・・・・









+ + + + + + + + + + + + + + + +





 家の外に出て、育てている野菜や庭木に水をあげていると、ケーキの焼ける甘い匂いが、風に乗って漂って来た。
 もし、彼が本当にこの森の入り口まで来ているなら、匂いくらいは届くといいと思う。
 ダグロードに頼んで、ケーキだけでも届けてもらえば良かっただろうか・・・・・・・・・

 いや、それじゃぁ、会いたくなってしまう。

 決めた事なんだから。

 会わない。

 会わないって・・・・・・・会っちゃいけないって・・・・・・・・・




 私はなんとなく、気配を感じて振り返った。



「やぁ」
 ・・・・・・・・・・・・・・ああ・・・・・・・・・・なんでっ
「迎えに来るって言っただろう?遅くなっちゃったけど、やっと来れた」
「何故・・・・」
 そこには、彼が立っていた。あの日と変わらない。いや、あの日よりも随分と大人っぽくなった。その姿を見ただけで、会わないと思っていた気持もくじけて泣きそうになる。駆け寄って抱き締めたくなる。
けれど・・・・・・・・・・・・
「ダグロード!どういう事です?」
「呼んだか?」
「どういう事ですか?これは」
 何故、彼がここにいるんです?
 私は、彼の後ろに立って相変わらずにやにや笑っている男を睨み付けた。
「俺はお前の願いを聞くとは言ったけど、叶えてやるとは一言も言わなかったはずだ」
 この男は!!
「あの・・・・・」
「帰って下さい今すぐ。その男が道を教えてくれますから」
 私は、彼に背を向けた。もう、これ以上1分1秒たりとも長く彼の姿を見ていたくなかった。
「は!?何を言ってる?俺は貴方を迎えに来たんだ。何故一人で帰らなければいけない?」
「私はそんなこと頼んでない」
「約束しただろう!」
「してたな」
「貴方は黙っていてください」
 この男は本当に頭にくる。
「あの時、ちゃんと約束しただろ?かならず迎えに来るからって」
 背を向けて見えないけれど、きっと変わらないまっすぐな瞳で見ているんだろうと思う。 「ええ」
「その約束を守りに来たんだけど」
「はい」
 その瞳が見たくて、彼の姿をもう1度見たくて、私はその誘惑に勝てずに振り返ってしまう。
「俺の側でいられるようにする。ちゃんと了承も取ってる」
 ・・・・・・・・・そんな、泣きそうな顔しないでください。
「ああいうのは、了承とはいいませんよ」
「っでも!誰にも文句は言わせない!」
「・・・・・・・・」
 その純粋さが、好きですけどね。
 そんな、泣きそうな、困ったような顔しないでください。わたしが、悪い事をしているみたいじゃないですか。
 そんな、捨てられた子犬みたいな顔しないで。

 決心が揺らぐ。揺らいでしまう。

 貴方の為に、決心した事なのに、全然わかってないんですね。

「とりあえず、中にくらい入れてやれば?坊やだって5年必死でがんばってたんだぜ」

 ダグロードのその言葉に、彼がはじかれた様に私を見て。私は彼を家に招きいれる以外に、しようがなかった。

 いや、そんなことはいい訳ですね。

 ケーキがいい匂いを漂わせていて、彼に一口でいいから食べてもらいたいという誘惑に、勝てなかっただけ。









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