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「咲斗さん、俺起きるからね」
 自分をしっかり抱え込んで寝ている咲斗に響は声をかける。今日は洗濯をしようと思っていたから、早めに起きたかったのだ。
 最近ではすっかり暖かくなってきたとはいえ、まだ春先。こんな時期は変な時間から干し出すと、その日のうちには乾かなくて少し湿った状態で部屋干ししなければならない。それが響は好きじゃ無い。もちろんここには乾燥機もあるのだが、響はそれも好きになれなかった。
 ―――――なんと言われようと、やっぱりお日様の下で乾かした物の方が気持いいもんな。
 だから、離して欲しいんだけど。
「ん・・・」
 咲斗はまだ夢の中で、響の身体を離そうとはしない。
「咲斗さんっ」
 少し、響が声を荒げるとその腕に一層力が入る。
「響、もうちょっと・・・まだ、早い・・・」
「もう10時前なの。おなかも減ったし洗濯もしなきゃいけないし。咲斗さんはまだ寝てていいから」
 ・・・だから、腕を離して。その心の呟きが聞こえたのかどうなのか。
「んー・・・キスしてくれたら、離してあげる」
「はっ!?」
 朝一のその言葉に、響が固まる。咲斗とのキスは何回もしたし、それ以上の事だって何回もした響だけど、やっぱり自分からするのはちょっとまだ抵抗がある。だいたい、朝起きるだけでなんで毎朝こんな大変なのだろうかと思う。
「はぁ・・・」
 一体どうしたものかと、響の口からは自然とため息が洩れる。
 ―――――いっそ開き直って、キス1回1万円とかにしたらいいかもっ!?
 それは、ちょっと良い考えかもしれないと響は思う。そうしたら少しとはいえ借金の足しにはなる事は間違いない。
 でも。
 ―――――・・・うーん・・・・・・・・・なんか、嫌だな・・・・・・
 響は自分で考え付いたくせに、すぐにそれを打ち消すように頭を横に振った。何が嫌なのかわからないけど、でもなんかそれは嫌だと、思ったのだ。キスを売る事が。
「響・・・」
 黙ってしまったと思ったら、いきなり嫌々と頭を振り出した響に対して、そんなにキスするのが嫌なのかと今更らながらに咲斗の心が痛んだ。なかなか顔を上げない響を、自業自得とはいえ咲斗は苦い笑みを浮かべて見つめるしか出来なくて、正直朝から気分が凹む。
 すると、響のくぐもった声が聞こえた。
「・・・目、つぶれ」
「―――」
 その唐突な命令口調かわいくて、今まで浮かべていた痛い想いと苦い笑顔が、自然と変わるのを咲斗は感じた。響のちょっとした言い方や仕草、態度に一喜一憂してしまっている。
 ―――――ホント、毎日飽きないな。
「目、つぶった?」
 きっと真っ赤になってるだろうその顔を見る事が出来ないのは少し残念だけど、咲斗は仕方ないなと目を閉じる。すると、響がその唇を微かに触れさせた。
 それは触れたというか、かすったというのかというくらいで、キスと呼ぶにはあまりに幼すぎて。それで逃げようとする響の唇を咲斗は追いかけて、もっと深い口付けをその口に落とした。
「うっ!・・・っ・・・・・・ふぅ・・・・・・」
 歯列を割って舌を差し入れ、響の口の中を咲斗の舌が犯す。思わず逃げる響の舌を咲斗は絡めとり、それを軽く吸うと響の背中が震えた。
「んんっ・・・・ふぁ・・・・ぁ・・・・・・っ」
 いつしか、目をぎゅっと閉じているのは響の方で。そのキスに翻弄されている間に咲斗の足が響の足の間に潜入してきて、その太股で響の股間を擦り上げてくる。その新しい刺激に、途端に上手く息継ぎが出来なくなってしまう響は苦しくて、咲斗の身体を引き剥がそうとその背中を何度もひっぱった。
 ・・・もう死ぬっと思った瞬間、響はようやく開放された。
「はぁ・・・はぁ・・・ぁ」
 やっと十分に得られるようになった酸素を取り入れようと、ぜいぜいと肩で息をする響を、先手を打つが勝ちとでも言うように咲斗は組み敷こうとしてきた。
「ちょっ・・・」
 その不穏な動きを察知した響は、慌ててその下から逃れようと暴れる。そんな事になっては、せっかくの洗濯のチャンスを逃がしてしまう。
 響にとってラッキーだったのは、まだ咲斗が完全に目覚めきっていなかった事だろう。いつもより少し鈍い動きに助けられて、なんとかその手を振り解いてベッドから這い出す事に成功した。
 これがシャワーでも浴びた後なら、絶対に逃げる事なんて出来なかっただろうが。
「お風呂沸いたら呼びにくるからっ」
 逃げ腰のまま慌ててそう言い残すと、響は素早く部屋から脱出していった。
 その逃げ足の速い事、咲斗は捕らえ損ねた獲物の消えた扉を見つめ、笑うしかなかった。




・・・・・





 その午後、もうすぐ2時になろうかという時由岐人から電話が入った。
「由岐人さんなんだって?」
「なんか、用事があるから今日は一人で行けってさ」
「そうなんだ。はい、午後ティー」
「ありがと」
 こないだの買い物の時に響が飲みたくて買ってもらった午後ティー、意外とハマってしまったのは咲斗の方だった。それ以来、出かける前にいつも飲んでから行くようになっている。そんな咲斗を意外に可愛いなんて響は密かに思っていたりする。
「なんか足りない物とかある?あれば買ってくるけど?」
「ううん、大丈夫」
 ちゃんと1週間〜10日分の計算で買ってあるので、特に足りない物などは今のところなかった。そういうと点では、響は家事上手と言えるだろう。
 午後ティーを飲み干した咲斗はおもむろに立ち上がり、咲斗がいる時は部屋の隅においてある鎖を手に戻って来た。そしてそれを、いつもの様に響の足にかけようとする。
「ねぇ・・・もう、これ止めない?」
 今まさに自分の足にはめられそうになっている物を眺めて響は言った。
「・・・・・」
 咲斗がチラっと響に視線を投げる。その顔は今までとは打って変わって無表情で、何も読み取る事は出来なくなってる。その、冷めた視線を内心びくびくしながら受ける響だが、一旦口にした以上ここで黙る気はないようだった。
「逃げたりしないし、ちゃんとここにいる。だから・・・それ、付けないで欲しい・・・なんか、それ付いてるの・・・」
 ―――――悲しい・・・
 その鎖をつけられる度に、その重みを感じる度に何故か心が痛くなるのだ。むしょうに悲しくなって泣き出したくなる。
 それを言えばいいのに言えない響の想いは、咲斗には届かない。
「ダメだ」
「咲斗さんっ」
 響の想いも知らず、無下に言い放つ咲斗に響は細い声を上げる。
 ―――――嫌なのに・・・・・・・
 どうしてわかってくれないのだろうと悲しくなる。けれど、何をわかって欲しいのか何故こんなに悲しいと思ってしまうのか、その理由を響自身まだわからずにいた。
 ただ、嫌ななのだ。
「響・・・」
 少し困ったような咲斗の声。
「こんなの、やだよ・・・・・・」
 ―――――こんな風にされるのは嫌だ・・・
 鎖で繋がれているなんて、どう考えても普通とは言いがたくて。その状況が悲しい。何かを否定されている気がして。最近感じる、穏やかな空気も優しい眼差しも、切なくなる声も、暖かい言葉も、全部が色褪せて見えてしまう。それが、作り物だと突きつける様に。
「響」 
 咲斗の声に、響はぎゅっと目を閉じてしまう。
 どうで咲斗は聞き入れてなんてくれないのだと、感じたから。わかってくれないなら、もういい。好きにしたらいいんだと、投げやりに思ってしまう。
 ―――――勝手にしたらいいんだ。・・・・・・どうせ・・・
「―――っ」
 ――――・・・・・・どうせわかってなんてくれない。・・・僕なんて―――ただの代わり・・・・・・・・・
「響、目を開けて」
 ため息交じりの声とともに、咲斗の指先が響の頬に触れた。
 けれど響は瞳を閉じたまま、嫌々と首を横に振る。瞳なんか開けない、見送りもしてやるもんかと些細な意地を張っみる。どうせ好きな様にしてしまう咲斗への、ささやかな反抗。
 そんな響の態度に、頭上で大きなため息が漏らされて響の身体がビクっと震えた。
 ―――――叩かれる、かな?たたかれた事はないけど・・・
 意地を張ってみたって、やっぱり怒られたり嫌われたりするが怖いと響は思う。
 ―――――なんで、嫌われるのが怖いんだろう?
 フッと浮かんだ思いに響は思わず内心首を傾げてしまった。最近自分の思考がよく分からない事がある。どうしてだろうかと、この状況で自分の考えに引き込まれた響は、咲斗が立ち上がってどこかへ行った気配にハッとした。
 ―――――な、に・・・?
 今更瞳も開けられなくて、響はぎゅっと目を瞑ったまま咲斗の次に何をするのか、その行動にびくびくしながら耳を澄ましていた。
 どうされるのか。何をされるのか。不安で、怖い。
 前みたいに縛られてローターとか入れられたらと考えると、あの時の辛さを思い出して響は今すぐにでも謝ってしまいたいような気持ちになる。けれど、そうするには響はちょっと意地っ張りで。
 どきどきしながらじっと待っている時間は1秒1秒が長く感じられる。響はうつむいたまま、じっと咲斗の次の行動を待っていたけれど、それはいつまでたっても降りかかってくる事がなくて、とうとう待ちきれなくなった響は恐る恐る瞳を開けた。
「・・・あ・・」
 1メートルくらい離れた所で、咲斗は椅子に座ってじっとこっちを見ていた。そこには響が想像していたのとはまったく違う、仕方ないなって感じで笑う咲斗の顔があった。目が合うと、咲斗は椅子から立ち上がり響の前、フローリングにそのまま座る。
「いい?もし、勝手に部屋を出たりしたら、今度はこんな鎖じゃなくて、椅子にでも縛り付けて行く。もちろん服もあげない」
「・・・・・・」
「一日中太いバイブいれて、ここにもピアスして」
 そう言うと、唐突に咲斗の手が響のモノに触れる。
「ん、嫌ぁっ」
「鞭で気絶するまで打ち付けるから」
「・・・っ・・・痛いのは嫌だ」
「大丈夫、痛いのも快感になるよ」
 泣きそうに情けない顔をした響に向かって、悪魔のような笑顔を浮かべて咲斗は言う。
「そんなぁ・・・」
「わかった?そんな風にされたくないなら、絶対部屋からは出ない事だよ。いいね?」
 咲斗の言葉に、うんうんと、響は首ががくがくするほどに縦に振る。
「こら、そんなにしたら・・・」
 ばかになっちゃうよ、と困ったように咲斗は笑って響を抱きとめる。
「逃げたりしたら、本当に許さないから」
「・・・うん・・・」
「逃げたって、絶対捕まえるから」
「・・・うん」
 ―――――それは、何?
「一生、逃がさない」
 ドクン。
 ―――――どうしてそこまで?・・・それは聞きたいのに、聞けない事。
 咲斗はそのままその場に響を押し倒して、いってらっしゃいのキスにしては濃厚すぎるキスをする。
「じゃぁ、行って来るね」
「うん、いってらっしゃい」
 その強すぎるキスの合間に胸の突起にまで指を這わされれば、響のモノはしっかり反応してしまっていて息も上がってしまう。
「続きは帰ってからね」
 それなのに、そんな反応も全部お見通しのはずなのに、咲斗はにっこり笑って言って響の身体を離した。
「・・・っ・・・・」
 響はそれを恨めしそうに見つめた。その目元が、色っぽく赤らんでいる。
「自分でしたりしたらダメだよ?我慢できないなら、ココ縛っておこうか?」
 そう言って、響のモノの根元に指を絡める。
「いい!!」
 そんな仕草にも反応してしまいそうな自分を隠すように思いっきり否定して、後ずさる響の様子に咲斗はくすくす笑いながらから、機嫌良く出かけて行った。
 響はといえば、玄関まで見送る気力もなくて、そのままその場で横になって熱が冷める待った。
 窓から吹くそよ風が気持ちいい。
 ―――――咲斗さんって、謎・・・・
 響は静かになった部屋で、さきほどのやりとりを思い出す。
 ここに閉じ込めて、何気に脅して、―――縛りつけようとする人。それなのに、それだけじゃなくて。響自身、ここでの生活が何故か居心地が悪いとは思っていないところがある。怖いと、思った事さえない。
 本当を言うと、本気で逃げ出したいと思った事もない様な気がする。
 結局は自分にはずっと居場所がなくて。
 ずっと、ずっとそれを捜してた。
 だからってここが居場所なのかと言われたら、―――それはきっと違うと思う。だって、咲斗との繋がりは結局は借金で。だからきっと、ここにいるのは、それをを返すまでか、咲斗が自分に飽きるまでなのか、それとも必要なくなる日までなのだろう。
 選択権は自分にはなくて、咲斗にしかない。
「・・・・・・」
 そう。
 咲斗にしかないんだ。
 ―――――わかんない。
 ―――――自分が何を想ってるのか、全然わからなくて。咲斗さんが何を想ってるのかなんてもっとわからない。
 ―――――何も、・・・・・・わからない・・・・・・・・・・・・・・・・・








「・・う」

「きょうっ」

「響!」
 ―――――・・・あ?
「何、泣いてるの?」
 ―――――泣いて、る?
「大丈夫?」
 ―――――ああ、俺、いつの間にか寝ちゃっ・・・・・・・・・え?
「咲・・・、・・・由岐人さん?」
 呼ばれて目を開けたその先にいたのは、咲斗ではなく由岐人だった。







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