「はぁ・・・」
「どうしたの?」
開店まで後1時間となった本店の事務所で、いつもの様に各店の売上や個人の成績などに目を通していた咲斗は、ふと深いため息をついた。
「あの、何か問題のある店がありましたか?」
本店の店長であり、由岐人の次の存在としてその立場に立つ高崎が、心配そうな顔をして尋ねる。
「え、ああ。ううん、違うよ。お店のほうは全体的に順調だね。最近入った新人の亮(リョウ)もまずまずの滑り出しだし。問題はないよ、ご苦労様」
そのいつもと変わらない穏やか笑顔に、高崎は戸惑いつつもホッとする。
「ありがとうございます。では・・・?」
それでは一体なんのため息なのかと、言外に高崎か尋ねると、
「響の事だろ」
その疑問には咲斗ではなく、由岐人が答えた。
「『響』というのは、この間社長が買われたとか言う?」
「そう」
「高崎、その言い方止めてくれ」
咲斗が苦々しい顔で言う。
「すいません」
「何言ってんのさ、事実じゃない」
その由岐人の言葉に咲斗は無言で睨みつけたが、そんな視線に怯む由岐人なわけがない。『で、何?』と、こちらも視線だけでその先を促す。
が、咲斗は口を開くのを迷うように、一度開けた口を再び閉じた。その仕草に由岐人は器用に方眉を上げて、
「なに?」
今度は口に出して催促した。咲斗とて、吐き出してしまいたいんだということを、由岐人は分かっていたからだ。
「・・・・・・・・最近、あいつ変なんだ」
「変?」
「ああ、ぼーっとしてたかと思うと、一人落ち込んでたり。何か言いたそうにじぃーっとこっち見てるから、聞いてみるんだけど、なんでもないって言うし。キスすると前以上に固まったり、困った顔するし。押し倒すと泣きそうになる」
「なーんか、ひどい事したんじゃないの?」
「してない。そりゃぁ、最初は、ちょっとしたけど・・・・・でも、今はちゃんと優しくしてる」
「本当に?嫌がるのを無理矢理とかしてんじゃないの?」
「あいつは、いつだって嫌がるんだよ。でも、最後にはちゃんとしがみついてくるんだから、ああいうのは嫌がってるとは言わない」
「あのね・・・のろけてるの?」
今までの咲斗の言葉を聞いていれば、由岐人でなくても言いたくなるだろう。高崎も、苦笑を浮かべてその言葉に同意を表している。
が、咲斗はそうじゃない。
「ばか。そんなんじゃない」
―――――それだったら、どんなに良いか。
言い方はどうあれ、聞いた方がそれをどう思おうとも、咲斗には切羽詰った問題だったのだ。
「なんて言えばいいのかな、最近はさ、ちょっとづつなついてきた感じがしてたんだ。それなのに、4、5日前から急に、何かが変わった」
「4、5日前・・・」
「そう・・・ちょうど鎖をはずした日だ―――やっぱり、俺の知らない間に外にでも出て、あいつに会ってるのかもしれない。それで――――」
咲斗は自分で言いながら、漠然とあった不安が確信に変わっていくのを感じた。
きっとそうに違いない、と。
―――――そして、あの部屋から、俺の側から逃げて行こうとしてる。
「・・・あいつって?」
「角川剛」
確信に満ちた咲斗は、その名を吐き捨てる様に言う。
「ああ、・・・それはないんじゃないかな?」
けれど、由岐人は咲斗の言葉を否定した。
「どうしてわかる?」
「どうしてって、なんか響ってそういう事するとすぐバレそうじゃない?嘘が付けない感じだもん。全部顔に出そう」
「そうなんですか?」
「うん、素直なかわいい子なんだよ」
「へぇ、一度お目にかってみたいですね」
高崎も、自分が仕える社長がどんな人を側においているのか大いに気になるところだった。しかも、今まではあまり知らないでいたが、どうも惚れている感じがその言葉から漂っているともなれば是非ともと思ってしまう。
「そうだね、たぶんそういう機会もあるよ。そう遠くないんじゃないかな」
由岐人が、愉快そうに笑って言う。その言葉に咲斗が目が鋭くなる。
「・・・由岐人、お前なんか知ってるな?」
「何で!?何もしらないよ」
「じゃぁ、なんでそんな事を言うんだ?俺はあいつを外へ出す気はない」
―――――やはり、逃げないように鎖に繋いでしまおう。響には、あの部屋と俺だけしかいない世界でいい・・・・・・
「あのね・・・・・・いつまでもあそこの中に閉じ込めておけるわけないでしょう」
けれど由岐人は、咲斗の言葉を呆れた口調で言い捨てた。
咲斗の気持ちがわからないわけじゃないけれど、非現実的過ぎるし、そんな関係に未来なんか無いから。
「出来る」
「あのね、服も与えなくて、鎖をつけて、そうやって閉じ込めてどうすんのさ。そうやって無理矢理閉じ込めて、手に入れるものなんて無いよ。わかってるでしょう?」
「・・・・・・・・」
「響は、まだ18才なんだよ?その将来にはいっぱい可能性があって、色んな道を選ぶ事だって出来る。その全部を咲斗は奪うつもり?本当にそんな事できるの?」
―――――うるさい。そんな事お前に言われなくても分かってる。
「そんな事にならない為に、響を買ったんじゃないの?」
「・・・・・っ」
その言葉に、咲斗は何も言い返すことが出来なかった。響が見ず知らずの誰かに売られてどんな目に合うか、想像するだけでも嫌だった。
買ったのは、響を欲しかったから。
守りたかったから。
愛したかったから。
「・・・・・・・・ねぇ、ずっと不思議だったんだけど、なんで言わないの?」
何も言い返さない咲斗に、由岐人はその口調を変えて問いかけた。
「言えばいいのに」
「・・・あいつは、覚えてなかった。俺の事」
「・・・・・・だから?」
「記憶に残るほどじゃなかったわけだ。俺は忘れなかったのに。あいつにとって俺はその程度なんだ」
「で?」
「・・・・・・・・」
「咲斗?」
資料を握る手に力が入って、紙がぐしゃっと音とたてた。
「それならそれでもいいと思ったんだ。あいつは俺の事なんてなんとも思ってない。それでも俺はどうしても欲しかった。側に置きたかった・・・手順を踏む余裕なんてなかった」
わかってる、自分がバカだって事は。
「好きだって言って、ごめんなさいって言われたく無かった」
傷つきたくなかった。
「そんな気持の余裕がなかった。とりあえず、側にいて欲しかった。手に入れたかった。それに、あのまま家に帰すわけにはいかなかった。かと言って、俺が言っても信じるかどうか・・・・・・だから強引に」
「誘拐しちゃったわけね」
「ああ」
「その後説明したら良かったんじゃないの?」
由岐人の真っ当な言葉に、咲斗はぐっと唇を噛み締めた。
「それさぁ、ちゃんと響に話したほうがいいよ」
―――――分かってる。
「今更・・・・・・・・・」
「あのね、思い立ったら吉日って言葉あるでしょ。人生今より早い時は無い。今更とか言ったってもう過去には戻れない。わかってるでしょ」
―――――身体が先にあって、抱いてしまったら、余計怖くなった。
その温もりを知ってしまったから
「早く言わないと。ちゃんとさ、咲斗の気持伝えないと」
由岐人の言うとおりなのは、よく分かっている。けれど、本当の事を話して、それで受け入れてくれるのか?
俺の思いは受け入れられるのか?
「もし、ダメだったら?」
―――――もう、手離すなんて出来ないのに
「咲斗?」
「もし、ちゃんと話して、受け入れてもらえなかったら・・・・・・・」
―――――そう思うと、言えなかった。
「それは、わかんない」
「由岐人・・・・・・・・・」
「でも、きっと、大丈夫だと思うけど」
―――――本当に?
「そういうのわかるけどさ、その愛し方間違ってるよ」
「分かってる」
そんな事、嫌ってほどわかってる。
どんなに抱き締めて眠ったって、
何度一緒にご飯を食べたって、
何回キスしたって、
何回sexしたって、
俺たちは、何一つ繋がってないって・・・・・・・・・・・・・・・・
だた、
あんな風に彼を失って、ある意味響がいたから立ち直る事が出来たのに。
その響も失ったら、
きっと俺は、
壊れてしまうから。
だから怖くて
何も言えないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今のままなら、
彼を、得る事も出来ないけど
でも、失う事もないから・・・・・・・・・・・・・・・・
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