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 そこに二人の姿を認めて、咲斗は冷たく切り裂くような怒りをたたえた瞳で、響を真っ直ぐに射すくめた。
「何をしてる?」
 その口調も怒鳴るではなく、冷え冷えとした空気をも切り裂くようなもので。響は驚きに口を開く事もできず、ただ恐怖に引きつる顔で咲斗を見つめる。
 そんな響を剛は後ろ手にかばうように立ち、咲斗を睨み上げた。
「事情は聞いたぜ。悪いけど、このままここに響を置いてはいけないっ」
「響、俺は何をしてるって聞いてるんだけど?」
 咲斗は、立ちはだかる剛など目に入らないとばかりに無視して、再度響に問いかけ、驚きと恐怖のあまり立ち上がることも忘れている響の腕を掴んで立たせた。
「おいっ」
 俺を無視するなと、剛はその咲斗の腕を響から振り解こうと一歩前へ踏み出そうとする。が、その背中を由岐人の手が捉え、妨げた。
「悪いけど、邪魔だから」
 一言で切り捨てる。
「なっ―――、・・・っ」
 その言葉にカッとなった剛は由岐人を睨みつけ、怒鳴りつけようと口を開きかけたが、由岐人のキツイ視線に黙らされてしまう。
 その視線の強さは咲斗に負けていなくて、やはり双子なんだなと改めて思わせる。
 咲斗はそんな2人をその場に残し、響を引きづるようにしてマンションの中へと消えていった。そこには、剛には入ってはいけないような2人だけの空気が流れているのを感じて、剛は思わずその背中を見送ってしまった。
 "あ・・・っ"と思った時には既に遅かった。2人の姿は完全に視界から消えている。剛はそんな自分の行動が不甲斐なくて、かっこ悪くて、八つ当たりするように由岐人の手を強く払いのけた。
 由岐人は、そんな剛の態度に苦笑を浮かべる。
「なんでいるかなぁ」
 さっきの視線とはまったく別人の様に、いつもの人をバカにしたような調子に戻った由岐人は、しょうがいなぁという風に口を開く。その瞳にも、呆れとからかいの色が濃く滲んでいる。
「・・・っ、1週間だぜ」
「だから?」
「遅すぎんだよっ」
 剛の言い分に由岐人は大業に肩を竦めて。
「待ってろって言ったのに。――――――信用してなかったわけ?」
 その言葉に剛は顔を歪めるも、言い返すことも無く今まで座っていた場所に力なく座り込んだ。
 肩をがっくりと項垂れさせる。
「何?どうしたの?」
 てっきり何か言い返すだろうと思っていた由岐人は、そんな剛の態度に驚いた顔をする。
「何してんだろ、俺」
「え?」
 何をいまさら、と思わないでもない由岐人の心中とは別に、剛の胸の中に響の言葉が重く沈んでいく。
 響の気持ちが、剛には―――――――
「・・・・・・あいつ・・・・・・このままでいいって言ったんだ」
 ピクっと由岐人の眉が動いた。
「このまま、あの男と一緒に住むって」
 ―――――へぇ〜、やっぱり、そう・・・なのかな。
 由岐人は自分の見立てが間違いでは無かったようだと、ふとマンションの上を見上げた。
「俺が警察行こうって言ったら、行かないって。このままでいいって。なぁ・・・、なんで?なんでだよ!?」
 剛は自問するようにアスファルトに向って言葉を吐き出すと、頭を抱え込んだ。
 けれど由岐人は、良かったとほっと息を吐いていた。
「そっか・・・、ここにいるって言ったんだ」
 ―――――良かった。・・・けど、咲斗はたぶん、察して無いだろうなぁ・・・。先走った事しなきゃいいけど。
 大丈夫だろうか、と由岐人が再びマンションの上に視線を向わせると、
「・・・お前」
「あ、何?」
 剛が下から睨んでいた。
「なんで嬉しそうなんだよ!?」
 ―――――あ、知らずに顔がゆるんでたかな。
「おい!!」
 ガバっと剛が立ち上がって、由岐人の腕を掴もうとした。その腕をするりとすり抜けて、由岐人は今度は意識してにっこり笑った。
「まだ、わかんないけど、でも―――――なんだか君にお礼が言いたい気分だよ」





 けれど、由岐人が思うほど事は簡単ではなかった。こじれた思いの糸というのは、簡単にほどけたりはしない。それどころか、解こうとすればするほど、こんがらがって、ほどけなくなってしまう事だってある。
 2人はまさにその深みへと足を踏み入れてしまった。由岐人の心配がど真ん中に的中してしまったのだ。
 途中、"痛いっ"と小さな声であげた抗議はまったく無視された。何度か"咲斗さん"と呼びかけようとしたけれど、響は怖くて口を開けなかった。
 響は腕を無理矢理ひっぱられ部屋まで連れ戻され、そのままベッドの上に身体を放り投げられる。
 バフっと布団が音をたてて、響の身体が少し弾んだ。その様を、 咲斗は傍らに立って冷たい瞳で響を見下ろしていた。
 咲斗の心に、黒い塊だけが沈んでいく。
「勝手に部屋を出たらどうするって言ったか覚えてるよね?」
 本気で全身を怒らせている咲斗に、誤解を解かなければと響は気ばかりが焦ってしまってうまく言葉をつむぐ事も出来ない。
 それに、全てを話す事も出来なくて、どう言いつくろえばいいのか、最善の策が頭には浮かんでこなくて意味のなす言葉を発せられない。
「覚えてるよね?」
 その言葉に、響の脳裏に咲斗の言葉がしっかりと浮かび上がる。
 "一日中太いバイブいれて、ここにもピアスして―――――鞭で気絶するまで打ち付けるから"
 響は恐怖にひきつった顔で、微かに首を横に振った。
 ―――――嫌だ。
「覚えてるみたいだね?わかってて出たんだったら、覚悟は出来てるよね」
「っ、ごめんなさい」
 青ざめた顔で響は謝罪の言葉を口にして、ベッドの上をじりじりと後づさる。けれど、咲斗はその謝罪の言葉を受け入れる気はまったく無い様に見える。
「とりあえず、服脱ごうっか?」
 咲斗はニコリともしないで、自身もベッドに乗りあがり響の腕を捕らえる。
「ひっ!ご、ごめんなさい」
 咲斗は謝罪の言葉を無視して、Tシャツを引きちぎる勢いで脱がせ上半身を裸にした。
「待って。待ってっ!お願い・・・っ」
「何を?」
 響は必死で、咲斗の肩に手をかけ、その身体を押しのけようとする。
「話っ、話聞いてっ」
「話なら後で聞く」
「お願いっ・・・先に聞いて。その後でちゃんと、・・・ちゃんとするから・・・」
 響は震える声で言った。その瞳には涙が光る。
 ―――――どうしてこんな風になってしまったんだろう。
「へーちゃんとするんだ?本当?本当に出来るの?ここにピアスだよ?」
「ひぃっ」
 咲斗はその意味を再度分からすように、パンツの上からゆっくりと響のモノを撫で摩る。
「針刺すんだよ?」
 そう言って、かすかにつめをたてる。パンツの上からとは言えその痛みは微かに、しかし確実に響に伝わってくる。
「ヒッ・・・イヤ。いやだ・・・・・・・・・・っ」
 その咲斗の仕草に、響はとうとう堪えきれず泣き出してしまった。指先をちょっと針でついただけでも痛いのに、大事なトコに針を刺してピアスを付けるなんて、想像しただけでも恐怖で身がすくむ。
「じゃぁ、なんで外に出たりしたの?こんな風に見つかる前に、遠くへ逃げれるとでも思った?」
「違う」
 その言葉に、響は懸命に首を横に振る。
 そうじゃない。
「何が違うの?」
 咲斗には響の気持ちがわからない。だから、突き上げる哀しさと強い不安に響の身体を押し倒し、その上に完全に乗っかってしまう。
「逃げようとか、そんなんじゃ、ないっ」
 ヒクっと喉が鳴った。
「どうだか」
「本当に、そんなんじゃなくて・・・っ」
 ぽろぽろ涙が零れ落ちた。
「じゃぁ、なんで外に出てたの?」
「話っ」
「話?」
「剛と、剛と話がしたくて・・・っ」
「何の話?」
 逃げる相談じゃないのか?咲斗は勝手にそう思って、響の腕を握る指に力が入る。その痛みに響は僅かに眉を寄せながら、必死で言葉を紡いだ。
 由岐人が先週マンションの下でばったり会った事、その後の事情を。由岐人には迷惑をかけないとは言ったが、今は黙ってはいられる状況ではなかった。
「あいつ・・・」
 案の定、咲斗は苦々しげな顔をして呟く。
「違う、俺が黙っててって言ったから。一人で、ちゃんと話したくて、咲斗さんには内緒にしててって」
「・・・・・・一人で話したい?」
 その言葉に咲斗の額がピクっと反応する。
「うん・・・でも咲斗さんがっ、知ったら、一人では・・・会わせてくれないって思ったから」
 その響の言葉に咲斗は怒りと苛立ちと、胸を締め付けられる言い様の無い哀しさに気がどうにかなってしまいそうだと思った。
「どうして一人で会いたかったの?」
 そんなにも自分の腕の中から逃れたかったのか。
「それは・・・・・・っ」
 響が言いにくそうに口ごもる。
「それは?」
 組み敷いた響を見下ろしながら咲斗は、黒い殺意が湧き上がってくるのを感じた。好きだから、愛しているから―――――受け入れられないならいっそ、そんな排他的な気持ち。けれど、そんな事出来ないこともわかっている。
 愛している。
 愛してるからこそ―――――っ
 切ない。
「・・・っ」
 咲斗の奥歯がギリっと鳴った。行き場の無い、どろどろした衝動が今にも内から噴出しそうで、必死で堪えようとしていた。
「咲斗、さん」
 涙なのかなんなのか、はっきりと見えなくなった視線の先に響の顔がある。その顔が、苦しそうで辛そうに自分を見つめていた。
 その視線が、――――――――――自分を拒否して見えた。
「鞭、まだ買ってなかったんだ」
 言葉が勝手に流れ出て、何かが、どこかが、カラカラと音を立てて壊れていく。
 頭のどこかで、そんな事をしている自分を見ている。バカだな、と眺めている。けれど、その自分はひどく遠くて、支配しているのは哀しさ。どうしようもない、寂しさ。
「や・・・っ」
 響が涙でぐちゃぐちゃになった顔で咲斗を見て、首を横に振った。
 必死の、顔で。
「逃げる、相談だったんだろ?」
「違う・・・っ」
 ビシっと、ベルトが空を裂いて床を打ちつけた。
「ヒィ―――っ!!」
 ビクっと大きく響の身体が震える。
「鞭はまだ買ってなかったんだ。だから、これでいいよね?」
 響が青ざめた顔で見つめてくる。そこには恐怖しか見て取れない。当然だ、今からこれで打ち据えられようとしているのだから。
 ―――――どうして・・・
 もしかしたら。
 もしかしたら、甘い生活がずっと続くんじゃないかって思ってた。
 甘く、穏やかで、密やかな優しい時間が、ずっとずっと続いていくんじゃないか、なんて思っていた。
 いつか本当に、抱き合える日が来るんじゃないかって。
 ―――――ばかだな・・・・
 咲斗の口が、奇妙に歪んだ。
「咲斗、さん?」
 一瞬、泣くかと思ったその顔に響は声をかける。
 その声は凄く優しかったのに、いたわる様にその名を呼んだのに、咲斗の望む物がそこには潜んでいたのに、絶望の淵を漂う咲斗の耳には、届かなかった。
 ビシっともう1度、ベルトが鳴った。
「いきなり腹や胸は可哀想だし、まずは背中かな」
 どこか、笑いでも含んでいそうな声で言うと咲斗は響の身体をひっくり返すべく腰を浮かせ、響の身体に手をかけた。
「やだっ、やめて。やだよ!!」
 咲斗の本気を感じ取ったのか、響が今まで以上に必死で抵抗した。咲斗が腰を浮かせたのをいい事に、そのままじりじりと後ずさって逃げようとする。
「言いつけを守らない自分が悪いんだよ?」
 逃げようとなんか、するから。
「やだ・・・っ」
 暴れた響の手が、咲斗の頬を叩いた。
「あっ」
 一瞬空気が止まったと思った隙間、咲斗が完全に響の身体をひっくり返し上に乗っかって、肩をベッドに押さえつけた。
 白い、傷のない綺麗な背中が咲斗の目の前に晒される。
 ―――――これを、この身体に振り降ろしたら、きっともう2度と俺には笑いかけてはくれないんだろうな・・・・・・・・・
 きっと、恐怖に満ちた目で、俺を見る。
 仕事から帰ってきて、そこに響がいて、おかえりなさいと言われた日々を、咲斗は思い出す。
 ―――――俺が近づいたら、怖がって逃げるようになるのかな?
 その身体を抱き締めて眠るときの幸せな気持を、咲斗は思い出す。
 ―――――傷つけるしか出来ない。そういう愛仕方しか出来ない人を知ってる。
 行って来ますのキスをさせると、真っ赤になって子供みたいな微かなキスしか出来ない響の思い出す。
 ―――――俺もあんな風に、乾いていくんだろうか?
 『そういうのわかるけど、間違ってるよ』
 由岐人に言われた言葉が、ふいに頭をよぎる。
 ―――――ああ、そうだな・・・・・・・・・
 そんな事は痛いほどわかっているけれど。
 どれだけ響を愛しているのかも分かってるけど。
 きっと、絶対、後悔するんだろうけど。
 咲斗は、手に持っていたベルトを、ぎゅっと握り直す。
 背を向けている響には、わからなかったけど、その時、咲斗の、頬を、一筋の涙が流れ落ちた。

「咲斗さん」

 首をめぐらせて、響が咲斗を見上げた。










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