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「おーっす」 いつも通り咲斗の店がオープンしてから少しした頃、本店に上条が顔を出した。 「どうした?今日来るって言ってたっけ?」 響が気にしていた上条なのだが、実はそういう意味で客ではなかったのだ。今も、フロアではなく奥にある社長室に通されて、置かれてある革張りのソファにどっかりと腰を下ろしている。 「いーっや・・・ってなんで人の顔みて笑ってんだよお前」 向かい合って座る咲斗の顔が何故かにやにやと笑っていて、上条は気持ち悪そうに顔をしかめた。 「ああ、悪い」 咲斗はとりあえず謝ったのだが、それでもどうしても頬が緩んでしまうのも止めれないのか、顔をそらしてくすくすしている。 響はとんでもない事を言ってくれる。 そもそも上条は女ですらないのだ。しかも、学生時代ラグビーをしていたらしくがっしりとした体躯で、背も180ちょっとあり年齢も30を超えている。これ相手に焼きもちを焼いたのかと響本人が知ったらきっと真っ赤になって困るに違いないだろう。 それを思うとどうしてもおかしくなってしまう。 もちろん咲斗も、この男を組み敷いている自分の姿なんて想像したくもないが。 「ごめーん、お待たせ」 ちょうどそこへ支店に行っていた由岐人が呼び出されて戻って来たのだが、どうも流れている変は空気に首をかしげた。 「なに?」 「いや、こいつが人の顔みてにやにやしやがって、気持ちわりーんだけど」 「ああ・・・あ〜。いいのほっといて。気にしなくていいから」 響の話を聞いている由岐人は大体の事に察しがつくのか、呆れ顔で肩をすくめて咲斗の横に腰を下ろした。 「そんなことより今日はどうしたの?」 上条が来るという事は例の話だろうかと、由岐人は戻ってくる間も気が焦って仕方なかったのだ。期待に満ちた瞳を上条に向けると、、上条の口元が微妙に吊りあがった。 「お探しの条件にあう土地が出た」 「ほんとに!?」 想像していた通りの返事に由岐人は思わず身体を乗り出す。 「それで押さえてくれてるんだよね!?」 由岐人と咲斗は、今ホストクラブ以外の業種へと店の幅を広げようと少し前から考え出していたのだ。 しかしまったくの業種違いも難しい。そこで考えたのがカフェバーだった。ターゲットは20代後半〜30代の女性層で、生活に多少のゆとりはあるという辺りを狙っている。またそこからホストクラブの方へも足を運んでくれる人がいればいいかもしれないし、何かリンクした展開を考えていけるのではないかと判断したのだ。 昼間はカフェとして夜はちゃんとご飯も食べれるバー感覚で使っていけて営業時間も翌朝始発が動くまでの時間。終電を逃して、帰るに帰れない客も拾えるかもしれないと考えていた。 しかし問題は土地、立地だった。 狙いは六本木付近だったのだが、なかなか値段と立地条件が折り合わず困っていたところだったのだ。 そこへ上条の返事。由岐人の期待は膨らんだのだが、上条の返事は由岐人の期待に反するものだった。 「いいや、まだそこまではっきりしていない」 「え!?なんで?いい条件のものがあれば押さえてくれって言ってあったじゃん」 不動産業。それが上条の働く世界だった。そして業界内ではかなり実績のある男としても有名なのだ。もちろん綺麗な噂ばかりではないが、咲斗も由岐人も上条を信用していた。 その上条とも思えない返事に、由岐人は険しい顔になって見つめる。 「由岐人、ちょっと落ち着け」 「だってっ」 「いいから――――で、どういう事なんだ?」 「立地はいい。広さも申し分ない。例の六本木でデカイ箱からも丁度いい距離感だ。近くにはまた高級マンションが立ちだしている」 「―――それで?」 「その住人をあてこんで近隣には飲食店がちらほら出来出してもいるんだが、その一つが急遽撤退する事になったんだ。それで早急に売り手を捜している」 「問題ないじゃん!!」 それならば多少は買い叩ける。相場より少し安い値段で格好の土地が手に入るかもしれないのだ。由岐人の瞳は俄然輝き出す。 しかし上条は対照的に、言いにくそうに眉をひそめた。 「問題はこっからだ。その店はもちろん建てる時に金を借りてる。その金を借りてたトコロがな・・・・」 「まずいのか?」 「まずいな――――なんといっても、林んトコだ」 「げっ」 「あーあ・・・」 林という名前が上条の口から出たとたんに由岐人は苦虫を噛み潰した様な顔になり、咲斗は天を仰いでソファに背中を預けた。 林は金貸し業で有名な男なのだが、まともな金貸しじゃない。町金より酷いかもしれない。紳士面して近づいて、言葉巧みに暴利をふっかけてずるずるとしぼりっ取っていく、蛇みたいな男だともっぱらの評判なのだ。 そう、先日スタバで由岐人が遭遇した男。 「林絡みってことは、こっちが買ったとしてもすんなりはいかないだろうな」 「ああ、あっちの表の顔の会社がすでに土地を担保として押さえている」 「じゃぁーもうどうしようもないじゃん」 由岐人は怒ったように机をドンと叩く。期待していただけに、それが裏切られて腹が立っているのだ。 「その表の会社から即金で買ってしまえば縁もだいぶ薄れるんだがなぁ」 上条が窺うように咲斗の顔を見ると、咲斗は首を横に振った。 「そんな金はない」 「だよなぁ・・・・・・だと、絶対林の会社でローンも組まねぇと手には入んねぇからなぁ」 「それで借金があらかた終わったところで林の手下が店に来るようになって、一般のお客が離れて潰されるのか?そんなのは御免だ」 「全然だめじゃん。もう、どうせならもっといい話持ってきてよー期待したのにっ」 「由岐人」 うーうー唸って悔しがる由岐人を、咲斗はたしなめるように呼びかけて、それでも自分も多少落ち込んでいる事は自覚している。 期待していたのは由岐人ばかりではないのだ。 「悪いな。でも、そこさえ除けばかなりいい条件なんだがなぁ」 「そこが問題なの」 苦笑交じりにいう上条に、由岐人は冷たく言い放つ。すると、上条はくすくす笑い出して再び口を開いた。 「実はな、土地はもう1個ある。そのマンションからちょっと歩くが静かな場所だし、落ち着いた空間に仕上げる事はできるだろうと思う」 「えっ、まだあんの?もう先にそっちを言ってよ」 机に突っ伏していた由岐人が、がばって上体を起して今度こそはと身を乗り出す。 「変な不動産屋が噛んでるとか、金貸しがまずとかとかオーナーがヤバいとか、何かいわくありとかでもないんだな?」 先にそれを聞かなくてはと、咲斗も苦い笑いを浮かべて言う。 「ない。完全な優良物件だ。――――だから、というわけじゃないが、お前らに提示された金額までは下りない」 「どれくらい?」 「どんだけつめても3000・・・いや3500万は上積みだな」 上条の言葉に、由岐人と咲斗は大きくため息をついてソファに身を沈めた。 5000万。とてつもなく大きい誤差ではないが、それでなくても内装やオープン費用は希望よりは多くかかってしまうものだ。5000万はその後に響いてくる金額になるだろう。 儲かれば5000万なんてすぐに返せる金額かもしれないが、今やろうとしている事は自分達にとっても新しい試みなのだ。 成功する確信は、やはりない。不安もある。既存店が順調とはいえ、水物商売だ。いつどうなるかわからないという不安感はいつでも付きまとう。 「その土地、すぐに売れそうなのか?」 咲斗は慎重に言葉を続けた。 「いや、1週間待ってもらってる」 「手付けを払ったのか?」 「いーや。俺の顔。だから1週間内に返事をくれ。とりあえずこれがその土地の場所だ。こっちが林物件、こっちが優良物件、いいな?」 上条は胸ポケットから取り出した2枚の紙をテーブルの上に広げて指し示した。 2人はそれを黙って見つめて、咲斗は軽く頷いた。 「わかった。ありがとう」 超えなくてはならないハードルはもちろんある。 今の段階では超えれるかどうかは未知数だ。 それでも男として、新たな局面へと向かうこの一歩に立つ瞬間は血が沸き立つと、咲斗は静かに興奮していた。 |