11

  次の日、咲斗と由岐人はさっそく渡された地図を頼りにその場所を見に来ていた。
「あそこか」
「だね」
 今見ているのは林物件の方。万が一林がうろついていると面倒な事になるので、2人は車の中から遠巻きに眺めている。前の道はそこそこ広いわりにはそんなに車通りもなくていい感じだ。平日の昼間という事もあるかもしれないが、静かでいい雰囲気だし、歩いている人も自分たちが想定してる年代と合致している。
 すぐ斜め奥に例のマンションがあるのもいい条件だし、遠目からでも広さは十分だ。これで自分たちの予算内というのはなかなか出会えない物件である事には間違いないだろう。
「いい感じなのにねぇ・・・」
 諦めきれないように由岐人がしみじみと呟く。
「ああ。でも林が絡んでるんじゃあ仕方ない」
 咲斗は自分に言い聞かせるようにいって、苦笑を浮かべた。最初からわかっていたのに、やはり気になってついつい見に来てしまった自分がおかしかったからだ。
「こっちを見に行ってみよう」
 咲斗はもう一方の地図を広げて、気を取り直してハンドルを切った。
 そのもう一つの場所も、そんなに悪くはない立地だった。確かに少しマンションから離れてはいるが、その分うまくいけば隠れ家っぽい感じを出せるかもしれない。静かだし、落ち着いている。土地もさきほどよりは小さいがそれでも自分たちの想定内で十分だったし、うまくいえば2階にも店を広げれば問題ない事だ。
 更地に戻っているのも新しく建てやすくていいのだが。
「後は金額か・・・」
「そうだね」
 少し離れていることもあって、最初に固定客を掴むまで少し時間がかかる立地には違いないだろう。最初は損が続くかもしれない。
「最初の損をどこまで補えるか・・・だよね」
「ああ――――5000万、か。大きいよなぁ」
 その場所を見つめて、咲斗にも由岐人にも新しい店のビジョンは沸きあがっている。目指す雰囲気、空間、それは2人の間できっちりと出来上がっているのだが。
 由岐人も咲斗も思案するように、しばらくを黙ってその場所を見つめていたのだった。












 そしてその日から咲斗はずっと悩んでいた。
 既存のホスト店を手がけてくれた設計士の元を土地の間取り図持参で訪れて、何時間も話し合った。
 その人は最初の頃からの付き合いで本当によくしてもらって、良い相談相手でもあった。今回も快く話ののってくれて、つめれるところを出来るだけつめてくれてアイデアもくれた。キッチンは主に中古を入れ、安い素材でも雰囲気良く見せる手法などもふんだんに取り入れた。しかしそれでも、見える部分はそんなには削れない。ちゃちで安っぽい店には出来ないからだ。
 互いの妥協点を探って色んな角度から話し合って、なんとか700万〜800万くらいは安くできるのではないかとなったけれど、それでも全然誤差は埋まらない。
 5000万はやはり大きい。
 咲斗は書類の入った封書を鞄に入れてため息をついた。
 商売道具の一つ、携帯をポケットに入れようと机から取り上げて、じっと見つめてしまう。この中にはたくさんの自分の顧客の名前もまだ登録されている。
 自分が一晩に1000万近く売り上げた時もあった、その客の名前が。
 ―――コンコン
「咲斗さん、10時だよ?」
 どれくらい携帯を見つめていただろうか、響の声に咲斗は我に返った。
「出かけるっていってなかった?」
 10時には出なければならないと咲斗が話していたのに、部屋から出てこないので響は様子を見に来たのだった。
 咲斗は慌てて携帯をポケットに滑りこませて、ドアを開ける。
「教えてくれてありがと。ちょっとボーっとしてたよ」
 ふと囚われた思いを振り払うように咲斗は笑顔を浮かべて、響を見る。
「大丈夫?疲れてるんじゃないの?昨日も早かったし――――仕事忙しいんだ?」
「うん、ちょっとね」
 一緒にいれなくてごめんね、と咲斗は笑って軽いキスを響の額に落とすと、リビングへ急いで入る。サイドボードに置いてある時計を腕にはめて。
 いつもならキスの後はぎゅっと抱き締めてくれるのに、そそくさと背を向けてしまう咲斗の態度に響はなんだか寂しさを覚えてしまって、きゅっと唇を噛み締めてその背中を見つめた。
 ――――忙しい仕事・・・・・・誰と、会うんだろ・・・・
 気にしても仕方ないとわかっていても、ため息を自然に洩れてしまう。でも、ここで負けてもいられない。
 響は咲斗の背中にコツンと額を当てて甘えかかってみる。1分でいいから、キスして抱き締めて欲しかったから。
「もう、行く?」
 それなのに。
「うん。ちょっと本気で時間やばい」
 せっかく近寄って行ったのに、咲斗は響の身体を引き剥がして慌てて玄関へと急いでいく。もちろんギュっと抱き締めてもくれない。
 響はちょっと頬を膨らましながら、咲斗の後を追って響も玄関でお見送りをするべく急いだ。
「いってらっしゃい」
 ちょっと声にも棘があるのに、咲斗は全然気付かないばかりか。
「うん、響も気をつけて行って、帰ってきてね」
 咲斗は靴を履きながら響の顔を見てるんだか見てないんだかでそう言うと、慌しく出かけていってしまった。響の返事を聞くこともなく。
 いってらっしゃいの、行ってきますのキスをするのも忘れて。
 その態度に、忙しいんだから仕方ないと思いながらも。
「・・・・・・・・・・・・むぅ、浮気してやるっ!!」
 誰もいない空間に向かって響は言わずにはいれなかった。

 ―――――そして

「え?明日?」
「うん。明日朝から遊ぼう!!」
「悪ぃ、明日昼からバイトなんだよ」
 浮気してやると意気込んで、明日は自分の方が早くでて行ってやるんだと決心してみて剛に電話をかけた響なのだが、さすがに剛もそう毎日暇なわけではなかった。
「え〜〜変わってもらえない?」
「んー明日は、夜コンパだしなぁ」
「え!?剛コンパ行くの?いいなぁ〜俺も行きたい!!」
 それこそ完璧浮気だ!!と意気込むのだが、それこそ夜は自分のバイトである。行けるはずもないのだが、今はそこまで頭が回っていない。
「いや、それはちょっと・・・・」
 そんな事がもし奴にバレたら殺されるのは絶対自分だと分かっている剛も、まさか誘ったりは出来るはずもない。そして響の事だ、バレないなんて事は万に一つもないだろうから、そんな危険は冒したくはなかった。
 剛だってまだまだわが身がかわいい。
「ちぇ〜〜いいなぁー自分だけ」
「あのな、お前には奴がいるからいいだろうが」
「そーなんだけどさぁ。なんか最近忙しそうだし。こっちばっかし焼きもちやいてんのつまんないじゃん!!俺も焼かせたい」
 かなり子供っぽく電話口で駄々をこねている響に、剛は一瞬言葉に詰まる。
 咲斗が、剛の事で十分焼いているのは剛本人だって察しているのに、全然考えてもいないというかわかっていな響の暴言に、剛は今始めて咲斗に同情してしまう。
「とにかく、ダメ。第一響だって夜はバイトだろ?くだらない事言ってねぇでしっかり働いて来い。じゃぁな」
「えー剛?」
「俺は今から講義なの」
 まだしゃべろうとしている響の電話を、剛はあっさりと断ち切った。
 この講義は教授がうるさいので仕方がなかったのだが、今度会うときはきっとむくれてるんだろうなぁ、とちょっと思いながら。







 そんな風に響が画策しているなんて露にも考えていない咲斗は、その夜本店の社長室で、この1週間の売り上げ表をじっと睨みつけていた。咲斗と由岐人が所有している店は3店舗。そのどの店もが、順調な売り上げを表していた。
 オープン当初のような右肩上がりでは到底ないが、かといって下がる事もない、安定した売り上げ。
 咲斗はここ何ヶ月からの売り上げから計算して、今5000万を出資した場合今後やっていけるかどうか、どれくらいの圧迫になるかを何パターンかで計算していた。
 それは、悲劇的は数字はもちろん示していない。しかし、なんとかやっていけるんじゃないだろうかと希望を持てるまでに後一歩というところ。
「入るよ〜」
 そこへ、由岐人が戻って来た。2号店、3号店の様子回りをしていたのだが。顔を上げた咲斗は、僅かに眉を寄せた。
「どうした?」
 戻って来た由岐人の顔が、冴えなかったからだ。
「うん・・・・吉原と話してきたんだけどね」
 吉原というのは3号店を任せている店長。元々ホストとして雇ったのだが、すぐにホストではなく裏方に向いている事を感じた由岐人が、当時自分がしきっていた3号店を任せた男だ。
「どうした?」
「ん・・・ナンバー2を辞めさすって」
「尚人を!?なんでまた」
 由岐人の言葉に咲斗が思わず目を見開くと、由岐人はため息をついてソファに腰を下ろす。
「客とトラブったらしいんだ。ナンバー2になって長いじゃん?でもあそこはユキヒロがもう絶対ナンバー1譲らないしで、強引な事しちゃったらしい」
「―――まずいのか?」
 客商売なのだ。客とのトラブルが変に大きくなって他へも波及する事になっては一大事だ。
「うーん、そこまでじゃないけど、店のイメージダウンになるからって。それと、ちょっと最近店の輪を乱すような事とか、筋の通らない嫌がらせみたいな事もしてたらしいんだ。吉原も何度か注意したらしいんだけどねぇ」
 由岐人は、しょうがないと肩をすくめて息を吐いた。吉原と十分話をして、仕方ないと納得したのだろう。
「尚人かぁ・・・確かにあのわがままな感じと勝気さが魅力なんだが、仕方ないな」
 尚人を頭に思い浮かべて、咲斗は大きくため息をついた。
 尚人が辞めるという事は、どうあれナンバー2がやめるという事なのだ。しばらくは売り上げに響くのを避けられないだろう。
 その事を頭に入れてもう1度、咲斗は電卓をはじく。
 そして、もう1度大きく息を吐いた。
「マイナス材料だよね?」
「ああ、確実にな」
 こうなっては咲斗も苦笑を浮かべるしかない。
「―――2号店は順調なんだよな」
「今のところ問題はないね」
 由岐人が苦笑を浮かべて頷くと、携帯が鳴った。
 着信画面を見てみると、今行ったばかりの2号店からだ。今話をしていた内容が内容だけに、思わず嫌な予感がよぎってしまい慌てて携帯に出る。
「はい?どうしした?――――――ああ・・・・うん。――――――・・・・・・・・・・わかった。いや、いい。顔を出すよ、え?――――――――――ちょっとね、じゃぁ」
「どうした?」
 顔を出す、という言葉が咲斗の耳に引っかかって聞き返すが、由岐人は苦笑を浮かべて緩く首を振った。
「ううん、ちょっと個人的なこと。ちょっと出てくるね」
「由岐人?」
 なんでもないと、いつも通りの笑顔を浮かべているのだが、なんとなく変な空気を感じて咲斗が不審気に由岐人を見つめた。
 しかし、由岐人は何も告げずに部屋を出て行った。









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