12

「由岐人さんっ。・・・本当に来たんですか!?」
「うん」
 2号店に再び顔を出した由岐人に、店長である拓人は驚きを隠さなかった。なぜなら、ついさっき自分が『林が来店している』と知らせの電話をいれたのだから。
 当然いつものように、林が店内にいる間は店には来ないと思っていたのだ。
「どこ?」
「一番奥の、3番テーブルです」
「そぅ」
 由岐人は場所を聞いて、おもむろにその体を前へ進める。その腕を慌てたように拓人は再び掴んで、やはり信じられないものを見るように由岐人を見つめる。
「行くんですか?」
 もはや呆然と、聞いている。
 由岐人こそが、林には近づくな、そう言っていた本人なのだから。
「うん。そのために来たんだからね。ちょっと話があるんだよ」
 由岐人は拓人の心配もわかっているので、安心させるようにその手を優しく叩いてから、それでもきっぱりと解いた。
「咲斗も了承済なんだから、大丈夫だよ」
 安心させるようにゆっくり笑って、由岐人は今度こそフロアに足を踏み入れた。
 そもそも由岐人がこの時間にフロアに降りてくる、それ自体がかなり久しぶりの事だ。その光景に、視線がいっせいに集中して、由岐人を知っている客からもため息とも歓声ともつかない声が口々に洩れる。
 テーブルについているホストたちも、由岐人の姿には何事かと目を見張っている。
 その視線を十分意識ながら由岐人はことさらゆったりと歩き、林のテーブルへと歩み寄り膝を折る。
「いらっしゃいませ」
 久々に見せる、最高の作り笑いを浮かべて。






・・・・





 その夜とうか深夜という時間、剛の携帯が再び着信を告げた。
 はっきりいって、剛は眠っていた。完全に。深い眠りの中に気持ちよく沈んでいたのだ。
 それを機械音に邪魔されて、半ば寝ている状態で携帯を手にする。着信画面をちゃんと見たのは奇跡的な気もするが、その目に留まった名前に剛はその電話を無視する事はできなかった。
 珍しい相手だったからだ。
「・・・んだぁ?お前なぁ・・・・・・いま何時だと思ってるんだー?」
『悪いね』
 まだ寝ぼけていて上手く回らない口調で、それでも文句を言ってやると、由岐人は素直に謝罪の言葉を口にした。もちろん、その口調には彼らしい笑いを含んでいたけど。
「ったく、珍しいじゃん。そっちからの電話なんて。あー・・・そっか、今仕事あがりか?」
『まぁね』
「お疲れ様」
『ああ』
 そこで、沈黙が流れる。その時になってようやく剛は違和感を感じて眉を寄せ、上体を完全に起した。由岐人から電話をかけてきたわりには、言葉を続けようとしていない。普段こっちからかけた時だってもっと憎まれ口が返って来るのに。
「・・・それで?用があったんじゃねーの?」
『用がなかったら、電話なんかかけるわけないじゃん』
 何言ってるんだかと、相変わらずの口調。それに思わず苦笑が洩れてしまってホッとするけれど、それでも、本題に入るのに逡巡しているのかそこで言葉がまた途切れる。
 こんな事は、剛の知る限り初めてだった。
「何か―――あったのか?」
 口調はいつもの調子なのに、それでも明らかにいつもと違う様子に剛は不安感を覚えながら尋ねる。
 もう眠気はどこかへ行ってしまった。
『別に・・・何も、ない―――――ただ、ちょっとお願いがあってね』
「お願い?」
 それこそ由岐人の口から出るとは思えない言葉に、聞き返す剛の口調は変なふうに跳ねた。
『そ。明日、夜にさ、新宿にある――――シティリアホテルに迎えに来て欲しい』
「・・・え?」
 告げられる言葉が、まったく予想だにしていなかった言葉で、剛は間抜けな声で聞き返す。
 ―――――ホテル?
『夜11時くらいに地下の駐車場にいて』
 由岐人の声が、電話越しにもわかるくらいに、変わった。言い急ぐみたいに口早にもなる。
「11時にそこにいたらいいんだな?そこのホテルに何か用でもあるのか?」
 剛は冷静にと自分に言い聞かせながら言葉を続ける。そこで何があるのか知りたい。そもそも、何故迎えが必要なんだ?
 由岐人には車もあれば、タクシーに乗る事だって可能なのに。
『ちょっとね―――少し待たすかもしれないけど、いい?』
 けれど、由岐人はそこには触れず、念を押すように言葉を続ける。
 その声が、僅かに震えているように聞こえるのは、剛の気のせいなのかもしれない。それでも、剛は中には不安感が増大していく。
「ああ、かまわないぜ。珍しいお前からの頼みだもんなぁ」
 けれど、それを隠すように、あまりに重い空気に、剛はわざと軽く言って。なんとか先を聞き出したいと思う。せめて、もうちょっと分かるように話して欲しいのだが、どう聞き出していいのか。
「でもさ・・・、一体何が――――」
『これで、こないだの借りはチャラにしてあげるから。じゃぁね』
 由岐人は口早にそれだけ告げて、剛の追求の言葉をさえぎるように電話を切ってしまった。
 後には、冷たく響くツーツーという電信音だけ。
 すでにこの時、剛の中にコンパの話なんて片隅に消し飛ばされて、ただ残る違和感に握り締めた電話を見つめていた。
 液晶画面に映し出される時刻は、明け方4時半。
 まだ起き出すには到底早い時間でしかなかったけれど、剛は再度眠りにつく事はもはや困難だった。








 そして由岐人は翌日夕方7時にそのホテルの地下駐車場に車を滑り込ませてた。いつもならピンとくるような、後ろをついてくる不審な車にはまったく気づく事はなく。
  そして人目を避けるように地下からエレベーターに乗り込んで、ロビをー通る事無く階上へと上がっていった。
 あれから1時間。
 剛は由岐人が止めた車のボンネットに腰掛けて、どうしていいのかわからない不安感と苛立ちと、形容できない思いに爪を噛んでいた。
 あんなあからさまの尾行だった。
 剛はわざと気づかせて、怒らせて、こんなところに呼び出されている理由を探ろうとしていたのに。その理由いかんでは行く手を阻んでやるとさえ思っていたのに。由岐人は怒るどころか、朝からの剛の尾行に気づきもしなかった。
 とうとうホテルまで着いてしまった時には自分から声をかけようかとも、悩んだ。けれど、なんとなく躊躇われているうちに、由岐人はエレベーターの中に消えていってしまった。
 その時のためらいが、今になって悔やまれて仕方がない。
 剛はじっと座っていられなくて、うろうろと今度は車の周りを歩き出す。
 何をしている?
 いったい何故、自分が呼ばれたのか?
 状況がわからなすぎて、咲斗に連絡した方がいいのかどうかも決心がつかない。
 いらいらと、歩いては座り、座っては歩くそんな事を繰り返してどれくらい無駄に時間を過ごしたのだろうか。
「――――剛!?」
 唐突に名前を呼ばれて、剛は思わずビクッっと身体を大きく揺らして反応してしまった。
「兄貴っ――――美貴さんも・・・・・・」
 そこには、この前の夏休み以来顔を合わす兄の晃一(コウイチ)とその彼女であり婚約者の美貴(ミキ)が立っていた。しかも、2人ともスーツ姿をきっちり決めている。
「お前、こんなとこで何してんの?」
「・・・兄貴こそ」
 まさかこんなところでばったり兄弟に出くわすとは到底思っていない二人は、思わず絶句してお互い立ち尽くしている。
 剛にしても今の状況を説明するのは困難だった。
 そんな2人に、美貴が口を挟んだ。
「私の取材に付き合ってもらってるのよ。ホテルだし、女一人よりいいでしょう?」
「取材?」
 美貴は大手出版会社の専属ジャーナリストとして色々な記事を書いていて、こないだはそれをまとめた本も出版しているのだ。
「ええ・・・実は今ある男を追っていてね、その男がこのホテルにいるのよ」
「美貴、そんな事話していいのか?」
「だって剛クンなんだし、いいんじゃないの」
 晃一が美貴をたしなめて、見るようによってはなんとなく緊張感なくイチャついてるように見えるのだが、今の剛にはそんな事も目に入らなかった。
「・・・男?」
 その言葉に、まさか由岐人じゃないよな・・・?と、強い不安感に襲われて。
「ええ・・・、どうしたの?まさか剛クンも男を追って?」
 顔から血の気が完全に引いてしまっているかのような、いつもからは想像もできない剛の様子に、美貴の顔も少しこわばる。
「追って・・・っていうか、まぁ。そんなところ、かなぁ。なぁ・・・――――そいつ名前なんて言うの?絶対誰にも言わないからっ」
 悪い想像が、剛の頭から離れない。よぎる悪い予感に、剛の喉は急速に渇いていく。
「剛、言えるわけないだろう?」
 晃一はたしなめるように言うけれど、美貴はきっぱりと頷いた。
「いいわ。その代わりもし何か知ってる事があるんなら教えてもらうわよ?」
「ああ」
 剛は美貴の出した交換条件に、1秒も惜しいとばかりに首を縦にせわしなく振る。
 不安に、ドキドキと高鳴る胸がうるさすぎる。
 頭の中にまで、音が響いて反響を繰り返している。
「―――今追ってる男の名前は林。林昭雄」
 ―――――あ・・・・・・由岐人じゃなかった
 緊張しすぎていた身体は、思わず、ホッとして全身の力が抜けて、剛はその場に崩れ落ちそうになって、何かが頭をつき抜けた。
 ―――――林?
 その名前に、なんだか聞き覚えがある。
 どこかで聞いた。
 どこかで。
 どこで?
 どこだった?
 剛は、グレーのコンクリートを睨みつけて、もやがかかった記憶へと手を伸ばす。絶対に、今、思い出さなければいけないと、警報がガンガン鳴り響いている。
 そうだ―――――確か、由岐人がいた・・・・・・
「・・・・・・それって、30〜40歳くらいの中肉中背で、一見見た感じはダンディな雰囲気の?」
 そうだ。
 響が奴と喧嘩してやってきて、由岐人とスタバにいたあの時にでくわした男。 
 由岐人は『林様』と、言わなかったか?
「そうよっ。林はそんな風体よ――――知ってるの!?」
 美貴が強い口調で尋ねてきた。晃一も、思わず目を見張ってる。その状況は頭には入ってくるけれど、なんだか遠い。
 そんなことよりも。
 あの時、由岐人は林を毛嫌いしていなかったか?
 会いたくなかったと、そんな感じで。顔色も優れなかった。
 追いかけて行った俺に、一瞬怯えなかったか?
 いつもの自信満々で嫌味っぽい笑みは跡形もなく消えていて。
「美貴さんっ、今林がいる場所ってわかる!?」
 剛は美貴の腕を強い力で掴む。
 何がとか。
 どうなのかとか。
 そんな事は全然わからない。
 けれど、もうこれは勘でしかないけれど、その勘がさっきからガンガンと警報を鳴らしまくっている。
 行かなきゃいけない。
 今すぐ。
 由岐人のところへ。
 手遅れになる前に。



 剛は美貴の腕を掴んで、エレベーターへと走り出した。














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