14

「惚れてるの?」
 剛は由岐人を抱えて、由岐人のではなく自分の部屋へと由岐人を連れ帰った。再び意識を落とした由岐人をそっとベッドに横たわらせて、傷の手当てが終わった頃、美貴がおもむろに口を開いた。
「・・・・・・」
 剛は、なんと答えていいのかわからなかった。
 由岐人はまだ、眠りから目覚めていない。その顔を、剛はじっと見つめている。そこに、答えがあるかのように。
 そんな答えのない剛に、仕方がないと肩をすくめて美貴が部屋を後にしようと背中を向ける。その背中に、剛が口を切った。
「・・・俺はさ、女が好きだ。できれば胸はでかい方がいいし、性格だって、おとなしくて黙って俺についてくるような、俺をたててくれるような可愛い子が好きだ」
「そう」
「由岐人は、ワガママで意地っ張りで、強気で。全然俺のことなんて立てないし。しかも巨乳でもないし、女ですらない」
「そうねぇ」
 美貴は、ドアのところにもたれかかって剛の背中を見つめる。
 出会った時はまだ高校生で、子供だったのに。その背中はいつの間にか、知らない間に男になっていた。それが、弟の成長を見るようで嬉しいようで寂しいようで、美貴は思わず口元に笑みを浮かべる。
「でも、気になるんだ。―――――ふと、気づくと考えてたりする。・・・ふと気づくと、電話をかけようかと携帯を眺めている事もある。・・・・・・・・・わかんないけど、知りたいって思うんだ」
 ―――――精一杯強がっている風にしか見えばい、その態度の理由を。
 余裕綽々で、嫌味ったらしい男だと思った。勝気で、適当に相手をあしらう術を身に着けていて、なんだかバカにされているように思えた。
 にやけた顔がむかついた。
 それがいつからどうろうか?
 そんなもの全て仮面じゃないかと思えた。
 由岐人は『由岐人』というものを演じている様に思えて。
 笑ってるけど、本当に笑っているのかと尋ねたくなった。
 寂しそうに見えるのは気のせいなのか?
 ついらそうなのは目の錯覚なのか?
 そう思うと無性に知りたくなった。
 本当の『由岐人』を。
 知りたくなった。
 その、全てを――――――――――
 剛は静かに眠る由岐人の顔を、じっと見つめた。
 それだけど、もう、隠しようがない思いが、胸を突き上げる。
「がんばんなさい」
「え?」
 美貴の言葉に剛が思わず振り返ると、そこにはうれしそうに笑う美貴の笑顔があった。
「答えはね、彼しか持っていないわ」
 美貴はゆっくりとそう言うと、そのまま部屋を出て行った。
 後に残された剛は、その背中を後を追って、言わなければならない感謝の言葉も、言わなければならない取材をめちゃくちゃにした侘びの言葉も、頭には浮かんでいるけれど、身体が動かなかった。
 今はここを離れたくない。
 たとえ1秒でも。
 側にいてやりたいから。
 2人がマンションから出て行く音を、微かに認識したけれど、剛はずっと由岐人を見つめ続けていた。
 麻の紐で作った傷はそんなに深くはなかったけれど、鞭の傷は深く皮膚を切り裂いていた。消毒液がしみるのか、意識は戻らないのに痛みに顔をゆがめていて。
 今、由岐人の体は包帯だらけだ。
 あの時、声をかけていて、無理矢理にでも引き止めていればこんな事にはならなかった。
 始めて目にした由岐人の身体は、林につけられた以外は傷もなく綺麗だった。
 もし、引き止めている事が出来たなら。
 きっと綺麗なままでいられたのに。
 傷は痕に残るかもしれないと呟いた晃一の言葉に、剛は胸を締め付けられる。
 どうして守ってやれなかったのだろう。
 電話の時からおかしかったのに。
 あれが、由岐人のシグナルだったかもしれないのに。
 どうして気づいてやれなかったのだろう。
 ごめん。
 後悔はいつも後からやってくる。
 ごめん。
 不甲斐なくて。
 ごめん。
 頼りなくて。
 ごめん。
 守ってやれなくて。
 ごめん。
 お前の精一杯に、気づいてやれなくて。

 深夜という時間を過ぎて、外に少し明るさが差し込んできた。
「・・・っ!!」
 いつの間にか眠っていたらしい。自分の首がガクっと揺れて、剛は慌てて目を覚ました。
「あ・・・・・・気、ついてたのか?」
 目を覚ますと、じっと自分を見つめている由岐人と目が合った。いつから起きていたのだろうか、由岐人が目を覚ますときはちゃんと起きていてやらなければと思っていたのに、寝てしまうなんて。
 剛は少し慌てて声をかける。
「体・・・大丈夫か?」
「誰が―――こんな事、頼んだ?僕は11時に地下駐車場に迎えに来てって言ったんだよ」
 開口一番のこの言葉に、剛は一瞬絶句して。
「お前なぁ!!もっと他に言うことがあるだろう!!」
「ないね」
 思わず真っ赤になって怒鳴る剛に、由岐人は冷たく言うとその視線を外してしまう。けれど、その瞳の端が、窓から差し込む光に反射して光っている。
 それを目に止めて、浮かせて腰を剛はため息と共に再び降ろした。
 ―――――泣くくらいなら・・・・・・なんで。
 それでもそういう言い方しか出来ないのが由岐人なのだと、剛は改めて小さく息を吐いた。
「・・・なんで、あんな事。あいつの性癖知らなかったのか?」
「まさか。僕がそんなへまするわけないじゃない」
「じゃぁ―――っ、どうして」
 それを望んで行ったんじゃないことはわかりきっている。
 それでも、それが分かっていてそれでも行ったというのは、よほどの何か事情があるのだろうけれど。
「何の目的であいつに会いに行ったりしたんだ?」
「・・・・・・お前には関係ない」
 小さく呟かれる言葉。
「関係ないって巻き込んだのはそっちだろ」
「だからっ、・・・・・・僕はこんなことまで頼んでない」
「由岐人」
「――――計画が、めちゃくちゃになったじゃないか」
 小さく呟かれる言葉が、揺れているのは泣いている所為なのか。向こうを見たままでは、剛にはわからない。
「計画?」
 その涙の意味も。
「・・・・・・」
「由岐人」
「・・・・・・」
「そんなに俺には言いたくないわけだ?」
「・・・・・・」
「わかった。じゃぁ奴に聞いてみる。今日のこと、まだ報告してなかったし、迎えにもきてもらわなきゃな?」
「ダメっ!!」
 口を割らない由岐人の投げかけた剛の言葉は、剛の予想を超える反応が返ってきた。ずっと、向こうを向いていたくせに、慌ててこちらを振り返って。
 その瞳は大きく見開かれている。
「じゃぁ、話せ」
「・・・・・・・・・僕を、脅す気?」
 由岐人が悔しそうに唇を噛む。きっとこんな光景はそうそう眺められないなと、剛は内心笑いながら、形成逆転とばかりに余裕の笑みを浮かべる。
「まさか。ただ、尋ねているだけだろ?」
「・・・・・・っ」
 その剛の顔がよけい勘に触るのか、その瞳はきつさを増す。
「どうすんの?」
 ゆっくり言葉をつむいだ剛に由岐人は逡巡するように瞳をさまよわせるも、選択肢はなかった。誤魔化す良い知恵も思い浮かばないのか。
 由岐人は嫌そうに、重そうにその口を開いた。
「僕らは今、新しい店を出そうとしてるんだ」
「うん」
「ずっといい場所を探してた。そしてやっと見つかったんだ。けど・・・・・・その場所には林が絡んでて、手が出せなくて困ってた。だから、手を引いてもらえないかって話たんだ。そしたら、1晩付き合えって言われて。それで譲ってやるって」
「それで行ったのか!?あいつがそういう趣味ってわかってて?何されるかわかってて!?」
 そんな理由だとは思わなかった剛は思わず声を荒げた。もっとどうしようもないような重大なことだと勝手に想像していたのに。
「そうだよ」
「なんだよそれっ。なんで由岐人なんだよ!!そんなのあいつがやりゃぁーいいじゃん。なんで由岐人だけがこんな目に会わなきゃいけないんだよ!!」
「咲斗は僕がこんな事したなんて知らない」
「だから!!なんでお前だけがそんな目に会う事になるんだよ!!」
 傷ついて、血を滲ませて転がされているその姿を見たとき、心臓が掴まれたと思うくらいに苦しかった。
 全身が崩れ落ちそうになるくらいだったのに。
 どうして由岐人だけが、2人の仕事のことで犠牲になって傷つけられなければならない!?
 もしかして、あいつはそんな風に人を利用してもなんとも思わないような奴なんだろうか?響を任せているのに。響があんなに好きになった男なのに!?
「言えよ――――あいつには知られたくないんだったら、ちゃんと言えよ!!」
 こんな言い方は卑怯だって、十分にわかっていた。脅しているのと同じだ。それでも、剛は止められなかった。
 悔しくて、悲しくて。
 守りたいと、心底思ったのに。
 そんなに簡単に傷つけてもいいものなのか!?
「なんで、お前が泣くんだよ・・・」
 仁王立ちになって、顔を真っ赤にして涙を流す剛の姿に、由岐人は思わずため息をついて笑ってしまう。
 泣きたいのは由岐人の方なのに。
「わかんねーよっ。勝手に出てくんだ!!」
 手で無理矢理こするその仕草が必死で、由岐人は再び息を吐く。
 もっと簡単にいくと思っていた。
 林を舐めてた。
 自分に惚れてるみたいだったから、適当にあしらってSMゲームにでも付き合えば簡単に落とせるとどこかたかをくくっていた。
 それに、自分の身体に愛着なんてなかったから。
「咲斗にはどうしても成功して欲しいんだ。その為なら、僕はなんでもする。それだけだよ」
 この身が多少傷つくくらいで、あの土地が手に入るなら安いものだと思っていたのに。少し、失敗してしまった。
「・・・なんでもって。由岐人はあいつのために生きてるんじゃないだろ?そういう考え方は変だ。同じ双子でおかしいじゃん。・・・・・・そんなのわけわかんねーよ」
 その言葉に、由岐人は微かに苦笑を浮かべて首を横に振った。
「だって、・・・・・・一緒に仕事してるってだけで。お前らは対等だろ?」
 由岐人のその言い方は、まるで対等ではない様で、不自然さをどうしても剛は拭えない。普通の結びつきとは、違うのだろうか。
「由岐人っ」
 そして自分の伝えたい事が伝わってないように思えて、一生懸命言葉を捜すのに、剛自身どう言っていいのかわからない。わからないから、つい言葉を荒げてしまう。
「言う事は言ったよ。もう・・・これ以上話す事はない」
 それなのにきっぱりと告げられる言葉。そしてその瞳は、言葉以上にこの話の続きをはっきりと拒絶している。
「由岐人・・・」
「剛に迷惑かけた事は謝るよ。ごめん」
「違うっ。俺は迷惑だったなんて思ってない。そうじゃない――――そうじゃないだろ」
 どうして伝わらないんだろ。どうしてもっとうまく言ってやれないのか、剛は自分自身に苛立ってしまう。
 迷惑だったんじゃない。ただ心配しただけだ。
 ただ、もう2度とこんなことして欲しくないだけで。
 そしてもっと、知りたいだけ。
 それだけなのに――――
 どのくらいの間2人はそうやってお互いの視線を絡ませあっていただろう。静寂の中で、時すら止まっていたような、そんな空間。
 先に口を開いたのは、由岐人だった。
 もうこれ以上を、避けるように。
「ねぇ、・・・喉乾いた」
 いつもの、余裕のある笑顔を浮かべて何か飲みたいと言うと、剛ははたと気づいたように慌ててキッチンへ飲み物を取りにいく。そんな一生懸命な背中を、由岐人は苦しげに歪んだ瞳を向けて見つめた。
 何もいえない。
 言ったところで仕方がない。
 一言でなんて説明できないし、咲斗も、響には何も話していないだろうから勝手に色々話せない。
 話したくない。
 知らないでいてほしいし。
 知られたもくない。
 あの部屋で、鞭の痛みに悲鳴もでなくなって、真っ暗な中に落ちていく意識の中で。
 もしかしてここでこのまま死ぬんじゃないかと思う痛みの中で。
 剛の声が聞こえたとき。
 どれだけうれしかったか。
 どれだけホッとしたか。
 知らないよね。
 動くことのない腕を、必死で伸ばしていた。
 出る事のない声で、僕はここだと叫んでいた。
 助けて、と。
 助けて、と。
 そして
 霞む瞳の先に、その顔を見たとき。
 どれだけ

 どれだけ――――――・・・・・・・・・











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