18

 明日は体育の日だという連休初日に、咲斗の部屋に響以外にも由岐人と剛もやってきて、昼間からUNOに興じていた。
 負けた人は×ゲームに今流行の激辛ハバネロスープ一気飲み。とくれば、全員がマジになっていた。1回戦は響が負けて、2回戦は剛が負けた、今が3回戦目。
「黄色」
「えっ・・・もうーっ!」
 響は最後の1枚になっていたのに、直前で変えられたカードの色に不満そうな顔を作って積まれているカードの1番上を取る。
「ひっひっひ〜〜」
 咲斗はもうだいぶ前にさっさと一抜けであがってしまっていて。
「ありがと、剛」
 後ろにハートマークでも付きそうな由岐人の言葉に剛がハタと顔を上げると、由岐人がラストの1枚をペラっと置いて。置かれたカードは黄色の2。
「あー。由岐人の最後黄色だったのかー・・・」
 どうやら剛の読みが外れていたらしい。しかも、剛は手持ちのカードが3枚。その上、自身も黄色のカードは手持ちにはなく、ただの響対策に黄色を指名しただけだったのだが。
「ラッキー、ほい」
 置かれたカードは2の赤。
「はい、UNO」
 ニヤリと笑って響は赤の10を置く。
「あっ・・・・・・」
 剛は自身のカードを見つめる。どうしたってハバネロスープ2杯目は避けたいところ。今でも口の中が辛いというのに。
 運の良い事に、手元には赤のカードと青の10のカードの2枚。響が手に持っているのは黄色以外のどれかに違いはないのだが、青なのか、赤なのか。緑だったら何を置いてもOKなのだが・・・
 剛は自身のカードを睨みつけ、真剣に考える。
 その時、咲斗の携帯が着信を告げる。
「お、来たよ」
 着信画面をみて咲斗は静かに告げると、今まで笑顔を浮かんでいた3人の顔に、にわかに緊張の色が走る。
「はい。・・・・・・ありがとうございます―――――え?ええ、そうですか。・・・はい、わかりました。―――――もちろん大丈夫ですよ。問題ありませんから――――――はい、お手数おかけしました。今度お礼にお伺いしますから、え?はい。じゃぁ、はい失礼します」
「来た?」
 咲斗が電話を切った直後に、由岐人が鋭く言葉を投げかけた。
「ああ、8000万の入金が確認できたらしい」
 電話は上条からで、上条の指定した口座に義父から8000万の入金が確認できた、という電話だったのだ。4人はUNOなどをやりながら、この電話をずっと待っていたのだ。
「おっけー。でも、まだ時間に余裕があるよね?」
「ん〜買い物してから行くんだったらそろそろじゃない?」
 響は振り返って時計を確認する。今、丁度3時5分前。今から車で大型スーパーによって買い物をして、剛の知人の家まで送ってもらって、そこで軽トラックを借りなければならない。
「そうだね。そろそろ準備に入ろうか?」
「了解」
「その前に。剛、どっちか早くカード置いて」
「う・・・・・・」
 響のツッコミに剛が思わずつまった。どうやらこのまま勝負の行方をうやむやにするつもりだったらしい。
 3人の視線をいっせいに浴びて、2枚も赤のカードではないだろうと半ばやけくそに赤の3のカードを叩きつけると。
「やたっ!!上がり」
 響が放り出したカードは、なんと緑の3。
「〜〜〜〜くそ〜〜〜〜っ!!」
 なんという不覚。剛は悔やんでも悔やみきれない様子で、力なくその場に突っ伏した。
 その背中に由岐人がニヤリと笑って、じゃぁお仕事の後のいっぱいはハバネロでね、と今度は語尾に♪マークでも飛び散りそうに嬉しそうに言った。






・・・・





 見上げた家は、7ヶ月ぶりに見る風景だった。
 それなのに懐かしいというような感慨もなく、ただ、ああこんなところだったなと、響は無感情に見つめていた。
「大丈夫か?」
 それでも剛は心配そうに声をかけずにはいられなかった。
 ここが、響にとってどんな思い出の場所かを知っているからだ。
 今ここには剛しかいない。3人も4人もぞろぞろとついていっても仕方がないというのあったし、剛以外に顔が割れていないので、あえてコチラから顔をさらす事はないと、ついて行くと言い張った咲斗を響が拒んだのだ。
「じゃぁー・・・行って来る」
 家の中からは家族団らんの声が聞こえている。
 時刻は7時を10分ほど回った時間。響の帰宅は明日と知らせてあるので、相手もまさか今日戻ってくるとは思っていないだろう。
 そのフイを狙ったのだ。
 響は小さく息を吐いて、一歩を踏み出した。
 ドアに鍵を挿して回す。カチャリという音。何もかもが久しぶりだった。そしてきっとこんな風にこの家に足を踏み入れるのもこれが最後。そう思うと、良い思い出はなくても少しこみ上げるものはあった。
 ―――――何も変わってないな。
 家は1階に駐車場と奥に4畳半の部屋。2階にリビングダイニング、トイレ・風呂。3階に兄妹の部屋と夫婦の寝室だった。
 響は迷わず奥の4畳半へと足を進めた。そこが自分の自室だったからだ。
 ドアを開けると、引っ越すために作られていたパッキンがそのまま残っていた。もう今となっては、ベッドも本棚も机もいらない。本当に身の回りのものさえあればいい。
 ―――――まるで、嫁ぐみたいだな・・・
 以前テレビドラマの中で見た「身一つで来てくれたらいいから」と、人気の男優が呟いていた言葉が頭をよぎって、思わず苦笑が込み上げる。
 そして、目の前にあったダンボールを一つ抱えて玄関で待機している剛の元へ運んだ。ダンボールは全部で7個。借りてきた軽トラで十分運べる量だった。
 そのダンボールを2つほど運び出した時だった。
「・・・・・・響・・・」
 物音を聞きつけたのであろうか、母が、階下に降りてきた。
「やあ」
 久々に見る母の顔も何も変わっていなかった。
 この人の愛を、優しさを求めた幼い日々もあったなと、冷静に思い出す事も出来た。恨んだ事も、憎んだこともたくさんあったけれど、今は純粋に可愛そうな人だと思える。
 この人はこの人で、あの男との生活を守るために必死だったんだ。
「うるさかった?ごめんね、直ぐ済むから」
 そして今は――――感謝すらしてる。
 この人が生んでくれたから、咲斗と出会える事が出来た。運命の人を見つける事が出来た。そして、最高の幸せを手にする事が出来たのだから。
「・・・何をしてるの?」
「荷物をね、取りに来たんだ。引越しが中途になってたから」
 呆然とみつめる母の横を響は上手にすり抜け、休む事無くダンボールを運び出す。
 さっさとしなければ、あの人が降りてくる、そう思った時だった。
「何をしているっ!?」
「あ・・・あなた・・・っ」
 中々上がってこない母の様子を見に降りてきたのだろう、義父がその姿を現した。たぶんいつものように晩酌にビールを開けたのだろう、顔が赤らんでいる。
「荷物を取りに帰ってきたんです」
「荷物だと?」
 義父の瞳には一体どういう事なのだと、怒りの色がありありと浮かんでいる。
 それはそうだろう。
 響は、明日帰ってくる予定になっていたのだから。義父の元へ。
「もう済みますから」
 やはり少し緊張して、身体が強張った。特に、背をむけなければならない時は背中に嫌な汗が流れ落ちる。
「どういう事だ?」
「何がですか?」
 母の前で、「明日の帰宅ではなかったのか」とは、言えないに違いない。それを口にしてしまえば、どうして知っているのかという話になりかねない。
 その分だけ、響には余裕があった。
「俺は、荷物を取りに、帰りたい、と思って帰ってきたんですが」

 あの日、響は公衆電話から、父しかいないような時間帯を狙って電話をかけた。
 『はい?』
 聞きなれた、無愛想な義父の声。大嫌いだったが、このと時ばかりはやったと思った。
 『・・・・・・』
 『もしもし?・・・いたづらかっ』
 『・・・あ・・・お義父さん・・・』
 わざと、か細い声で呟いた。
 『っ・・・・・・響か?』
 『はい』
 『どうした?』
 『・・・・・・俺・・・・・・・・・俺、帰りたい。・・・帰りたいんだ』
 『電話を待っていたぞ。反省してるか?』
 やっぱりねって、思った。そして、心底、心が凍った。ばかばかしくて。
 この人は俺が泣きつくのを待っていたんだ。
 『・・・・・・お義父さん・・・』
 『俺に逆らったらどうなるかわかったな?いいな?帰ってきたら、ちゃんという事を聞くな?』
 『あ・・・・・・ピピッ・・・さん・・・ごめ、ピ――ッ』
 計算どおり進んだのだ。俺の勝ち。

「貴様っ!!」
 ハメられた事に酔った頭でも気づいたのか、赤い顔を一掃赤らめて義父が足を踏み鳴らして一歩踏み出した時に、剛が響の後ろから顔を出した。
「あ、どーもこんばんは〜。響、荷物終わった?」
「・・・後一個」
 どんなに大丈夫と自分に言い聞かせていても、幼い頃に受けた暴力への恐怖は、一瞬身体を凍らせる。
 立ち尽くそうとしていた響にたいして、剛の登場は絶妙なタイミングだった。ほっと、体の力が抜けた。
「ほーい。失礼しますねぇ」
 剛は場の空気を一切無視して暢気な声をあげて、部屋からダンボールを取り出すと軽い足取りで運び出した。
「OK?」
「うん。終わり、かな。一応部屋見てくる」
「おう」
 響は最後に忘れ物がないかどうか部屋を見渡した。荷物が全て運び出されて、机と棚とベッドだけになった部屋。
 ガランとしていた。
 間違いなくこれが、最後にみる風景。
 そう思うと、なんでだか、使い古した机に引き出しに手をかけていた。開けてみると、写真屋でもらえる、紙のアルバムが入ってあった。
 ―――――なんだっけ?
 あまり見覚えのないそれを拾いあげてページをめくると。
 ―――――・・・っ・・・・・・へぇ・・・・・・
 幼い自分が笑っていた。見たこともない小さなアパートの前で、満面の笑顔を浮かべて写っていた。
 その下には、母と2人で、手を繋いでいるもの。
 たった2枚だけが収められたアルバム。
 ―――――こんな時が一瞬でもあったのか。
 全然覚えていないけれど、こんな風に笑い合えていた頃があったのだ。
 そしてどうもそれだけではないアルバムの厚みにページを進めると、丁度中くらいのページに差し込まれていたのは、響名義の1枚の通帳と、暗証番号の書かれた紙。印鑑。
 ―――――はっ・・・・・・
 中を見ると、毎月、2000円とか3000円とか。小さな額が振り込まれていた。きっと・・・・・・・・・母が家計をやりくりして出したへそくり。
 日付を見ると、小学校に入学した時からずっと。1000円の時もあるけど、それでも毎月欠かさず振り込まれているお金。





「響」
「お待たせ」
 響は見つけたアルバムを手に、ゆっくりと自室を出て部屋の扉を閉めた。
「待ちなさいっ」
 義父の横を響が通り抜けようとして、義父はその手を伸ばした。が、一瞬早く剛の手に跳ね返された。
「響っ!――――こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
「・・・何を言ってるんですか?俺は、春に出来なかった引越しをしているだけですよ」
 冷たい視線とともに投げられる響の言葉に、義父は歯軋りをしそうな勢いで顔を歪めている。
「じゃぁ。――――さようなら」
 最後は、母の方に顔を向けて。 
 そして響は剛と一緒に玄関の外へと消えていく。
 ―――――もう2度と会うこともない。さよなら、母さん。
 響は軽トラのドアに手をかけて、もう1度最後にと振り返ってから助手席へと乗り込んだ。
 それでも、抱き締めて別れを惜しむほどには、感慨もない。
 けれどももう、憎しみもなかった。だから、淡々と別れられる。
「響っ」
 エンジンをかけた瞬間、玄関から母が飛び出してきた。
 響は、何事かと窓ガラスを降ろす。
「なに?」
 ああ、近くで見るとしわが目立つ。年を取ったんだなぁと、最後になるであろう母の顔を見つめた。
「・・・・・・ごめんね」
「・・・え」
 小さい呟きだったけれど、はっきりと聞こえた。まさかそんな言葉をかけられるとは思ってもみなかった。
「幸せに、なってね」
 瞳に涙を溜めた、母の顔は、その涙がこぼれる前に再び家の中へと消えていってしまった。
 響が言葉を返す暇もなく。

 ―――――あなたは、幸せですか?

 ふと頭に浮かんだそんな問いは、永久に届く事はないね。

 俺は、もう十分幸せになってます。

 そんなことを言ってあげることも、もう出来ないけれど。

 生んでくれてありがとう。












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