そんな事があった日の3日後の午後、由岐人から朝の迎えの電話があって、見送りに出た玄関で響は唐突に切り出した。
「今日、剛と会うから」
「はぁ!?」
「だから、今から剛と会うから」
「・・・聞いてない」
 咲斗の上機嫌だった顔がみるみるうちに不機嫌なものになる。
「だから今言ってんじゃん」
「それ、いつ決まった話?」
「えーっと、・・・一昨日かな」
 ちょっとまずい質問に、視線を泳がせつつ響はその事実を口にする。
 するとやっぱり。 「じゃぁなんでこんなぎりぎりに言うの!?」
「だって、咲斗さん機嫌悪くなるし。それに妨害するだろ?」
 どっちが悪いんだよっ!!と響は負けないぞとばかり強気の視線を向ける。
 それは1週間くらい前の事。剛に映画の試写会のチケットもらったから見に行こうと誘われて。その時はちゃんと前もって響も咲斗に話したのだ。そうしたら咲斗は、明け方帰ってきたくせにいきなり響に仕掛けてきて、覚醒する間も待たずに容赦なく攻め立てたのだ。
 結局その日響は起き上がることも出来なくなって、出かけることが叶わなかった。
「だ・か・ら」
 ね?とにっこり笑う響に、咲斗は自分が悪いくせに物凄くおもしろくない顔をして、見ようによっては泣きそうなくらい変な顔になっている。見つめてくる瞳は不安と切なさに揺れていて、響は仕方ないなぁと心の中で呟いて自分からキスをしかけてやった。
 ちゅっと唇の端にキスをして、抱き締めて。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
 優しく言うと、咲斗も強く抱き締め返す。
「あんまり遅くまではダメだよ」
「うん、わかってる」
 響にとっては咲斗も剛も大事だから、本当は仲良くして欲しいけど、咲斗が剛の何にこだわっているのか理由がわからなくて、今はどうすることも出来ない。
 でも、全部を咲斗には合わせられないと思う。望みどおりの人になんてなれなくて、咲斗もそれはわかってるから。だからせめて、ご機嫌は取って。
 全部は直ってないだろうけど、なんとか取繕うことの出来た咲斗を響は笑顔で送り出した。
 響は、どうしても出かけたかったのだ。しかしそれを咲斗には出来れば知られたくないっていうのもあって、ちょっと仕掛けてしまった。
 色々聞かれたくなかったって事もあっての、ギリギリのタイミング。
 案の定咲斗は"剛"って存在だけに目が行って、何をするのかとか、どこへ行くのかとか聞き忘れて行ったから。
 響の作戦勝ちというところだろうか。
「ふふっ」








 時刻は夜7時を少し回ったところ。といっても真夏の今は7時と言っても空はまだかなり明るい。
「えーっと、ここら辺?」
「ああ」
 しかし、場所は銀座。夜の街を行きかう煌びやかな女性たちの姿が多く行きかう姿が見られ、確実に夜の顔へと街は変わっていく。
「綺麗なお姉さんいっぱいだねぇ」
 そんな中に、どう見ても場違いな2人組み。
「まぁなぁ、でも、ここは銀座っていってもだいぶ外れだからな。向こうの方へ行ったらもっと凄いぜ」
「へぇ・・・」
 何故剛はそんな事に詳しいのかは置いておいて。
 学生時代、夜遊びといえば渋谷や新宿方面が多かった。まぁ当然といえば当然。しがない高校生に銀座の敷居は高すぎる。
 だから、なんだか高級感漂う人の波が響にはかなり珍しくて。
「あ、そこの角を左」
 明らかに10代の若い学生風2人組みは、かなり回りの風景から浮き立っているのだが当の2人はそんな事は知ったことではない。響などはかなりきょろきょろと周りを見回して、おのぼりさん状態だ。
「もうすぐだぜ」
「ほんと?」
「ああ」
 剛が、目的地まですぐだと響に告げて響が上手くいったと目の前の成功に、にんまりと笑ったその時だった。
「―――何がもうすぐなの?」
「「!!」」
 背後から突然かけられる声に、片方は振り返り、片方は笑顔までもが凍りついて固まってしまった。それはとても見知った声で、できれば・・・嫌、絶対に今は聞きたくはなかった声。
「由岐人っ!・・・よ、よう元気?」
 振り返った剛は頬を引きつらせながらも挨拶を返すくらいの余裕はあったが、響はといえば、かなり顔をひきつらせて、それでもまさか振り返らないわけにもいかない。
 おそるおそる、泣きそうな気分で振り返る――――――
「・・・・・・良かったぁー。由岐人さん一人だ」
「咲斗はもう店に入ってるよ」
 響のあからさまにホッとした顔に、由岐人は思わず苦笑を漏らす。そんなにびくびくするならこんなところまで来なければいいものを。
「うちの店、こっから数メートル程先だけど、まさか、うちに来たわけじゃないよね?」
 分かっててわざわざ言い放たれる言葉。それに伴う笑顔は、咲斗とは違う意味で不気味な恐さをかもし出して、若干溶けかかっていた響の背筋を再び凍らせる。
 しかし、ここで引き下がってはせっかくのチャンスが水の泡だ。
「見逃せよ、な?」
 固まってしまっている響を尻目に、剛はどうも自分を取り戻しているらしく、軽く由岐人の肩に手をかけてなれなれしくい口調で言う。
「手」
「ん?」
「手っ。気安く僕に触るな」
 明らかにイラついた口調に額をピクピクさせて言うと、剛はおもしろそうに笑って煽るように置かれた手で肩を撫でる。
 その手を由岐人は指でつまみあげた。
「いててててっ。ひでーなぁ。手ぐらいでさぁ。俺の裸見たくせに」
「え!?」
「っ、ばかな事言わないで。そっちが勝手に脱いだんだろっ。しかも上半身だけ!!」
「なんだよ、下も見たかったのか?」 
「見たいか、ばかっ!」
 何を考えているのかと、僅かに頬を赤らめて――恥かしいというよりは怒気のためだろうが――それでも何か、とても珍しいものを眺める気分で響はその光景を見ていた。
 ―――――由岐人さんが、赤くなってる・・・・
 半ば呆然と2人を見ていた響を、由岐人は微かにバツが悪そうに軽く睨みつけて。
「響も。こんなとこ咲斗みみつかったらやばいよ?」
「・・・だって、見たかったんだもん。咲斗さんの働いてるところ」
 少し頬を膨らまして言い募る。きっと咲斗だったら、その顔だけで全部を許してしまいそうな凶悪にかわいい顔なのだが、由岐人にはその威力が通じるはずもなく。
「見てどうすんの」
「わかんないけど・・・」
 ―――――だって・・・
 実のところ、浴衣の件から響は少し自分でも自分の気持ちを持て余していた。今まで意識しないようにしてきたけれど、自分は咲斗に生活の面倒を見てもらって、何一つ持っていないのだ。返すものなど何もない。
 気にしないようにしてたけど、でも、突きつけられた事実だった。
 高価な浴衣をポンと買える客。
 高価な時計を買いあたえる客。
 高価な車をプレゼントしてくる客。
 自分では到底買うことなど出来ないものを、咲斗は他の女の人から貰うのだ。それは、確かに客でしかないけれど、いつか客とホストの一線を越えてしまうかもしれない。
 そう思ったらいてもたってもいられなくなった。
 シャワーでぬぐい切れなかった香水の残り香が、鼻につくたびに、響はわけもわからない焦燥感に追い立てられてしまう。
 不安で、どうしようもなくなる。
 だから、見てみたかった。咲斗の世界を。
「とにかく帰りなさい」
 聞けなかった言葉が喉にずっとひっかかっている。
 ―――――『花火・・・・・・誰と見るの?』
「・・・なんで、ダメなんだよ」
 それは、もっともっと高価な物で取り付けた約束かもしれないけれど。それだけの事かもしれないけれど。
「あのね、・・・仕事になんないでしょうが」
 由岐人がため息混じりに言えば、その言葉に響はわからないと首を傾げる。自分がいたら、何故仕事にならないのだろうかと。
「お客様はとても大切だよ。僕は僕なりにちゃんと仕事に誇りも持ってるし、咲斗もそうだと思う。・・・・・・でもね、やっぱり好きな人には見せたくないよ」
 わかるでしょ?と諭される言葉に、響は頷くしかすべがなかった。
 反論の言葉を挟む余地を、由岐人の顔色に見出せなかった。
「そんな顔しないの。響の気持ちも分かるけど・・・ね」
 強制されれば反発もできたけれど、こんな風に優しく言われれば響にはそれを突っぱねる事はできなかった。
 ちゃんと本当はわかっていた、咲斗が嫌がる事も。だから、黙って覗こうとしたのだから。
 近づきたかった咲斗の世界。
 背伸びしたかった大人への階段。
 ・・・けれど、2人は来た道を回れ右して引き返す事しか出来なかった。
「・・・残念だったな」
 響の落胆ぶりに、剛はなんだか可哀想になって慰めの言葉をかける。
「ううん。ごめんな、無理矢理連れてきてもらったのにさ」
「いや、俺はいいけどさ」
「・・・・・・」
「ま、仕方ないさ――――気持ちもわかるしな」
「―――え?」
 小さく呟かれた剛の言葉を、ちゃんと聞き取れなかった響は問い返す。
「あ―――いや、まぁ、なぁ・・・」
 何故か言葉を濁す剛に、意味がわからなくて響は首をかしげて、ついつい名残惜しくて諦め切れずビルの陰に消えた店の方へ首をめぐらすと、さっきは気付かなかった張り紙が目が止まった。
 ―――――あっ・・・・・・
 それは、かなり響には魅力的な張り紙。
「響?」
「あ、ごめん」
 一瞬それに目を奪われて、足の運びがゆるくなった響に剛が声をかける。響は気付かれないように慌てて顔を取繕って、今度は足早にその場を離れた。
 けれど、胸の高鳴りはなかなか押さえることが出来なかった。
 ―――――これはチャンスだ。
 ふと目に留まったあの張り紙はきっと自分を待っていたんだなんて、勝手なことを考えてしまうくらいうれしくて、剛の目を盗んで覚えた電話番号を携帯に記憶させた。










 深夜4時を回った時間、予想を裏切らず冷えた部屋に、咲斗は身体を滑り込ませてクスリと笑う。
 布団を抱き枕にして眠っている響の指を解いて、咲斗は自分の指を絡めた。
『さっきそこで響に会ったよ』
 その手の甲に、咲斗は唇を押し当てて。
「・・・店が見たかったんだって?」
 寝顔にそっと囁いて、指に舌を這わす。
「うれしかった」
 店に来られるのは困るけど、でも、そう思ってくれた事は凄くうれしくて、他のスタッフに変な顔されるほど上機嫌で仕事をしてしまった。
 一方的に好きになって、半ば強引に手に入れたから。
 好きって言われた時は、嬉しすぎてよくわからないほどだった。
 半年たってまだ、側にいてくれる事もなんだか現実じゃないような気が時々する。
「ずっと・・・側にいてくれる?」
 微かな呟きは闇に消されて。
 本当に俺でいいのか、自信もないけれど、それでももう、手離すなんて考えられなくて。
「・・・ん・・・、れぇ?」
「あ、ごめん、起した?」
「んー、・・・かえりぃ〜」
 ほとんど寝ぼけた状態で反射的に差し出される腕に、どだけ幸せを感じているかなんて響は知らない。
「ただいま」
 邪魔な布団はしりぞけて、その腕に絡めとられて、抱き締め返して響の抱き枕になって。
 幸せすぎて、めまいがしそうな眠りに堕ちていく。



 








    ツギ    プラチナ    ノベルズ    トップ