その2日後、中古でいいから言う響に、そんな壊れかけのものはダメだと中古屋さんが聞いたら怒るような理論で、咲斗は新しい人気の物を買った。
 それでもしつこく店員に安定性や強度をしつこく尋ねていたけれど。
「咲斗さん、ありがとう」
 響がぺこっと頭を下げる。
「・・・いいえ」
 実はまだちょっと咲斗はふてくされ気味なのだ。納得してないんだよって、子供っぽく態度で自己主張している。
「咲斗、業者がサインくれって」
 それに呆れ気味なのは由岐人。苦笑を浮かべて由岐人が業者を指すと、咲斗はサインと簡単な説明を聞くために業者の方へ向かう。
 たまたま業者が運んできた今に、コンビニ帰りの由岐人が出くわしてしまい、業者は間違って由岐人にサインを求めたのだ。
 その由岐人は、咲斗が離れたのを確認してからおもむろに響へ口を開いた。
「で、ホントのところはどうなの?」
「・・・何が?」
「原付がどうしても欲しかった理由。あれだけじゃないでしょ?」
「っ―――そ、んなことないよ?」
 唐突の問いに動揺を隠せない響は、それでも"いやだなぁ"となんとか乾いた笑いを漏らす。しかし、由岐人のまっすぐに射抜く視線は揺るがなかった。
「もし・・・もしも、咲斗のこと裏切ったり傷つけたりする事なんだったら、僕は絶対に許さないよ?」 
 からかい混じりのその口調はいつものような冗談めかした物だけれど、その瞳は笑っていない。いつもと全然違う。
「そんな事じゃない・・・よ」
 その空気に圧倒されるように、響はしどろもどろに口を開く。
「じゃぁなんなの?」
「――――これは・・・・・・ただの、焼きもち」
「焼きもち!?」
 その意外な返答に由岐人は思わず声をうわずらせた。
「うん・・・剛が言うところの、だけどね」
 言いにくそうに言いよどむ響の態度に、由岐人はその視線だけで先を促した、その時。タイミングよくというのか悪くというのか咲斗が戻って来てしまう。
「お待たせ。行こうか?」
「うん」
 そこで話題が途切れた事に、明らかにホッとした表情を浮かべた響を由岐人は見逃さなかった。
 3人はそのままエスカレーターに乗り込んで、何も言い出さない由岐人に響は内心ドキドキしていたのだが、無事由岐人の部屋まで何事もなくたどり着いてホッっとため息をもらした。――――が、安心するには早かった。
 微かに音をたてて扉が開くと、由岐人がするりと外へ出たところでクルリと身体を反転させて、閉まりかけた扉に手をかける。
「響が原付にこだわった本当の理由は、『焼きもち』らしいよ」
「っ!由岐人さん!!」
 ニヤっと由岐人が笑って、扉は無情にもそのまま閉ざされた。なんのリアクションを起す間も与えず自動的にエレベーターは一つ上へと上がっていく。
「どういう事?」
「あ・・・っと」
 地の底から聞こえるような咲斗の声に、響の身体がビクンと揺れて背中を嫌な汗が流れ落ちた。
「ゆっくり話を聞かせてもらおうかな。場所は選ばせてあげる――――リビングにするか、それともベッドの上か」
 完全に固まってしまった響に、ちゃんと言わないなら泣かせてでも吐かせてやると言外に言うと、響は迷わずリビングのソファに座った。
「で?」
 咲斗は正面ではなく、響の横に座る。
「えー・・・っと・・・・・・」
 突然ふって沸いた今の状況に、何をどう話していいのかもわからなくて俯いてしまう。どこから切り出せばいいのか、どう話せば鬱陶しいと思わないで聞いてくれるのかもわからない。
 本当に突然の事過ぎて、自分でも整理のつかない想いはぐちゃぐちゃで、頭の中で順番が組み立てられないのだ。
「やっぱりベッドに行く?」
 その沈黙に、咲斗はおもむろに腰を浮かせかけて、響は慌てて首を振るって咲斗の腕に手をかける。
「ちがっ、そのどう言っていいのかわかんなくて・・・」
 困りきっと子犬のような仕草で、響は咲斗を見上げる。
「ん〜・・・どうして原付が欲しかったの?」
 ――――― 一緒に帰りたくなかったから、かな。
 その問いの素直に考えると浮かぶその答えを、まさかそのまま言えるはずもない響はまた沈黙してしまう。
「響?ベッド行く?」
 黙って思案している響に向かって、我慢の限界が近いのか咲斗は最後通牒を笑顔で突きつける。
「えっ!?あ、いやっ・・・その、咲斗さんと帰るのは嫌じゃないんだけど・・・」
「けど?」
 明らかに言いよどんでさっきから話が進まない響に、咲斗はいい加減頭にきているのか笑顔が引きつっている。
「その・・・香水の匂いが・・・」
 響もその空気はしっかりと受け止めていて、何かを言わなければならない事は十分にわかっていた。しかし、ちっとも回らない頭では良いアイデアも言い訳も上手く思いつかなくて、頭に浮かんでいる散在した言葉と思いをそのままに口にしてしまう。
「香水?」
「ん・・・その、帰りのタクシーの中はその匂いがして」
「―――――ああ・・・・・・」
 咲斗にもようやく響が何を言おうとしているのか、何を気にしていたのかに察しがついた。
 一緒に住み出して半年、あまり気にしている様なそぶりがなかったので、てっきり割り切っているのだと思っていた。それは最初は少し寂しいような気もしていたけれど、最近はそんなものかとこっちが納得していたのに、そうではなかったのだ。
 そういえばこないだの喧嘩もそんな片鱗が感じられる喧嘩だった。
「ごめん」
 全然察してあげれてなかった。
「え?」
「こういう仕事だから。俺が普通のサラリーマンなら気にしないで済むような事で、響に嫌な思いをさせてしまってたんだね」
「えっ、ううん。違う――――っ、咲斗さんに謝って欲しいわけじゃないよ」
 少し困ったような顔で笑う咲斗に、響は慌てて首を横に振ってその手に自分の手を重ねる。
「ただ、俺がちょっと最近変で。おかしいから・・・・・・」
「変でおかしい?響はどこも変じゃないし、おかしくないよ?」
 今度は咲斗が何を言い出すんだと目を大きく見開いて言うと、響はまた違うと頭をぱさぱさと揺らして振る。
「こないだからそんな事ばっかり気になって。剛が言うには全部『やきもち』なんだって言うんだけど」
「他にも、まだあるの?」
「・・・うん」
 響は難しい顔をして真剣に考えるように頭を抱えるから、何が出てくるのかドキドキしていた不安も吹っ飛んでしまった。ただ純粋に真っ直ぐなその姿があまりにもかわいくて、おかしくて、咲斗は思わず笑い出してしまった。
「そっか。響、いっぱい焼きもち焼いてたんだ?」
 知らなかった。この半年響を見てきて、てっきりそういう感情が薄いのだろうと思っていた。なんだかマイペースにしていたから。
 こっちが剛のことでやきもきしていても全然わかっていなかったから。
「な、なんで笑うの!?」
 咲斗の反応に響は途端に膨れっ面になって、せっかく握っていた手をパッと離してしまう。
「だって」
 真っ直ぐで自分に素直な響。そんな姿が、好きすぎて嬉しすぎて笑うしかできない。あんな家庭環境で育ってこんなに真っ直ぐに育った事が信じられない。
 いつも咲斗の回りにあるまがい物の恋愛とはまったく違う真っ直ぐさ。それが心底嬉しい。
「もうっ。こんなの初めてで困ってるのに!」
「――――初めて、なんだ?」
 思わず吃驚して響を見てしまう。また知らされるうれしい事実に、もうどうしていいのかわからない。
 ―――――今までそんな風に思う人さえいなかったんだ?・・・・・それって俺が初恋ってこと?
 咲斗は自分で思って、その浮かんだ言葉に熱い興奮を感じずにはいられなかった。
「だって――――」
「だって?」
「誰かを好きになったり、誰かに好きになってもらえたりとか、初めてだから・・・」
 その時初めて、響の顔がくしゃりと歪んだ。
 行き場を見失った子供の様に。
 今にも泣きそうに。
 響にとってこれは初めての恋だから。
 そして初めて自分を愛してくれている人と一緒にいられる今。
 全てが初めてずくしで、響には本当にわからない事でいっぱいだった。
 わけもわからず折檻されて泣いた子供の頃。いつしか自分の存在は否定されて、最後は捨てられた。
 別に親の愛が今更欲しいなんて思わないけれど、愛された事実がないから。
「わからないんだ・・・」
 愛し方がよくわからない。
 愛され方も、よくわからない。
 ただ手離したくなくて、どうしても手離したくないから。我慢できることはしなきゃって思うから、言いたいことも中々言えない。
 ずっと我慢して。耐えてきて。
 いつしかそれも普通になった頃、どこかにこんな感情を置き忘れてきてしまったから。
 だから、昔々に失くしたと思っていたものが今更戻って来ても、どうしたらいいのかわからない。
「―――響」
 頼りなげに自分を見つめる響に、咲斗は切なさとどうしようもない愛しさが込み上げた。
 普通にしていても、全然気にしていないように見えていても、実際は違ったんだ。響はこんなにも戸惑って、不安でいたんだ。その事にどうして気付いてあげれなかったのだろうかと、咲斗は今更ながらに自分の不甲斐なさにイラだってしまう。
 けれどなんだか今は溢れる思いを言葉にしたくても、言葉にした途端なんだか陳腐なものになるような気がして。
 咲斗は手を伸ばして響の身体を抱き締める。その想いの強さを教えるように、強く強く抱き締める。響の腕が咲斗の背中に回るまでじっと待って、顔を歪めて涙を堪えている響の頬に、咲斗はゆっくりキスを落とす。
「ばかだなぁ。俺はどこへも行かないよ。それに、言っておくけど響が俺を想ってるよりも、俺が響を想ってるほうがずっとずっと大きいんだからね?本当に、好きすぎてどうしていいのかわからないんだから」
 優しくそれでいて、響の心が軽くなるようにからかう様な口調で言うと、響の瞳からぽろりと涙が伝い落ちて。
 響は咲斗に、触れるか触れないかのキスをした。
「―――響っ」
 響は恥ずかしいのかすぐに咲斗の肩口に顔を埋めてしまう。そしてくぐもった声で言った。
「・・・そういうの嫌じゃない?」
「そういうのって?」
「やきもち」
「嫌じゃないよ?むしろうれしい。――――だから、ねぇ教えて。他にも気になってることは何?」
 嫉妬されて喜んでいる自分がいる事は本当。
 そして響の事はなんでも知りたい想いもあって、咲斗は髪の合間から見える赤く染まっている響の耳にチュっと軽いキスを落とす。
「・・・その、小城さんとはどういう関係なのかなぁ、とか。た・・・・・・高崎さんって人とか・・・」
「高崎?高崎はうちの本店の店長やってて、俺と由岐人のスケジュール管理とかもやってもらってるんだよ」
「そ、それだけ?」
 その話は響も、小城から聞いていた。響が知りたいのはむしろその先なのだ。
「それだけって、それだけ・・・だねぇ。高崎の何が気になるの?」
 しかし、もう昔から一緒に働いている咲斗には響が何を気にしているのかさっぱりわからなかった。
「だっ、だから・・・その―――綺麗な人だし。昔なんかあったりした、とか・・・」
「え!?俺と高崎が!?ないない。絶対ない。第一高崎は小城と付き合ってるんだよ?小城から聞いてないの?」
「・・・え!?嘘!?全然聞いてない・・・」
 その聞かされた事実に驚いて、響は思わず顔を上げて咲斗をまじまじと見る。あの、小城さんと高崎さんが――――なんだか思い返してみても想像出来ない。
「あいつは。ったく。俺が小城と知り合いなのも高崎通じてだしね。それだけだよ」
「そー・・・なんだ?」
「何、そんな事気にしてたの?」
 あまりに意外なポイントだったのか、咲斗がおかしそうにくすくすと笑って言う。それが何故か悔しくて、響は言わなくてもいいのにさらに言葉を募ってしまう。
 堪えていた思いを1度口にしてしまって、たががはずれたのかもしれない。
「それだけじゃなくて・・・上条さんってどんなお客さんなんだろ、とか。どんな風に接するのかなぁとか。――――こないだ浴衣くれた人だってそうだけど。そういう事がいっぱい気になっちゃって、どうしようもなくなるんだ」
「・・・・・・」
「そういう事知りたいって。咲斗さんの世界に近づきたいって思って始めたバイトだけど、なんか一気に色々入ってきてまだ頭が整理できなくて・・・・・・」
 心のままに溜まっているものを吐き出すようにしゃべり出してしまった響は、なんだか自分で言っているうちに段々と恥ずかしさが込み上げてきて、最後はもごもごと口のなかでしゃべって俯いてしまった。
 それが、咲斗には響を苦しめているように思えてしまい唇を噛み締めた。
「――――ごめんね。やっぱり俺がこういう仕事じゃなかったらさせないでいられた心配だよね」
 響は咲斗の言葉にぱさぱさ頭を振って否定する。その、先ほどから振られて乱れた髪に咲斗の指が優しく絡まって、梳いて行く。
 何度も何度も上下して、その心地よさに響は咲斗が自分の焼きもちに怒っても鬱陶しがってもいない事を知って、思い切って顔を上げた。
「ん?」
 そういえば、考えた事もなかった。
「・・・ねぇ、なんで咲斗さんはなんでホストになったの?」
 ただ何気ない疑問だった。
 けれど、咲斗の手がピクリと跳ねた。それは、響には気付かれないくらいの微かな動きだったけれど、顔が僅かに緊張しているように見える。
「母親がね、そういう仕事してたんだよ」
「お母さんが?ホストクラブ経営してたの!?」
 咲斗は変わらずに穏やかな笑みを浮かべて響の髪を梳いているのだが、何故かその視線を響と合わせようとはしなかった。
「いや・・・そうじゃなくて、ホステスをしてたんだよね。それでなんとなく一旗上げるなら水商売かなって思ってね」
「へぇー・・・そうなんだ」
 むしろ、その先の質問を拒んでいるようにも見えて。違和感に、響も気付く。
「うん」
 それでも気になって。
「――――今、どうしてるの?」
 咲斗の手が、髪の間から滑り落ちて響の頬に手がかかる。その手が、とても冷たく冷えていて、響は思わずビクリとしてしまった。
「死んだよ」
 ずっとはずされていた視線を、咲斗は響へまっすぐにぶつけて。
「え・・・」
「もうだいぶ昔にね」
 笑顔なのに、何故かその表情は張り付いているようで、響には咲斗が笑っているようには感じられなかった。
 むしろ、泣いているようにも見えて。
 そして咲斗は、その先の言葉を拒むように響の唇を冷たいキスでふさいだ。  











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