■15■



「由岐人っ!」
 由岐人の言葉に咲斗の鋭い声が飛んだ。それは、それ以上しゃべる事を拒否している。
「どういう、事だよ?」
 響よりも、由岐人を支えとめる剛の方が先に声をあげた。それは、剛にも知りたかった話だからだ。
 由岐人は少し剛に視線を向けて、眉を寄せる。大好きだったから、言いたくなかったし知られたくもなかった過去。それでも、こうなってしまっては言うよりほかに選べる道はない。これ以上自分の所為で、誰かを傷つけたり犠牲にしたりしたくなかった。
 それに、もう諦めはとっくについている、と自嘲めいた思いがよぎる。少し夢をみていただけだ、と。
「昔、好きな人がいた・・・」
 その言葉に、心の奥に仕舞い込もうとしていた過去が胸の中にせり上がって来た。
「由岐人っ」
 咲斗の、制止するような声に、由岐人は鈍く笑って首を振った。
「・・・もう、いいんだ」
「だってお前はっ」
 自嘲気味に笑う由岐人に視線を向けて、咲斗は一瞬剛へも視線を投げかけた。その行為だけで由岐人は咲斗が、自分が剛を好きなんだということを気付いている事を悟った。
 ――――ばか・・・・
 だからこそ、咲斗は響に話をしていなかったんだ。だからこそ、二人の間がここまでこじれてしまっていたのだ。また、自分の所為だという思いが由岐人を締め付けた。この苦しさにいっそ窒息してしまいたいとさえ思うのに、それすらも出来ない。
 それが罪の重さなのだろうか。
「僕が好きになったのは、40歳くらいの男の人だった。僕が16歳の時に出会って。ずっと年上のその人に、父親のような情を抱いて、それがいつしか身体の関係になった」
 そこまで話して、由岐人は剛の腕から自分の身体を離した。ごく自然に、そっと。
「寂しかったんだと、思う。ずっと年上の落ち着いた物腰に、大人の包容力。僕の我侭にも笑って付き合ってくれた。甘えてもいいんだと思えて、安心できて。好きだった。――――大好きだった」
「――――由岐人」
 ポロリと由岐人の瞳から涙が落ちた。その脳裏にはその男の事が思い出されているのかその視線は咲斗を見ているようで、誰にも焦点があっていなかった。
 高校生だった由岐人は、埋められない寂しさをその男との関係で補っていた。無邪気に好きで、無邪気のその人の愛を信じていた。疑ったこともなかった。
「父親だとは知らなかった・・・・」
「――――え」
 剛は一瞬言われた言葉がわからなかった。驚きのあまりに、まじまじと剛は由岐人を見つめた。
 ――――父親・・・?今父親だと言わなかったか?
 咲斗は、グッと唇を噛み締めた。その視線が、剛を追っていた。
「俺らの母親は、一人で俺たちを生んで育てていたんだ。ホステスをやりながらね。・・・でも、あの人は母である前に女であろうとする人で。俺たちはよく、男が来ているからと部屋に上げてもらえず近くの公園やコンビにで時間を潰したりしていた。家には父親の写真は1枚もなくて、俺たちは父親がどんな人なのか何をしている人なのか、まったく知らなかった。母は、父親の話もしたがらなかったしね」
 咲斗は、由岐人の言葉を補うように細かい事情を知らない剛に向けて言葉を投げかけた。拒否しないで欲しい、たとえこの事実に驚いても、拒絶したり異端な物を見るような視線で由岐人を見て欲しくなかった。
 願わくば、全てを受け止めて受け入れて欲しかった。
 響が、咲斗の腕を掴んで上体を起こして、つらそうにしている咲斗の身体を抱きしめた。きっと今話していることは、咲斗にとってもつらい話なのだとわかるからだ。
 無条件で愛されるはずの親に愛されない寂しさを、知っているから。
「由岐人と父が出会ったのは、本当に偶然だったんだ。そういう関係になってから、向こうは気が付いたらしいけどな」
「え・・・」
 剛は、少し躊躇うように由岐人に視線を投げかけた。その由岐人は、ドアの近くにぼんやりと立っていた。
「僕がその事を知ったのは、ホテルの部屋に母親が乗り込んで来た時。母は半狂乱で叫び声をあげながら、入ってきた」
 ――――この、淫乱っ!男が好きなんて変態じゃないの!!気持ち悪い!!
 いきなり殴られて、髪を引っ張られた。鬼のようなあの形相は、今でも忘れられない。
「はじめは、全然状況がわからなかった。てっきり、男と関係している息子に怒っているのかと思っていた」
 でも、違った。
 ――――よりにもよって、私の人に邪な気持ちを抱くなんてっ
 ――――え・・・、かあ・・・さん・・・?
「無我夢中で腕を振り回してきて、バシバシ殴られた」
 ――――こんな淫乱で頭のおかしい子だとは思わなかった。ずっと育ててやったのにっ!!
「母親に、全裸でホテルの部屋から追い出された。服を投げつけられて」
 ――――この人は、あんたの父親なのよ!わたしの恋人よっ!!
 息子を見るのではなくて恋敵を見るような憎悪に満ちた瞳を向けられた。そこに、母の姿はなかった。
 ――――・・・う、そ・・・・
 信じられなくて、呆然と見上げたドアの隙間から垣間見えた大好きだった人は、バツの悪そうな顔で僕の視線を避けた。その時初めて、この人が知っていて僕を抱いていた事を知った。
「呆然とする僕の前で、扉は無常にも閉められた」
 のろのろと服を着て、とりあえずここにいてはいけないんだと動き出した。靴は投げ捨ててはくれなかったので、僕は裸足でアスファルトの上を歩いた。足の裏が切れて血が出ている事も気付かなかった。そんな些細な痛みは、感じられなかった。そよりもずっと、心がぐじゅぐじゅと痛んで悲鳴をあげていた。
 失ったものの多さに、わけもからなくなっていた。
「死のうと、思った・・・・」
 響がさらに咲斗の身体を強く抱きしめた。咲斗の身体が、憤りと切なさと苦しさに震えていたからだ。咲斗にこんな思いをさせるくらいなら、知りたいなんて思わなければ良かったと、言いようのない激しい後悔が響を襲い掛かっていた。
 抱えている重さに、響は泣きそうになるのを耐えていた。
「でも、それより先に知らせが入った――――――――母とあの男が、あのホテルの部屋で無理心中したって・・・・」
 剛の身体が、響の身体がビクッっと大きく反応をした。その言葉は、二人の想像をはるかに超える言葉だったのだろう。咲斗は、躊躇うように怯えるように響の身体に手をのばして強く抱きしめる。すると、響も強く抱きしめ返してきて、咲斗はホッと心の底から安堵の息を吐いた。
 けれど、由岐人を今抱きしめる手もなければ、剛を支える手もなかった。二人は1メートルほどの距離を開けて、どちらも動けずに立ちすくんでいた。
「・・・・僕が、殺した――――――――両親を・・・・」
 静まり返った室内に、死刑の宣告を受けたような悲痛な由岐人の声が響いた。
「違うっ、お前の所為じゃない!」
 何度も何度も、繰り返した言葉を咲斗は再び口にした。それが由岐人の心の奥底には届かないとわかっていても、言わずにはいられなかったのだ。
「違わない――――っ」
 やはり、由岐人は首を横にゆるゆると振るだけ。
「僕は全ての世界が怖くなって、部屋に閉じこもるようになった。その後のしばらくの記憶が僕にはないんだ。気付いたら、部屋の布団の中に丸まっていて、両親が死んだ日から1ヶ月が過ぎていた」
 ぎゅっと、咲斗をうかがうように響は視線を上げた。その響に視線を向けて、咲斗は再び重い口を開いた。
「父親は、関東では有名な進学塾・・・"清明ゼミナール"の社長だった」
「えっ、ってめちゃめちゃ大手の・・・?」
 それは、時折CMも見るような有名な塾で、響でも知っている。
「ああ、あそこ。父親が当時若社長だった頃母と出会って、あの人にとっては母との事は軽い火遊びのつもりだったんだ。だから子供が出来たとすがられて、手切れ金を渡して捨てられたんだ。それでも母が俺たちを産んだのは、どこかであの人と繋がっていたかったのかもしれない。・・・・そして、あの人の奥さんが癌で亡くなった頃に偶然再会して、関係が再び始まっていたらしい」
 哀れな女だと咲斗は思うけれど、それでもその男が好きだったんだろうと思う。それがまた、哀れだと。
「息子を抱きながら、その母親ともやってたんだよ」
 くすくすと由岐人が笑いながら言葉を挟んだ。その視線はやはり中を見たままで、剛に向けられる事は一切なかった。
「向こうにとってはかなりのスキャンダルだから。全てを穏便にして、今後一切係わり合いを持たないっていう誓約書と引き換えに、かなりの額の手切れ金を俺たち受け取った。その交渉を、俺は全て一人でやったんだ。それが・・・・」
「あいつを誤解させた。父親と寝てたのは、咲斗だと勘違いしたんだ。というよりも、僕はその後も完全に引きこもり状態だったから、あいつは僕らが双子だって言う事すら、知らなかったみただけどね」
「・・・どういう、こと?」
 響は恐る恐る咲斗に声をかけた。
 咲斗は軽く息を吸い込んで、響の身体を抱く指に力を込める。ここまで来て、言いたくないとは言わないが、やはり緊張に声が裏返りそうだった。不安感に、胃がきりきりと痛くなってくる。
「俺にも、一連の事はかなり衝撃だった。はっきり言って戸惑ったし、これから先どうしていいのかわからなかった。その頃には学校を卒業してフリーターながら働いていたけれど、いきなり二人っきりにされて、しかも由岐人は引きこもっていて。正直この先どうやって生きていくのか不安だった」
「・・・うん」
 それは響にもなんとなくわかった。自分も高校を卒業と同時に世間で一人で生きていかなければいけないはずで、そのことに思い悩んだ日々もあったからだ。けれど、前もってわかって準備ができた響の方がずっとましだろう。咲斗はいきなり放り出されたのだから。
「かなり弱ってて、――――由岐人に当たる気持ちもあった。そんな男と恋愛するから、とか。引きこもって全部こっちに押し付けるなとか。今思えば、随分自分に余裕がなかったんだと思う」
 咲斗の言葉には後悔と、由岐人への申し訳ないという思いが滲んでいた。
 剛は由岐人の斜め後ろから、ずっと由岐人に視線を投げかけていた。目をそらす事は出来なかった。ずっとずっと由岐人が言いにくそうにしていた事実が、思っていたよりも重くてヘビーで、ちょっとめげそうになる自分を、叱り飛ばしていた。こんな事では、自分を拒否し続けていた由岐人の方が正しくなってしまう。そんな、格好の悪い男にはなりたくなかった。
 それでも今は、話を聞いているだけで精一杯だったのだ。
「そんな時、バイト先にあいつがやってきた。響には前にも言ったけど、俺たちは付き合うようになって、その存在に凄い支えられた。支えられたというよりは、逃げ場所にしていたと思う。家に帰れば由岐人が引きこもっていて、色んな出来事が全部現実で。それは俺には一人で背負うには重くて。あいつと一緒にいる時間だけがそれを忘れられるような気がした。そうやってどんどんのめりこんで、あいつの部屋で半分同棲みたいな生活をして、家にも帰らなくなって。それはかなり甘えた、自堕落な生活だったと思う。バイトも止めて、もらった手切れ金に勝手に手をつけて。本当にかっこ悪いけど、骨抜きって感じで・・・」
 咲斗は響の視線を逃げるように顔を背けていた。まともにその視線を見れなかったのだ。あの当時自分がどんなにくだらなくて器量の狭い男になっていたかの自覚は、十二分にあったからだ。その中で、由岐人を一人にして無言で責めてしまったことは、今でも咲斗の心の中に大きな傷となって残っていたから。真っ直ぐな響の視線が痛かったのだ。
「いきなり別れるって言われた時はもうどうしていいのかわからなかった。何度引き止めても、別れるの一点張りで。俺は馬鹿な事に酒に逃げて。そんなある深夜、あいつからいきなり電話がかかってきて呼び出された。俺はしっかり酔っていたけれど、それでも行かないなんて事は考えられなくて飛び出した。足取りもふらふらで、でもなんとか待ち合わせ場所にたどり着いた。でもあいつはいなくて、俺はその場でずーっと待ってた。待って待って待ち続けて、いつしか眠ってしまっていた。・・・・目が覚めたら病室だった」
「え・・・・」
「真冬に野外で爆睡って凍死する気かって医者に怒鳴られたよ。病院からの電話で駆けつけた由岐人が、横に立って泣いてた。その顔を見たときに、ああ、死ななくて良かったって思った。そして、ちゃんとしなきゃって思ったんだ。正直目が覚めた。それから俺は酒を抜いて、もう1度あいつに会った。俺の中ではそれでもあいつが好きだった。会えなかったのは行き違いになっただけに違いないって思い込もうとしていたのに、開口一番あいつは、"なんだ、死ななかったのか"って」
 その言葉に、響が息をのんだ。
「そしてあいつが復讐のために俺に近づいた事がわかったんだ。そこで初めて俺が由岐人じゃないってわかったみたいだ。俺が抱く側で抱かれる側じゃないってところで間違いに気付かないところが抜けるなぁって思ったけどね。なんだかその失敗も向こうはすっごい頭にきたみたいで、色々言ってた。でも、俺はそれよりも今までの過ごした時間が全部嘘だった事が悲しかった。ただ悲しくて、絶望に追い落とされた気がした。支えてくれているんだと思って信じて疑わなかった相手が、心の奥底では俺を憎み続けていたなんて」
「・・・・」
「一瞬さ、なんか全部がばからしくなって。ショックで呆然と歩いていたら、気付いたらあの屋上にいた。別に、本当に死にたいと明確な意思を持ってあそこに上ったんじゃないんだ。気付いたらいたって感じで。でも、もしあの時響に出会わなかったら、俺は飛び降りてたかもしれない。由岐人を一人ぼっちにして、あいつの思う通りに死んでいたかもしれないとも思う。・・・だから、響は恩人なんだ。ありがとう」
 咲斗が怯えるように響に視線を写した。今の話で響がどう思ったのか何を感じたのか、咲斗にはわからない。自分でも嫌になるくらい格好悪くて最低で、いっぱい由岐人を傷つけたと思うから。本当はもっとちゃんと守ってやらなきゃいけなかった時に、何も出来なかったから。
 もしかしたら、こんな格好悪い卑怯な姿に愛想をつかされたかもしれないし、嫌われたかもしれない。そう思うと、怖くて怖くて、まともに響の顔を見るのはかなり困難だった。
「ううん――――ううん」
 けれど響は、自分が苦しいような顔をして咲斗を抱きしめた。精一杯ぎゅっと抱きしめて、小さく好きって呟いた。













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