■17■



 響が咲斗に病院のベッドに押し倒される少し前。剛は由岐人を探して深夜の道路を息を乱して走っていた。
 ――――ったく、どこだよ!!
 暗闇は、ぽつぽつとある街頭と、たまに通る車のヘッドライトだけが頼りだった。剛は必死で目を凝らして走りながら、頭の中では色んな言葉がぐちゃぐちゃに回っていた。由岐人の告白、咲斗の言葉、由岐人の視線、咲斗の土下座。由岐人の顔。今まで交わした言葉、あのホテルの部屋で見た倒れた由岐人。触れた肩。寂しそうに笑う顔。冷めた瞳。泣きそうに寄せられた眉。皮肉っぽく上がる口、物言いたげな瞳。拒絶する背中。そして、何かをずっと求めていた由岐人。
 知り合って半年と少し。短いようでたくさんの由岐人を見てきた。そして、全然そんな対象でもなかったのに、いつの間にか芽生えていた由岐人への思い。
 ――――由岐人・・・・っ
 もう全部がぐちゃまぜで、今は気持ちの整理なんて全然出来ない。戸惑いばかりで、正直わけもわからなくて、今剛の身体を動かしているのは理性よりも本能だった。
 ただ、早く見つけなくてはいけないという焦り。ただ、抱き締めなきゃという想い。それだけ。
 ――――あっ!?
 走って走って、今、目の端に何かが掠めた。剛は慌てて止まって振り返ると、道路から左にはいった橋の上、そこに何かの影があった。心臓がドキっと鳴って、剛は音を殺すようにそっと近づいていく。
 ――――由岐人!?
 そこにいたのは間違いなく由岐人だった。呆然と川を見つめてたたずんで――――・・・・・っ
「由岐人!!」
 由岐人の手が橋にかかったのを見て、剛は慌ててその名前を叫んだ。静まり返った闇に、剛の声が響き渡って由岐人の身体がビクっと揺れた。慌てたように靴を脱いで、足を橋の手すりにかける。
「止めろっ!!」
 由岐人の顔は、決して剛の方は向く事がなく、その片足が完全に橋に乗り上げて、もう一方の足を手すりに乗せようと大きく体を橋に預けて――――由岐人の身体が大きく傾いた。
「由岐人っ!!」
 剛は精一杯腕を伸ばして、由岐人の身体に跳びかかかった。由岐人の身体が大きく前へ傾くその瞬間。剛の腕が由岐人の身体を捉えて、――――――――間一髪。二人の身体は橋の真ん中に転がった。由岐人をなんとか抱えるようにして倒れこんだ剛は、地面に打ち付けられて、したたかに背中を強打した。
「っ、痛」
「離してっ」
 自分の下で顔をしかめる剛を見ようともしないで、由岐人は溺れる子供のように両手を前にだしてさまよわせた。その手は、今離してしまった橋の手すりを掴もうと伸ばされている。
「由岐人っ」
 その由岐人を叱りつけるように剛は叫ぶと、その伸ばされた腕ごと由岐人を抱きしめた。
「由岐人――――っ」
「・・・離してっ。――――離してよ!!」
 悲鳴のような鋭い叫び声を由岐人はあげて、這ってでもその場へ行こうと身体を動かす。
「だめだって!」
「なんで?――――なんで!!」
 ――――もう死んでしまい。もう終わらせたいっ!
「死ぬなっ」
「なんで・・・っ?もう嫌だ。僕の所為で誰かを傷つけたくない」
 もういい。ずっと前から思っていた。
 咲斗には今は響がいるから。もういい、僕はもういい。
 それに、――――確かめたい。死んだ世界であの人に、あなたは僕をどう思っていたのか・・・聞きたい。
「お前が死んだら、それで全部終わるのか?違うだろ!?お前がいま死んだら、響や咲斗がどれだけ悲しむと思ってるんだよ!どれだけつらい思いをしてどれだけの後悔を抱えて生きていかなきゃいけないと思ってるんだ!」
 その言葉に、暴れていた由岐人の身体から力が抜けた。その瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「じゃぁ・・・どうしたらいいの?」
 もうどうしたらいいのか全然わからない。ずっと迷子になったまま、由岐人はどうしていいのか、ずっとこの場所から動けなかったのだ。
 誰も答えをくれない。生きていていいのかも、恋をしたのは間違っていなかったのか、僕は望まれているのか、どうして生きているのか。
 ただ、あの人が好きだっただけなのに。
 誰も僕を愛してはくれない。
「幸せになれよ」
 ――――・・・なに?・・・・幸せに・・・・
「それだけが、咲斗や響の願いだと思う。由岐人はもう十分悩んで苦しんできたんだから。もう過去の事は、思い出にしてしまわなきゃ」
「そんなこと、出来るわけない・・・」
 ――――そんなこと、出来るはずがない
「僕の所為で、両親は死んだんだ。あいつが、僕を恨むのも本当は間違っていないよ。僕が彼から父親を奪ったんだ」
「違うだろっ」
「違わない!」
「由岐人!」
「じゃぁ聞くけど、剛は平気?自分の父親が息子と寝てて、しかも愛人に殺されたなんて。そんな事、許せるの!?」
「っ、そんなの、わかんねーよ!!」
 そんな難しい事わかんねーよ。こっちだって頭ん中ぐちゃぐちゃなんだよっ!!畜生!!
「でも!!でもな、お前はただ純粋に恋をしただけだろ。他の事はお前の所為じゃない」
 由岐人は剛の腕の中で首を何度も横に振った。そんな言葉は、咲斗にもたくさん言われたけれど、けれどどうしようもないんだ。今でも時々あのときの母の顔が浮かんできてうなされて、目が覚める。今も責めているようで、それは由岐人を捉えて離すことは決してないのだ。
「幸せになろう?」
 ぱさぱさと、剛の言葉を聞きたくないと由岐人が首を振る。
「俺と、幸せになろう」
  ぱさぱさと振られていた由岐人の首が、ピタっと止まった。
「今・・・、なんて?」
「俺と、幸せになろう」
 はっきり言葉にしたその思いは、剛の今のまっさらな本当の本気の思いだった。
「・・・・・」
「由岐人のこと、幸せにしたい」
 笑って欲しい。本当に、心の底から幸せそうに、笑っていて欲しいと思う。なんだか色んな事があって頭の中がぐちゃぐちゃで、わけわかんなくなっていたのに、咲斗に頭下げられたとき、その言葉だけが剛の心の中に落ちてきた。
 そして、走って走ってるうちに、色んなごちゃごちゃした頭の中で、その思いだけがどんどん大きくなってた。
「・・・本気で、言ってるの?」
 由岐人の身体に力が入って、声が掠れた。
「本気に決まってるだろ。こんなこと冗談で言う事じゃない」
「僕は、父親と寝たんだよ?」
「知ってる」
「僕の所為で、母さんはあの人を殺したんだ」
「だから、それはお前の所為じゃない」
「僕が、母にあんな顔させたんだ」
「由岐人」
「・・・僕が、あいつから父親を奪ったんだ」
「由岐人っ」
「僕がっ」
「由岐人っ、――――もういい、もういいからっ」
 ――――剛の腕はあったかいね。
 背中からぎゅうぎゅうと抱きしめられるその腕は何よりもあったかくて、切なくて。だから、うんとは言えない。
「・・・、タイプじゃない」
「は?」
「剛は僕のタイプじゃない」
 震える声がそんな言葉を吐いたって、少しも説得力がないってことが分かっていないのだろうか。剛は思わず苦笑を浮かべた。
「嘘だね」
「嘘じゃない。僕は年上が好きなんだ。知ってるでしょ?――――父親と寝るような・・・」
「由岐人っ。年は仕方がない、俺が後に生まれたんだから、どんだけがんばっても年上にはなれない。けどな、俺は何があってもお前を守ってみせる」
「ガキのクセに生意気言うな」
 ――――優しいこと、言わないで。
「ガキでも、守ってみせる」
 ――――これ以上、僕の中に入ってこないでっ
「タイプじゃないって言ってるだろ!!」
「この際贅沢言うなよ。誰だってタイプとは付き合えないもんだぜ」
「巨乳の女好きのくせにっ」
「うん。でも、今は由岐人が好き」
 ――――好き
「嘘だっ」
 ――――嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ
「嘘じゃねーって」
「嘘だっ!」
 ――――嘘って言って。
「好きだ」
 由岐人がぽろぽろと泣きながら、強情に首を横に振る。
「だめっ。僕は好きじゃないっ」
 ――――巻き込めない。巻き込めないよっ
「じゃぁー好きにしてみせるよ」
「だからっ、タイプじゃないって言ってるだろ!!」
 ――――お願いだから、もう許して・・・・
「ゆーきーと」
 いい加減強情な由岐人に、剛はクスクスと苦笑が漏れてしまう。こんなに全身で好きって言われた事がなかったと、振られる言葉を聞いているのに思わず笑ってしまうのだ。
 かわいいとは思っていたけど、由岐人ってこんなにかわいかったんだなと改めて思ってしまう。
「・・・・あいつは、剛のことも知ってる」
「え・・・?」
「僕に関わってたら、あいつはきっと剛にも何か仕掛けてくるよ。響みたいに怪我したいの?ううん、もっと大怪我させられるかもしれない。せっかく全うな人生が台無しにされるかも。だから、もう僕には関わっちゃいけない。幸せになりたいなら、ね」
 由岐人はそう言うと、剛の腕の中から強引に立ち上がった。由岐人の言葉に少し緩まった剛の腕の力に、やっぱり――――そんな思いに心にこみ上げて。心がからからと壊れていく音を聞きながら、自嘲気味に笑った。
 ――――これで良かった。
 きっと剛はそこまで考えないでしゃべっていたのだろう。響の怪我を見た後ではビビるのも無理はないと、今にも笑い出したい自分をこらえて由岐人は立ち上がる。
 ――――これで、終わり
 そう思っていまだに由岐人の腕を掴んでいる剛の手を振り払おうとしたら、剛がぐっと手に力を入れて引っ張ってきてクスクスと笑い出した。
「剛!?」
 その反応にびっくりして、ずっと避けていた剛の顔を由岐人は思わず見てしまった。
「やーと見たな?ったく。――――由岐人は俺のこと好きでもタイプでもないんだろ?だったらそんな事心配しなくてもいいんじゃねーの?」
「――――!」
「俺が怪我しようが人生踏み外そうがそれは俺の勝手。っていうか、俺の人生は俺で決める。そんな事、由岐人が決めることでもないけどな」
 剛もゆっくり立ち上がる。由岐人と真っ直ぐ視線を合わせて、見据えると由岐人が気まずそうに視線をはずす。
「こっち向いて」
「・・・・・」
 泣きそうだから、見たくないのに。
「由岐人っ」
 由岐人は仕方なくおずおずと視線を剛へと戻す。すると、剛は少し嬉しそうに微笑んで。
「俺は、由岐人と幸せになりたい。それが俺の人生だから。もう決めたから。嫌でもなんでも、付き合ってもらうからな」
 ――――・・・・・だめ・・・・
 そう思うのに。きっとここで頷いたり、泣いちゃったりしたら駄目で。断固として拒否しなきゃいけないって思ってるし、それが正しいと思うのに。由岐人の瞳からはせっかく止まった涙が再びぽろぽろとこぼれだした。
 心の奥底で、殻に閉じこもっていたはずの自分。その殻に、ピシっとひびが入っていく。ここにいなくっちゃ、出て行っちゃだめだって思うのに。
「泣き顔、かわいいな」
「っ、ばか!!」
 恥ずかしくて振り上げた左手は、剛の身体を叩く前に掴まれて力強くひっぱられた。ぎゅっと抱きしめられて、ほっとしている自分がまた由岐人は怖くなる。
 好きだなんて言えないけど。こんな事絶対間違っていると思うのに。抗う事ももう出来ない。この腕の中があったかくて、離したくないと思っていることも認められないのに。きっともし失くしたら、今度こそ本当に自分は壊れてしまうと思う。いっそ壊れてしまったほうがいいと思うのに、愚かしい事に、幸せになりたいと思いだしている自分に気付く。
「ゆーきと」
 こっちが必死で悩んでいるのに、能天気に嬉しそうな声で名前を呼ばれて。思わず顔をあげると、その眼前に剛の嬉しそうな笑顔が広がった。
「好きだぜ」
 そう言って、剛は強引に由岐人にキスをした。
 さすがに怖くて、まだ舌は入れれなかったから、軽いキス。でも由岐人は怒らなかった。ま、怒らなかったというよりは、ビックリしていて固まっていただけなんだけど。













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