■18■
中島博成はその日、顧問弁護士に呼ばれて都内のホテルの中に設けられた会議室へとやってきていた。一人で来いというその呼び出しに、わざわざなんだとイラついた態度を押さえて扉を開ける。 するとそこには、先に来ていた弁護士が座っていた。そしてもう一人。 「どうも」 見覚えのない男に中島はいぶかしげな顔で挨拶をする。 「どうも。私不動産業を営んでおります上条と申します」 上条がサッと名刺を差し出すと、中島もその名前に急に顔を引き締めて慌てて自身の名刺を差し出した。 「これは、はじめまして。お名前は聞き及んでおります」 上条は不動産の値下がり時期に買いまくった土地に、今商業施設などや住宅を建てて元を取っては高値で転売する、という事を繰り返し、かなりの業績とお金を動かしていた。その上条の持っている土地のひとつが、中島が新しい学校を建てたいと思う場所と一致していて。ここのところずっと交渉を重ねていたのだ。 それは自由が丘の、少し奥に入った静かな物件。住宅地にも近い。中島はそこに小学校受験向けの塾を開校しようとしていた。それが、その場所とイメージが、ゼミ全体のイメージを底上げしてくれると思っているのだ。 とはいっても、交渉自体は重役と弁護士が主導で行っていて、中島自身が上条と顔を合わすのはこれが初めてだった。 「この度社長をおよび立ていたしましたのは、是非折り入ってお話がしたいと思いましてね」 上条がにっこりと笑う。咲斗や由岐人が見たら、真っ先に"胡散臭そうー"とでも言いそうな笑顔。しかし初対面の中島のそれがわかるはずもない。 「そうだったんですか。何も聞かされていなかったのでビックリしました。それはもちろん良いお話なんでしょうね?」 けん制するように中島が笑って言うと、上条はに笑顔を浮かべたままスッっと契約書を中島の前に示した。 「・・・、少し金額が高いようですね」 そこに提示されている額は、相場よりも明らかに高い金額だった。中島は不愉快そうに顔を曇らせる。 「実は、この金額よりも1億ほど安い金額を、駿聖台ゼミ高より提示がありましてね」 「それで何故うちが1億も上乗せを?」 駿聖台とは今中島の次に勢いのあるゼミだ。強力なライバル相手の名前を上条は口にしてきたのだ。中島の顔は、ますます不愉快そうになっていく。足元を見られるのは誰だって良い気分はしないだろうが。 「実は私、藤原咲斗、由岐人と懇意でしてね」 「――――っ、へぇ・・・」 中島の顔色が、サッと変わった。 「色々お噂は聞いております。あなたのなさった事もね。それ、マスコミに流れたら大変でしょうね。東さんのお嬢様とのご婚約も破談になるかもしれませんね」 穏やかな笑みをたたえたままの上条の顔を、中島は少しきつい視線を向けて、苦々しげに呟いた。 「そんなことしたら、あいつらも傷つくぞ」 「さて、それはどうでしょうか?ホストという職業はそれはそれで、そういう噂もおもしろがられるんじゃないですか?迫が付くといいますか」 「彼らはそうでも、残りの二人はどうかな」 残りの二人。中島の言葉は響と剛の事をさしていた。 「彼らは一般人の未成年ですよ。マスコミがそんなところで騒いでどうなります?あなたの方がずっと話題になる。こういう事は話題性が大事ですからね」 上条のもっともな言葉に中島は上条をねめつけた。いらだたしげに、足が小刻みに動いていた。 「私はこんな脅しは不愉快だ。それならば違う土地を考えるまでだっ」 「社長、それが例の候補の土地ですが、今朝先方さまからこちらの上条様にお譲るすることにしたとの連絡が入りまして」 話を打ち切って立ち上がりかけた中島が、一瞬にして固まった。 「あの土地も駿聖台さんが買ってくださるかもしれませんねぇ」 中島が第2候補にあげていた土地も、上条の手に既に渡っていた。それはもちろん、上条の顔なのだ。 「何が目的なんだ!」 苛立ちを押さえきれなくなった中島が、ついに声を荒げて上条を睨み付けた。しかし、その程度のことではピクりとも上条はしなかった。上条からすれば、中島などかわいらしい子供くらいなものなのだろうか。 「私はこの言い値でこの土地を買っていただきたいのです。それとこちら。この誓約書にサインをください」 「誓約書?」 それは契約書とぴったり重ねられて置いていた。上条がすっと横へスライドさせて中島に改めて提示した。そこには、今後一切藤原咲斗、由岐人、冬柴響、角川剛、そしてホストクラブプラチナで働く従業員全員に近づかないという旨が書かれていた。そしてそれに反した場合は、社長中島博成の持つ清明ゼミナールの株を全て咲斗、由岐人へ譲渡するもの、と。 「こんなもの飲めるか!!」 「どうしてですか?」 「どうしてだと!?どうして、どうして私が泥棒猫の人殺しに私の会社の株を渡さなければいけないのだ!!」 中島は真っ赤になって怒鳴り、怒りのあまり座ってもいられないのか思わず立ち上がる。 「中島さん。何もこれは株の譲渡の契約書ではありませんよ。あなたが誓約さえ守ってくだされば良いだけなんですよ」 「――――」 「それに、元々彼らはあなたの異母兄弟です。本当なら遺産相続の権利もあったはずだ。それをあなた方はあの二人に説明さえしなかった」 「手切れ金は払ったっ」 「遺産額からみれば、少し安いようですけどね」 「っ!」 「それともこのまま、駿聖台に抜かれるのを指をくわえて見ていますか?」 真っ赤になって怒っている中島の姿がどうもおもしろいらしく、上条は今にも笑い出しそうだ。上条にすれば、どちらでも良い話なのだ。駿聖台の提示額も、清明ゼミを意識したのか、相場より少し高めの額になっている。1億は惜しいが、どちらに転んでもさした影響はなかった。 中島はといえば、もちろんそんな態度も腹が立つ。さらに顔を赤らめて、イライラと足を踏み鳴らして室内を歩き回わる。歩き回ってはみたが、妙案が思いつかない。 「返事は即答でお願いしますね」 その一言が決めてになったのか。 中島は本当に悔しそうに顔をゆがめながら、誓約書と契約書に判を押したのだった。最後まで上条をにらみつけてはいたが。 「ありがとうございました」 その数時間後。上条のオフィスで咲斗は上条に丁寧に頭を下げていた。 「いや。こっちも1億儲かったしな」 「1億もふっかけたんですか!?」 多少ふっかけるだろうとは思っていたが、まさか1億もふっかけるとは思っていなかった。思わず見た上条が、にやっ笑うのを見て、咲斗は苦笑とため息を漏らした。 上条に自分たちの事をある程度打ち明けるのは、咲斗には勇気のいる事だった。だが、病室での響の姿を見ているうちに腹をくくって、由岐人の後を追いかける剛を見て、その思いはしっかり固まった。 うまくいってから由岐人には話そうと思っていたのだが、これでいい報告が出来る。 「しかも、株なんて良かったのに・・・」 「貰えるもんはなんでも貰っておけ。金っていうのはいくらあっても邪魔にはならん。それに、これくらい言わないとああいうタイプは同じ事を繰り返すぞ」 「はい」 確かにそうかもしれない。咲斗は上条の言葉に再び神妙な顔で頷いた。 「あいつ、中島だっけ?真っ赤になって怒っててさ。いやぁ〜久しぶりに無理矢理押し倒したくなるタイプだったね」 「・・・・・」 思わず咲斗は言葉に詰まった。 そんな咲斗に、上条はこの上なくいやらしい笑顔を浮かべた。それくらいソソる対象だったらしい。 咲斗は、上条のその顔に、なんだか中島の先行きに若干の不安と同情を抱かずにはいられなかった。上条がこういう反応をする時は、あまり良い傾向ではないことは短い付き合いでも十分把握していたのだ。上条は元来Sっ気なのだ。あえて触れたくはない。 「ところで、響ちゃんは大丈夫か?」 「はい。次の日の検査でも異常がなくて、昨日退院してきました。まだ家で寝てますけどね」 本当に運が良かったんだよと、医者になんども念を押されて怒られて。すっかりしょげて帰ってきたのは昨日の事。バイクもめちゃめちゃで、それもあって落ち込んでいた。 「今頃は由岐人の部屋が引越し騒ぎですよ」 「え、由岐人引っ越すのか!?」 「いえ、由岐人の部屋に剛が引っ越してくるんです。しかも不意打ちで」 咲斗はその様子が見れないのが残念なのだが、十分にその姿は想像されてくすくすと笑顔を漏らした。 「良かったな」 そんな咲斗の様子が上条もうれしいらしく、優しい顔で軽く頷いた。 「はい」 咲斗もはっきりと笑顔で頷きかえした。 そんな話が二人の間でされる少し前。 由岐人は一人部屋でぼーっとして過ごしていた。一応テレビはついているものの、その内容はまったく頭には入ってきていなかった。 ソファにクッションを抱いて横たわる。目を閉じれば病室で見た響の顔と、その後の剛の顔が交互に浮かんだ。あの日以来、二人には会っていなかった。響には合わせる顔がなくて、剛からは逃げていた。 「はぁ・・・・」 今日何回目かもわからないため息をついて。やるせない思いを込めてテーブルへと手を伸ばせば、そこには空になったワインボトルが転がっている。 ――――あれ、もうないんだ・・・・ すっかり飲んでしまったらしいボトルを掲げ見て、またため息をついた由岐人は、新しいボトルを取るために立ち上がった。 冷蔵庫を空けると、冷えた白が1本しかない。確か赤もどっかにまだあったはずだと思いながら、由岐人はボトルに手をかけた。昨夜からだらだらと飲んでいるので、そろそろ買い置きがなくなりそうだ。 ・・・ピンポーン 「あ・・・・?」 新しいワインを開けようと手をかけると、部屋にチャイムの音が鳴り響いた。これは、マンションの下の入り口からではなく、直接誰かが部屋の前から押している音だ。ということは―――― 由岐人はじっと扉を見つめて立ちすくんだ。その扉の向こうにいるのが、咲斗なのか響なのか・・・・しばし逡巡していると、再びチャイムの音が鳴り響く。それでも由岐人が迷っていた。顔を合わせるのが、怖い。 ・・・ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン・・・ 「・・・・・」 ・・・ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン・・・ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン・・・ どうやら由岐人が出るまで鳴り響くらしいその音にため息をついて、由岐人はそーっと扉を開けた。 「響・・・・」 そこにいたのは響だった。 「やっぱりいたっ」 包帯も取れた顔でにっこりと笑った。けれど、その頬にはまだかすかに擦り傷の跡が見えて、由岐人の顔が少し歪む。 「入るね?」 「えっ」 響は由岐人の意思など無視して、扉の前に立つ由岐人を押しのけて部屋へと入り込んだ。 「あー!お酒臭いと思ったら、昼から飲んでるの!?」 空になったボトル、それは1本ではない。昨夜から空けられたそれは、4本も転がっていたのだ。響は怒ったような顔をして由岐人をメッっと睨んで、由岐人の手の中から白ワインのボトルを奪い取った。 「あ・・・」 由岐人は少し顔色を失った顔で、響を見ている。 「お茶いれるね」 そんな由岐人に響はマイペースにキッチンへと入りワインを直すと、勝手にお茶を入れだした。お湯を沸かして、お茶の葉を探し出す。もらい物なのか、かなり良い緑茶に響は何気に嬉しそうに笑ってお茶を二つ入れると、それをローテーブルへと運んだ。 「お待たせ」 今度も響は勝手に空瓶をかたして、ソファに座った。そんな響の動きをじっとたたずんだまま見ていた由岐人が、青ざめた唇を開いた。 「・・・・響、ごめんね」 震える声で、それだけを呟く。 「俺、由岐人さんに謝ってもらうようなこと何もないよ。こっちこそ、バイク事故とかしちゃって心配かけてごめんなさい」 響は少しバツの悪そうな顔で笑う。事故の事は、咲斗にも剛にも、小城にまでも怒られて。当分原付に乗るのを禁止されてしまった。響自身、ぐちゃぐちゃになった原付を見た時は、正直悲しくなった。せっかく咲斗が買ってくれたものだったのに。 けれど、その誰もが由岐人を責めたりしないのに、由岐人だけがその思いに囚われたままなのだ。 「事故だって、元はといえば僕の所為だ」 ――――僕が、いるから・・・巻き込まれたんだよ。 「違うよ」 響はちょっと怒った顔で否定した。 「違わない」 けれど由岐人には、申し訳なさでいっぱいで。なんで響が怒ってるかはわかっていない。 「違うよ!」 ――――っ、・・・・・なんで? 由岐人はこの一連の事は自分の所為だと思うのに、何故響がそうまで強く否定するのかがわからなかった。 「これは、俺が咲斗さんの事信じられなかったから。咲斗さんは俺のこと好きって言ってくれてたのに。俺だけだよって言ってくれてたのに。・・・あの人の言葉ばかりを信じて、咲斗さんを信じ切れなかった。咲斗さんにぶつかっていく事も怖くて、逃げてしまったから」 由岐人は響の言葉にゆるく首を横に振る。 「だから、今回の事は俺の所為だよ。――――小城さんにだって、ちゃんと話し合えって言われたのに」 咲斗さんのために身を引こうなんて思いながら、怖くて最後まで咲斗さんにぶつかっていけなかった。響は今はそう思っていた。卑怯だった、と。 「だから、そんな風になる原因の男は、元々は僕の所為で響のところに行ったんだからっ」 「違うよっ。確かに今回はあの人だったけど、別に全然関係ない――――たとえば、咲斗さんを好きになった誰かが、俺と咲斗さんを別れさせようとしてやったとしても、結果は同じだったんじゃないかなぁって思うんだ」 「・・・・」 「だから、由岐人さんの所為じゃないし、由岐人さんがそんな風に思う必要もない。これは俺の弱さの所為なんだよ」 そういうと響は由岐人に、笑顔を向けた。
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