■2■
「本当ですか?それ」 「本当よ」 ユウコは小城の作るオリジナルカクテルのグラスを持ち上げながら、明るい声を上げていた。ユウコはどうも小城目当てで通っているらしい常連客だ。 それ以外にも小城目当てで通う女性客は意外に多くて、小城は上手にそれらをあしらっていた。その術が巧みで、響はいつも感心させられるのだが。 「彼、ちゃんと恋人がいるんじゃない?」 すっかり顔なじみになった男が、響に小声で尋ねてきた。男は、1度響の前に座って会話をして以来、気に入って通ってきてくれている客なのだが、名前はまだ知らない。 「どうしてそう思うんですか?」 響は鋭い指摘に内心ドキっとしながらも、なんでもない冗談でも聞き返すように言う。 「うーん、・・・匂いかなぁ。そんな感じがする」 男は響の反応を試すようににやりと口元を歪めて、響の顔をうかがってくるが、響もさすがにここら辺は笑顔でかわす術は覚えていた。 「おかわりどうします?」 残り少なくなったグラスを目に留めて響が尋ねると、男は少し思案して、今度はモスコミュールを注文した。 それを作り終えて差し出すと、今度は別の客に呼ばれて響はそちらへと意識を向ける。しばらくの間、ばたばたと客の注文をこなしたり、ほかの常連客の相手をしたりしてから、男の前へ戻ると、男は少し赤らんだ顔になっていた。 「大丈夫ですか?」 どう見ても酔っているように見える男に響は心配気に言葉をかけた。 「うん、大丈夫。――――実は、今日はちょっと飲みたい気分なんだ」 「・・・何かあったんですか?」 響は男の前の空になった皿に、新しくピーナッツを入れ足してやる。 「ちょっと会社でね、・・・こんな愚痴言っても仕方がないんだけど、部下が頼りないって言うかさ」 男は何か思い出す事があるのだろうか、忌々しそうに顔をしかめて手にした酒を一気に煽った。 「おかわりくれる?」 「モスコミュールですか?」 「ああ」 響は少し心配ではあったのだが、言われたとおり酒を新しく作る。 「何かあったんですか?・・・あ、言いたくなければいいんですけど、話してすっきりする事もありますし、僕でよければ」 「そう、だね。じゃぁちょっと愚痴っちゃおうかな」 男は少し砕けた笑顔を浮かべた。 ――――あ・・・なんか。 スーツをビシっと決めて、かっこいい雰囲気を身にまとっていたのに、その笑顔が思いのほかかわいくて少し硬いイメージが砕けて、響は一層男に対して親しみが沸いた。 初めて自分が掴んだ常連客という事も手伝って、響は思わず自分もニコリと笑顔を浮かべる。 「今度うちの会社が出す広告案が二つあってね、僕はB案にするように指示したのに、何を勘違いしたのかA案で発注しちゃって。取り消したりやり直したり、謝ったり。雑誌広告の分だったから、結構挿し直しが大変で」 「そうなんですか」 「損害だって出るし、もうちょっとちゃんとやって欲しいんだけど、怒鳴れば怒鳴ったで最近のはすぐ辞めるしね」 男はしょうがないと、深々とため息をついた。 「お疲れ様です。それで今日は少し疲れて見えたんですね」 響は新しいおしぼりを男に差し出してやった。 「ありがと。――――そうかな、うん、確かにちょっと疲れてるかも」 「早く帰って寝た方がいいんじゃないですか?」 「随分商売っ気のない事言うね?」 男は響の言葉がおかしかったのか、肩を揺らして少し笑っている。 「あ・・・でも、疲れているときに深酒はよくないですから」 男に笑われて、響も確かにとは思うらしく頬に少し朱が走っているが、それでも男の身体を危惧する言葉を続けた。 「まーね・・・」 男も肩をすくめて、グラスに口をつける。 「部下がミスすると、お客様が上司から怒られるんですか?」 「いや――――僕に上司はいない」 「え?」 「社長は僕だからね」 「えっ、・・・あ、そうなんですか?」 「あ、今見えないなぁって思ったでしょ?」 男がすこしからかうような視線を響に投げかける。 「いえ、――――その、なんだか俺なんかの想像だと、会社経営ってもっと年配の人のやるものみたいなイメージがあるんですよ」 その視線に、思わず響は少し慌ててしまう。少し素直すぎるところだろうか。 「ほら、テレビのニュースとかで、記者会見に出てくる取締役とかの人って、もっと50とか60とかの人じゃないですか」 「ああ、確かにね。僕は親父から受け継いだから」 何故かそこで男の顔が少し奇妙に歪んだ。 それを響は、2世というだけで色々言われたりするのかなと、少し考えて。目の前にいる男はなんだかとてもいい人そうなので、それだけで同情心が沸いてきてしまう。 「ああ、なんだかごめんね、こんな話聞かされても困るか」 「いいえ、とっても興味深いです」 こういう店だから、本当に色んなタイプの人が来るし、カウンターにいるので声をかけられることも多い。それが響には、色んな世界が少し覗けるようで楽しかったりもしていた。 「でも、じゃぁ俺なんかが想像できないくらい大変なことっていっぱいあるんでしょうね」 何気なくかけたその響の言葉に男は軽く肩をすくめた。 「そうでもないよ・・・」 そして少し男は自嘲気味に笑って再びグラスを開けて、何度目かわからないおかわりに響に注文した。 ・・・・・ 日曜日の3時少し前。剛は由岐人の部屋へと訪れていた。その時間に来る事が、響からの指定だったのだ。 「ハロウィンだって?」 リビングのソファに座って出されたジュースで喉を潤しながら、剛は由岐人に視線を投げかける。 「だって。まーったく、なんでこんなこと週遅れでやんなきゃいけないんだろ」 由岐人は隣の部屋から声を返しながら、昨夜咲斗から渡されていたか紙袋を運んできた。 「それは?」 「衣装」 「衣装?」 「そ。ハロウィンに仮装はつきものでしょ」 そういいながら由岐人は紙袋の中から二つの衣装を取り出して、リビングの床に広げた。 「まじで!?」 広げられた衣装を剛はまじまじと見つめる。 「こっちが剛の」 黒いのと茶系なのがあって、由岐人は茶系なのを指差した。剛はそれを恐る恐る手にとって、かけてあるビニールをめくり上げる。 「・・・何これ」 ファーがついてるなぁとはビニール袋を取る前からわかってはいたが、出てきたのは茶色のファーに覆われた茶色のノースリーブに、茶色のイージーパンツ。パンツにもファーがついていて、ファーでボーダーラインを作っているのだ。その上、ファー素材の手首から肘までの長さのハンドウォーマーとでも言えばいいのか、そういうやつに、――――耳。 「狼男だよ」 パンツの裏に目をやると、なんとしっぽもちゃんとついていた。 「まじ?」 由岐人に聞いたところで仕方がないことは剛も重々わかってはいたが、それでも聞かずにいれなかった。 が、返事は一言。 「まじ」 「えぇ〜〜〜〜〜!!」 「うるさい!文句言うなら響に言って。言えないならとっとと着替える」 どうやら由岐人はもう観念してしまっているらしい。淡々と自分に割り当てられた衣装に手をかけた。 「お前は何着るん?」 「魔女」 「魔女?」 「そ」 そう言って由岐人が広げた衣装は、黒のシンプルなドレス。ノースリーブで胸元にたっぷりとドレープを取ってあって、ライン自体は細めでやや身体にフィットしている。長さは足がすっぽりかくれるくらいあるのだが、腰のやや下あたりからスーっとスリットが入っている。左の方だけなのだが、かなりの深さだ。 「寒くねぇ?」 肩やら胸元やらがしっかりあらわになった形に、剛が間抜けな事をいうと、由岐人が苦笑を浮かべる。 「この黒のレース編みのストールを着るんだ。それにウィッグ」 「ウィッグ?」 やや茶色がかった由岐人の髪は衣装に合わないからと、まっすぐストレートの黒髪のウィッグが用意されていた。腰までの長さに、前髪は眉毛のあたりでパツンとまっすぐにカットされている。 その並べられた衣装を眺めて、剛は思わず生唾を飲み込んだ。 ――――色っぽそー・・・・・・ 「何ぼーっとしてんの?早く着替えてよ」 そんな剛の内心を考えてもいないし推し量る気もさらさない由岐人は、てっきりまだぐずっているのかと冷たい言葉を投げかける。 そして自分も着ていたTシャツに手をかけ、一気に脱ぎ捨てた。すると、上半身の肌があらわになって、窓から差し込む日の光にその肌が照らされる。 すーっとくぼんだ背中のラインに、ある程度しまった肩の肉付きから腕の滑るようなライン。くっとへこんだ腹筋。 久々に見る由岐人の身体に剛の視線が注がれる。 「何見てんの?エッチ」 由岐人がちらちと視線を投げて睨むと、剛の顔に笑みが広がった。 「いや――――傷跡、残らなかったんだなぁって思って。良かった」 しみじみと、心底うれしそうに呟かれる言葉に由岐人の動きが止まった。手に持ったTシャツを、ぎゅっと握り締めて、無意識につめが食い込んでしまう。 「綺麗――――うわっ」 綺麗だなぁ、という剛の言葉は由岐人が投げつけたTシャツが顔にHITしてし、中断されてしまった。 慌てて剛が声をかTシャツを手にとって再び由岐人に目をやると、なんという早業か、由岐人はすでに黒のドレスを着てしまっていた。 「馬鹿な事言ってないで、早く着替えろ」 まだ着たままのスウェットパンツに手をかけながら由岐人が声を荒げた。その頬が朱に染まっている。 ふと、その身体を抱きしめたいという強い衝動が剛を突き上げた。 抱きしめて、腕の中に閉じ込めたい。細い腰に手を回して、あの首筋に顔を埋めてキスを落としたい。ひそかに抗うであろう抵抗を閉じ込めて、優しく抱きしめたい。いや――――背骨がきしむほどに強く抱きしめたい。 そうしたら由岐人はどうするんだろう? 嫌がるんだろうな。俺なんて願い下げだと言うんだろうか? 由岐人に恋人がいないことはわかっている。けれど、いつかはきっと出来るだろう。そうすれば、こないだみたいな無茶はもうしないでいてくれるのだろうか? そんな、いつもがんばって笑ってる笑顔じゃなくて、自然に笑えるようになるんだろうか? 何がお前をそんな風にさせているのか、それを知る事のできる男は俺ではないのか? お前を、癒してやてる唯一の男になれないのか・・・? ――――由岐人 声に出せず、呟いてみる。 その問いも、本人に投げかけられる事はない。 「だーかーらー、いつまで見てんの!!」 そんな、剛の言葉にしない思いは届くはずもなく。 照れているのか、本格的に怒っているのか顔を赤くした由岐人は、怒鳴り声とともに再び手にしていたスウェットパンツを思いっきり剛に投げつけた。
| |