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いつも通りに起きだした響は朝から張り切って、酒のつまみになるようなものをたくさん作っていた。一番気合を入れたのはタンドリーチキン。ネットで作り方を見てから作りたくて、香料を買い揃え昨日から下味に漬け込んでおいたのだ。それ以外にも、豆腐と京上げのサラダに、マグロのカルパッチョ。たたきゴボウに里芋のゆず風味煮にチーズ盛り合わせ、ソーセージのトマト煮などと、結構和洋折衷おり混ぜてつくっておいた。 「随分作ったねぇ」 台所に立ってチェックしている響の背後に咲斗は立って声をかける。 「そーかな?足りるかなぁ?」 チキンは後は焼き上げるだけで、トマト煮も後は仕上げに煮あげればいいだけになってある。サラダやカルパッチョは冷蔵庫で冷えている。 「十分だと思うよ。こっちも準備完了」 テーブルにグラスや箸などを一通り並べ終えた咲斗は、手持ち無沙汰なのかいたづらに響の腰に手を回して、その身体を引き寄せる。 「咲斗さん」 首筋にも軽くキスしてくる咲斗に、響ダメだよって意味を含めて少し強めに名前を呼ぶ。ここでけん制しておかないとどうなるかわかったものじゃない事を、経験から嫌というほどにわかっているからだ。 ついでにちらっと睨んでおく。 「着替えないと」 響のそんなつれない反応に、咲斗はくすくすと笑いを漏らす。 そして腰に回した手を響の手へと重ねてぎゅっと握り、寝室へとひっぱっていく。そこに用意しておいた衣装が置いてあるからだ。 「咲斗さんは何着るの?」 「俺はこれ、ドラキュラ」 咲斗が掛けて合った袋を取り除いて広げたのは黒のスーツにマント。そのスタイルを目にした響は、マントがなかったらなんだかいつものスタイルと違わないような気がしないでもなくて、ちょっと不満気な顔をした。 「もっと違うのなかったんだ?」 響としてはもっとイメージの違うものが見たいという気持ちがあった。普段は見れない様な姿を見るからこそ、仮装というものなのに。 「似合わない?」 響の反応に肩をすくめて、評判良かったのにとこぼす咲斗の言葉に、さらに響は不機嫌な顔になる。なぜなら、評判が良いというその相手は客であり、女であるのだからだ。 その格好で決めた咲斗を女性客が取り囲んでちやほやして、きっと咲斗もそれに笑顔で答えているに違いなくて、そんな姿を想像すると響は顔が自然に曇ってしまう。それが仕事だとわかっていたって、おもしろくない。 「もっと違うのが俺は良かったのっ」 きゅっと唇を噛んでいる響の顔は拗ねているようで、少し泣きそうなのを堪えているようにも見える。そんな響に咲斗は思わず笑みをこぼして、ベッドの端に座っている響をそのままグイっと後ろに押し倒した。 「うわぁっ」 ヤキモチを妬かれる事がこんなに幸せな気分にさせられるなんて、今まで知らなかった。 「そーんなかわいい事言うお口は塞いでしまわなきゃね」 うれしくて、うれしくて、咲斗はどうにかなってしまいそうで。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、咲斗は響の口をしっかりと封じてしまった。ゆっくりと舌を絡め取って、響が切なげに咲斗の服の裾を掴むまで口腔内をかき回してやってから、またゆっくりと離れていく。 「・・・・もうっ」 「んー?あ、響はキスだけでも感じちゃうから―――もしかして、勃っちゃった?」 「ばかっ!」 卑猥な咲斗の言葉に、響は真っ赤になって怒鳴る。それなのにクスリと笑う咲斗。その顔に腹が立つのに、のしかかる密かな重みがなんとも言えず幸せな気分にさせられてしまって、響は悔しそうにその背中を叩いてやる。 そんな幸せも、咲斗と出会って初めて知った。 響は時々不意に泣きたくなる時がある。なんだか、咲斗と過ごす時間が優しすぎて甘すぎて、幸せすぎて、恐くなるのかもしれない。 「どうしたの?」 そんな響の内に秘めた思いを知っているかのように咲斗が優しく笑って、響の瞳を覗きこんできた。 「響のは、コウモリだよ」 「コウモリ?」 「そ」 「えーなんでコウモリなのぉ?」 どうやらこっちも不満らしい響は嫌そうな声を上げる。 「だって、ドラキュラにコウモリは必需品でしょ?ドラキュラの傍らには絶対いてくれないと寂しいじゃない」 「・・っ・・うー・・・」 どうやらコウモリには不満はあるけれど、咲斗のその言葉には弱いものがあるらしい。響は内に密かな葛藤を抱えて、なんともいえない顔で咲斗を見上げた。 その表情にどうやら満足したらしい咲斗は響の腕をとって、自分が押し倒した身体を引き起こす。 「さ、着替えよ。二人が来ちゃうからねぇー」 咲斗はそういうと、手馴れた様子でスーツを身にまとう。そしてマントだけは傍らによけて響に視線をやると、響はグレーのノースリーブを着て、ハーフパンツをはき終わったところだった。それはカバーオールのようなデザインで、色はもちろんグレー。そのカバーオールの背中に、小さなコウモリの羽根がついていた。 「かわいいぃ」 咲斗はやっぱり自分の見立ては間違いなかったと、思わずその姿に歓声を上げた。 「えぇー・・・、かっこいいのがいいのにぃ」 響は姿見に見る自分の姿がやっぱりちょっと不満気だ。しかしそんな事にはおかまいなしの咲斗は同じグレーのレッグウォーマーを履かせて、首もとにはグレーのファーで出来たチョーカーをつけた。そのチョーカーとおそろいのデザインのリストバンドもつける。 「かわいいっ。響とってもかわいいぃ!!」 響の姿を見つめた咲斗はもうこれ以上ないってくらいの満面の笑みを浮かべると、今度はぎゅーっと身体を抱きしめて来た。 「さ、咲斗さんっ」 慌てた響はその腕を嫌がって抗うが、そんな事はものともせずに、さらにぎゅーっと咲斗は抱きしめてくる。 咲斗は内心、こんなかわいい姿をほかの誰にも見せたくない―――っ、なんて思ってしまう。最初はこの話になっとき、響は絶対コウモリって思っていたけれど、よく考えればもっと変格好にしておいた方が良かったのかもしれない。 あいつに見せるのなんて、本気で勿体無い。 「咲斗さん?」 はしゃいでいた声が聞こえなくなって、急に押し黙った咲斗に響は首を傾げる。 「・・・可愛すぎて、他のヤツになんて見せたくないっ」 「なっ・・・、もう、そんな事言ってないで」 「だーって」 今度は咲斗がちょっと拗ねたような顔で響をじとっと見つめる。そんな咲斗の顔に、響は思わず笑いを洩らしてしまう。なんだか、可愛すぎるのだ。 「だってじゃなくて、咲斗さんがコレ選んだんだよ?似合うんでしょ?ドラキュラにはセットなんでしょ?」 「うん」 本当は咲斗は自分の格好なんてどうでも良かった。響にコウモリを着せたかったから、自分がドラキュラにしただけなのだ。 「ねぇ、髪は?髪もセットしなきゃ・・・咲斗さん、してくれる?」 響は咲斗の機嫌を取るように、ちょっとおねだりするような口調で言った。これも咲斗の機嫌を取るために響が自然と学習したのだ。そんなことでも学んでいかないと、本気で拗ねた咲斗は響の手には余るのだろう。 その作戦は見事成功したらしく、咲斗は笑顔で響を洗面所へ連れて行った。 鏡の前に立たせて、手にワックスをつけて髪に馴染ませて、少しパンキッシュな髪型にセットした。 「完成。わぁっ、かっこかわいい」 姿見に響を再びひっぱっていって、咲斗はうれしそうに言う。その顔を見て、響も自然と笑みがこぼれた。 「咲斗さんは?もう終わり?」 咲斗はまだスーツを着ただけという姿なのだ。 「俺はもうどっちでもいいんだけど、髪をちょっと整えようかな」 咲斗はそう言うと、再度ワックスを手に馴染ませて髪をオールバック気味に撫で付けて、足先まである長いマントを羽織った。そのマントに点々と残る血糊。 「あ、ちょっとかっこいいかも」 「ちょっと?」 キリリっと咲斗の眉が寄せられる。 「ううんっ!いっぱいかっこいい」 「響はいい子だね」 響の言葉に咲斗はにっこり笑って、腕の伸ばして響の身体を抱き締めた。その身体をマントですっぽり包んでしまう。ちゅっと軽く頬のキスを落とした。好き過ぎて、本当はちょっと離れているのも寂しいくらい。ずーっとこうやって抱き締めていたい。 そんな咲斗の態度に響もクスクス笑っていて、咲斗からの何度目かの軽いキスが頬に落ちたちょうどその時、部屋にチャイムの音が鳴り響いた。 「あー、来たっ!!」 音を聞いてうれしそうにするりと咲斗の腕から抜け出して玄関に向かう響の背中を、ちょっと不満そうな表情を浮かべて咲斗は眺めた。たぶん、近いうちのお仕置きをしてやろうなんて思っていそうなその顔を、今響が見ていないのは幸いなのかどうなのか。 「すごーい!!由岐人さんすっごい綺麗」 由岐人の姿を見たのだろう、響の歓声が聞こえてくる。 咲斗は小さく息を吐いて、雰囲気を出すべくリビングのカーテンを閉め切って部屋に点々と置いた蝋燭に火をつけた。冷蔵庫にしまってある料理もローテーブルに並べていく。 「響、お前なんかかわいいなぁ」 聞こえて来た剛の声はちょっとげんなりしたような響きなのに、咲斗には「かわいい」という言葉だけが届いたのか、キッっと玄関の方に目をやって、見えない剛を思わず睨む。 先ほど浮かんだ後悔の思いがまたむくむくと頭をもたげてくる。 「剛、狼男だ!!」 衣装だけでなく、由岐人によってヒゲまで描かれた顔に、響は思わず笑い声をたてている。 「なんだ、自分はドラキュラなんだ?」 部屋に入ってきた由岐人は、咲斗の衣装にちょっと非難めいた視線を見せる。どう考えても1番楽で代わり映えのない衣装だからだ。 「響にあの衣装着せたかったからね、これしか選べなかったんだよ」 咲斗は、美しい自分の双子の弟の姿に目をやって、笑みを浮かべる。由岐人がこうなるということは、自分が着てもそうだということで、中々見目も良いなとなんだか自画自賛する思いに浸る。 「随分作ったね?」 テーブルに並べられた料理に由岐人が言う。 「まだあるよ」 咲斗はそういうと、ソーセージのトマト煮に火を入れてチキンを入れたオーブンも時間をセットする。 「あー咲斗さん、ごめん。俺やるよ」 「ああ、いいよ。じゃぁ響は、お酒出して」 そういわれて響は、とりあえずビールを取り出した。冷やしておいたグラスも取り出してテーブルへと並べる。 そうしてるうちにトマト煮も出来上がって。 「じゃぁ、とりあえず乾杯」 チキンから香るいい匂いがしながら咲斗が言うと、響もうれしそうにグラスを掲げて。4人はカチンっとグラスを合わせた。 「「「かんぱーい」」」 4人はグッとビールを煽る。 「ささ、あったかいうちに食べて」 響が料理を勧めると、どうやらお腹が減っていたらしい剛がさっそく皿に手を伸ばしてソーセージを口に入れる。 「あ、うまいっ」 「ほんとに?良かった」 「うん、おいしい。おいしい。響、いい嫁さんだねぇ」 サラダを口に入れた由岐人がしみじみと言う。ドレッシングも自分で合わせた響としてはうれしい言葉なのだが、後半はなんだかどう言っていいのか。 「そ、俺は毎朝堪能してるけどね」 「いいねぇ」 一人者の由岐人は、朝は買っておいたパンをコーヒーで流すだけの朝食なのだ。そこだけはうらやましいと、肩をすくめる。 「じゃぁ、由岐人さんも朝一緒に食べない?2人分も3人分も作るの一緒だし」 そうしたらいいよっ、と良い考えが浮かんだと嬉しそうに響が頷いたのだが、由岐人は首を横に振った。 「朝から新婚家庭にお邪魔する気にはなれないよ」 「し、新婚って!そんなんじゃない」 言われた言葉に真っ赤になる響は首をぶんぶん振って、遠慮しなくていいのにと言うのだが、由岐人は曖昧な笑みを浮かべただけだった。 「じゃぁさ、俺と一緒に住む?」 「――――はぁ!?」 剛の唐突な言葉に、さすがの由岐人も一瞬反応が遅れたらしい。何が"じゃぁ"なのかわからない。響も突然の発言にビックリしたように剛を見つめ、咲斗は器用に眉を上下させる。 「だって、一人者同士だし。家事は折半したらお互い楽じゃん」 すっげー良い案じゃんと、剛は思いついた妙案がいたく気に入ったらしく、笑顔で由岐人に迫る。 「まぁ、お互い料理は勉強するとして・・・洗濯畳んだり、風呂掃除とかなら俺も得意だし。 「・・・ばかじゃないの?なんで僕が剛なんかと同居しなきゃいけないんだよ」 「えーいいじゃん。家賃だって節約だぜ?」 「いやだね。それに、そこまでお金に困ってない」 「えー、だって一人って寂しいじゃん」 「寂しくない。むしろ、気楽」 「そういう発想が寂しいんじゃん」 「うるさい」 「じゃぁさぁ、お試し期間として一ヶ月だけ同居してみる、とかは?」 「却下」 延々と食い下がってくる気配の剛に嫌気がさしたのか、つれなく由岐人はそう言うと、ワインが飲みたいと席を立ってしまった。 「由岐人」 その冷たすぎるようにも見える由岐人の物言いに咲斗は視線を投げかけ、なんとなく、違和感を感じて由岐人の背中を見つめ続ける。 ――――なんだろう、この感じ・・・ 心に何かが引っかかった。 確かに由岐人は少し物言いが冷たくて、それがクールでかっこいい言われている。本人もそれを売りにしている部分もあって、それは咲斗も十分承知しているが、それは店での事であって普段はここまで取り付く島もない様な物言いは滅多にしない。 咲斗は少し眉を寄せて、何故ともわからない思いに心がざわめきたってしまい、手にしたビールを一気に煽った。
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