■4■



「でもさぁー響は今バーテンなんだろ?」
 一体何杯飲んだのか、剛がすでに赤くなった顔で響に尋ねる。
「うん、まーね」
 こちらも両足を投げ出してソファの足の部分に完全に背中を預けて座り、少しまぶたがトローンと落ちてきている。もちろん頬ははんなりと赤い。
「だったらさぁーこんな缶チューハイとかカクテル買うんじゃなくて、作ってくれよ〜」
「えー・・・」
 剛の言葉に、響は前になんだか出た話だなぁとあまり回っていない頭で考えて首を傾げて、思い出したらしく咲斗の顔に視線を向けた。咲斗はまだ顔色を変えることなく、由岐人と白ワインを飲んでいた。
 その顔が響と視線を絡ませて、勝ち誇ったようににやりと笑う。
「ほら、言ったじゃない。だから買い揃えようって」
 口調までも勝ち誇った様子に、響はイーっと歯をむき出しにする。
「何の話?」
「いやね、響も客にオリジナルカクテルはないの?って言われるようになったらしくって、それだったら家でも作ったりできるようにそういうセットを買おうって言ったんだ。なのに響はまだいいとか言っちゃって」
「だーかーらー、今月はもう余裕ないから、来月になったら考えるって言ったじゃん」
「そんなの咲斗に買わせればいいのに」
 響の言葉に由岐人は驚いたような顔になる。由岐人にとってはそれがごく普通の発想の様だ。実際自分もお金持ちに貢がせる立場なので、そういう事にあまり抵抗がないのかもしれない。
「そういうの嫌なの。自分の事は自分でやりたいんだよ。そうでなくても咲斗さん、あれやこれや勝手に買っちゃうし・・・」
 響はぶつぶつと言いながら、上目遣いに咲斗を睨む。
「いーじゃん。こーんな野郎、貢がせて破産させてやれ!」
 剛はケラケラと笑いながら響の肩を抱くように手を回すと、すかさず咲斗がその手を払いのけた。
「んーだよ」
「触るな」
「はぁー!?お前のもんかよっ」
「俺のものだよ」
 何を言っていると、さも馬鹿にしたように咲斗が言うのが剛をさらにムカつかせたらしい。
「響!あんな事言わせてていいのか!?」
 口では勝てないとふんだのか、剛はその怒りの矛先を響に向ける。その響はといえば、まさか自分に来るとは思っていなかったのか取り繕うように曖昧に笑う。響の中に、確かに自分は咲斗のもので、また咲斗も自分のだという意識がどこかにあるのだ。そしてそう思えている今の状況が、幸せなのだから何と言い返していいの返事に困る。
 ところがそんな態度がさらに気に入らないのかただの絡み酒なのか、剛がその顔つきをさらにきりきりとさせた。
「あ、そうだ!写真取らない?」
 ここは話題を変えたほうがいいと思ったのか、響は手を叩いて立ち上がった。
「逃げるのかぁ〜〜」
 携帯を取りに部屋へ向かった響のその後を剛が怒った顔を作って追いかける。
「こら、剛!!」
 腕を伸ばして剛を捕らえようとしたのだが、今一歩およばなかった。咲斗は舌打ちして一応怒鳴ってはみるが、その後を追いかける事はしなかった。ったく、とため息を漏らして由岐人に目をやって――――
 そのクスクスとなんとも穏やかそうに笑っている笑顔に、一瞬言葉を失ってしまった。
「・・・なに?」
 咲斗の反応に、自覚のない由岐人は首を傾げた。
「いや・・・」
 ――――長い間。本当に長い間、由岐人のこんな笑顔を見たことがなかった。
 その笑顔は何を意味するのだろうか。
 咲斗は戸惑うように目をそらして、ワインを口に流し込む。冷静にならなければと思う反面、心のどこかで酒を必要とするほど慌てている自分がいた。
「写真、写真」
 そこへ、携帯を手にした響が戻ってきた。
「ああ、例のおそろいの携帯だね」
 事情の知っている由岐人は少し肩を揺らして笑う。
 昔の彼女にもらった携帯をいまだに響は持っていて、それが判明して咲斗がえらく怒って、携帯をおそろいに変えたのはつい最近の小さな騒動だった。
「そっ」
 響もちょっとバツが悪そうに肩をすくめて笑う。
「そうだ、見て待ちうけ」
 響は思い出したように待ち受け画面を開いて由岐人に見せると、由岐人の顔がゲンナリとした物へ変わって、呆れた視線を咲斗に投げかけた。
「うわっ」
 続いて待ち受けを見た剛も思わず声をあげる。
「まぁ、咲斗の待ち受けが響だったんだから、響の待ち受けは必然的に咲斗だよねぇー・・・・」
 携帯を変えてすぐの時、その待ち受けをうれしそうに見せられたのは忘れるには最近すぎる出来事だ。
 響が少し照れて嫌がっている写真がアップだった咲斗の待ちうけと、そんな咲斗が笑顔で写っているのが響の待ちうけ。
「悪い?」
 なんだかあきれ返っている3人に、咲斗はむっとした声をあげて、響には不満なの?とでも問いかけたそうな視線で見つめる。
「悪いなんて言ってないもん」
 照れているのか不満なのかよくわからない声を響はあげて、気を取り直したように携帯を操作する。不満ではないのだが、外で携帯を開きにくいのは絶対なる事実なのだ。しかしここでそれを口にするほどバカではない。そんな事を言おうものなら後でどんな目にあうかわかったもんじゃないのだ。
「どうせなら一緒に取ろうぜ」
「ああ、そうだね」
 響は携帯のカメラを自分の方へ向けて、剛とピッタリとひっつて座る。
「響、ひっつきすぎ!」
「だって、こうじゃないと収まらないもん」
 響は携帯画面を眺めながら、よりぎゅっと剛にひっついて、剛も響の肩に手を回す。剛の場合、その行動の半分以上はいやがらせをこめて。
「あーっ!ちょっ、由岐人もなんか言え・・・・・」
 なんか言えよ、そう言おうとして、由岐人の方を見て、咲斗の言葉はそのままフェードアウトしてしまった。
 ――――え・・・
 愛しげに細められた瞳。さっきからずっと変わらない穏やかな瞳。くすくすと笑顔の浮かぶなんとも言えない表情。
「あーちょっと失敗した。もう1回」
「お前、ヘタだなぁー」
「うるさいなぁ」
 その視線の先には、響と剛のじゃれあう姿。
 ――――どっちを、見てる?
 二人が引っ付いているので、由岐人の視線がどちらを向いているのかわからない。もしかしたら、二人がじゃれあう姿がほほえましいのかもしれないが。それにしては・・・・
「出来たっ」
 今度はうまく撮れたらしく、響がうれしそうな声をあげて保存している。
「俺も撮ろうっと」
「え?後で送るよ?」
 わざわざ撮らなくても、携帯なのだから送信すればいいのではと思う響が声をあげると、剛は首を横に振った。
「それはそれでもらうけど――――」
 剛は自分の携帯を探すために立ち上がる。
「鞄なら下だよ」
 そんな剛に由岐人が声をかける。
「あーそうだったっ。ちょっと取りに行ってくる。鍵貸して」
「はい」
 由岐人は笑顔を漏らして鍵をわたしてやると、剛は駆け足で出て行った。その背中を、由岐人がじっと見つめている。
 ――――・・・・剛、か・・・っ・・・・!?
 まさか、そんな思いで咲斗は今しがた剛が消えた廊下に目をやって、もう一度由岐人に視線を戻す。そして浮かんだ答えが間違いではないらしいことを、悟った。
 全然気付かなかった。
 由岐人が剛に恋をしている――――なんて。けれど一体――――・・・いつからだ・・・・?
 特別仲がいいなんて、全然聞いていないし。そもそもこの2人、2人だけで会ったりしているのかさえ咲斗は知らなかった。
「咲斗さん?」
 すこし呆然とした風の咲斗に響は心配して声をかける。酒に酔って気分でも悪いのかと心配になったのだ。
「あ、ちょっと水飲んでくる」
 そんな響の心配そうな顔に、咲斗はなんでもないとなんとか笑顔を作ると、動揺を悟られないように気をつけながらキッチンへと足早に向かう。
 ――――全然気付かなかった。・・・・・気づけなかった。
 咲斗は勢いよく蛇口をひねる。
 けれど、よく考えればそんな兆候はあったのかもしれない。林の事があったとき、由岐人は剛を頼った。たぶん、今までなら絶対誰かに頼るなんて考えられなかった由岐とが、剛にだけは連絡をしていた。そして、剛の部屋で何日間かを過ごしたのだ。
 ――――ああ、そうだ・・・
 この前全員で飲んだ、あの響の引越しの時。過去の話をしようと思うと由岐とに告げた時、由岐人がふと視線を向けたのは、部屋で酔いつぶれていた剛だったんだ。あの時はどこに視線をさまよわせたか、まったくわからなかった。
 何故もっと早く気付かなかったんだろう。何故もっとちゃんと由岐との事を見ていることが出来なかったのか。
 咲斗は今更ながらに自分のふがいなさと後悔と強い焦燥感を感じて、流し台を強く掴む。
「咲斗?大丈夫?」
 戻ってこない咲斗に、心配した由岐人が顔を覗かせた。
「ああ――――大丈夫だ。ちょっと一瞬クラってきて」
 咲斗は慌てて顔をあげて、なんでもないと笑顔で取繕う。
「もう、俺も年かな?」
 ――――どうして何も言ってくれないんだ?そんなに、俺は頼りないか・・・?
「止めてよ!僕も同い年なんだよっ」
 ――――よりにもよって、あいつだなんて・・・・・・
「はは、確かに」
 咲斗はもうさっぱり覚めてしまった酔いだけれど、さらに水をグイっとあおった。飲んでも飲んでも、喉が渇いていく。
「由岐人ここにいたんだ。写真とろ!!」
 そこへ携帯を持って帰ってきた剛がキッチンに顔を見せて、由岐人の手をひいた。
「はっ?僕??」
「そっ。ほら、早く」
 戸惑う由岐人をよそに、剛は由岐人をひっぱっていってソファに座らせる。その横に剛が並んで、携帯を掲げた。
「やだよ」
 恥ずかしいのか、照れくさいのか由岐人が少し身体をよじるけれど、剛はそんな事はまったく無視して左手を伸ばして由岐人の肩を抱く。
「じっとしてないとぶれるって」
「ぶれてもいいよ」
「そしたらちゃんとしたのが撮れるまで何枚でも撮るからな」
「えーっ」
 由岐人は不満そうな声をあげ眉をひそめて目一杯嫌そうにしながらも、どこか幸せそうに見える。嬉しそうに見えてしまう。そんな二人を、咲斗はキッチンから出て見つめていた。
 その眉が、苦しげに寄せられている。
 ――――話せないな。
 響に俺たちの昔の話をしようと決心していた。機会を見つけて話をして、本当に全部さらけ出した上で繋がっていたいと思ったけれど、もし今話をしたら、きっと剛にも伝わってしまう。それだけは、どうしても出来ないと咲斗は思った。
 それだけは、絶対に出来ない。
 由岐人の事は、響と同じくらい愛している。その意味はもちろん違うけれど、かけがえのない存在なのに違いはないから。
 響を幸せにすると思う強さと、由岐人が幸せになって欲しいと思う強さは同じだから。まさか自分から由岐人が傷つくほうへなんて持っていけない。そんなこと、何があっても出来ない。
 ――――でも、なんで、・・・なんで剛なんだ・・・
 咲斗は響を介してしか剛を見てはこなかった。年齢の割にはしっかりしている所もあるし、いい男だと思う。響の事では何やかんや言いながらも、ちゃんと咲斗なりに剛の事は認めていた。もっとも、人としてはちゃんと認めていなかったら家に上げたりはしない。だが、こういう問題はそういう事じゃないのを咲斗は知っている。剛は確か、完全にストレートで女好きのはずだ。そこが1番問題なのだ。
 そんな剛が、由岐人を好きになんて・・・ありえるのか?
 全ての過去を受け止めて、それでも愛していると言ってくれるまで――――――?
 それは咲斗にはかなり無謀な事にしか思えなかった。自分のことですら全てをさらすのには時間が必要で、今でも躊躇われているのに、由岐人ならそれはなおさらだろう。
 けれど、そうしなければきっと本当の意味で幸せにはなれない。
 ――――もっと早く気付いていたら、きっとなんとか手を打てたかもしれないのに。もう、今更無理だ。由岐人の思いは止めれないんだろうな。どうしようもない・・・
 それならば、由岐人はまた傷つくのだろうか?
 ――――そのとき、また自分は何も出来ないのだろうか?
「咲斗さんっ」
「えっ・・・、何?」
 響に呼ばれて、いきなり現実に引き戻された。
「俺らも一緒に撮ろう?」
 響が携帯を振って、にっこりと笑う。
 その笑顔が何よりも愛しい。愛しくて癒される。何にも変えがたい、かけがえのないもの。
「いいよ」
 そんな癒しを、由岐人にも早く手に入れて欲しいと心底願っていたのに。
 かけがえのない存在を、たった一つ真実の想いを由岐人にも手に入れてほしいと願い続けていたのに。

 その日みんなが酔いつぶれていく中、咲斗だけは酒に酔う事は出来なかった。きっと4人の中で1番酒の力を必要としていたのに。











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