■6■



 二人がそんな甘い週末を迎えていたその日。剛は今、携帯を開いては閉じ、閉じては開きを繰り返していた。
 また開いてはファイルを呼び出して、じっとそこに映される写真を見つめる。それは先週一緒に取った狼男と魔女の写真。ちょっと照れて横を向いている由岐人の顔に剛の視線が注がれる。そしてもう1枚。夜中にトイレに行きたくなって目を覚ますと、由岐人が酔いつぶれて眠っていた。その寝顔があまりにもかわいくて、こそっと写真に収めたのだ。剛の視線の先にはすやすやと眠る由岐人の写真が映し出されている。その液晶画面に、そっと指を伸ばす。
 会いたくなってさっき電話をしたけれど、それは相手が出ることなく留守番電話サービスへと繋がれてしまった。
 ――――・・・・もういっぺん、かけてみるか。
 剛は意を決してもう一度、由岐人へ電話をかけるべくリダイアルぼたんを押した。
 トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・
「――――っ、うるさいっ」
「由岐人!?」
 また出てくれないのかと諦めかけた時、半分まだ寝ていそうな由岐人の声が聞こえてきた。驚いてあげた声は、思わずうわずってしまっている。
「当たり前でしょ。僕の携帯なんだから。さっきから何回も何回も電話かけてきて、いい加減にして」
 声は明らかに不機嫌で、怒っている。
 それもそのはず。由岐人の携帯の着信履歴は朝の11時前から剛の名前が並びだして、今回で7回目。怒鳴りたくもなるというものだ。
「日曜じゃん、今日。映画でも見に行かねぇ?チケットもらったんだよ」
「行かない。じゃーね」
「おいおいおいおい!待てよっ」
 そのまま電話を切ってしまいそうな勢いの由岐人に、剛は慌てて声をかける。やーっと繋がったのに、ここで終わらすわけにはいかない。
「なに!?」
「どうせ暇なんだろう?いいじゃん」
「いい?僕は夜のお仕事なの。だから週末は昼までのんびり寝て、家の事して過ごす事にしているの。今、12時前だよ?まだ寝る!」
「昨日も仕事休みだろう?昨日たっぷり寝たんじゃねーの?」
「うるさい」
 若干図星だった剛の言葉に由岐人は苦々しい顔になって呟く。昨日昼まで寝ていた所為で、昨夜は遅くまで寝付けなかったのだ。かなり休日を無駄に怠惰に過ごしている自覚は由岐人にも十分ある。
「ランチ一緒に食おうぜ」
「はぁ!?」
「今から上あがっていい?」
「・・・は!?」
「今、マンションの下なんだ」
 剛の告白に由岐人はビックリして、思わずベランダに駆け出て下を見下ろした。
「・・・・うそ・・」
 そこには満面の笑みで手をふる剛の姿が間違いなくあった。何度瞬きしても、その姿は消えるはずもなく、由岐人はがっくりとため息をつくしかなった。






 テーブルの上には、瞬く間に空になった大きな皿と、スープが入っていたらしいカップがこちらも空の状態で置かれていた。
 椅子に腰かけている剛はとっても満足そうににこにこと笑っている。向かえに座る由岐人はまだ不機嫌そうだけれど。
「うまかったぁ〜ご馳走様」
 部屋に入るなり腹が減った早くメシを食べ行こうと騒ぎ立てる剛に、由岐人は仕方なく簡単にサンドイッチを作って出した。もともと自分の朝ごはんに作るつもりだったので、量を増やせば良いだけのことではあったのだが。
「じゃぁー帰って」
 自分も食べ終わった由岐人が冷たく言い放つ。
「いや」
「あのねぇ!!」
 間髪いれずに返されるのんきな剛の物言いに、由岐人はとうとう切れたらしく声を荒げて睨み付けた。
「暇だろう?映画行こうぜ。前言ってたじゃん、話題作はチェックするって。これ、今話題作だぜ?」
 剛は取り出したチケットをひらひらと由岐人の眼前にかざす。その軽いとしか思えない視線に由岐人は苦々しい視線を向けて、無言で立ち上がる。
 それが、貰ったものではなくて剛が購入しておいたものだなんて由岐人は知らないから。
「待てよっ」
 立ち上がって逃げようとする由岐人の腕を、剛は立ち上がって捕らえた。反射的に剛に、キツイ視線を投げかける。
「離して」
「やだ」
 由岐人は無言で掴む剛の腕を振り払おうとする。けれど逆に剛はぐっと強い力で由岐人の腕をひっぱった。
「――――っ」
 ひっぱられた腕に重心が傾いて、由岐人の体がバランスを崩してよろける。その身体を、剛は腕を伸ばしてしっかりと抱きとめた。
「やめろっ」
 急に包まれた腕に由岐人は慌てて身体をよじる。逃げ出さなくてはいけないと思うから。けれど、剛の腕の力も中々緩まることはなく、暴れれば暴れるほどの強く抱きしめてくる。その暖かさと強さが由岐人には苦く苦しかった。
「剛っ!」
 由岐人の――――泣き声のような声があがる。
「なに?」
「・・・離して」
 半身になって抱きしめられて、由岐人は精一杯顔を背ける。
「いやだ」
「剛っ」
 剛の指が、ぎゅっと由岐人の腕を掴んでいく。
「電話したって全然出ねーし」
「メールの返事はした」
 毎日送ってくるメール。かかってくる電話。それに一体どうしろと言うのだろう?
「めちゃめちゃそっけないけどな」
 そのたった一言を送るのに、どれだけ躊躇って考えて、文字を打つ手が震えているかなんて、剛は知らない。かかる電話に出れなくても、どこかでそれを心待ちにしてしまっている自分を、由岐人は未だに認められない、なんて事も。
「十分でしょ」
「寂しい」
 その言葉に、由岐人の顔が苦痛を感じるように歪められる。寂しいなんて、本当の寂しさなんて知りもしないくせに。
 乾いた心に土足で入り込んで来るな。きっと、そんな覚悟もないくせに。中途半端に優しくしないで。
「そんなこと僕には関係ない」
「関係なくない」
「関係ないっ」
 関係なんかあるはずがない。
 僕の前にはまっすぐな1本道しか伸びていない。それは他のどんな道とも交差していないし、交わってもいない。咲斗も響も、ましてや剛の道なんて、永遠に平行を走るだけ。
「由岐人、――――――――俺は、お前が・・・・」
「うるさい!!」
 それは細い細い一本道で、誰かと歩く幅もない。たった一人、歩いていくしかない道。
「・・・由岐人っ」
「何も知らないくせに、勝手に僕の領域に入ってくるなっ」
 ――――入ってこないで。
「じゃぁ、教えろよ。お前が一人でずっと抱えているものを、話してくれよ」
「剛っ」
「話してくれなきゃやわかんないだろ。分かりたいと思っても、わからないっ」
 ――――嫌だ、言いたくない。知られたくない。
 こんなにも、もうこんなにもいつの間にか好きになってしまっている自分がいるから。剛にだけは知られたくない。怖くて怖くて、きっとこれ以上失うものなんて何もないのに、こんなにも怖いんだ。
「由岐人っ!」
「うるさい。何も聞きたくない。――――もう、帰って」
「由岐人っ」
「――――――――帰れよ!!」
 剛の腕の中、立っている力もなくなって由岐人の体がずるずると沈んでいく。自分の両手で耳を塞いで、頭を抱えて。堪えきれない涙がこぼれないように、唇を強くかみ締める。そんな顔を剛には見られたくなくて、精一杯顔を背ける。
「――――帰れっ」
 搾り出されるその声は、とうとう泣き出したのかと思わせるけれど、由岐人の強い拒絶に剛もなすすべなく立ち尽くしていた。
 届かない言葉と思いが切なかった。受け入れて断られるのではなく、受け入れてもくれない。最初から拒絶されるその反応に、苦い諦めにもにた想いが胸の中を支配していく。何が嫌なのか、どうしてだめなのかもわからない。
 ただ、自分じゃだめなんだという思いだけが剛を締め付けた。
 長い長い沈黙と逡巡の末に、剛は無言で部屋を出て行った。その、扉がガチャンと閉まる音を由岐人は瞳を閉じて受け止めた。
 音が冷たく部屋に響くのを聞いた途端、堪えていた嗚咽が由岐人の口から漏れだした。
「ふっ・・・・うぇ・・・ぇっ、・・・っ」
 その言葉を聴いちゃいけないと思う。
 好きだから。好きになってしまったから。だから、今のままでいいと思う。今のままじゃなきゃいけないと思う。
 何も知らなければ何もなければ、このままきっと4人の関係でいられる。きっとその糸は切れてしまうことはないと思うから。今は苦々しくても、いつか剛にも新しい恋がやってきて、こんな事も過去の思い出になるから。
 ――――いや・・・・そう、だった・・・・忘れてた。
 由岐人はすっかり忘れていた咲斗との会話を思い出した。咲斗は響に自分たちの昔の話をすると言っていた。自分も、それで良いと言った。言ってしまったのだった。だからきっと剛も、もうすぐその事を耳にするんだ。
「は・・・はは・・・っ、・・・ひぃ、・・・っぇ・うぇ・・・・」
 自嘲気味に笑う声と、涙に濡れた嗚咽が入り混じって誰もいない室内に無常に響く。
 自分ではどうすることも出来ない。きっとそれで、剛は自分になんてかまわなくなるに違いない。もしかしたら、避けだすかもしれない。
 きっと自分と何もなかったことに、ホッとするに違いない。自分を見る瞳の色も変わってしまうのだろうか・・・・
 だから、手に入れたくなんかない。初めから、失うとわかっているのに。
 あの日、あの時から、僕の手の中には何もない。全てをこの手で壊して亡くした。そして、――――もう2度と何かを掴むことなんか出来ない。
 この苦しさと寂しさと孤独は、自分で招いた結果で自分で背負っていかなければいけないから。幸せになる資格なんかないから。だから――――――――





 その日から、ピタリと剛からのメールも電話も来なくなった――――――――




 由岐人が安堵と失意と、虚しさと――――苦しさを抱えた一週間がのろのろと終わろうとしていた金曜日の事だった。
 大きな予想外の出来事が、由岐人にではなく響のトコロにやってきた。
 それは金曜の夜、いつものようにバイトを終えて帰ろうと原付の鍵を鞄から取り出していると、後ろから声をかけられた。
「こんばんは」
「――――こんばんはっ。あれ、こんなところでどうしたんですか?」
 そこに立っていたのは、最近通ってきているあの男の客。そういえば今週は見ていなかったと響は思いながら、笑顔で挨拶を返す。
「実は・・・響クンを待っていたんです」
「俺、ですか?」
 あまりに意外な言葉に響は少し驚いたような顔になる。確かに、ビルの裏手の通りからは陰になっているこんなトコロ、何か用でもなければ入ってくるはずもない。
 響は何事だろうかと、思わず首を傾げた。
「話したいことがあって――――ちょっとだけでいいんだ、時間いいかな?」
 少し躊躇いがちに言う男に響も戸惑いを隠せないではいたのだが、それでも客だからと思い返して、笑顔で頷いた。頭の隅に、小城の言葉への反発もあったのかもしれない。自分には自分のやり方がある、そんないきがった思い。きっとそれは、仕事への自覚を強めていった現われだろうけれど・・・
 そして二人はつれだって、近くにカフェに入っていった。













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