■7■
夜中の2時だというのに、金曜日という曜日の所為だろうか。カフェの店内には意外に人が多かった。それでも運良く二人は奥の席を見つけることが出来て、今響と男はぎこちない空気を漂わせながら向かい合わせで座っている。 間が持たない響が注文したホットココアをすすると、男は大きく肩を上下させて思い切った様に言葉を切り出した。 「えーっと、単刀直入に聞くけど――――日曜日一緒にいた人とは、その・・・どういう関係なの?」 「っ、え―――!?」 本当に単刀直入なその言葉に、一瞬響は言葉に詰まった。やはり、見かけたのは間違いなくこの目の前の男だったのだ。しかし、まさかそんな質問がされるとは予想もしていなかった響は、問われる言葉の意味がわからなかった。どうして男がそんな事を気にするのか・・・どうしてそんな事を聞かれるのかが理解できない。 「男の人と、一緒にいた、よね?・・・彼は、友達?」 「え、ええ、まぁ、そんなところです」 窺うような男の口調に響は男の真意がつかめず、まさか男の恋人がいるとも言えず、曖昧に頷いた。この状況でそれ以外に、響にどうする事ができたと言うのだろうか。 「本当に?」 少し男の声が弾んだような気がした。 「ええ・・・」 「そっかぁ――――良かったぁ・・・」 響の改めての「友人」という言葉への肯定に、男は何故かホッとしたような表情を浮かべて、小さく喜びの言葉を口にした。緊張感のあった顔にも笑顔が広がって、力の入っていた肩がホーっと下がっていく。 「・・・え?あの・・・?」 「あ、ううん。ごめんね、変な事聞いて」 「いえ、・・あの、お客様は咲斗さんと、お知り合いなんですか?」 男は一人納得しているようだけれど、響には何がなんだかさっぱりわからない。 「知り合い――――知り合いとは、ちょっと違うかなぁ・・・、こんな事彼に内緒で勝手に言って良いのかわからないけど――――」 「なんですか?」 男の意味ありげな躊躇いに、響は思わず身体を前に乗り出した。言えないけれど、響は咲斗の恋人で、目の前の男との関係が気になってしまうのは、仕方のない事なのだ。恋人だからこそ、勝手に何かを聞きだしたりするのもどうなのかとか言う考えは、今の響の頭の中にはなかった。それよりもむしろ、自分の知らない咲斗を知っているのかという好奇心と、わずかな嫉妬心が響を掻き立てていた。 「まぁ・・響くんならいいかな。これは絶対秘密だよ?」 「もちろんです」 秘密、という言葉に響の胸がドキっと高鳴った。 「昔、――――――――彼と、付き合ってたんだ、僕」 ――――――――・・・・・え・・・ 頭の中が、一瞬真っ白になった。 ――――――――元、カレ・・・・? 「あっ、もしかして彼のそういう性癖・・・知らなかった?」 男は響の驚きをまったく別のもの捉えたらしく、慌てて聞き返してきた。その言葉に、響はゆるゆると首を横に振る。驚いたのは、そこじゃない。 「そっか・・・良かった。もし、知らなかったら申し訳ない事になるところだった」 「・・・・・あの、昔って?」 響にとって、一瞬で世界が変わって見えていた。好感をもっていた常連客。波風のない幸せな日々。その中にいきなり予想もしない形で飛び込んできた咲斗の過去のこと。 「こないだお店で話した事覚えてるかな?凄い好きな人がいたって」 「ええ」 昔付き合っていた人が突然現れただけで、響はバカみたいに動揺していた。 「彼が、その人なんだ。本当に大好きで、大好きで。この人以外何もいらないって思えた人」 「咲斗さん、が・・・」 「うん。でも、――――彼との付き合いが親にバレてしまって。僕は長男だったし、世間体もあるしで親はそんな事到底許せるはずなくて。まぁ、そういう同性愛に理解のあるような人達でもなかったからね。・・・・・しかも最悪なことに、揉めてる最中に父が倒れてしまった。・・・・・その後はもう周りからは心労が祟ったんだと責められて。あの時はまだ若くて、僕には愛を貫き通す強さがなかった。大好きで、大好きで、どうしようもなかったけれど、――――別れるしかなかったんだ・・・」 響は、その聞かされる告白にポーカーフェイスを作ることも出来なくて、驚愕の瞳を目の前の男に向けた。昔話をするようで、いまだにはっきりと未練の残る男の顔。その時の甘い思い出でも思い出しているのだろうか、少しはにかんだような笑顔が時折覗いて。 「嫌いになって別れられたら、良かったのに・・・・彼は最後の最後まで優しくて」 ――――知ってる。咲斗さんが、どれだけ優しくて、甘い人なのかなんて、俺だって知ってる。知ってるけど――――・・・・・・・・・・・ 喉が渇いて、響は目の前の、ぬるくなったココア流し込む。ねっとりとした甘さが口一杯に広がって、余計に気分が悪くなってしまった。 「彼――――・・・今、恋人とかいるのか、響クン知ってる?」 「え・・っ・・・、さ、さぁ。でも、いる、かも」 なんて言えば良いのか、今の響に冷静な判断なんて出来なかった。反射的に返事を繰り出している状態。いると言ってもいいのかいけないのか。いきなり覗いてしまった咲斗の過去に、響は戸惑う思いの方が大きかった。 まして、今更自分が恋人です、だなんて言えなかった。後味の悪い思いと、知りたくなかったという後悔の思いが胸に広がる。 「そっかぁ・・・、いるかもしれないのか」 「気に、なりますか?」 嫌な汗が背中を流れる。 「まぁね。――――婚約者のある身でこんな事言うのはどうかなって自分でも思うんだけど。・・・彼女といると、気付くんだよね彼と比べているのが。でも、もう終わった事、過去の事って自分で割り切ろうとしてたんだけど」 ふと、響にすがるような視線を男は向ける。 「偶然とはいえ、その姿を見たらなんだかいてもたってもいられなくなって。こんなの勝手な妄想だけど、響クンを通じて繋がってる様な気がしてしまって。もしかしてこれも運命なんじゃないかって――――ごめんね、こんな事言われたって困るよね」 男は自分の迷いを打ち消すように、軽く首を横に振って響に笑顔を向ける。けれど、その瞳の中にわずかな期待を込めているように響には思えて、そらす事も出来ない視線が突き刺さった。 「でも元気そうな姿見れてよかったな」 ふと、男は視線をはずして、しみじみと呟いた。 「え?」 「うん、僕と出会った頃は身内に不幸があったりとか色々あった時期で、本当に支えがないと生きていけそうにない感じだったからさ。一緒にいる僕もつらかった。彼ね、僕といる時だけが安心できる、心が休まるって言ってくれてたんだ。――――でも、結局僕も彼を捨てる形になっちゃって・・・」 ――――この人は、知ってるんだ・・・咲斗さんの全部を、知ってる人なんだ・・・ 「だから元気そうで良かった。きっと全部何もかも知った上で支えてくれる人がいるのかも、ね」 ――――知らない・・・俺は何も知らないっ 響は、信じていた足元ががらがらと音を立てて崩れていくような気がした。もしかして、こんなに好きなのは、自分ばかりなのかもしれない。そんな普段なら考えもしない思いが、頭の中に浮かんでくる。何も知らない自分が、惨めに思えてしまった。 もらうばかりで、何も返せていない。それはいつも響の中にあった思いで。それを思いっきり再確認させられてしまったから。 「あの、すいません俺――――そろそろ帰らないと・・・」 響は精一杯のぎこちない笑顔を浮かべて、立ち上がった。 これ以上ここにはいたくなかった。絶えられない吐き気がこみ上げてきていた。 咲斗に昔恋人がいたんだろうなぁとは思っていた。そりゃぁ自分が初めてなんてことはないだろうとは、頭の中では理解していた。初めてであんなにエッチが上手いはずもなくて、何人の人と恋を重ねてきたのか、気になって仕方がない気持ちもあった。 でも、ちゃんと真剣にはその事を考えた事はなかった。気になると言いながら、知るのが怖くてずっとそういう事に目を瞑ってきた。 それは、咲斗の過去を何も知らない自分から、響は目を背けてきたという事だった。お母さんが水商売をしていて、随分前に亡くなったったという事しか聞いていない。なんだか言いたくなさそうな咲斗の様子に、それ以上聞き出す事が出来なくて。話してくれない寂しさに胸が苦しかったから、ついつい目をそらして見ないようにしてきた。 まぁいいか。 いつかきっと、話してくれる。 そのうちに話す機会もあるさ。 そんな風にずっと自分を誤魔化してきた。けれど、気にならなかったわけじゃない。忘れたわけじゃないから。こんなに急に、咲斗の元彼に会うことになるとは思わなかった。しかも、咲斗の口からではなくて、その元彼からこんな話を聞かされるとは思っていなかった。 男のあの、はにかんだ様な笑顔が頭から離れない。ぐるぐるぐるぐる回って、未練を残した横顔に、響に何かを期待するかの様な視線。 そんなものが、浮かんでは消え、そしてまた浮かぶ。頭から追いやれない。出て行ってくれない。 咲斗が、どうして死にたいと思ったのか、その理由さえ知らない。それは、もしかして彼に関係あるんだろうか? 嫌いで別れたんじゃない、と男は言った。 ということは、咲斗も嫌いで別れたわけではないという事にならないのか?好きだったけど、別れなければならなかった相手。しかも、きっと1番つらかった時期を支えてくれた人。 そんな人が、――――あの男が・・・今咲斗の目の前に現れたら。 ――――咲斗さんは、どっちを選ぶの・・・? そう思うだけで世界が真っ暗になっていく。怖くて考えたくもない。 響には自分を選んでくれるようには思えなかった。また手を取って、今までにみたいに名前を呼んで笑って、ぎゅって抱きしめてくれる――――そんな事はあり得ない気がしてしまった。 やっぱり――――――――・・・彼? 「きょう・・・っ、響――――響っ!」 「――――あぁ、・・・さきと、さん」 遠くで声がして呼び戻されて、ふと気が付いたら咲斗が見下ろしていた。その顔が心配そうに曇っていた。 ――――ゆめ・・・? 一瞬意識が混濁して一体自分がどうしていたのか響は眉をしかめた。いまひとつ今の状況が頭の中に入ってこない。 「どうしたの?服のままで寝ちゃって・・・――――お風呂もまだみたいだし」 「・・・あ・・・」 咲斗の言葉で頭のもやが少し晴れていく。 ――――夢なんかじゃない 夢であったならどんなにか良いだろうかと思ってみても、それは決して夢なんかではないのだ。ついさっき起こった現実。 響はどうやって家までたどり着いたのか、全然覚えていなかった。咲斗に起こされて気が付いたら、家のベッドの上に出かけたそのままの姿で仰向けになって倒れこんでたマフラーもジャケットもみんなそのまま。 咲斗はそんな響をそっと助け起こした。 「大丈夫?」 少し落とした明かりに照らされた響の顔を間近で見て、目じりが濡れている事に咲斗は気付いた。 ――――泣いてたんだろうか? 「何か、あったの?」 「ううん、ちょっと疲れちゃって」 「ほんとに?」 響の取り繕うような無理やりに作った笑みに、咲斗は不審気に眉を寄せて、響の肩を抱くように横へ座った。何かを隠しているのは明らかだった。 「何か、店であったんじゃないの?」 「ううん、本当にそうじゃないから。大丈夫。――――あ、お風呂入るよね?沸かしてくる」 「響っ」 咲斗の手から身体を滑り出させて、風呂場に響は駆けていく。その手を引き戻そうと咲斗はしたが、響にやんわりと身体をかわされた。そんな事滅多にしないだけに、咲斗はぐっと手を握り締めた。話してもらえない切なさと苛立ちと、それでいて踏み込めない自分がいて、咲斗は眉をしかめた。 響は風呂を沸かすスイッチを入れて、少し落ち着くために冷たいジュースを喉に流し込んだ。 「あ、咲斗さんも飲む?」 寝室から出てきた咲斗に、響は笑顔を向けてグラスをかざす。 ――――大丈夫。ちゃんと笑えてる。 「本当に何もなかったんだよね?」 そんな問いは、響の様子を見れば愚問だと分かっていながらも、咲斗はその言葉を口にした。 灯りのともされていないキッチンでは、互いの表情は少し見えにくい。それでも、咲斗がどれほど心配しているのか、その声だけで響にはわかるから。 響は流しにグラスを置いて、咲斗の身体に腕を伸ばした。ぎゅっと、咲斗の身体を抱きしめる。 「心配しすぎ」 「ならいいけど」 重なる否定の言葉に咲斗は納得したわけではないが、無理矢理聞き出すのも躊躇われて、優しく響の身体を抱きしめる。目の前にある髪に指を差し入れて、優しく梳いて軽いキスを繰り返し落としていくと、響は少し甘えるように額を咲斗の肩口へと押し付けてくる。二人の間には小さな隙間もないようにピタっと抱きしめあった。今は互いのぬくもりだけが、必要な気がして。 「一緒にお風呂入って、あったかくして寝たい」 ポトリと落とされる響の言葉に、やはり咲斗は少し顔を曇らすけれど、今は何も追及せずに「そうだね」となだめるように優しく呟いた。
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